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    美魅伽、決意する六

「紫織様、紫織様っ、大変です~」

「どうした李音」

 書斎で手紙をしたためていた紫織は李音の声に立ち上がった。李音は紫織を見つけると、乙女らしく両手を組んだ。

「大変なんですよ。薪がなくなってしまったのです」

「何だそんなことか、つまらぬ事で大騒ぎをするな」

「でもでも、薪がないとお風呂も沸かせませんし、お料理だってできませんわ」

「拾ってくれば済む事だ」

 紫織が書斎を出ると、李音が後からついてきて言った。

「紫織様、どちらへ?」

「薪はわたしが拾いに行く」

「そんな事はわたしに任せて下さいな」

「お前は駄目だ。薪ではなく山菜やきのこを拾ってきそうだ」

「それはそれでいい事じゃないですか」

「……もうついてくるな、さっさと自分の仕事をせぬか」

「まあ、つれないお方です」

 李音の冗談めいた言葉を無視して自分の部屋に入っていった。

 紫織は着物から軽装に着替えて外に出た。それは中華式の着物で、上下共に紫の生地で織ってあり、背中に大きな雪の結晶一つと、帯から下がっている長衣にも小さな雪の結晶が無数に縫いこまれていた。旅装とも拳法着とも言えるような服だ。そして、地面について余る程に長い尻尾を右足に巻きつけていた。

 紫織は美魅伽を連れて村はずれの森へと足を運んだ。ひっそりとした森の中に入ると、聞こえるのは草を分け、枯葉や枯枝を踏む音ばかりで、たまに鳥や獣がどこからか鳴き声をあげた。

「紫織様が薪拾いなんて珍しいですね」

「たまには外に出ないと体がなまってしまう」

 それから二人で黙って枯枝を拾っていると、不意に紫織が言った。

「まだ帰る気にはなれぬか」

 美魅伽は薪を拾うのを止めて紫織を見つめる。紫織は変わらず枯枝集めに専念していた。

「あたし……」

 ずっとここにいたい、その言葉がどうしても出なかった。言えば拒まれるような気がした。

「お前がどう思っているのか確かめたかっただけだ。追い出したりはしないから安心しろ」

 紫織は二人で集めた薪を一まとめにして縛り、それを背負った。

「もう夕方だ、早く薪を持っていかないと夕食に間に合わなくなってしまうな」

 紫織は薪を背負って立ち上がったと思うと、いきなりその薪束を地面に落とした。美魅伽は何事かと紫織を見上げた。

「美魅伽、今からわたしの言う事に何も言わずに従え」

「は、はい」

 紫織の声の中には反論を許さない圧力があった。ただ事ではない何かが起ころうとしていた。

「今いる場所から五歩下がれ」

 美魅伽は言われるとおりに紫織から五歩離れた。そして風もなく音もない、暮れていく太陽塔の紅い光が差し込む森の中に異様な緊張が膨らんだ。

 殺気立つ気配は紫織の真上から落ちてきた。同時に紫織はしゃがんで体勢を低くする。美魅伽の目には、紫織に襲い来るものが黒い獣のように見えた。

 紫織の首筋に鋭い牙と爪が迫る。だが、紫織は立ち上がる瞬発力を乗せて絶妙のタイミングで敵に肩当を食らわせた。落ちてきた黒い影が、今度は逆に跳ね上がった。紫織は後ろ向きのまま宙に浮いた敵の胸に手の甲を当てて、そのまま一気に後ろへ押し倒した。人の体が女の手で木の葉のように舞う。紫織は大して力も加えていないのに、敵の体が地面に叩きつけられると美魅伽の足元にも地響きが伝わった。

「くああぁぁっ!」

 敵は後頭部を押さえて地面を転げまわった、女だ。

「む、お前は確かファニーとか言ったな。気を合わせたにもかかわらず襲ってくるとは……」

 ファニーは立ち上がり、ぎらぎらする瞳で紫織を睨む。その金色の瞳は黒豹そのものだった。

「正気を失っているな」

 ファニーは獣に似た咆哮と共に鋭い爪をむき出しにして紫織に向かって走ってくる。右手の爪を紫織に向かって突き出すが、紫織はそれをさっと体を横にして紙一重で避ける。そして、ファニーは紫織の前を行過ぎる。紫織はファニーの伸びきった右腕の手首を掴んで後ろに引いた。瞬間、ファニーの体が宙に投げ出され、背中から地面に叩きつけられる。衝撃で枯れ草が辺りに舞った。ファニーはなお立ち上がり紫織に襲いかかるが、今度は強烈な回し蹴りを胸に受け、大木の幹に叩きつけられて沈黙した。鳥たちの飛び立つ騒々しい羽音が上の方から聞こえてきた。

