14.ダウン
「も〜、何で置いていくのかな〜(怒)」
膝を抱えて座り込んで、遠くから勝負を観戦しているクロミ。春に置いて行かれた事に頬を膨らませるが、その紅い瞳は春を心配しているように見える。
『ーー倒れるまで手を出すなーー』
勝負の前に春と交わした約束をふと思い出す。
もしも春が倒れたら好きに暴れられる。しかしそれ以前に春が倒されれば感情が爆発して、上手く手加減が出来ないかもしれないとクロミは思った。
今まで春とこんな約束はした事がないうえに、いつもと違い一人相手に勝負が長引いている事に不安になる。
「ハル〜、早く勝ってよ〜。クロミ心配し過ぎて、このまま爆発しちゃいそうなんだからね!」
すると突然火柱が上がり、荒れ狂う熱風が悠々と傍観していたクロミの所まで伝わってきた。思わず着物の袖で顔を隠すと、渦巻く炎の中に太とは違う別の何かを感じ取った。
「あっ、変わった…」
そう呟いたクロミの双眸は、あきらかに敵意を剥き出しにしてその炎の中心を睨んでいた。
「何か…これ嫌いだな」
クロミが感じた気配の事だろう。ますます強まる気配に、今すぐ春の元へ駆けつけたいと強く思ったが、春との約束がその思いを邪魔している。
苛立つ気持ちを抑えれば抑える程、クロミの身体から薄っすらと立ち上る煙のように闇が漏れだしていた。
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自分はディアボロスと名乗る太。
確かに何か変わった事には気付いたが、その言葉を信用出来ずにいた。それ以上に馬鹿にされていると思い、春はキレ気味に問いかける。
「オイッ!こんな時にふざけてんじゃねぇよ!火野ォッ!!」
「ほぅ貴様、やっぱ太の事を知っていたか。だがっ!その名前も今日で終わりだ」
そいつは両手を広げ天を仰ぎながら、嬉しそうに喋り出す。
「ケッケッケッ、何故ならこの体は、今から俺様の物だからな!」
「は?」
「オイオイ、まだ信じてないみたいだな。こいつは悪魔(俺様)と契約したんだぜ?俺様はその対価としてこの体を頂戴したって訳だ。まぁ予定より少し早かったがな」
ディアボロスの言葉に、春は口元に手を当て様々な単語を出した。頭をフル回転させ過去に覚えた知識を呼び起こし、そして今の太の状態を思い出す。
「悪魔…、契約…、対価…、乗っ取り…。【同化】か?」
【同化】。それは【憑依】と違い、二つの魂が混ざり合い新たに一つの魂として生まれ変わる。その強さは憑依時よりもさらに上とされているが、人格すら変わってしまい、一度一つになればもう二度と元に戻れない。禁忌とされ、望んでそれを実行する者はいない。
しかし契約してまだ日が浅い太が、同化など出来る訳が無い。春が導き出した答えは、
「テメェ、無理矢理奪い取ったのか?!」
「冗談は止めろ、契約違反はこいつがしたんだ。対価を差し出さないうえ、拒否までしやがった。だから申し訳ないけど少し強引にさせてもらっただけだぜ」
自分は悪く無い。仕方なかった。
そう口に出しているが、その顔はあきらかに歪んだ表情で笑っていた。
「しかし、こいつ必死に抵抗してたなぁ。今思い出しても笑っちまうぜw」
狂気に満ちた顔で春を見るが、春は何も言い返さず、ただ静かに怒りを燃やしディアボロスを睨む。恐らく春にとって一番嫌いなタイプだ。
「…もぅいい……」
「はっ、俺様に勝てないと解って逃げるのか?そんな事させねぇよ。同化して記念すべき最初の相手、第一号なんだから俺様を楽しませてくれよ」
「馬鹿が、誰が逃げるって言った?…太には悪ぃが、その体を壊す。いくら許しを願っても、テメェが同化を解くまで破壊し続ける!」
春自身不思議に思っているだろう。いつもと違う自分の怒りの違和感に。普段から自分の為、気まぐれに己の力を振るっていた春だが、これ程まで相手に怒りを覚えたのは久しぶりだ。
しかし人として欠陥がある春は、戦闘において〝助けたい〟〝守りたい〟と思う感情は、思い出せない程に記憶の奥底に沈んでしまっている。
故に胸の中で蠢めく違和感が、何なのか解らない。
「貴様に出来るか?同化した俺様を…、止める事がッ!」
黒い悪魔が上体を倒して、まるで獣のように疾走する。両手が地面に擦れて、土煙を上げながら春に迫っていた。
