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ぼくの知っていたこと。

 静かに、ゆっくりと呼吸をしながら、ぼんやりと黒板を眺めていると、視界に入ってくる人影があった。


 暗闇にいても掴めなさそうな顔立ちとそれに馴染む黒髪。草加さんはゆっくりとぼくの目の前に移動する。


 ぼくは放心でもしていたのか、あんな大げさに大きな音を立てる扉の音に気づかないなんて。


「えっと……、その……」


 多分彼女は一部始終を見ていただろう。それなのに、ぼくが失敗した時に掛ける言葉を考えていなかったのか、誤魔化すように口を慎んでいる。


「あはは、失敗しちゃった」


 そんな様子を見せる草加さんに気を遣い、ぼくは笑いながら口を切った。


「え……?」


 口を開け、目を疑うようにぼくを見て、戸惑う草加さん。それを見てぼくは言葉を付け足す。


「いや、やっぱりさ、告白ってのは難しいね」

「そ、そうでしたか……」

「うん。いけると思ったんだけどなー。はははっ」

「あの……、川島さん?」


 いつもより口を大きく開けながら飄々と笑うぼくを、まだ戸惑いを捨てきれていない様子の草加さんが呼ぶ。


「ん?」

「なんでそうやっていられるんですか?……それだけじゃないです。なぜ順位も一位をキープしていることが……」


 その質問にぼくは迷わず答えた。


「幸せだからじゃないの?」

「し、幸せって……」


 草加さんは一瞬目を伏せて、迷うような様子を見せた後、


「何なんですかっ!幸せ幸せって!失敗したんですよ⁉あなたはフラレたんです!そうやってヘラヘラと笑っていられると不気味なんですよ!」


 怒鳴った。ぼくに向けて。一抹の理不尽さを抱えつつも、それはぼくも理解していたので食い違うことはなかった。


「い、いやそんなに怒鳴らなくても。うーん、ま、普通が一番幸せってみんな言ってるじゃん?」

「川島さんは⁉そんなありきたりな答えで納得出来るんですか!」

「うん」


 淡々と、事実だけを告げた。


「は……、へ……?」


 それを聞いた草加さんは唖然とする。


「それだったら何で……、告白なんかしたんですか……。私、知ってたんです。彼女、吉川綾瀬さんの好きな人を」


 相槌を打つことなく、ぼくはただ黙っていた。


「これは言っていいのか、いえ、というよりただの推測ですし、もし間違っていたら綾瀬さんには悪いんですが……」


 お茶を濁すような言葉を言いながら、迷っている。

 しかし、意を決したようで、ハキハキといつもとは一風違った口調で喋った。


「彼女の好きな人は田村──」

「葵だったとはね」


 つい口を挟んでしまった。耐えられなかったのだろう、こんな湿っぽい感じ雰囲気が。


「え……?」


 草加さんの同じような戸惑いは今日何度目だろうか?息を吸うことを忘れたような顔でぼくを見る目の前の彼女を見て、そう自問してみた。


「何で……、知って……?」

「いや、そりゃ分かるよ。いっつも見てるんだし」


 この発言は自分でもちょっと気持ち悪いな。言い直そう。詳しく。


「まあ、あんな嬉しそうな顔で葵にタオルを渡していたりしてたら、誰だって分かっちゃうんじゃない?」

「……は?」


 草加さんは話を飲み込めていないようだった。戸惑いの表情でぼくを見つめている。なので説明をすることにしようと思った。


「えっとさ、吉川さんがぼくの心と体を癒して……じゃない、肩を揉んでくれてた時があったよね?」

「はい。覚えてますよ」

「その後さ、部室の事で吉川さんに聞きに行くって、ぼく言ったよね?」

「あ、はい。言ってましたね」


 ここまでは彼女も記憶に新しいのか、覚えていてくれているようだった。そしてぼくは続ける。というより、オチのようなものを言う。


「あれさ、実は聞きに行ってないんだよね。まあ聞きに行ってない理由は、さっき言ったことをちょっと考えてもらえればいいと思うけど」


