エピローグ
四月二十三日。火曜日。
告白から、一週間が経った。変化というものがなかった一週間だった。
告白して翌日、いつも通り学校に行くと、宣言通り、吉川さんは何事もなかったかのように学校生活を送っていたのだ。
ぼくも葵とは、何事もなかったように過ごした。告白したなんておくびにも出さない。吉川さんが葵に伝えるなんてことも、彼女の性格を考えるとまずないだろう。
そういえば、変わったことがあったな。とぼくは机に頬づきしながら思い出す。
となりの席では、今日も明るい声が聞こえてきた。
やっぱり吉川さんは変わらない。
そういうところは好きだ。そんなぼくの気持ちも変わらない。
それで、この一週間に何が変わったのかというと、この一週間をまるで半生を振り返るようにしてみないと、案外気づかない事実だった。
この一週間、草加さんと話してないや。
吉川さんとは話す機会があったのに(ちなみに会話も前と変わらない)、彼女とは全く話してないのだ。
別にぼくも彼女も、あれ以来お互いを嫌いになったとか、そういうわけじゃないと思うのに、何故だろうか、話す機会が無いわけでもないのに。いざ話そうとすると、彼女はノートをとっていたり、話しかけられなかったのだ。
そんな若干益体のないことを考えていると、今日ばかりはいつもより時間は都合よく進んでくれた。
だがしかし、難関の世界史。……の前の休憩時間。
いきなり七山先生は姿を現した。
「えっとねー、世界地図を使いたいから地学倉庫から一番大きいやつを取ってきれくれない?川島くん」
いきなり名を呼ばれ、肩はびくっと震えた。
「えっ!ぼく?」
「そーよぉ?」
「なんでですか⁉」
「クラスの支配者だから?」
首をかしげながら答える先生。
じゃあ支配者たるぼくが命じるから先生が取りに行ってよ。
とは言えず、そう言われてしまっては頷くしかないぼくだった。まだあの教室を覚えている教師がいるとは……。
「あ、でも大きいからもう一人頼んじゃおっかな~」
付け足しながら、挙手を促すジェスチャーをする先生。
すると、
「はい」
小さいが、ぼくからは席が近いせいか確かに聞こえた声があった。
振り返ると、しっかりと挙げている手の下に、無表情で先生を見つめる彼女、草加雛子さんがいる。一週間も話していないと、まるで彼女がこの世界にいないようだった気もしている。
七山先生は少し驚いた様子を見せて、
「よしっ。じゃあ川島くんと草加さんお願いね~」
そう言うと七山先生は去ってゆき、まだ後ろを向いていたぼくは草加さんに
「い、行こっか」と言う。けれども彼女は不機嫌な様子でもないのに、ぼくの言葉を無視して教室を出て行った。
ぼくもそれに倣い、地学倉庫へ向かう。
地学倉庫の扉の前に立つ。草加さんはもう到着しているだろう。扉を開ける。
地学倉庫に着くと、草加さんは何故か仁王立ちしていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「あっ、ちょっ、扉閉めないでくださいよっ!」
なんか気まずかったので扉を閉めようとしたら、草加さんはそう言いながらこちらに駆けつけてきた。
「えっと、とりあえず地図運ぼうか……」
扉を閉めることを断念し、中に入りながら気まずさを紛らわすために口を開く。
「その前に、伝えたいこと、誕生日プレゼントがあります」
びしっとぼくの目の前に掌を見せるようにして腕を前に突き出す。
「……なに?」
ぼくは周りを見回しながら地図を探し始める。
「同盟を結成しましょう」
「……同盟?」
ぼくは地図を探すことをやめない。
「はい。川島さんの他にも誰かに恋をしている人はいると思うんです。それを助ける非公式のチーム」
「……へー」
地図、あった。
「その名も、恋愛援助同盟です」
「……ほー」
「もう、何かもう少しリアクションしてくださいよ。せっかくの誕生日プレゼントなんですし」
「してるよ」
ぼくはそう言いながら振り返った。
自分でも、恥ずかしいくらいにこの顔は笑っていた。ただし、それは微笑の中での最上級だが。