「紫織様、平気?」

「心配は要らぬ、それよりもこの女の方が問題だ」

 紫織が近づいた瞬間、ファニーの目がかっと見開かれた。後ろの木を蹴って紫織の首に向かって爪を走らせる。しかし、やはりこれも紙一重で避けられた。紫織は横切ろうとするファニーの首を掴み、そこから軽々と押し倒して後頭部を地面に叩きつけた。

「く、あ……」

 ファニーの意識は完全に暗転した。

「どうして紫織様を狙うの?」

「理由は分からぬが、一つ言えるのがこの女は心が病んでいるということだ」

 紫織は下ろした薪を美魅伽の背中に結い付けた。

「お前は先に屋敷へ帰れ。わたしはこの女を届けてから帰る」

 紫織はファニーを肩に担いで屋敷とは違う方向へ歩き出した。

美魅伽は暗くなり始めた森を歩きながら、先ほどの紫織の戦いを思い返していた。何故か興奮して体の中が熱くなった。戦いを見ているときも怖いとは思わなかった。紫織の見事な戦い方を良く見ておこうと目を凝らしていたくらいである。

「何なんだろ、あたし戦いなんて嫌いなのに……」

 自分自身のことなのに、まったく意味が分からなかった。


 紫織は八畳の宿屋の部屋にファニーを降ろした。傷だらけになったファニーの姿を見て、フレイヤたちは半ば恐れるような顔をした。

「信じられない、狂戦士と化したファニーをここまで痛めつけるなんて……」

 アイリーから畏怖する瞳で見られても、紫織は淡々と話を進めるだけだ。

「この女、病んでいるな」

「ああ、ファニーは自分より強い相手と戦うと、気が高ぶって正気を失うんだ。少しくらい強い奴なら大抵は餌食になってしまうが、今回ばかりは相手が悪かったようだね」

「何とかしてやらんとこのままでは身を滅ぼすだろう」

「覚えておくよ」

 フレイヤは詫びも言わずに紫織から顔を背けた。紫織は何も言わずに去っていった。

「アイリー、ファニーの手当てを頼む」

 アイリーが手当てをしている間、フレイヤは障子窓を開けて窓辺に座って夜風に当たった。

「西爛に帰ったらトレーニングを基礎からやり直しだ。東の獣人たちは、あたいらが思っているほど甘くはなさそうだよ」

アイリーがそれを聞いて振り向くと、行燈の炎がフレイヤの美しい姿を照らしていた。


 弾ける様な旋律、耳に心地よい調が時冬邸から響いていた。その音色に抱かれて美魅伽は目覚めた。目をこすりながら寝床から起き上がり、あくびをして明朝の澄んだ空気を吸い込んでから、寝巻きのまま誘われるように音色の出所を探った。

 居間で紫姫部が琴の弦を弾いていた。美魅伽は側に座って朝の空気そのもののように曇りのない音色を聞いた。

「美魅伽ちゃんもやってみない?」

「ふえ?」

「お琴よ」

 紫姫部は弦を弾くのを止めて美魅伽に言った。美魅伽は慌てて首を振った。

「あたしはそういうの苦手なの。楽器とか才能ないっていうか……」

「お母さんと同じね」

「母様と?」

「芙蓉もね、自分には楽曲の才能なんてないって言っていたわ。あの人はあなたくらいの年から戦いに明け暮れていたのよ。修行、修行、暇さえあれば修行ばかり。もっと女らしくするようにと言っても、自分は仲間を守るために強くなるんだっていって聞いてくれなかったわ」

 美魅伽は母の過去にぐっと引き寄せられるように耳を傾けた。

「戦いを嫌っていたあなたは知らないと思うけど、芙蓉は強かったのよ。戦姫闘舞では紫織に負けるまでに六回連続優勝し、十年以上も四季長を務めたわ。最後の戦いでは紫織は勝ちはしたものの、負けと言えるくらい酷い目に合わされたの、あんなに草臥れた紫織の姿を見たのは後にも先にもあれだけだったわねぇ」

「あの紫織様が……」

 紫姫部はわが子を見るような温もりのある目で美魅伽を見て微笑した。

「あなたは何がやりたいのかしら?」

「うっとぉ……」

 急にそんなことを聞かれて、美魅伽は言葉に詰まってしばらく黙った。

「素直に考えるのよ、素直にこれがやりたいと思ったらやればいいの、片腕だからあれやこれは出来ない、何て考えるのは一番よくないわ」

「うん、ありがと紫姫部様」

 紫姫部は再び弦を弾きだした。明朝の時冬邸に涼やかな音色が蘇った。

「美魅伽ちゃんはまだ若いんだから、焦る必要はないけれどね。落ち着いてゆっくり考えなさい」

 美魅伽が飽きもせずに琴の音を聞いていると、銀狐と朱子もやってきて、その後で紫織と李音も音色に誘われてきた。紫姫部の演奏は朝食の直前まで続き、みんな心を奪われたように聞き入っていた。


