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距離の測り方

作者: 柏木一木

 小学校の頃の俺はエロいガキだったので雨が嫌いだった。理由は簡単だ。ゴミ捨て場とか堤防とか草むらに捨ててあるエロ本が濡れるのがイヤだったのだ。

 濡れたおかげでページとページがくっついていたりすると、女が股を開いていても、俺の下半身は萎えたまんま元気になることはない。せっかくのお宝発見なのに、そうなっているとすごくもったいないと思ってしまう。

 しかし、俺の連れだった正木は、度の強い黒縁メガネをかけ直して「晋介、濡れている写真の女が股を開いている、と思えばじゃない?」と笑いながらそう言った。

 正木はいつだってそういう風に物事をポジティブに考える。

 例えばクラスの男たちで流行っているファミコンソフトを買いそびれてすさんでいるときでも、ヤツはにっこり笑って「いつものようにエロ本を探しにいこう」と言った。あ、これは例になっていないか。まあいいや。とにかくポジティブなヤツなのだ、正木は。

 そんな俺と正木も一年ごとに歳をくっていくうちに、中学生になった。すると、それまで一緒に行動していることが多くなったのに、別々の行動を取るようになった。

 なにかが変わったのだろうか。

 俺は、中学生になると嫌いだった雨が好きになった。この理由も簡単だ。入部したサッカー部の顧問がやる気なかったので、雨になると休みになったし、エロ本を拾いに行くよりも先輩から借りられるエロビデオの方が刺激的であることを知ったからだ。

 俺だけではなく、正木の方も変わった。俺がサッカー部に入ったように、正木もバレー部に入った。それまで、黒縁メガネをかけていたのに、バレーやるときに邪魔ということを悟ったのかコンタクトに変えた。他にも、それまでキノコのような髪型だったのだが、さすがにダサいと思い始めたらしく、髪を伸ばし始めた。すると、ダサいメガネとダサい髪型に隠されていた、イケている正木の容姿がクローズアップされるようになって、モテるようになったらしい。

 らしいっていうのは、人伝いに聞いたからだ。身近なヤツの情報っていうのは疎くなるものだ。それに、こういう話を二人でしたことがなかったのもある。

 サッカー部の練習が終った放課後、部活の連中と話しているときに、連想ゲームみたいな話の流れの中で正木の話題になった。

「そういえば、なあ、晋介。知っているか?」

「なにをだ?」

「ほれ、お前の小学校からの連れがいるじゃんか」

「あん? 正木がどうしたんだ?」

「あいつ、上級生と付き合っているんだと」

「マジで?」

 上級生と付き合っているという情報は俺を仰天させた。

 なにがって、中学には同級生と以外では恋愛してはいけないという不文律みたいなものがあったからだ。もし、他の学年の奴と付き合っていることが発覚すれば、あいつとこいつは似合うに似合わんという話になり、二人がどんなに愛し合っていようが周りがそれを拒否し始める。結局まわりの空気に負けて強制的に別れてしまうのだ。

 しかし、何事にも例外がある。美男子美女のカップルならばオーケイなのだ。へたに口を出すとやっかんでいると思われるのだろう。「あーあの人とこの人ならば文句をいいようがないわ」としか言いようがなくなってしまい、勝手に認めざるを得ないのである。

「どうなん、周りは?」

 そんなわけで、俺は世間様の反応が気になってしまったわけだ。すると、話を振ったヤツは、俺の顔を見てにやりと笑ったと思うと、人差し指と親指でマルを作った。つまり、バッチグーってことか。

「羨ましいだろ」

「そうか? 正直、年上のヤツと付き合うなんて想像できねーよ」

「バカだな、お前。ちゃんと自分に置き換えて想像してみろよ。年上のお姉さまにエスコートしてもらえるんだぞ。最高じゃないか」

「すぐにフラれるって」

「それって、もしかして嫉妬ですか?」

「シット! 黙れ、バーカ」

 苦手な横文字を使って、冗談のようにごまかしたが、実はほんの少しだけ嫉妬していた。しかし、俺が口を出す問題でもないし、評判がいいならいいだろうと思い、それ以上のことを知ろうとしなかった。

