組織との出会い
どうしてこうなったのか。自分でもよくわからない。ただひとつはっきりしているのは、私が、いや、私たちがとんでもない失敗をしてしまったことで、それはきっと取り返しのつかないことなのだろう。これは、記録。この記録に入ることで、あなたが何を感じ、何を思うのか、私にはわからない。いや、語弊がある。そうだ、私は知らない。なぜなら、この記録が有効かどうか、それはこれからこの事象を観測する、あなた次第なのだから。
加速Gが私を一時の休息から引きずり出す。ここ数十年、航空機の開発は停滞している。特に、離着陸時の重力には抗う方法は21世紀となんら変わらないと言っても過言ではない。やはり科学の進歩なくして技術が進歩することなど不可能なのだろうか。
閑話休題、ロンドンから日本、いや北欧領旧日本までは遠い。旧世紀には10時間以上もかかったのだから今の6時間というのはだいぶマシになったのだろう。それにしてもやっていられない。どうしてメールを一通送ればすむはずの書類をわざわざ届けにいかなくてはならないのか。それも、他の人ならともかくなぜ旧日本人の私をよこすのか。出発前に、上司には何度も確認した。しかし、彼は頑なであったし、挙げ句の果てに「男尊女卑を矯正するための女尊男卑で女性にも内勤以外の仕事を回せ、と総務部から耳にタコが出るほど言われる。全く、適材適所っていう言葉を知らないのかねぇ、あいつらは」と愚痴をこぼし始める始末。そんなこと私に言われても困る。そもそも男尊女卑を苛烈に進めていたのは、ユーロピアンではないか。あなたは知っているか?”Lady first”という言葉を。今となっては使われなくなったが、もとは、上流階級の淑女のマナーだったり、男性を暗殺から守るものだったりと、今調べてみれば語源や意味があやふやだ。つまり、フェミニストが強調していた”Lady first”とは彼ら(フェミニスト)がその言葉に都合のいい解釈をつけただけにすぎない。要は、フェミニストのエゴが回り回って私の仕事を増やすことにつながったのだ。まったく、迷惑極まりない。それは言い過ぎだとしても、漸く北欧の市民権を獲得し、政治経済において多分右に出る者はいないくらいに勉強し、北欧で一二の大きさを誇る企業に幹部待遇でスカウトされ、もう二度と日本に行くことはないと思っていたのに。それも、メールで送付するのをためらうような書類とは。一体なんだろうか。開封は禁じられているし開けるつもりはないが、やはり自分の気分を害した仕事の中身となると、気にならざるを得ない。取り敢えず、帰ったらやる予定だった仕事を片付けてしまおう。それが終わったら休暇のはずだ。
機内で書類を処理すること、3時間。私は違和感を感じはじめていた。あれだけ大事に扱うようにと念を押されたものだ。膝の上に抱えて飛行機に乗ってからは一度も手放していない。しかし、なんだか徐々に重くなっている気がする。いや、私が疲れてきているだけかもしれない。
「お客様、大丈夫ですか?」
「ええ、すみません。少し、疲れてしまっただけです」
「お水をお持ちしましょうか?」
「そうね、お願いするわ」
「かしこまりました。もし、ご気分がひどいようでしたらいつでもお声がけくださいね」
「ええ、ありがとう」
少なくとも第三者から見たら心配してしまうような顔色をしているらしい。水を飲んだら少し休むことにしよう。
少し待ってから、水をもらう。偶然手が触れる。冷たい手だ。いや、水を持っているのだから当然か。
その水は、甘い香りがした。その感覚を最後に、私は再び眠りに落ちる。
