シド・ヴィシャスに接吻を
俺は降り頻る雨の中、傘も差さずに野次馬たちの中に立っていた。
慌ただしく走り回る警察官と救急隊員、鳴り響くサイレン。
そのすぐ横を何事も無かった様にいつもと同じ日々の中を走る車。
雨粒に叩かれ、音を立てる街路樹の葉から滴り落ちる雨は既に粒ではなく、流れ落ちる時間そのものの様にも思えた。
「シド……。シド、シド」
俺は傘を差す野次馬たちを掻き分け、前に出たが、レインコートを着る警官にその足を止められた。
アスファルトの上に倒れ込んだシドはもう壊されてしまい、排水溝に流れる雨水を黒く染めるだけになってしまっていた。
「シド」
俺は大声で叫んだが、その声ももう彼の意識の中まで響く事は無かった。
俺はシド……、洋介が焼かれる煙を火葬場の外から見ていた。
俺だけじゃなく、アキラとハムラも同じで、三人は火葬場の外でタバコを吸いながら煙になって行く洋介を眺めていた。
石田洋介、いや、シド・石安はファンを名乗る女に刺されて呆気なく死んだ。
後で聞いたのだが、女は熱狂的なシドのファンで、シドと結婚するのは自分だと思っていたらしく、誰かに取られるくらいなら、いっその事殺してしまおうと考えたらしい。
特にシドに結婚の話が出た訳では無い。
その女自身が結婚する事になり、一方的にシドと結婚が出来なくなるなら殺してしまおうと思いシドを刺したらしい。
俺は短くなったタバコを吸い殻入れに捻じ込み、黒いネクタイを緩めた。
火葬場の周囲には何人かの報道関係の人間が見えたが、俺たちに声を掛けて来る奴は一人もいなかった。
俺たちを探してマネージャーの深堀がやって来た。
「此処に居たのか」
深堀は肩で息をしながら、近付いてきた。
「シドの骨、拾うか」
深堀の言葉に、俺たち三人は顔を見合わせた。
「帰ろうか……」
ハムラは俺とアキラに言うとタバコを消して歩き出す。
ハムラとアキラが道端に捨てたタバコの吸い殻をマネージャーの深堀は拾うと、俺たちの後を追いかけて来た。
そして事務所の黒いボックス車に乗り込み、ドアを閉めた。
助手席に深堀が乗り込むと運転手はエンジンを掛けた。
「良いのか……。骨、拾わなくて……」
深堀は振り返って後部座席の俺たちを見た。
シドの骨を拾ってしまうと、俺たちの中から完全にシドが消えてしまう様な気がしてならなかった。
「良いから出せよ……」
アキラはぶっきら棒にそう言い、アルバイトの運転手は車を走らせる。
俺たちの車にフラッシュが焚かれ、写る筈もない俺たちの姿を写していた。
「コンビニに寄ってくれ……」
ハムラは小さな声で運転手に言う。
運転手は返事をして、国道に出た所にあるコンビニに車を入れた。
俺たちは黒いネクタイを外し、コンビニに入ると、シドが好きだった酒を買い、車に戻った。
俺たちの座る場所はいつも決まっていて、俺はシドの席のドリンクホルダーに酒を置いて、俺たちも同じ酒を開けた。
「俺たち流の葬式してやらないとな」
俺はシドの席の酒に手に持った缶を当てた。
「献杯って言うんだっけ……」
俺はアキラとハムラの顔を見た。
二人とも首を傾げ、微笑んだ。
あの日から数か月が経った。
シドを刺した女は許せ無かったが、心神喪失のため罪には問われないという判決が出たとマネージャーの深堀が言っていた。
人が一人死んでも、何も変わらない日々が流れる。
俺はコンビニの袋を振り回す様に手に持ち、部屋までの道を歩いていた。
シド……、洋介は俺たちのバンド仲間で、ギターを弾いていた。特に俺とは高校の時からの付き合いで、当時から一緒にバンドをやっていた。
シド・ヴィシャスが好きで、自らをシド・石安と名乗った。
石安の石は本名の石田から一文字取り、シド・ヴィシャスにしては少し安っぽいという意味で、シド・石安と名乗っていた。
高校の時からシド・ヴィシャスへの熱い思いを聞かされてきた俺は、いつの頃からか、洋介と呼ぶのを止めて、シドと呼ぶ様になった。
シド・ヴィシャスとはセックスピストルズのベーシストで、ベーシストとしてよりもフロントマンとしての活躍が甚だしかった。
数年だけセックスピストルズで活動したのだが、最後はオーバードーズで死んでしまった。
シドにはそんなシド・ヴィシャスの生き方が刺さった様だった。
奴の部屋に行くとシド・ヴィシャスのポスターや雑誌の切り抜きが壁一面に貼られ、シド・ヴィシャスの使っていたベースの色に塗り替えられたベースが一本、スタンドに立ててあった。
彼自身はギターを弾いていたのだが……。