 それが間違ってはいたとは言えないけど、少なくとも知ろうとしていれば、なんか行動を取ったかもしれない。まあ、可能性をいまさら考えてもどうしようもないのだが。

 何が起こったのかというと、正木は上級生と付き合ってから一ヶ月と経たずに別れることになった。

 後から聞いた話によると、その先輩というのは遊び人であり、いろんなヤツと付き合っては別れるという最低な野郎だったらしい。しかもだ。正木と付き合ったのは、最低野郎にふさわしい最低な友達とのゲームに負け、そのバツゲームが誰でもいいから後輩と付き合わなくてはならないというものだったからだそうだ。愛もなく軽い気持ちで、見てくれのいい正木に白羽の矢を立てただけ。そんなのに引っ掛かる正木も問題だけど、それ以上に最低野郎が気に入らない。

 死んでしまえ。心のそこからそいつを憎くなったけど、実際に殺しに行くとか、そこまでいかなくてもぶん殴りに行こうとは思わなかった。腰抜けといわれてもしょうがないが、最低野郎はともかくとして、遊び人の友達はヤンキーとかチーマーというイメージがあるじゃないですか。普通のスポーツ少年の俺がなにができるっていうんだ? それでも行動にとるのが友情? そう思うのは勝手だが、そんなの人それぞれだろ、と言いたい。

 ただ、俺の胸中でその問題は便所にこびりついた糞みたいに、流れることなく存在していた。この状態を胸糞悪いというのだろう。

 その日は雨だった。

 休みだラッキーってスキップで昇降口へ向かうと、不運なことに正木をもて遊んだ最低野郎に出くわしてしまった。やばいなー。能動的に殴りに行かなかったけど、受動的に出会ってしまったら殴ってしまうかもなー、と思ったらもう殴っていた。

 こうなったらしょうがないと最低野郎の連れごとボコボコに――された。やっぱり、複数の人間を相手に敵うわけがない。しかも、それが先生に見つかり、先に殴りかかった俺が怒られた。理由も問いだされたが言わなかった。友情のためだ、と自分を納得させた。そうと思わないと、カッコいいというよりも、なんとなくマヌケと思ったからだ。

 すいませんでしたーと頭を下げながら職員室を出ると、窓のから見える空は暗い。もう夕方なんだろうけど、雨雲のせいで何時ごろなのかわからない。帰るだけだし、時間なんてどうでもいい。

 せっかく部活が休みなのに台無しだ、とはき捨てるようにつぶやきながら、とぼとぼした足どりで昇降口に向かうと、偶然正木と出会ってしまった。

「よう」

「はお」

「部活は?」

「今日はバスケ部が使う日だからお休み」

「そか」

「うん」

「なんか元気がないな。どうしたんだ」

「オッスオラ孫悟空。みんな、オイラに元気を分けてくれ。イヤだ。ギャフンって感じでブルーなんだよ」

「わけわからねーぞ。ポジティブが正木のとりえなんだからな。シャキンとしろよ、シャキンと」

「プロジェクトAみたいに?」

「そそ。胸を張って、あごを引いてね。あとは忘れた」

「プロジェクトAであっているのかも微妙だね。ジャッキーチェンしかあっていない可能性ありだ」

「通じればいいんだよ。言葉なんてそれ以上に意味はない」

 そうだねと正木は笑みを浮かべたが、やっぱり元気がなかった。しょうがないな、と俺は正木を元気つけることを心に決めた。こういうことは論理的に考えてもよくない。アドリブでいこう。そうしよう。

「よし、エロ本を探しにいくぞ」

 言って後悔した。考えるべきだと後悔した。しかし、ここで流れを変えることはできない。そういうものなのだ。

「エロ本?」

 正木もビックリしたらしく、元気がないを忘れて目を丸くした。

「晋介も好きだね。でも、外は雨だよ」

「でも行くことにする。今では雨が好きだしね。濡れた写真の女が股を開いているのにもだえることができるぞ」

「頭打ったの? っていうか、どうしたの? その怪我」

 今ごろ俺の怪我に気付いたのか、心配そうな表情を正木は浮かべる。今ごろ気付くくらいだから、本当に正木は元気がないのだろう。そんな相手に心配させるほど、俺は優しくない人間ではない。いつかバレるだろうけど、今は黙っていることにした。