 そう、ぼくはただ見ただけ。嬉々とした表情でタオルを渡す吉川さんを。それはほかの部員と渡す表情を比較してみると明らかだった。


「……え?」


 もう一度繰り返してと言いたげな、気の抜けた声が彼女の口から漏れた。


「だからさ、あの時のぼくは聞きに行ってないの。部室はそのままでっていうのは嘘だよ」

「で、でも待ってください!あの時は順位の変化もなくて、ずっと一位でしたよ⁉そんな場面を見て、順位が全く下がらないって──」

「あー、それは多分あれかも。草加さんに嘘をついたからじゃない?」


 彼女の言及に、ぼくは推測混じりの答えを、罪悪感みたいな気持ちを持ちながら言った。

 その発言に彼女は虚を突かれたのか、少しうろたえる様子を見せた。


「それにあの時はまだちょっと頭に疑問符が出てくるレベルだったしね。まだ確信には至ってなかったというか……」


 草加さんは腑に落ちないような顔をしていたが、なぜか嘘を言及されたくない気持ちなったぼくは、それとなく話題の転換ができるようなワードを交えて喋る。

 彼女はそれに食いついてきてくれた。


「じゃあ、何が川島さんを確信させたんですか……?」

「……うーん、まあ、それはあんまり思い出せないなぁー」


 話題を少し逸らし、心の中でほっと息を吐いていると、すぐ別の質問に襲われて怯んでしまった。話したくなかったのでお茶を濁すぼく。


「思い出してください」


 ぼくのことなんか全く考えてないような、澄んだ瞳でぼくを見つめる。一瞬、話しそうになるけど、なんとか堪える。まだ粘ってやるぜ。


「う~ん、どぉ~しよ~かなぁ~」

「思い出してください」

「あ~、んんっ!思い出せそう!なんか思い出せそうだよ!」

「あ、あ、あともう少しです!頑張ってください!」

「あ~。この前録音した吉川ボイスを譲ってくれたら思い出せそうなんだけどな~」

「……ふざけないでください」


 ……バレましたか。悪ノリして、あわよくば吉川ボイスを手に入れようとしたぼくの作戦は、あともう一歩のところで失敗してしまった。


「うーん、まあ、本当に思い出したくないんだけどね……。いやはや、自分の感情が醜いと言うか……」

「は、早く言ってくださいっ。そんなにお茶を濁す必要ないじゃないですかっ」


 ずっとぼくを凝視する草加さんと何秒間も目が合い、なんだか胸がぞわぞわと気持ち悪く動きだすので、草加さんに聞こえない程度のため息をついて、彼女に最終確認を取る。


「え、本当に言っていいの?他に吉川さんを好きな人がいたらけっこうなニュースだよ?」

「何言ってるんですかっ!今更そんな他人の心配をして何になるんですかっ!」


焦る彼女を見ながら、ぼくは記憶の引き出しをおそるおそる開ける。


「いや、実は吉川さんってね」


 つばを飲み込む音が彼女から聞こえた。もしかしたら、ぼくなのかもしれないけど。


「葵に告白したんだよ」


ややあって、ぼくは言った。

それを聞いた彼女の顔は顔面蒼白とでも言うべきか、元々顔の色は白いほうの草加さんにしては、目に見えて違いがわかるほど白くなっていたのは確かだ。


「……え?」


 その言葉を彼女が飲み込み、次の言葉を吐き出せるまでに数秒を要した。


「いつ……なんですか……?」

「四月十三日、日曜日だね」


 ぼくは考えることなく、答えた。

 日曜日、葵と吉川さんを尾行した日だ。

 十三日、なんだか不吉なイメージがある。


「えっ、でも私と別れたあと川島さんも帰ったんじゃ……」


 怪訝な顔をする草加さんを見て、ぼくはおどける様に笑いながら頭をかいた。


「いやー、これで嘘も二回目だね。吉川さんが絡むとぼくって正直になれないのかな?」


 そのある種自虐的な感想だけで、草加さんは悟ったのだろう、険しい顔つきになった。

 ぼくはあの後、二人の後追った。二人はしばらくスポーツ専門店に寄ったり、本屋に立ち寄ったり、時間を有意義に過ごしていた。それから日が暮れて来て、多分、別れ際だった。

