9.喧嘩番長
「ーーオラッ!!」
ひと気の少ない真夜中の路地。
街灯に照らされながら、複数の怒号が静寂を切り裂いている。
「さっさと寝とけやッ!」
一人を相手に憑依した三人組が、一方的に暴行を加えていた。
殴り、蹴り、サンドバッグのように扱い、周りには無数の血が飛び散っていた。
男はフラフラになりながらも、なんとか耐えている。しかし眠気に襲われたように意識が朦朧としてきて、限界が近づいているのがわかった。
片膝を着いた状態で、歯を食いしばり相手を睨む。
(く…そっ!せめて一発ぐらいはーー)
ゆっくりと立ち上がり、もつれる足を気合いで動かした。一歩ずつ前に進み、残っている僅かな力を全て絞り出して相手に渾身の一撃を浴びせた。
「オラァァー!」
「がっ?!…このクソ野郎がぁー!」
窮鼠猫を噛むとはこの事だ。ただの人間に反撃され、プライドが傷ついたのか男の怒りが一気に爆発した。殺さない程度に振り下ろされた拳は、痣だらけで勝ち誇った顔を殴り飛ばした。
「はっ…、ざまあ…みろ」
細い糸でギリギリ繋がっていた意識は簡単に飛んで、そのままゴミ捨て場で一夜を過ごした。
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いつものように机に肘をついて外を眺めている春。
しかしその表情はいつもと違い、何処となく期待や嬉しさを感じる優しい顔をしていた。
そんな僅かな違いも見逃さない茜は、気になって春に声をかけた。
「ねぇ沢木君、何かいい事あったの?」
「おう、この前の休みに美味いラーメン店見つけたんだ。それから久しぶりに買い物したんだけど、それ届くのが楽しみなんだよ」
「へ、へ〜……。楽しそうで良かったね」
(私も行きたかった!誘ってほしかったぁ!)
悔しがっても顔に出さないのが女の意地。
かと言ってなかなか自分から誘えないのが雪村茜だ。
「おう、クロミも楽しそうにしてたから良かったよ」
そう言いながら隣に座るクロミの頭を撫でる。
お絵描きの邪魔をされて嫌そうな顔をするも、なんだかんだ抵抗せず次第に表情が緩んできた。
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場所は変わり、ここは【私立神楽東高校】。東区の素行の悪い輩が通う事で知られる高校だ。
昼下がりの騒がしい教室に、力強くドアを開ける音がガラガラと響き、クラスの視線が一斉に一人の男に向けられた。
顔に青痣や擦り傷を作り入って来た一年『火野 太』は、周りを睨みながら自分の席に勢い良く腰を下ろす。
腕を組んで鎮座する姿はまるで岩のようだ。
「また派手にやられたな。大丈夫か?」
隣の席から少し笑いながら声を掛けてきたのは、太の幼馴染である『氷室 佐時』。
怪我の理由は大体解っているみたいだが、いつもの事なのであまり心配していないようだ。
「っせぇよ。けど最後に一発喰らわせてやったぜ」
嬉しそうに言いながら、その時を再現するように右の拳を前に突き出した。
しかし湿布だらけの身体は未だ悲鳴をあげているので、急に動かした反動により痛みで顔が歪んでしまう。
「しかしあいつら絶対許さねぇ。顔は覚えてるから次会った時に同じ目……いや、それ以上の目に遭わせてやる!」
そこへ佐時の憑神『リリス』が霊魂のまま姿を現した。
復讐に燃える太を余所に、佐時の肩に乗り現実を突きつける一言で、その炎を消火した。
『口で言うのは簡単だけど、まず憑神と契約しなさいよ。またボコボコにやられちゃうわよ』
図星を突かれ一瞬言葉に詰まるが、勢いに任せてリリスに反論する。
「っせぇ!だとしても俺はやる!それが俺だ!!」
柔な鍛え方をしていない打たれ強い体は、多少自信があるが、憑依した相手を圧倒する力がない。
人間同士の喧嘩では太と佐時はかなり強い。しかし佐時は憑神と契約しているから問題ないが、太は一人で喧嘩すると相手は確実憑依してくるので、好き放題殴られて終わるのがいつものパターンだ。
