5.買い出し
鼻歌に合わせリズムよく、軽快に階段を降りていく春。
「確かこの先だったかな」
階段を降りると少し先に売店があり、その中には千代と歳が同じぐらいの女性が立っていた。売店に近づきそのおばちゃんに右手を上げ話しかける。
「オッス、おばちゃん!お菓子ある?」
「あぁ、数は少ないけどまだあるよ」
何故こんなに優しいのか春は少し感動してしまった。年寄りは千代みたいに恐ろしいイメージしかなかったのだが、外の世界に出てみると、仏様みたいな年寄りが圧倒的に存在していた。
いくら春でも、その優しさに触れたら嬉しく感じてしまう。こんな人に育てられたら、今の自分よりまともになっていただろうと思ってしまう。
(ーーまぁ済んだ事を気にしても仕方ねぇか…)
静かに売店でお菓子を選んでいると、誰かに突然制服を引っ張られて、後ろに倒されてしまった。
倒れた拍子に尻と掌を少し痛めてしまい、鋭い目付きで見上げてみると、上級生が四人立っていた。
「どけ、一年坊」
そのセリフは倒す前に言うべきセリフだ。
髪型、目付き、着崩した制服から察するに、どうやらこの四人は普段から素行の悪い輩だと推測できる。
後輩には何しても許されると思っているのだろう。
(…こいつら、死にてぇみてぇだな)
朝の出来事はわざわざ我慢したのに、今度はいきなり倒されて流石に我慢の限界だった。
ゆっくり立ち上がり男達に近づくと、その四人は笑いながら売店のお菓子に手を伸ばしていた。
よく見るとなんの躊躇もなくそのままポケットに入れて、金を払わず売店を去ろうとしていた。
「ギャハハハ」
「少ねぇじゃん」
「今日もツケでよろしく」
売店のおばちゃんは悲しい顔で、必死に耐えているのが解った。何も出来ない事が一番辛いはずだ。
無断でお菓子を取った四人は、笑いながらその場を離れていった。すれ違いざま、わざと春に肩をぶつけて挑発してきた。
小馬鹿にされて今にも爆発しそうだったが、買い出しミッションが優先だったので、春は心配そうに売店に駆け寄った。
「おばちゃん大丈夫?お菓子は?」
「ごめんね、さっきので全部無くなってしまったの」
そう言って申し訳なさそうな顔をして、重いシャッターを閉め始めた。どこか寂しくなる錆付いた金属音が辺りに響いた。
この瞬間に春は思った。
とりあえず今だけは、我慢せず素直に生きようと。
昔から千代に老人は労われと教えられて育ってきたから、目の前でこんな事が起きてるにも関わらず、その教えを守らないのは間違っている。
それ以前にあの四人はただムカツく。殺しはしないが、殴り飛ばして上級生のプライドを粉々にしてやろうと考えた。
善は急げと春は四人を追いかけた。
「待てやコラァー!」
空気が揺れるほど大声が廊下に響き、窓ガラスがミシミシと軋んだ。
突然の大声に四人はもちろん、その近くに居た生徒も驚いて咄嗟に春を見た。視線が集まる中、睨みを利かせて四人に近づく。
「さっきの一年か」
「お前!なんだその態度は?」
四人は春を囲むように近づいて来るが、何一つ怯む事なく男達を睨み続け、一触即発の空気が流れる。
しばらく睨み合い、春が口を開き静寂を切った。
「お前ら、パクった菓子全部寄越せ。あれは俺が買う予定だったんだよ」
四人はプレッシャーをかけようと眉間にシワを寄せ、至近距離まで顔を近づけるが春は全く動じない。
遠巻きに見ている生徒は心配そうに見守っている中、何時まで経っても態度を改めない春に、痺れを切らして胸ぐらを掴んできた。
「お前、マジ殺すぞ」
ドスの効いた声で脅してきたが、春にそんな言葉を使うのは全くの無意味だ。
春は目を閉じ、静かに呼吸を整えた。
「やってみろ」
春の目付きが急に鋭くなり、その瞳の中には殺気が込められた。