(あいつの事だ、まだ魂は抵抗してるに違いない。…同化は半分ぐらいか)
そう考えながら微動だにしていなかった。
誰かを頼る事に抵抗があったが、今の春にそんな事は関係なかった。
物心ついた時から母しか居なかったが、自分の体に流れている血がその存在を証明している。
目を閉じ頭の中で記憶に無い人物を思い、そして願う。
「もっと力をくれよ。あいつを…、全てを圧倒出来るぐれぇの力をよ。…父さん」
それに応えるように、突然血が騒ぎ始めた。
心臓から押し出された血が、まるで血管を削りながら全身に流れている事を感じる。血管が浮き上がり指先の痺れがやがて痛みに変わる。心臓に戻り蓄えられた血はより濃くなり、再び身体を巡る。
自分の身体に頼み事をして応えてくれた事が、まるで自分の中に父親が居るようで可笑しくなった。
「フッ、ありがとう」
体の変化を感じると、目を開け迫り来る悪魔を見据える。硬く握られた拳はゆっくり解くが、指先を立て静かに構えた。
「ケケッ。少しはマシな顔になったじゃねぇか…よっ!!」
既に目と鼻の先に居たディアボロス。薙ぎ払うように振り抜かれた右手を受け止めた瞬間、左の脇腹に蹴りが直撃し、春はそのまま吹き飛ばされた。
「何だ?さっきとあんまり変わんねぇじゃ…ん?」
その痛みに気付いたのは、蹴り終えた足を地面に下ろした時だ。顔を下に向けると、太ももには四つの穴が開き、そこから這い出るように赤い血が流れ出した。
「あの時か。中々やるな…ぐッ?!」
「テメェのお喋りに付き合ってる暇はねぇんだよッ!」
倒れたディアボロスを見下しながら、春は殺意剥き出しで怒鳴り散らした。
太ももの次は左頬が熱くなり、そこから流れて出る血が顎を伝って滴り落ちた。
(殴られた?いや、切り裂かれたのか?)
突然の攻撃に動揺したディアボロスは立ち尽くす春の右手を見ると、指先が血で染まりポツポツと血が落ちていた。鋭く尖った分厚い爪がその皮膚を、肉を切り裂いたのだ。
「その体を解体したら、テメェも死ぬだろ?」
「クソッ!貴様、調子に乗るのもここまでだ!」
どうやら図星を突かれたようだ。同化しているなら全てを共有する筈と春は睨んでいた。それは身体も、痛みも、死も。
焦りながらディアボロスは起き上がると、すぐさま春との距離を空ける。そして大鎌を拾うと、
「解ったところで、貴様は殺される運命なんだよ!」
「テメェ、悪魔のくせに運命とか言ってんじゃねぇよ!」
二人が同時に走り出し、捨て身覚悟で鎌と拳が入り乱れる。一瞬たりとも気が抜けない激しい攻防が始まった。
ギリギリで躱し、捌き、防ぎながら攻撃を繰り出す二人の周りには、血が飛び散り体の至る所に傷が増え始める。
「クソがぁー!死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇー!」
ディアボロスが接近戦での分の悪さに気付き、徐々に攻撃が雑になっていた。ディアボロスの傷が増える一方で、春は再生してそれ程影響が無いのだ。
冷静さを欠いたディアボロスに向かって、突然春が叫び始めた。
「オイッ、太!テメェいつまで引っ込んでるつもりだ!さっさと戻ってこいやぁ!」
するとディアボロスの表情が、見るからに焦り始めた。春の声をかき消すように止めろと叫ぶが、春は太に向かって叫び続ける事を止めない。
「止めろって…言ってんだろうがぁ!!」
ディアボロスは激しい攻防戦を離脱し、上空へ跳び上がった。春の頭上を越える程度に跳躍すると、炎を纏った右手を握り締めた。
咄嗟に春も迎え撃つ体勢に入ったが、何か違和感を感じた瞬間、
ーーザクッ
「おっ…んっ、ごはッ…」
頭上に跳躍したディアボロスに目を奪われた事で、尻尾に巻かれ振り子のように操っていた鎌に全く気付かなかった。
体の中心に深々と突き刺さり、その勢いまま放物線を描きながら後方へ放り投げられた。
「ケッケッ、引っかかったな」
うつ伏せに倒れたまま、春は動けないでいる。傷の再生は既に始まっているが、今まで受けたダメージが蓄積され鉛のように体が重くなっていた。口からは大量の血を吐き、全身が生暖かい血で浸されている。
(全部俺の血か?!クソが、動けよ俺の身体ぁ!)