目覚めてすぐに気がつく。書類ケースがさっきまでと違う。やられた。これはまずい、即刻携帯端末で上司に連絡しようとして再び違和感を感じる。電波が通じていないのだ。二百年前じゃあるまいに、今では海中と地中を除いた全地球の大気圏内で通信用の電波が通っている。それなのに通信圏外ということは電波遮断でもされているのだろうか。落ち着け、私。まずは周りを見渡し…
誰もいない。どういうことだろう。さっきまで乗客はたくさんいたはずだ。それが一瞬で消えるとは思えない。さっきのは幻影だったのだろうか。いや、そんなはずはない。私はさっきのCAの手を触れ、確かに冷たいと感じたはずだし、受け取った水からはしっかりと匂いがした。もっとも、味は普通の水だったが。それと、もう一つ。揺れがない。どうやらもう着陸したらしい。
これらのことから考えるに、私はどうやら誘拐されたようだ。それも、かなり大掛かりな方法で。しかしわからない。なぜ私も、なのだろうか。ケースはすでに取られている。私を誘拐したところで何のメリットは何もない。考えたところで仕方がない。とりあえずケースを開けてみよう。中身はタブレットだった。今時珍しい。起動の方法は何となくわかる。歴史の授業で触れた。
出てきたのは人の顔だった、いや人の頭部のレントゲン画像。これまた古い。私の誘拐主は懐古主義者か何かなのだろうか。
「凛・クラウディア・ユノキ。いや、柚木凛。君は、日本の帰りたいか。いや、日本国民に戻りたいか」
映像の中の骸骨が喋り出す。
「そんなことはどうでもいい。私は、私のやるべきことをやるだけなので。早く書類を私に返還し、即刻私を返してください」
「まあ、そう焦るな。君は、気にならないのか? なぜ私が君の名を知っていたか、とか、書類ケースの中身は何なのか、とか」
「私の名前に関しては知られていてもおかしくはないわ。自分でいうことでもないけど、その手の界隈にはそれなりに有名だと思っている。書類に関しては、その中身を見るのは私の仕事ではないわ。さあ、言いたいことを簡潔にまとめなさい」
「良いだろう。私は、いや私達は旧日本の統合化学研究所の人間だ。今世界は滅びようとしている、と言って君は信じるかね」
骸骨は私に言葉を挟む間も与えないかのように続ける。
「信じないな。無理もない、私が同じ立場でも信じないからな。一つ、話をしよう。君は何歳だ?」
「女性に年齢を訪ねるのは失礼に当たると学校で習わなかったの? 24よ」
「じゃあ、20年前の戦争は覚えていないか。エリートの君に問題だ。学生時代、きちんと勉強していたかチェックしてやろう。質問、そもそも日本が占領される原因となった戦争の勃発理由は?」
「非戦争国を謳っていた日本が、当時自国の防衛の大部分を頼っていたアメリカが第二次朝鮮戦争で壊滅的な被害を負い、日米同盟を結んでいた日本も参戦。この時、アメリカがNATOに加盟していることを理由にEU軍が朝鮮を襲撃、これを撃滅。のち、この戦争の原因は日本とアメリカにあるとし、国連法違反を理由にアメリカに宣戦布告。先の戦争で疲弊していたアメリカはほとんど戦うことなく降伏。日本も同じように降伏し、今に至る。どう?」
「正解だ。君はどう思う?」
「何が」
「この戦争の原因が日米にあるとされたことを」
「全て間違いとは言い切れないわね。日本が10年に一度は戦争をする国に防衛関係をほぼ全て頼っていたのは、愚策としか言いようがないわ。それに、EUは彼らの国民の不満のはけ口を探していた。そして、見つけてしまったのよ。戦争という、素晴らしい餌をね。当時、私たち統合科学研究センターは総力をあげて、とある実験をしていた。それが、地球外の惑星に地球の都市を模倣した国を作った。そして、生命の息吹を蒔いて放置した」
「神気取りね。結果は?」