しかし憑依してなくても、噛みつく程度の力を太が持っている事を、佐時は知っている。
なので憑神と契約した時を恐れて、何度も太を潰しにやってくる輩も少なくない。
それが太の最大の悩みでもある。
「太、リリスの言う通りだ。俺を頼るか、憑神と契約するまで大人しくしてろよ」
聞かん坊の悪友を宥めるのは、いつも佐時の役目だ。しかし契約できるかは神のみぞ知る、と言ったところだ。
佐時とリリスの説教が終わり太が急に立ち上がると、その勢いで椅子が音を出して倒れた。
再びクラス全員が太に注目する。
「……帰る…」
癪に障ったのか、なるべく平静を保ちながら太は教室を後にする。
「はぁ、ったく…」
『やっぱり焦ってるのかな?弱い憑神ならすぐに契約出来るのに…』
確かにリリスの言う通りだが、太としてはそんな軽い理由で契約したいと思っていないだろう。
しかし今の太を止めれば、より悪化する事を佐時は知っている。そのまま暴れて、気持ちが落ち着いてくれればと考える。
不安な気持ちのまま、佐時とリリスは太を見送った。
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公園のベンチに座り煙草を吹かしながら、流れる雲を目で追い時間を潰している太。
特に予定もなく、家に帰るにはまだ時間が早いので、手持ち無沙汰に少し困っていた。
目の前を無邪気に走り回っている子供達を見て、ふと何かを思う。
(悩みなさそうでいいよなぁ…)
首から下げている小さな十字架のネックレスを制服の上から触りながら、昔の自分を思い出してセンチメンタルな気分になった。
こんな見た目と性格だか、実は人間味溢れるいい男だ。
しばらくすると遠くの方に見覚えのある連中が、煙草を吸いながら歩いているのを発見した。
「あいつら…この前のッ!」
やられたらやり返す、それこれが太の喧嘩の真髄だ。煙草を投げ捨て怒りに任せて飛び出そうとするが、教室での佐時とリリスの言葉が頭を過ぎった。
(クソがッ。そんなのずっと前から解ってんだよ!)
両頬を叩き気の迷いを断ち切った。
こんな偶然を逃す手はないと思い、男達に気付かれない様に後をつける。その間に必死に頭を使って作戦を考える。
(相手は三人…。まとめて相手は出来ねぇから、一人ずつ確実に潰してくしかねぇな。)
道端に置いてあった鉄パイプを手に取り、狙いを定めジリジリと距離を詰めると、予期せぬ事態が起きた。
(なっ…!?…嘘だろ…?!)
男達は更に二人と合流し、群れを成して再び歩き始めた。太の作戦はいきなり難易度が上がった。
だがここで退くのは漢としてのプライドが許さなかった。
(…やるしかねぇ!)
覚悟を決めて、音を立てないよう素早く間合いを詰める。
(失敗出来ねぇ…!後にも引けねぇ…!)
鼓動と呼吸が乱れ、プレッシャーが全身にのしかかった。太は鉄パイプを強く握り気合いを入れ、自分を奮い立たせた。
「ぅおりゃーーぁあ!」
刀で斬るように鉄パイプを振り下ろした。
その不意打ちの一撃は、男の鎖骨を真っ二つにへし折った。
突然の出来事に混乱している一瞬の隙に、素早く隣の男に標的を変え、脇腹へ鉄パイプをフルスイングした。
辺りには鈍い音が響き、苦痛に歪んだ声を出しながら男は崩れるように倒れた。
(チッ、ここまでかっ)
これ以上の追撃は危険と判断して、太は二人を倒して一時撤退した。
必死に走り、人通りの少ない入り組んだ細い路地に入って、何度も角を曲がりながら距離を空ける。
残った三人は太を殺すつもりで全力で追いかけるが、太の方が度胸も悪知恵も一枚上手だった。
「あいつッ、どこ行きやがった?!絶対許さねぇ!」
一人の男が曲がり角を進んだ瞬間、待ち構えていた太にタイミング良く鼻を叩き潰された。
鉄パイプが鼻にメキメキとめり込み、鼻血を噴き出しながら白目を向いてその場に倒れ込んだ。
気を失っている事を確認すると、太はまた走り出した。その後ろには憑依した男が追いかけていて、ジワジワとその距離を詰めてきた。
「待てやテメェ!」
(ハァハァ……誰が待つかよッ!)