「ケケケケッw。形成逆転だな」
尻尾を使い自由自在に鎌を振り回しながら、動けない春に不敵な笑みを浮かべ近づいてくる。勝利がすぐ目の前に転がっていると、嬉しさのあまり震えが止まらない。しかしその足取りは重く、ディアボロスも戦闘でのダメージが溜まっている事が解る。
後少しの所で動けなくなった春は、歯を食い縛りながら近づくディアボロスを睨みつける。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!)
「動けって言ってんだよ!俺の身体ぁぁあ!!」
振り上げられた右手の鎌は月明かりに照らされ、波打つ刃文が妖しく輝いている。そして音もなく春の背中に振り下ろされた。
鋭い刃先は弾力のある筋肉を貫くと、傷口から血が弾け、その勢いのまま沈むように地面に深く突き刺さった。
「クッ……ソが……」
最早痛みを感じない程ダメージが溜まっていて、視界が霧に包まれるように霞むと知らない内に瞼が閉じていた。
ディアボロスは春が動かなくなった事を確認すると、言葉にならない程の達成感と疲労感が全身から溢れ出した。
しかし…、
「やっと終わった…。いや、一応首でも刎ねておくか…。また立ち上がられても困るしな」
長い死闘を繰り広げた末、ようやく掴んだ勝利に酔いしれる前に、念には念を入れる事に。鎌を引き抜くと、首を狙い最後の一撃を大きく振りかぶる。
「これで、俺様の勝ちだ!」
揺るがない勝利を確信しすると一瞬気が緩んだ。だがその隙を突くように、悍ましい異形の能力がディアボロスに迫っていた。
「だめぇぇえーー!」
声の主に顔を向けた瞬間、夜よりも暗い闇がディアボロスの顔面を殴り飛ばした。突然の出来事に戦闘で疲れた体は、受身を取る事が出来ず背中から打ち付けられた。
眉間にシワを寄せゆっくりと体を起こすと、一人の幼女が春の隣に立っていた。だがその小さな背中からは、無数の闇が大樹の枝のように伸びていた。
「クロミのハルに何するのっ!お前、許さないんだからーッ!」
小さな歩幅で近づく黒い子鬼は、怒りで血走った紅い眼で悪魔を睨みつける。ディアボロスに小さな掌を向けると、標的めがけて一斉に闇の手が襲いかかってきた。
「…マジかよ?!」
月明かりを遮る程の、大量の闇に目が点になる。しかし呑気にしている場合ではない。翼を羽ばたかせ上空へ逃げるように飛び上がるが、その闇は縦横無尽に追いかけてくる。
ディアボロスは炎で迎え撃つが焦がす事も出来ず、鎌で切り落としても空を斬った様に全く手応えが無く、次から次へと生え変わり襲いかかってくる。
ディアボロスには直接それを防ぐ術がなく、攻撃に当たらないように避け続ける事で必死だった。
その闇は霧のように掴む事は出来無い。
その闇は煙のように形を変え、相手を捉える。
その闇は絶望を植え付ける。
その闇は全てを拒絶、否定する。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「…ここ…は、夢か?」
目を開けると、見渡す限り何もない真っ白な世界が広がっていた。以前春が見た夢とほとんど同じ空間だ。
春は立ち上がると疲労や痛みがなく、それ以前に体の調子がいつもより良くなっていた。
その場で数回ジャンプしてみると綿のように軽く、風でも吹けば簡単に飛ばされそうだ。
初めての体験に少し好奇心が勝ってしまうが、とりあえず状況を整理する事に。
「えーっと。確か刺されて…、そんで力尽きて…。あぁ、俺死んだのか」
自分の死をあっさりと受け入れると、遠い目をして再び辺りを見渡す。頭の中を空にして暫く歩いていると、どこからか自分の名前を呼ぶ声がする。その声は木漏れ日のように暖かく、優しく包み込んでくれる懐かしい声。