「秘密」

「物的証拠を目の前にして秘密って言われてもねぇ」

「頭打っておかしくなったんだよ。納得しとけ」

「できないよ!」

 そんなやりとりのあと、俺たちは傘を差して堤防に向かった。川の流れは速く、飛び込んだらカッパだってあの世行きだろう。くわばらくわらば、と心の中で唱えながらエロ本を探し始める。しかし、見当たらない。エロ本発見能力が鈍ったのだろうか。昔だったらすぐに見つかったのに。それとも、昔と違って捨てる人間がいなくなったのだろうか。

「見つからないな」

「うん」

「ちゃんと探しているか?」

「探しているよ」

「本当か?」

「本当だよ。証拠は――うーん、証拠出せって言われたら困るねぇ。結果がすべてだし、こういうのって」

「結果って、俺好みのエロ本を見つけることか?」

「好み変わった?」

 正木は興味津々といった風に、そう問い掛けてきた。どうなんだろうと思い、考え始める。昔好きだったアイドルで、今でも好きなのもいれば、嫌いになったのもいる。ということは、どういうことなんだろう。

「わからん」

「前は女子高生が好きだったじゃない」

「あーそうだっけ? よく覚えているな」

「今は女子大生?」

「なんで歳が増える」

「四、五歳くらい年上の人が好きなんだと思ってたよ。だから持ち回ってね」

「なるべくなら歳が近い方がいいんだけどね。いやさ、中学生ってなるとロリコンになるじゃない。俺からするとぜんぜんロリじゃねーんだけどさ」

「あー同い年が好きなんだ。へー」

 考えずに言った言葉に、なにか意味深に納得されたので、なんか気に入らなかった。ハブラビ法典を愛するガキみたいだけど、今日は触れるつもりはなかった話題に振ることにした。

「そういや、ご愁傷さま」

「ん? あーうん。どういたしまして」

「ま、世の中、あーゆー奴ばかりじゃないし気にするな。たぶん、いつかいい人が見つかるって」

「慰めてくれているんだろうけど、そういうのは《たぶん》じゃなくて《絶対》っていわない? ま、いいけどね。《絶対》いい人が現れないって言われるよりかは」

「ポジティブさんですね、正木は」

「ねえ、晋介」

「ん?」

「好きな人いる?」

「珍しいね、そういう話題をふるのは」

「いいじゃん、たまにはこんな話も。なにせ、若人なんだし。で、いるの?」

「いない」

「ということは、彼女もいないんだ」

「当たり前だろ」

「いひひひ」

 正木は突然笑い出した。それもうれしそうに。意味わからず、何だよと叫ぶが、正木は笑ったまま答えない。何だよ、と俺は弁慶の泣き所まで伸びた雑草を蹴り飛ばした。あーよくよく考えてみると、俺だけ制服のズボン汚しているな。お袋さんに怒られるなぁ、畜生。

「もしだよ」

 笑い済んだのか、正木は俺の方を向きなおして、上目遣いに俺を見やる。

「わたしが立候補したらどうする?」

「はあ? どうした正木、頭を打ったか?」

「晋介じゃないから、そんなことしないよ」

「んじゃ――」

「前から晋介のことが好きだったんだよ」

「…………」

「でもね、晋介はわたしのこと女とも思ってないじゃない。そうだよね、ふつー女だと思っていてくれたら、エロ本探しに行くなんて欠片も思わないはずだから」

「正木から探しに行くべって言ったじゃんか」

「そりゃーね。一緒にいられる機会があるなら使いますよ。おわかり?」

「…………」

 突然の展開に俺の頭はついていけなくなった。正木を女と見ろだと? ちょっと難しい問題だ。確かに正木は悪くない。むしろいいだろう。しかし――そう、妹のようなものなのだ。実際に妹がいるんだが、アイツが裸で歩いていてもなんとも思わない。……大丈夫だよな。……大丈夫だ。よかった、俺は正常だ。シスコン兄さんじゃない。

