ぼくの失態と彼女の失態
「あれ?草加さん?」
教室に入ると、黒髪のセミショートをした彼女の後ろ姿が見えたので、つい呼びかけてしまった。
彼女は俯いて何かをしていた。机で隠すようにされて、こちらからでは何をしているのかは判別つかない。
すると彼女はビクッと肩を上下させて、ぎこちなくこちらを振り向いた。
「えーと、驚かせちゃった……かな」
後頭部に手を当てながら聞く。先ほどまで机に座ってごそごそと何かしていたはずが、今では澄ました顔で黒板のほうを見ている。ゆっくりと彼女に近づいてゆき、彼女の正面に立つ。
「何をしてたの?」
「……何もしてないです」
「……本当に?」
「……本当に」
「本音は?」
「やべー、見つかるところだった」
「なるほど」
「あ」
口を大きく開け、固まる草加さん。もう聞いてしまったから遅いけどね。視線は彼女に向けたままで、前の席、つまり現在ぼくの席にゆっくりと座る。
「で、何をしていたの?」
「ええと……、そ、そう!今日のことです!」
数秒目を泳がしたあと、思いついたように人差し指を立てながら主張する草加さん。
と言うか、今思いついたようにしか見えなかったけど。冷や汗出てるし。そんなに見られてまずい物なら、こちらからこれ以上言及するのはよそう。
「今日って……。あ、昨日のメールのこと?あれ、具体的には何をするの?」
「あ、それを聞きますか。ふっふっふ……」
彼女は口角を上げて、目をキラーンと輝かせた。そんなに自信満々な作戦なのだろうか。不敵な笑みを浮かべる彼女に、ぼくは続きを視線で促す。
「聞かせてあげましょう。この十六時間前から温めていた作戦を!」
「……それ、あんまり温まってないよね……」
家で考えて、学校に来る前にもう一度コンビニかどこかで温めただけじゃない?
「アーアーきこえなーいっ」
目をギュッと閉じ、両手で耳を塞ぎながら首を左右に振る草加さん。吉川さんに似た、艶やかな黒色を放つ短い髪がゆさゆさと揺れる。
「でも大丈夫なの?本当に?」
「大丈夫ですとも。私を信じてください」
びしっ、草加さんは目を大きく見開き、ぼくの視線と彼女の視線が直線になる。
「……本当に?」
「本当です!」
「……本音は?」
「やっべ、すげー楽しみです」
「…………ッ」
頭を抱え、うずくまる。大丈夫なんだろか、これで。すごい不安なんだが。
「い、いえ!違います!今のはアレです!ほら、言葉のあやというやつです!結果が楽しみという意味で!」
顔を赤くし、手をブンブン振りながら説明を始める。
「まあでも確かにまだ内容を聞いてないしね、早く教えてよ」
そう口に出し、心中でも同じように強制的に納得させる。
草加さんはさっきまでとは違い、いつも通りの冷淡な感じに戻って、人差し指を口に当てる。
「うーん、まあ実際は特にプランなんてないんですが……」
「は?」
「ああ、いえいえ。別に考えてないわけじゃないんですけど、川島さんが奇怪な行動でも起こしてくれればそれでいいなって」
「ちゃんと考えて。それ全然良くないからね?」
BAD END直行じゃないですか?草加さん。大丈夫ですか?草加さん。
「奇怪な行動ですか……。考えてみると案外難しいですね」
「結局ノープランですか」
「まあそんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ。と言うか、川島さん、落ち込んではないですよね?未だに一位をキープしてますし」
言いつつぼくを指差す草加さん。人を指さしちゃ駄目なんだぞ。
「ああ、それなんだっけ?」
「分かるんです、幸せが」
「ふーん、それ本当なの?」と、興味なく聞き返す僕。
「これは本音でも本当です。昨日は信じてくれたじゃないですか」
「う、昨日は席替えの余韻が残っていて……。それで、うわの空というか……」
「じゃあ今は信じてないんですか?」
そう言って、彼女は眼光するどく僕を睨めつけた。
「そういう訳じゃないんだけどなぁ……。で、その順位ってのはどう分かるの?」
その視線に少し怖気づき、話題を変えようと試みた。やれやれ、人の妄想に付き合うなんてぼくも大人になったもんだ。やれやれ。
「どうって……、ええと、その人を意識すると……、ってこれは前言撤回です。なんでもないです。凝視って言えばいいのでしょうか?そうすると、その人の付近に数字とかゲージが出るんですよ」