やがて春の前にその姿を現せた。
「…?!…母さ…ん?!」
「ふふっ。大きくなったわね、春。クロミちゃんと千代様は元気にしてる?」
突然現れた控えめで清掃な黒髪の女性。十年前と変わらない姿の春の母【沢木 桜子】だ。訳の解らない空間で目覚め、約十年ぶりの再会にも関わらず、親戚の集まりみたいな会話を始めだした。春の神経の図太さは、どうやら母親譲りだ。
「っえ?あぁ、クロミは元気にしてる。千代バァは死ぬ気配が全く無いけど…、てか、ここどこ?夢?」
春の言い方がツボに入り、笑い声を必死に押し殺すが小刻みに肩が震えている。そんな昔の姿の母を呆れた表情で見ていると、その視線に気が付き恥ずかしそうに顔を赤くして、気を取り直す様に数回咳払いをして春の質問に答える。
「いぃ?春、よく聞いて。ここはあなたの内側…、精神の世界って言おうかしら。そして今の春は仮死状態になっているの。けど今頃クロミちゃんが色々頑張ってると思うから、その内意識が戻ると思うわよ」
「ハァ…。何だ、死んでねぇのか。おーいクロミ〜!テメェ何もすんじゃねぇぞー!!」
母の説明を聞いて、喜ぶどころか逆に肩を落とし溜め息を吐くと、春はどこまでも続く真っ白な天井に向かってクロミに届くように叫んだ。
予想外、と言うよりも異常な反応に桜子は戸惑いあたふたしている。
(えっ?!こんな子に育ってるの?!)
ここは母親として、久しぶりに息子と正面から向き合って話さないといけない。そんな使命感に囚われてしまった。しかし桜子の話し方は子供の頃と変わっていないので、説教としての効果があるか微妙なところだ。
「え、えっと。まだ死んでないのよ、嬉しくないの?」
「そぅだな…。出来ればずっとこのままがいいや」
そう言いながら肘を突き横向きになって寝転び、まるで我が家に居るようにリラックスしている。どうやら本気で言っているみたいだ。さらに横になったまま、今までの不満を吐き捨てる。
「大体さ、こんな体で生きてても辛いだけじゃん。そりゃ生きてる内は頑張ってきたけど…、クロミは我儘だし、千代バァは怖いし理不尽だし、学校も面倒で、やたら変な奴に絡まれるし。それならこのまま死んで母さんと一緒に居た方がいい」
捻くれた性格に育った事は流石にドン引きだが、ここで一緒に居たいと言ってくれた事は桜子にとって嬉しかった。
しかし母親として桜子も引き下がれない。生きていれば必ず良い事があると春を諭すも、
「それは良い事あった奴しか言わねぇセリフじゃん。そんな奴全体の一割か二割程度だろ?残りは報われないまま寂しく死んでいくだけじゃん」
実際春にとって母を失った事は、この先生きていても報われる事はない。それ程当時の春の心に深い傷を残した。
黙って聞いていた桜子は、ただ大きくなっただけの春に初めて真剣に向き合う。
「春、ちょっとここに立って」
昔と変わらない口調だが、自分の目の前の地面に指をさし春に命令する。「うん」と頷き小さく返事をするとと、のそっと立ち上がり桜子の前に立つ。
春が命令を聞く人物は、おそらく千代と桜子だけだろう。
「春、私は大きくなったあなたを見て、とても嬉しく思ったわ。出来る事ならこのままずっと春と一緒に居たい」
目に涙を浮かべる母親の気持ちを聞き、自分をこれ程想ってくれていた事に掛ける言葉が見つからなかった。
「母さん…」
春もこのまま桜子と居たいと願う。差別や偏見、苦痛から解放されるなら、全てを投げ出しても構わないと心が揺れる。
だが母の話はまだ終わりではなかった。
「でもそれはダメ!」
「はっ?!」