俺たちはギタリストを失い、活動する事も出来ずにすべての予定をキャンセルし、何をするでもなく、日々を過ごしていた。
この数か月で飲んだ酒の量は半端な量ではない。
酒が切れるとフラフラとコンビニまで行き、酒を買い込む。
そして部屋に帰るとその酒を飲んで潰れて眠る。
それ程にシドの死は俺たちには大きかった。
マンションの前まで来ると、若い女が一人ベースのケースを肩から掛けて立っていた。
俺はその女を横目に見ながら、オートロックを開け、中に入ろうとした。
その時、その女も俺に着いてマンションの中に入って来た。
そしてエレベーターに乗り込むとその女も一緒に乗り込む。
エレベーターのドアが閉まると女は、
「あの……タカさんですよね」
と俺の名前を後ろから呼んだ。
俺が振り返ると女は革ジャンのポケットに手を入れて、何かを取り出した。
俺はあの日、刺されてアスファルトに横たわったシドの姿を思い出した。
俺はエレベーターの壁に張り付く様に背を付けた。
背中を冷たい汗が伝う。
俺は自分の息遣いが不快な程に響き始めた。
俺の部屋の階に到着し、ドアがゆっくりと開く。
俺は足を滑らせながらエレベーターを出て、部屋へと急いだ。
急いでいたのは意識だけかもしれない。
酔っている俺は思う様に足が動かず、泳ぐように部屋へと急いだ。
女は微笑みながら俺の後を歩き、靴音を響かせていた。
俺は部屋の鍵を開けると転がり込む様に部屋へと入り、ドアを閉めようとした。
その時、ドアの隙間に女の手が差し込まれ、ドアは開かれた。
「タカさんですよね……」
今一度女は俺にそう訊いた。
「高山裕樹さんですよね」
女は玄関の中に入って来た。
そして床を擦りながら後退る俺の前にしゃがみ込んで、革ジャンのポケットから手を出した。
俺は刺される事を覚悟し、目を閉じた。
「石田洋介の妹の一葉です」
俺はゆっくりと目を開ける。
女は俺とシドと、幼い少女の写った写真を俺の目の前に広げていた。
「一葉ちゃん……」
俺はその写真を見てそう呟いた。
「馬鹿言うなよ……。そんな簡単にシドの代わりが務まる奴なんて見つかるかよ」
アキラはイラつきながらテーブルを蹴った。
「もう終わりなんだよ、俺たちは」
俺はハムラの顔を見た。
ハムラも、
「俺もアキラの言う通りだと思うぜ。シドのギターは一流だぜ……。そんなシドの代わりなんて誰がやれるんだよ」
マネージャーの深堀はそんなやり取りを黙って見ている。
俺は壁に立てかけてあったシドのギターケースを取り、中から黒いレスポールを取り出した。
使い込まれていて所々がすり減っていた。
そして俺はそのシドのギターを弾いた。
アキラとハムラは身を乗り出して、俺のギターを聴いていた。
演奏が終わると俺はシドのギターをスタンドに立て掛けた。
「シドにギターを教えたのは俺なんだ……」
俺はそう言ってタバコを咥えた。
マッチを擦ってタバコに火をつけるのを待って、
「タカがギターをやるって事はベースはどうするんだよ……」
膝に肘を突いた姿勢でアキラは言う。
俺は髪を掻き上げると、
「シドの意志を継ぐ奴を呼んである」
と言った。
「シドの意志……」
アキラとハムラは二人で顔を見合わせて首を傾げていた。
一葉は酒臭いと言い、俺の部屋の窓を大きく開けた。
確かに数か月、空気の入れ替えなんてしていない。
相当に酒とタバコの臭いが充満していたのだろう。
リビングのテーブルの前に座ると、俺は買ってきた酒を開け、渇いた喉に流し込んだ。
一葉はそれを見て、ズカズカと俺の前にやって来て、テーブルの上の空き缶をガラガラと床に落とした。
そして、そのテーブルの上に片足を乗せた。
「もうやんない訳……。兄貴が死んだくらいでやめちゃうの。ファンのシドロスってのは良いわよ、けどアンタたちがこれでやめちゃうのは絶対に嫌。誰が許しても私が許さない」
一葉は大声で俺に言った。
そして俺の向かいに座ると、
「シドが死んだ事でバンドが解散しちゃう事が一番嫌なのは兄貴なんじゃないかな……」
一葉はそう言って、持って来たベースのケースを開けた。
中からシドカラーに塗られた懐かしいベースが出て来た。
中古のベースを雑にシドカラーに塗り、洋介の部屋に立掛けられていたあのベースだった。
「一葉ちゃん……」
俺はそのベースを一葉ちゃんから受け取り、弦を弾いてみた。
ちゃんとチューニングもされていて、手入れもしてある様だった。
俺は数か月振りにベースを弾いた。
それを一葉は嬉しそうに見ていた。
何処で学んだのか、一葉のベースは荒げ刷りだがプロでも通用するレベルだった。