次の瞬間、相手の顔を鷲掴みにして思い切り壁に叩きつけた。男は成す術なく頭に衝撃を受け、春を掴んでいた手を離すとその場に膝を着き座り込んだ。
「っ?!こいつッ!!」
息つく間もなく、他の男が左右から同時に顔面を狙って拳を伸ばしてきた。
それを難なく両手で捌いて相手が怯んだ隙に、二人の顎に拳を打ち込み一撃で意識を刈りとった。
振り返ると、組手の構えから春の顔面に向けて蹴りが放たれた。しかしこれを片腕で止め、反対の腕で相手の首を掴み握り締めた。
「ぅぐッ……がぁ…」
掴んだ首をそのまま上に持ち上げると、男は苦しそうに足をバタつかせてた。そしてそのまま一気に腕を振り下ろし床に叩きつけた。
流れるような攻撃を終え、退屈そうにため息をついた。あれだけデカい態度をとっていた割に、全く話にならなかったからだ。
だが春の強さはただ喧嘩慣れしている次元ではないと、素人が見ても解るレベルだ。
座り込んでいた男は、目の前で起こった光景を黙って見る事しか出来なかった。憑依してないにも関わらず、一対四の有利な状況で、手も足も出ない事が信じられなかった。
しかしどんな状況になっても強気で反抗的な態度を貫いていたが、その声は恐怖や絶望で震えていた。
「お前、こんな事して覚悟出来てんのかよ?」
下っ端のようなセリフを聞いて、春は思わず吹き出した。そんな座り込んだ状態で、未だ強がる姿が滑稽だった。
「お前の方こそ、これから(意識を)落とすけど覚悟出来てんの?」
鼻で笑いながら男を見下した。
その目にはまるで感情がなく、不敵な笑みの奥には皮を被った鬼が牙を剥いていた。
そしてなんの躊躇いもなく、男の顎を思い切り蹴り上げた。
廊下には抜け落ちた複数の歯が転がり、男は上を向いたまま血を吹いて気絶していた。
普通の人間が相手の時、力の差があるのでいつもやり過ぎには気を付けている。本人はあまり意識してないが、実際に一、二発だけで相手を仕留めていた。
「あ〜、スッキリした」
朝の鬱憤を一緒に晴らす事ができたので、まさに一石二鳥だ。
爽やかな笑顔になるが、この喧嘩を最初から見ていた生徒は、春の容赦の無さに暗い表情になって怯えていた。
機嫌を良くした春は、倒れてる男達からできるだけ綺麗なお菓子と、ポケットに入ってる財布を漁り現金を全て回収した。
まさに鬼の所業だ。
「結構持ってんなぁ。ちゃんと払えばいいのに」
札を数えながら売店までトボトボ歩くと、シャッターを叩いて開けてくれるように頼んだ。
するとその奥から、おばちゃんの弱々しい声が聞こえた。
「もういいんだよ、またお菓子がある時に来ておくれ」
中々開けない事に腹を立てた春は、シャッターを殴り貫通させ自分の腕を捻じ込んだ。
突然の暴挙におばちゃんは売店の中で驚き、腰を抜かしていた。
春は手を開くと、先ほど回収した札が無造作に握られていて、ヒラヒラと大量に床に落ちた。
「お菓子回収したから、これで払うし受け取ってくれや」
シャッターの向こうで、ハッキリとそう言っているのが聞こえた。
春は腕を引き抜きぬくと、足早に自販機へ向かった。その場を後にした春の姿が、シャッターに開いた穴の中で小さくなっていく。
「ひっ?!」
興味本位で恐る恐る売店の中からシャッターの穴を覗くと、少し離れた所で先程の二年が全員倒れていた。
「…後は飲み物か」
そう言いながら、ポケットに詰め込まれた札と小銭を確認した。臨時収入が以外と多かったので、今回の喧嘩は相手を許す事にした。
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「いやー、腹減ったー」
アクシデントがあったが、以外と早くクロミの待つ教室に戻ってこれた。
扉を開けると、何故か教室に居る全員から見られていて、その視線が何だか痛い。
(…ん?なんだ?)