 昼下がり、美魅伽は日向で寝息を立てていた。安らぎであるはずの昼寝が、この時は夢に胸を締め付けられた。暗闇の中から絶えず美魅伽を呼ぶ声が聞こえた。

『美魅伽、お前は妖魔郷に帰ることだけを考えろ。それまでわたしたちが守ってやるからな』

 また別の声が聞こえてくる。

『わたしは美魅伽の腕を斬った。だから、わたしには美魅伽を命に代えても守る義務があるんだ。絶対守るから』

「はう、みんな……」

 美魅伽は頬に冷たいものを当てられて目を覚ました。上から白羅が覗き込んでいて、冷たく感じたものは白いハンカチだった。

「うなされたと思ったらいきなり泣き出すから驚いたわ」

「あう、白羅さん」

 美魅伽は起き上がって目をこすった。昼寝の余韻でまだ頭が惚けていた。

「……人間界にいた頃の夢を見たよ」

「あまり良い思い出ではなさそうね」

「うん、いっぱい怖い目にあったよ。でも、大切なお友達も出来たんだ。その人たちね、何の得もないのにあたしの事をずっと命がけで守ってくれたの」

「その人たち、今はどうしているの?」

「わかんない、みんな人間界(あっち)にいるから。あ、でも一人は人間じゃないの。その人だけは今は魔族のお城にいると思うけど、その人あたしのこと見るとすごく辛そうな顔をするから会いに行かない方がいいんだ」

「そう、いつかお互いに笑って会える日が来るといいわね」

「うん!」

 美魅伽は見ている方の心が晴れるほどに明るい笑顔で頷いた。

 昼過ぎ頃、美魅伽は何となく辺りを散策した。村の側を流れる川に沿って歩き、やがて森へ入り、さらに奥へと歩いていく。すると、遠くから水の砕ける音が聞こえてきた。もっと奥まで歩いていくと、滝つぼで流れ落ちてくる水に拳を打ち込む少女がいた。

「はっ! はっ! はっ!」

 拳の一撃ごとに水しぶきがあがり、少女の拳の威力は相当なものだと分かる。美魅伽は河岸に座って少女の様子をじっと眺めた。少女はすぐに美魅伽の姿に気づいて声をかけてきた。

「よお、美魅伽じゃないか」

「莱樺姉様、この辺で修行してたんだ」

「ああ、ここなら村も近いし便利だからな」

 修行者の少女は周防莱樺だった。莱樺は話すのもそこそこにして再び滝に向かって正拳突きを打ち込んだ。

「気合入ってるね~」

「今回の戦姫闘舞には吸血鬼姫が出るって話だからな、そりゃ気合も入るぜ」

 美魅伽は日が暮れるまで莱樺の修行を見ていた。莱樺はしばらくは修行に打ち込んでいたが、そのうち美魅伽が気になりだして言った。

「お前、俺の修行なんて見てて楽しいのか?」

「うん、楽しいよ」

「変な奴だぜ……」

 美魅伽は本当に楽しそうに見ているので、莱樺は駄目というわけにもいかず、見られるままに修行を続けた。それからというもの、美魅伽は毎日のように莱樺の修行場に来た。莱樺の修行を見る美魅伽の目はいつも輝いていた。その目の輝きは憧れなどではなく、もっと切実で情熱的なものであった。

 修行の合間に莱樺は川で取れた魚で美魅伽をもてなしてくれた。鱒や山女を枝にさして塩をふりかけただけだが、それを焚き火で焼いたものは本当に美味かった。美魅伽は夢中でそれを食べた。

「お前そんなに急いで食うなよ」

「だって、こんなに美味しいもの食べたの初めてだよ」

「大げさな奴だぜ」

 美魅伽は魚を三匹も食べて満足すると、焚き火の炎をじっと見つめた。そしてふっと思い浮かんだ事を言った。

「莱樺姉様、何で格闘技やってるの?」

「それを話すと長くなるぜ」

「教えて教えて」

 莱樺は美魅伽にせがまれて、仕方ないというふうに話し出した。

「俺は孤児だったんだ、親に捨てられたのさ。子供の頃に腹が減って倒れて死にそうになっているところを母さんに助けてもらった。お前も知っているだろうけど、母さんは長屋をたくさん作って身寄りのない子供たちを住まわせているんだ。あの人のお陰でわたしは路頭に迷わずに済んだ。決して楽な生活ではなかったが、楽しい子供時代だったぜ」

「母様…………」

「母さんは人がいいだけじゃない。めちゃくちゃ強かったんだ。戦姫闘舞に六回も優勝してな。最後の時冬紫織との戦いは震えたぜ。わたしは母さんに憧れて格闘家になったのさ」

 それを聞くと美魅伽は、なんだか気が重くなった。

「お前の母さんは本当にすごいんだぜ。俺の永遠の憧れの人だぜ」

 美魅伽は穴があったら入りたいような気持ちになった。母の大きさを知れば知るほど、対する自分の小ささに嫌気が差した。


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