追いつかれたら高確率で仕留められる。
相手がいかに本気なのかが解り、内心焦りながら走っていると、細い路地が終わり人通りの多い場所に出てしまった。
こんな目立つ場所で騒ぎは起こせないので、戦う事を止め流れる人混みの中に飛び込んだ。どんな時でも引き際は大切だ。
「ふぅー。まぁ三人仕留めたし大丈夫か」
そう言って後ろを振り向き、追っ手がいない事を確認した。
今回の結果に満足してないが、無事だった事を考えてプラスの方向に気持ちを切り替えた。そして人混みに紛れて姿を隠しながら家に帰った。
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太は少し大きめな家に両親と三人で暮らしている。玄関を開けると、その音に気付いて母親の『彩香』がリビングから出てきた。
「太君、…おかえりなさい」
どこか気を遣いながら話しかける彩香を無視し、二階の自分の部屋へ向かった。学ランを床に投げつけて、ベッドに横になり今日の出来事を思い返す。
痺れが残る右手を見て、悔しそうな顔で握りしめた。
(たまたま上手くいっただけだ…次も上手くいくとは限らねぇ…)
冷静に考えてその答えにたどり着くのは必然だ。
憑神もなしに憑依した相手と戦う事は、勇敢ではなくただの無謀の大馬鹿だ。
太自身もその事は理解しているが、どうしても事実を受け入れる事が出来ない。
(……俺に憑神さえいれば…)
誰のせいにも出来ないやるせなさが、次第に自分に対する怒りへと変わっている。その静かな怒りは、沸々と自分の中に溜め込まれていた。
すると今日の喧嘩の疲れが一気に太を襲い、いつの間にか深い眠りについた。
翌朝、カーテンの隙間から朝日が差し込み、太はその光を浴びて意識を現実に戻した。
起きてすぐにシャワーを浴びて、昨日の汚れを洗い流した。
風呂からあがり部屋に戻る途中、朝食の支度を済ませた彩香が声をかけてきた。
「太君、朝ご飯出来てるけど……」
痣だらけの身体を見て、心配そうな顔をする彩香を無視して自分の部屋へ向かった。
制服に着替えて玄関を出ようとすると、彩香が見送りの為後ろに立っていた。
気付いていたが、太は振り向かず扉を開け外に出た。ゆっくりと扉が閉まる間際、小声で自分の気持ちを吐き出した。
「ーーお前は母さんじゃない…」
朝から若干機嫌が悪くなり、自分を追い越す学生や社会人の背中を睨みながら学校へ向かう太。
通学路の途中にあるコンビニで、煙草を吸いながら佐時を待っていると、店から見覚えのある男が出てきた。
(あいつ…確かこの前居た…)
コンビニから出てきたのは、あきらかに嫌そうな顔をしている春と、制服を引っ張り駄々をこねるクロミだ。
クロミが何か頼んでいる様で、どうやら春が根負けしたらしく嫌々肩車すると、クロミは嬉しそうに肩の上ではしゃぎだした。
それを見た太は、仲の良い兄妹と思い少しだけ表情が緩まった。初めて春と会った時を思い出し、人は見かけによらないと関心していた。
春の姿が見えなくなった時、反対方向から佐時が小走りで駆け寄って来た。その後ろでリリスは翼を広げフワフワと飛んでいて、佐時と比べて息は全く上がっていないみたいだ。
「悪いな太、少し寝坊しちまった」
「…あぁ、そんなに待ってないから気にすんな」
そして二人はいつものように煙草を吸いながら学校へ向かう。
すると佐時が、昨日の事が気になっていたので太に質問した。
「なぁ太、昨日あれから何してたんだ?」
「別に大した事してねぇよ。公園で暇つぶして街をぶらついて帰っただけだ。たまにはのんびりしねぇとな」
太はわざと嘘を教えた。
昨日の喧嘩で倒したのは三人、残りの二人は今頃太を探し回っているだろう。そう考えたら自分が始めた喧嘩なのに、佐時を頼るのは筋が通ってない。
何とかして一人で片付けるつもりみたいだ。
「お前がのんびりするとかwwウケるww」
佐時の頭の中では涅槃像のような太の姿が映し出される。
内心暴れまわっていると思っていたのだが、顔には新しい傷がなく、何もないと言われ少しホッとしている。
「うっせぇ。俺の自由だろ」
こうして何も変わらない一日が始まったと思った。
学校へ行き、親友と喋り、喧嘩して、家に帰って寝る。
ただそれだけの刺激もない一日の繰り返しだと思っていた。
しかし悪魔と出会ったこの日の夜が、太の人生を大きく変えた。