「だって母さんが命掛けであなたを守ったのよ。それなのに簡単に死でもいいとか言っちゃダメ。母さん悲しい!…あっ、でもお父さんの血が入ってるから、そう簡単に死ぬ事は出来ないわね。それに今から一緒に居ても十年分の話じゃあっと言う間に終わっちゃうから、どうせなら八十年分ぐらいの思い出を聞きたいわ」
マシンガンのように話が止まらず、序盤の涙は一体何だったのか。春はただ唖然として豹変した母の話を黙って聞いていたが、このままだと自分のターンが来ない。
「ちょ、ちょと待って!」
「待たないっ!」
ターンエンド。
「お母さん、この十年間で春と喋りたい事いっぱいあったの。けどあの頃の春のまま大きくなってて…いや、あの頃より酷いわね。結局お説教しか出来なくてチョットだけ悲しいわ。でもね…」
桜子は大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせる。いつの間にか潤んでいた瞳で真っ直ぐ春を見つめると、
「十年ぶりに会ったのに、すぐ〝お母さん〟って呼んでくれた。ちゃんと私の事を覚えていてくれた。それだけですごく嬉しかったの。だからもっともっと、春にはお母さんの生きれなかった分まで生きてほしいの。これがお母さんの最後のお願い」
母の願いに心を揺さぶられる。母の最後の願いを聞くのは、これで二回目だ。一つ目の願いは守れているか解らないが、この願いは叶える事が出来る。最初で最後の親孝行だと思い、仕方なく母と居る事を諦めた。
「解ったよ。とりあえず頑張って生き続ける」
しかし春はもう綺麗に生きる事が出来ない。あの日から春の手は血で染まっていて、多分これから先も洗っても落ちない程に色濃く染まり続けるだろう。
「解ればそれでいいのよ。それにほら、そろそろお迎えが来る頃よ」
そう言って桜子は、真っ白な天井に向かって指を差した。するとどこからともなく暖かな光が射し込み、 春を包み込んだ。次第に意識と共に体が徐々に薄くなっていくと、突然桜子が飛び出してきた。
「ーー春ッ!」
まだ春の姿が残っている間に、その感触を確かめるように桜子は強く抱きしめた。十年間与える事が出来なかった母の愛を、ほんの数秒の間だけでも分け与える。
「寂しくなるけど、元気でね。それに、お母さんとお父さんの子供だから、きっと大丈夫よ」
「うん。俺は二人の子供に生まれた事を誇りに思ってるから」
混血種である事を恐れられ人から避けられてきた春は、何故自分が生まれたのか?一体自分は何者なのか?と、産まれた事を恨んだ日もあった。
しかし今となっては二人から受けた愛さえあれば、それだけで生まれ落ちた理由には充分だった。
「フフッ、ありがとう。あの時は涙のお別れになっちゃったから、今日は笑顔でお別れね」
だが桜子の瞳から大粒の涙が頬を伝い、熱くなる胸の奥からは悲しみが込み上げてくる。その気持ちを必死に押し殺し、強がる桜子は無理して笑顔を作っている。
やがて春の身体は光に吸収されるように、周りから少しずつ分解されると、すぐに意識がなくなった。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「ーール…、お…て…」
意識が脳に宿ると、クロミの声が微かに聞こえていた。春は頭の先から足の先までの感覚を、ゆっくりと確かめる。
特に胸の辺りは確認するまでも無く、何度も強く叩かれて、その直後、唇が何かに押され前歯に強く当たる。
「ハル!起きてよー!」
ゆっくりと目を開けると、そこには星々が輝く澄んだ夜空…では無く、ドス黒い闇が視界に入る。