草加さんは目を見開いていた。ぼくの微笑をどう捉えていいのか分からないのだろう。少しして、俯きながら、
「こっ、この同盟は川島さんも強制参加ですので」
と話題を変えることに決めたようだ。
その行動に少し焦りそうになった。ぼく自身、自分の微笑をどう捉えていいか分からなかったのだ。なのでぼくも彼女の行動に便乗した。
「えっ、ぼくもなの?」
「当たり前です。副リーダー」
「ふ、副リーダーって……。それにぼくそれに入る予定はないんだけど……」
「この前言うことを一つ聞いてくれるって言ったのは、どこの誰でしたっけ?」
「うっ」
痛いところを突かれた。まだ覚えていたとは。
「……わかった。入るよ、入りますよ」
諦めるような気持ちで言う。
「とは言っても私の役目はまだ終わってないんですが」
「え、そうだっけ?」
彼女には十分といっていいほど支えられた。他の役目なんてないはずだ。
「ええ、まだ私はこの学校で一番幸せになっていません」
「あー、そっか。でも、今一位はぼくじゃないわけだし、今は誰が一位なの?」
思い出し、生まれた好奇心をすぐに尋ねてみる。
「え、っと……、その、綾瀬さんです……」
ためらいがちに、ぼくの好きな人の名を言う。
「ああ、そっか。この前はぼくに次いで二位だったもんね」
「ええ、まあ彼女にも何かしらの素質はありそうです。……ところで、川島さん」
おそるおそるといった体でぼくに尋ねる。
「ん?なに?」
「まだ、綾瀬さんのことは好きなんですか?」
「え、もちろん」
「……へー」
頷きながら淡々とした口調で言う。今度は彼女がリアクションを取らない順番らしい。
だが残念ながら、ぼくはそれに対するまともなリアクションを考えていない。
だからやっぱり、草加さんといると沈黙は増える。
埃まみれの教室内は無音で、何も聞こえてこなかった。
けどそれは、心地の良い静寂で、ぼく自身に感じたことのない安らぎだった。
おかしいな、草加さんとは何度かこういう静かになる状況って経験したのに。そんな理由を考えようとした時、
「遅いよー、二人とも」
口調は多少きつめだが、それでも顔は笑顔を浮かべている吉川さんが教室に入ってくる。
「あ、川島くん。世界地図もう見つけてるね。ほら、早く運ぶよ?」
「あっ、う、うん」
いつも通りなぼくを吉川さんはどう捉えてくれているだろうか。心の中で自問してみても、答えは返ってこない。当たり前。考えてもないのだから。
「早くしないと、休憩時間が終わっちゃうからねー」
急ぐようにぼく達を促して、ぼくが手にしている地図の反対側を持ち上げる。
「それじゃー、雛子ちゃんはそっち側をお願いしていい?」
視線でぼくの付近を見る。ぼくの隣を持て、という意味だろう。
「おまかせください」
と意気込むような台詞を言う草加さんだが、反対に体はゆっくりとスローペースでぼくの隣に移動している。
持ち上げ、移動を始めると、草加さんがいたずらっぽく小声で囁いてきた。
「あれ?愛しの人が助けに来てくれたというのに、全然順位があがってませんねー」
「そうでもないって。嬉しいよ」
そして、だったら、と切り替えていたずらな笑みを浮かべる。
「もう少し順位を上げてくれてもいいんじゃないんでしょうか?前みたいに一位になれとは言いませんが」
「喜んでるよ」
「でも、平凡レベルです」
「そっか、そりゃ残念」
この時、ぼくは本当に幸せだった。
ぼく達はまた何か見えないものの中に一歩進めそうで、がむしゃらで突き進むとか柄ではないんだけど、それでもゆっくりと、何かが、掴めそうだった。
こんな綺麗事を言える程に、素直に幸せだったというのに。
だけど唯一ぼくが彼女に言ってない事。
人を見たら誰が好きか分かってしまう、なんて言ったら彼女はどう思うだろうか。
変なこじつけをせずに、あの時に打ち明けてしまったほうが良かったのかもしれない。
そうしたらあの時、草加さんと、何か変われただろうか……。
残念だけど、
ぼくの幸せは彼女に見えないらしい。