不思議に思いながら自分の席に戻ると、何故かクロミはモジモジしながら照れていた。
とりあえず買ってきた紙パックの牛乳と、少し箱が汚れてるお菓子をクロミに渡す。
「ありがとね、ハル♪」
「おう」
それから目の前にいる茜に、自販機で買ってきたジュースを渡そうとした。
「とりあえずクロミの相手してくれて助かった。これやるよ」
「アハハ…ハハ」
ジュースを渡そうとしたが、よく見たらさっきと何か違う。教室を出る時はもっと元気だったはずが、今は壊れたおもちゃのように見える。
(っ?!こいつ怖ッ)
しかしさっきから何かおかしい。
春が居ない間、教室を取り巻く雰囲気が変わってしまった。なおかつ春が注目の的になっている事から、自分に関係あると考えている。
すると茜の友達の美緒が、いきなり春の机を叩き突っかかってきた。
「ちょっと沢木君!聞きたい事があるんだけど!」
「ッ?何?」
ついに答えが、美緒の口から放たれた。
「ズバリッ!クロミちゃんと結婚してんの?」
「……は?」
破壊力が強すぎて開いた口が塞がらない。
さっきから浴びせられる冷たい視線の意味がようやく解った。この状況は間違えなくクロミが作ったものだ。
そんなクロミは春の心労も知らず、嬉しそうに腕に抱きついてくる。
「ぅわわあぁ〜〜ああん」
一方茜は突然机に向かって、滲み出る悲しみを吐き出している。
その茜の絶叫を皮切りに、会話を聞いていたクラスの大半が春の机に群がってきた。
(…俺の平穏を返してくれ)
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阿鼻叫喚の教室内を何とか静めて、春は三年間の高校生活を賭けて誤解を解く。教室がさながら法廷に様変わりしていた。
「まず俺はこいつと結婚してねぇ。有り得ねぇだろ、こんなガキと!てかクロミ、お前何変な事言ってんだよ!」
「でも昔約束したっ!絶対したもんっ!」
机を激しく叩きながら説得するも、クロミの思わぬ反撃に、クラス全員の視線が春に突き刺さった。
その冷たい視線に倒れそうになるが、なんとか持ち堪えて再び誤解を解き始める。
「ぐぬぬぬ……そっ、そもそも家族で結婚は出来ませ〜ん!残念でした〜」
開いた両手を顔に当て、舌を出してクロミを挑発する。子供が相手だったらこのぐらいで効果抜群だ。
「ッ?!……ばかばかばかばか〜ハルのばかー」
(フンッ、俺の勝ちだ!)
春は高らかに勝鬨を上げた。
クロミは春に騙されたと思い、机に伏せ手足をバタバタさせて暴れてしまった。
「…ねぇ、結局どうなの?」
話が全く進まず時間だけが過ぎていく中、クラスを代表して美緒が話を戻した。
泣きわめくクロミを他所に、春はクラスの全員に説明を始めた。
「多分小さい時の約束を、ずっと覚えてただけだろ。将来結婚する〜、とかよくあるじゃん?俺は人間だから成長するにつれ現実を知る。けどクロミは頭も身体もずっとそのまま。だから気持ちのズレ?が生じたんだと俺は思う」
「「なるほど〜」」
春はこれ以上ない説明で、クラスを納得させた。これで眼の上のタンコブが取れて、安心して生活できる。もし誤解が解けなかったら地獄の三年間が始まっていて、流石の春でも耐えられないだろう。
納得してくれたみんなに感謝を捧げた。
(しかし、なんとか静かになった)
話が済んで散り散りなっていくなか、落ち着いた表情の茜が、何事も無かったかのように復活していた。
まぁ地雷を踏んだのは茜だが、それは既に闇の中だ。
「そっかそっか〜、そうだったんだ〜」
茜の目の周りは、涙を拭いて薄っすらと赤くなっていた。さっきまで精神的に不安定だったのに、すっかり安定しているように見える。
一方春は、グズっていたクロミを抱き上げると、自分と向き合うように机に座らせて、紅い瞳を見て静かに語りかけた。
「お前は昔から一緒に育ってきた唯一の家族で、たった一人の妹だ。結婚はしねぇけど、これからもずっと一緒だ」
「ぅわ〜〜ん!ハル〜!大好き〜!」
春に勢いよく飛び付き、制服が涙や鼻水でドロドロになった。それを全く気にせず、クロミの頭を犬のように撫でてやった。
「よ〜しよしよしよしよし」
クロミの機嫌が直った事を確認し、茜の顔を見てさっき伝えられなかったお礼をした。
「クロミを見ててくれてありがとな。あのさ、お前の名前聞いてももいいか?」
義祖母と義姉と母親。クロミは別として、異性に対してこの三人しか免疫がない春は、ぎこちなく名前を教えてもらう。その姿はどこか恥ずかしそうだった。
「……あっ」
(これが一目惚れなんだ…)
時間が止まったように感じた。
茜の思いは少しだけ、でも確実に縮まったような気がした。これからは焦らず、自分の気持ちを伝えていく事にした。
「私、雪村茜。よろしくね!」
「おう、よろしく」
この時の春は、悪い気はしなかった。この街に引っ越して以来、初めて仲良くなった人間。
今まで他人に無関心だったが、新しい環境で知らない内に少しずつ成長したのだろう。
この関係を壊さないようにと、春はこの時誓った。