すると突然目を閉じたクロミの顔が、死角から勢いよく近づいていた。頭で考えるより先に人間離れした反応で右手を動かすと、迫り来る脅威を止める事に成功した。
「わっ?!お、起きた…」
いきなり目を覚ました事に驚くと、クロミは素早く頭を起こして春の横で正座をする。自分は何もしてないと言わんばかりに、遠くの一点を眺めていた。
しかし犯行を未然に防いだ春は、確認の為一応クロミに問い掛ける事に。
「クロミ…、お前何しようとしてんだ?てか何かしただろ?」
「んっ?えっ?し、心臓マッサージ……と人口呼吸…だよ?ハルを生き返らす為だから仕方なかったんだよ」
顔を真っ赤に染め、完全に動揺しているその瞳は、春を全く見ようとしていない。にも関わらず、一部声を小さくして聞き取りにくいように知恵を働かせたり、自分を正当化する高度な言い訳をしている。
無防備な身体を襲う習性があるなら、何としても今の内に止めさせたい。そうしなければいけない。
しかしそれよりも先に、春にとって最も重要な事を聞く事に。
「……何回した?」
「え〜っとね、四回か六回…かな♪でっ、でも白雪姫だって王子様のキスで目が覚めたもん。クロミはハルに起きて欲しくて仕方なく王子様と同じ事をしただけだもん!」
子供ならではの非科学的で幼稚な発想だが、想像異常の回数に流石の春もドン引きだ。なので仕返しに子供の夢を破壊する事にする。
「あぁ?いつまでそんな作り話を信じてんだよ。あんなの嘘に決まってんだろ。そもそも毒林檎なんか食ったら普通下痢になるか死ぬしかねぇだろ。仮に昏睡状態になったとして、キスなんかで目ぇ覚める訳ねぇだろ。ったく、現代の医療ナメてんじゃねぇよ」
普段溜まっていたストレスを、ここぞとばかりに一気に吐き出した。
(あー、スッキリした)
満足した表情でチラッと横目でクロミを見てみると、かなりショックを受けたようで、口を開けたまま石のように動かない。するとその紅い瞳から大粒の涙が溢れ出し、乙女心を理解していない春の心臓めがけて闇の腕が何度も振り下ろされた。
「ゴホッ…止め……んて、頼オ゛ッむ……」
まるでクロミの怒りを体現したかのように、その拳は容赦なく振り下ろされる。肋骨が軋む程の無意味で強烈な心臓マッサージを再び始めるが、このままだと逆に心臓が止まってしまいそうだ。暫くしてクロミの怒りが少し治り、春はゆっくり身体を起こしてクロミを見る。
「ゴホッゴホッ…。クロミ、俺どのくらい寝てたか解るか?」
「フンッ、一分ぐらいだと思うけどッ!」
若干機嫌が治ってないが、どんな状態でもクロミは春に嘘は付かない。
しかしあの空間にいた時間は、感覚的に三十分前後だったはずだ。本当は仮死状態ではなく、ただの夢だったのではと思ってしまう。
だが夢でも幻でも、母から溢れんばかりの愛情を貰った事は確かだ。母の言葉、涙、温もりが夢であっても構わない。ただその事が記憶に残ってさえいれば、春はそれだけで満たされたのだ。
ゆっくり立ち上がると、戦いの最中だった事を思い出す。およそ一分寝ていて無傷だったのは、間違えなくクロミのおかげだが、
「クロミ、相手はどうなっーー」
自然と首が引き寄せられるように回ると、闇が伸びた先の光景に目を丸くする。そこには立っているのもやっとな状態のディアボロスに、容赦なく闇は襲い続けていた。避ける事も出来ず、もはや戦いと言えないほど一方的に蹂躙する。
「…予想以上だ」
「エヘヘッ、ありがとう♪」
強すぎるクロミの能力を相手に、ディアボロスに少し同情する。だが弱肉強食の世界に踏み込んだ以上、相手を完膚なきまで叩きのめすか殺すかしないと、本当の勝者には成れない。
「よっしゃ、最後の仕上げといこうか」
「あいっ!」