 甲斐凛駅の集合場所等で使われている大きな噴水。その前で、彼女は一目なんかまったく気にしてない、というより自分のことで精一杯な様子だった。

 吉川さんの頬がその時の夕日と同じ色になったとき、彼女の口は開いた。


「葵くんのために、頑張らさせて」と。


 まるで上手く調節された時間の間があった。

そして、葵の答えは、ノーだった。


 断った理由は、知らない。知りたくもない。


 ぼくの告白は吉川さんの引用だった。だが彼女はその言葉を偶然と受け取ったのか、皮肉のようにほぼ同じ言葉をぼくに返しただけ。とても恥ずかしい。ぼくが逆に皮肉を込められてしまった。


「なんで……、なんで教えてくれなかったんですか?」

「ちょっと違うな。教えたくなかったんだよね、ぼくは」

「へ?」


 草加さんは気の抜けた声を出した。


「教えたら、幸せの順位が下がっちゃうと思ったんだよね。ほら、苦痛を分かち合うと痛みは逆に二倍になっちゃう気がしない?」


 なんだか、草加さんの前で順位を下げているところを見せたくはなかったのだ。


「なりませんよ!意味がわかりません!じゃあ告白しようと思った本当の理由は何だったんですか!」

「嫉妬」


 ぼくは短く答え、ゆっくりと自分の机に腰掛けた。


「葵に嫉妬したんだろうね。選べる権利に。まあ嫉妬したからと言って、葵を本当に憎めないのは腑に落ちない気持ちだったな」

「…………」


 ぼくが喋り終わり、気付けば草加さんは黙っていた。

 ぼくは訝しげな視線を彼女に送る。


「……別に下がっていいです、順位なんて。目の前で泣いてもらった方がまだマシです」

「────っ!」


 その言葉は、ぼくにとってどんな意味があったのだろう。順位なんて、とか言われるってことが。


「そんなの気にしていたら、いつか私みたいな根暗な人になっちゃいますよ。ずっと幸せな人なんてこの世にはいません」

「……ぼくだって、」


 彼女の哀れむような慈しむような声を聞くと、ぼくはもう限界だった。

 それは告白の失敗と、今まで積み上げてきた幸せが。


「ぼくだって泣きたいよ!……でも、なんで泣けないのか解らないんだよっ!」

 そう言っている割に、なぜだか体は熱かった。特に顔が、痛みがないのにじんじんとする。

「川島さん……」


 草加さんはただぼくの名を呼んだだけだった。だけど、その言葉に何かを付け足したらそれは蛇足だった。


「もうさ、ぼくは幸せじゃないかもしれないんだ……、そうでしょ?」


 ぼくの目ではそれは見えない。どうせ見えたって目の前の草加さんですら滲んで見えるのだから。


「そうです、どんどん下がっていきます……」


 彼女はやさしくぼくに告げ、ややあって、


「今、平均レベルになりました」

「そっか……」


 ぼくは呟いた。見せてしまったのか、順位の下がるところを彼女に。なんだかよくわからないけど、悔しかった。


 そう気付いてしまうと、口に塩味が広がった。不思議だな。

 しばらくぼくと草加さんは黙っていた。だけど教室が沈黙したかというと、そうではなかった。頬を伝わる熱い液体の合併症としてついてくる音が、教室を支配していた。


「告白、お疲れ様です」


 音が止んだとき、草加さんはそう言った。ぼくは笑って応える。


「お疲れ様」

「成功したらこう言おうと思ってたんです」


 はにかみながら彼女は笑う。


「残念。失敗しました」


 おどけながらぼくは言った

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