「それスカ○ターじゃない?」
コイツの幸福は……5、ゴミか。的な。
「そういうものなんでしょうか?」
首をかしげながら聞き返してくる。すると彼女は一つ深呼吸をして、滔々と語りだした。
「私のこれが見えるようになったのは高校一年生の時でした。その時は煩わしくて敵いませんでした。でも段々慣れてきて、みんな平凡な人生なんだなあって、人生を達観した気分になっていました。でもある日、私がたまたま鏡で自分を凝視したときの事です。見てしまったんです。自分の順位を」
一気に言葉を吐き出した彼女は少し嫌そうな顔をしていた。一度、ゆっくり呼吸した彼女はまた続け、
「その順位が低かったんです、かなり。私は別に親が死んでる訳でも、重い病気を患っている訳でもありません。普通の家族で、普通の人間です。それがなんでこんな順位なんだって思って、達観していた時の自分の態度に嫌気がさして、そんな思い出には目を逸らしたいのに、朝、目を覚まして鏡の前に立つと、それから毎日自分の順位を見せつけられて、毎日陰鬱な顔で起きなければいけませんでした。毎日が辛かったです。そのせいでどんどん順位は下がる。悪循環です。でも、まだ自分より不幸な奴がいるんだって思うと少しは気が楽になり、学校には行けました」
彼女は哀愁を帯びた口調で語った。それには皮肉、アイロニーも含んでいた気がし、ぼくは何か声をかけようと、中途半端に口を開いたが、話はまだ終わってなかったようだ。
苦しい笑みを浮かべながらも、今度は先ほどより幾分ましな、元気のこもった声で語りだした。
「そんな毎日が過ぎていたとき、席替えをしたんです。それで前の人が馬鹿そうな笑顔で隣の人を見つめるもんだから、何か起こったのかな?と思い、その人を凝視したんです。順位を見ると、一位だったんですね、その人が。それが羨ましかったんです、憎いほどに。いえ、やっぱり憎んでいるのかもしれませんね。国内順位一位で、世界順位も一位で、もしかしたら宇宙順位も一位なんじゃないかって程、幸せそうな顔をして、隣の人を眺めていましたから。それで私思ったんです。やっぱりこの人に近づいたら私も少しは幸せになれるんじゃないか、って。だからあなたを選んだんです、川島さん」
語り終え、彼女は大きくため息を吐き、ぼくの表情を泣きそうな表情で伺う。ぼくの顔を見るそれは少し震えていた。四月で、教室が寒いから、なんて馬鹿な推測をする必要はなかった。
「……ええと、大変、だね」
しかし、先ほど中途半端に開けられていた口を閉じ、たった今、口を開かれた言葉はそんな陳腐でチープな感想しか喋っていなかった。
ただの人事、対岸の火事、そう思ってしまった。
ぼくは、最悪だった。
「……それだけ、……ですか?」
彼女が戦慄く。それは恐怖や怒り、わななくという言葉の意味すべてを纏っていた。そしてその瞳には輝くものがあり、頬は真っ赤だった。
「……私が、私がどれだけの思いであなたにすがったと思っているんですか?もっと声をかけてくださいよ。もっと褒めてくださいよ。もっと……、もっと幸せにしてくださいよ、私を幸せにしてくださいよ……」
教室内に静かな、諦めを少し含んだ怒りが満ちる。
静寂が世界を覆う。それはどれほどの時間を奪っていったのか、それは永遠にも感じられたが、静寂に打ち勝ち、おそるおそる呟く。
「ごめん……」
なぜ昨日知ったばかりの女の子にこんなに怒鳴られなければいけないのか、そう一瞬考えないこともなかった。だが、話を聞き、しっかりと彼女の心情を察せられなかったのはぼくなのだ。
安易に大変だったねと口走ってはいけない。そんなの、その人にとってはただの苦痛だ。
ぼくがそう呟くと、彼女は、はっとした表情になり、謝罪した。
「わ、私こそすいませんでした!ごめんなさい、完全に八つ当たりでした」
「そ、そんなことないよっ!ぼくがもうちょっと言葉を選んで喋れば良かったんだ。ぼくが悪かった、ごめん。なんでもするから」
ぼくが彼女の眼前で頭を下げると、彼女は小さく、あ、と漏らした。その一文字にはいたずらっぽい音色が含んでいた。
「分かりました。許します。なので私が援助を続けることもやぶさかではありません。なので……、川島さん。自分が悪いと、なんでもする。そう非を認めるのなら一つお願いがあります」