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ぼくの両手に花

「な、なにを……?」


 ぼくが聞き返すと、彼女はニヤリとえげつない笑を浮かべ、言った。


「結果がどうあれ私の役目が終わったとき、私の言うことを一つ、聞いてくれませんか?」

「言うこと……?何かさせたい命令でもあるの?」

「いえ、内容はまだ考え中です」

「う~ん、まあ別にいいけど……。あ、でも内容はできれば今考えて欲しいなあ」

「今……ですか?」

「うん。今」

「うーーーん……」


 ぎゅっと目をつぶり、両腕を組みながら考え始める。そんな彼女をぼくは黙って見つめ、待ち続けた。


「うーーーん……」

「………………」

「うぅーーーーん……」

「………………」

「ううぅーーーーーーーーーん……」

「……長いね……」


 流石に待ちくたびれてしまったので、声をかける。彼女が小さく唸り始めてから、時計を見て確認すると、長針は9を指していた。現在七時四十五分。彼女がうなり始めてから、三分ほど経っていた。……三分間待ってやったぜ。


「はい。せっかくのお願い事ですし」

「さすがに変な願い事はやめてよ?」

「変、とは?」

「ええと……、例えば、異性にみだらな行為をしたり」

「ふむ」

「例えば、異性に変なものを見せたり」

「はあ」

「例えば、異性に……」


 ぼくがそう言いかけたところで、


「わかりました」


 草加さんが了解した。そして彼女は「つまり……」と、ぼくが言ったことの要約を始める。


「つまりですね……」

「うんうん」

「川島さんみたいな行動をお願いしなければいいんですね?」

「違うっ!」


 即座に否定した。


「ぼくがいつ異性に淫らな行為をした?いつ異性に変なものを見せた?」


 そして激しく言及する。すると草加さんは昨日ぼくに手を差し伸べた時のような笑みを作りながら言った。


「吉川さんを視姦しました。吉川さんに顔を見せました」

「確かにそれは否定できないね!だって隣の席だもん!」


 ぼくがそう言ったすぐ後、ガララっと教室の扉が開く音が聞こえた。


「あれ?もう先客がいる」


 その声を聞き、ゆっくりと振り返る。腰まであるその長い黒髪が、我が校の紺色ブレザーと相まって静かな印象を引き立てている。

 噂をすればなんとやら、声の主はさっきまで個人名まで出ていた、吉川綾瀬さん、張本人だった。僕たちを意外そうな目で見ながら、桜色の唇はゆっくりと開いた。


「おはよー、川島くん、草加さん」

「お、おはよぅっ!」

「……おはようございます」


 喉が詰まりそうになるが、堪えて挨拶を返す。少し遅れて草加さんも返す。その後、あ、と小さい声を漏らし、吉川さんは僕たちを呼びかけた。


「ねえねえ。さっき大きな声が聞こえたんだけど、二人共聞いてない?」

「っ!」


 多分、いや絶対さっきのことだろう。つい驚いてしまった。草加さんも目を見張り、俯き、恥ずかしさや、先ほどの自分への怒り、というようなもので頬を染めた。


 先ほどの件はバレると厄介だ。内容も内容で信じてもらえないだろうし、女の子を怒らせたとなれば、委員長の吉川さんもただでは済まないだろう。ぼくに対するイメージも下がってしまうに違いない。


「へ、へえ~。どんな会話だったの?」


 目をそらしながら聞き返す。普通にしていても目は合わせられないが、意識して目をそらす分、罪悪感を感じず、いつもより話しやすい。


「う~~ん、どんなって言われても……。よく聞こえたわけじゃなかったし……。って私が聞こえたのは女の子の声だけだったよ。なんで会話って知っているの?」

「あ」


ぼくがそう漏らしたと同時に、臀部へ衝撃が椅子の下から伝わった。目だけ素早く下へ向けると、草加さんが蹴っていた。


「ねえねえ。なんでなんで?」


 ずいずいと引き寄せられているかのように、吉川さんはぼくに近づいてくる。そんなに距離はないが、彼女が近づいてくるのは慣れなかった。精神が落ち着いていられない。脳内職務会議をしようにも、脳内のぼくも動揺している。しっかりしろよ、脳内のぼく。

彼女が一歩一歩と近づくにつれて、心臓は速度を増す。


「……私です」


 ぼくが頬を染めながら、どうやったら聡明で、さっき垣間見た、好奇心旺盛という特性も加えられた彼女をごまかせるか考えている時、後ろから声が聞こえて振り向いた。


「私が大声を出したんです。川島さんが私にセクハラをするものですから」

「はっ?」

「えっ!」


 たまたま吉川さんと声が重なった。それを運命だとかポジティブに考えている時間と余裕はなく、今は草加さんが投下した爆弾発言の対処法だけに思考は回された。


「川島くん」


 だが考える時間もろくに与えられず、吉川さんに呼ばれ、おそるおそる振り返る。いつもは柔和な目なのに、今は目尻が上がっており、口を一文字に結んでいる。


「は、はい」

「セクハラって……本当?」

「い、いえ。とんだ事実無根、捏造、彼女の妄想です」

「だって。どう?草加さん」


 腕を組み、視線を草加さんへ向ける吉川さん。

 草加さんは少し考えるような素振りをする。


「はい。冗談です。嘘です。私の妄想です」


 そう言って、少しいたずらっぽい視線を吉川さんに投げる草加さん。


「へ?」


 吉川さんが素頓狂な声をあげ、数秒、気の抜けたような顔をした後、


「はは……、っぷ、ははははははははっ」


 大笑いした。


「え?吉川さん?」


 一瞬何が起こったか分からず、呆気にとられた。

 微笑する彼女は今までに何度か盗むようにして見てきたが、こんなに大きく笑った姿は初めて見たのだ。息が苦しそうに、だけど楽しそうに顔を赤くして、元気に笑っていた。


 てっきり「人騒がせなことしないでよ!」と叱咤されるかと思っていたのだが、どうやらこれは、予想とは逆の方向へ働いたらしい。


「あはははっ!」


 ぼくが呼びかけても、笑いは収まらない。教室内に響き渡る澄んだ声、それはいつも彼女が使っている笑い声とは少し違っていて、なんだか新鮮だった。

 草加さんと目が合い、二人して吉川さんの笑いが収まるのを、眺めながら待つ。長い髪が揺れ、可愛い。いや、全部可愛い。

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