「完全なる失敗。人類が誕生し、文明を築き始めたあたりで、食糧難だ、なんだで、絶滅。それを4回繰り返した。5回目、なぜかはわからんが、今回は上手くいっている。原因はわからん。私たちはその研究をしようとしていたところだった。その折、日本が占領された。そして、私たちは投獄された。理由は不明だ。そして、君は今日本で何が起きているか、知っているかね?」
「いいえ、なに?」
「天然痘の兵器転用の研究だよ。自衛隊の特殊作戦群が研究していたものをそのまま引き継いだだけだがね」
「で、それがどうしたって?」
「EU軍は、それをロシア占領の為に使うつもりだ。単純に、邪魔な民や政治系統は潰してしまえばいいという発想だ。しかし、ロシアも黙ってはいない。地球を破壊する、という脅しをEUにかけている。が、奴らはそれを信じてはいまい」
「当然ね、誰だって信じないわ」
「しかし、ロシアの連中は本気だ。約百年前のツァーリ・ボンバという水素爆弾がある。その発展型を地中深くに300個埋めると、内部から吹っ飛ぶ。地球そのものは壊れないが、衝撃だけで人間は全員消し飛ぶだろうな。普通なら、そんなものそこまで作れはしないが、アメリカ崩壊の時に流れ込んだ資材で、それが可能になってしまった」
「それは防がなくてはいけない。そして、日本を取り戻したい気持ちもある。だから、別の世界や星から群を持って来て、戦わせればいい。そうすれば、自分たちが傷つくことはないし望みも叶う。でも、どうして私に協力を求めるの?」
「君は、政治経済のエリートだ。それも日本の血を引き継ぐ、ね。そして、我々がそれらを潰す為には拠点が必要だ。国家という、巨大な拠点がね。報酬もある。基本的にどんなものだろうと手に入る。どうだ? 参加しないか?」
「つまり、別世界の人間があなたたちに協力しなかった場合、強制的にやらせる。で、そのためには政治や経済分野に詳しい人間が必要。でも、その手のやつらは大抵北欧の人間。そんな中、私というイレギュラーが現れた」
「そう。ちょうど私たちが求めている人材。どうだ? やってみないか? 報酬は用意する」
「遠慮しておくわ。民衆を操るなんて、私では力不足よ。それに、世界を救うとか端的に言って興味がないのよ。ああ、安心して。このことは誰にも話さないから。じゃあね」
「まあ、返事は書類ケースの中身を見てからにしないか?」
足元に、さっきもまで私が抱えていたケースが滑って来る。
「鍵は開いている。開けたまえ」
言われるままに開けてみる。
「これは…」
中身は天然痘の広域散布に関する資料だった。それも、私の勤めている会社のロゴが入った。
「なるほど、私はいつの間にか地球破壊の片棒を担がされていたわけね。まあいいんじゃない? 運命が私を選んだのよ、きっと。悪いけど運命は変えられないわ」
「それは違うな。間違っている、柚木凛。運命は変えられる。変えられないのは宿命だ」
「そう、じゃあきっと宿命ね。何を言われようとあなたにもあなたのやってることにも興味がわかないわ。あんまりしつこいと、あちこちで言いふらすわよ」
「そうか、じゃあこう言い換えてはどうだろうか。”世界を壊してみたくはないか?” 今から行くところの社会を破壊して、自分好みに造り替える。それならどうだ?」
「もう一声欲しいわね。例えば、ロシアの統治に私に任せる、とか」
「一部制限付きでなら、いいだろう」
「いいわ。それじゃあその話、のった」
「ありがとう。なら、タブレットを持ったまま、コックピットに通ずる扉に向かってくれ」
指示通り扉の前に行くとそれが自動で開く。そこには、風防を開けた戦闘機があった。
「これに乗ってくれ、操縦はオートだから、何もしなくていい」
「わかったわ」
風防を閉めた途端、加速Gが一気に私を襲う。さっきと同じ感覚だ。しかし、宇宙に行くというのに旅客機とかかる力が同じなのなら航空機は大いなる進歩を遂げたのだろう。