「あぶないあぶない」

「どうしたの?」

「なんでもないことにしてくれ」

「んで、わかったの?」

「んー」

「訂正、わかれ」

「強制ですか」

「強制です。よし、女としてみるために、名前から始めませんか、晋介さん」

「正木じゃなくて、幸恵って呼べと」

「イエース、ザッツライト」

「パス1」

「なんで?」

 なんかね。そういう問題じゃないだよ、正木。好きなんていわれてもさ、こっちは心構えができていないんだから。でもさ、うん、なんだろうね。そういわれても、拒否反応はでないんだよな。んーなんだろ。なんだろうね、本当。

「あ、エロ本発見」

「もしかして、話をそらそうとしてる?」

「いや。もともと、エロ本を探しに来たんじゃないか。それで、俺がそれでチンコが立つのかというのが問題であって」

 逃げるように見つけたエロ本を手にとってページをめくろうとする。しかし、やっぱりページとページはくっついていて、見る気にもなれない。気が乗らない。それでも、話をそらすために奇声をあげた。

「うへー。やっぱり、俺は変わったわ。濡れた写真の女が股を開いているのを見て興奮できるよ。お前も見る?」

「もう見てるよ。表紙だけど……晋介はうそつきさんだね」

「ああ?」

 なんでバレているんだといぶかしんで、開いているページのグラビアを見て納得した。正木の言葉を借りるならば、これは、濡れた写真の男が股を開いていた。

「もしかしたら、俺はホモなのかもしれん」

「ホント? それだったら諦めるしかないなー」

「つっこめよ」

「お尻に?」

「こういうギャグがいえるような歳になったんだな、俺たち」

「あははは」

 そのあと、俺たちは家に帰った。バイバイって手を振って。俺は返事をしなかった。ちょっと今すぐっていうのは無理です、はい。色々考えることがあるじゃん。殴った先輩との関係とか気になるし、いままでの関係とか、色々さ。でもなー、殴ったこと正木に知られるのは時間の問題なんだよなーどうしようかなー。

 わからね。

 わからね。

 ぜーんぜん、わからね。

「あーお兄ちゃん、どうしたん? 悩んでいるフリをして」

 家に帰ると、居間でテレビを見ていた妹が、俺と顔を突き合わせた矢先にそう声をかけてきた。

「悩んでいるんだよ、実際」

「なにを?」

「なにをだろうなぁ」

「恋の悩みだったら相談にのるよ?」

「そういう経験あるのか、お前」

 その言葉に期待して、妹のことを見るが、手をパタパタと振った。

「んにゃ、ない。普通に気になるだけ。野次馬根性ってやつですか」

「死ねよ」

「死んだら香典大変だよ」

「家族はもらう方だから問題ない」

「じつは、血を分けた兄弟ではなく、他人だったのです」

「本当か?」

「うそ」

「さいでっか」

「でも、もしそうだったら、あたしと恋に落ちますか?」

「ならん」

「うわ、速攻で答えやがった。なんでよー、あたし、こう見えても同級生ではモテモテなんだよ。ラブレターだって、もう十枚は貰っているんだから」

 ん? あれ?

「ちょっと待て」

「なにを待つ。あ、もしかして、恋に落ちたいとか」

 妹を無視して考える。

 考えた。考える意味がなかった。

 これが答え。そうか、そういうことね。うへー、マジかよ。

「お前さ、正木のこと好きか?」

「さっちんのこと? うん、あたしも好きだよ。大好き。当たり前のことを訊くなよ、バカ兄貴」

読んでくれてありがとうございます。

作為的なところがありますが、その辺もふくめて楽しんでもらえたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 冒頭のエロ本ネタからシュールさに手伝ってサクサク読めました。続きはあるのなら気になります。
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