そして一葉をメンバーに入れた事で、俺たち「シュヴァルツ・オルフェウス」の音楽の幅は広がった。
そのまま、レコンキスタツアーを企画し、新しいアルバムを作った。
数か月、シドを失った事で荒れ果てていた俺たちは息を吹き返す事が出来た。
そして前にも増して俺たちの人気は上昇していった。
俺とアキラは一葉に歌わせる曲を書き、ツインボーカルバンドとして、生まれ変わる事が出来た。
一年に及ぶレコンキスタツアーが終わり、直ぐに新しいアルバム作りを始めた矢先に、また悲劇が起きた。
悲劇のバンドには悲劇が連鎖する。
そんなジンクスに俺たちは打ち勝つ事が出来なかったのだった。
俺と一葉がタクシーで病院に駆け付けた時、既にハムラは息を引き取っていた。
リノリウムの通路を走り俺と一葉はハムラと一緒に病院に来たアキラを探した。
俺は通路を曲がった所で項垂れて座るアキラを見付けた。
「アキラ……」
俺はアキラに駆け寄った。
「タカ……」
アキラは震える声で返事をした。
「ハムラは……」
俺は顔を上げて周囲を見渡した。
アキラが座っていたのは霊安室の前だった。
「嘘だろ……」
俺は霊安室のドアとアキラを交互に見た。
「若い奴らの喧嘩を止めに入ったんだ……。それだけだったんだよ……」
アキラは蚊の鳴く様な声で言う。
アキラによると、夜の街で酔って喧嘩している若い奴らを止めに入り、逆恨みされ、後ろからハムラは刺されたと言っていた。
「何で、二人も刺されて死んじまうんだよ……」
アキラは俯いて涙を床に落としていた。
後から来た一葉は俺の肩に手を乗せて、頷く。
俺はアキラの肩を強く叩くと、向かいにある霊安室のドアを開けた。
薄暗いその部屋には顔色の無くなったハムラが横たわっていた。
「ハムラ……」
俺は言葉を無くし、死に化粧をしたハムラの顔をじっと見つめていた。
週刊誌には「オルフェウスの呪い」と題され、俺たちのバンドの事が書かれていた。
俺はその週刊誌を丸めて事務所のごみ箱に叩き付けるように捨てた。
またいつかの様に、静かな部屋で俺とアキラと一葉は無言のまま長い時間を過ごしていた。
答えなど出ない。
そんな問題を解かされている様な気持ちだった。
アキラは突然立ち上がりバッグを持って部屋を出て行った。
俺も一葉もアキラを追う事は出来なかった。
「ハムラ以外にうちのドラムは考えられないな」
そう言って笑ったシドを思い出し、先日終わったツアーのポスターの前に立った。
そしてそのポスターを俺は上から下に剝がす様に破いた。
一葉もそんな俺を黙って見ていた。
結局、事務所は俺たちシュバルツ・オルフェウスを無期限の活動休止と発表した。
リーダーのアキラがそう提案したらしい。
俺は事務所に呼び出され、後進を育てるプロデューサーをやってみないかと言ってきた。
「そんな事、出来る訳ないじゃないですか。それにまだ俺は……」
俺の言葉を事務所の社長は遮った。
「俺は何だ……。まだやりたいか。誰と何をやるんだ。シドもハムラも居なくなって……シドの時は奴の妹に助けられた。ハムラの代わりを入れてまた新生バンドをやるか……」
そんな事をまたやれるとも思わなかった。
ハムラのドラム、アキラのキーボード、どれも唯一無二のモノで、それ以外の音は俺には考えられず、口を噤んだ。
「それにアキラはプロデューサーをやると言っている……」
社長は立ち上がり、俺の肩を叩いた。
「またいつか、やりたいと思うメンバーが出来た時にやれば良いじゃないか。業界にさえ居ればそれも可能性としては残る。考えてみてくれ」
社長はそう言って部屋を出て行った。
俺はマネージャーの深堀の顔をじっと見た。
「アキラの話。本当か……」
俺は深堀に訊いた。
深堀は俺に視線を合わせる事も無く、コクリと頷いた。
俺は事実上の解散を飲み込めず、部屋の隅に置いてあったゴミ箱を蹴り事務所を出て行った。
よくタバコを吸うために行っていた事務所の屋上に出た。
風が強く、タバコに火をつけるのが難しく、俺は自分の身体で壁を作り、強い風を避けた。
錆びた手摺に肘を突いて、見慣れない角度からの街を見渡す。
吐いた煙は強い風に流されて一瞬で消えて行った。
「何がプロデューサーだよ……」
無意識に口から出た言葉はそれだった。
「体のいい教育係じゃねぇか……」
俺はコンクリートの床に灰を落しながら、治めようのない苛立ちを噛み潰した。
シドならどうしただろうか……。
俺は遠くに見えるスカイツリーを見た。
アイツなら一人でもやるって言い出したかもしれないな……。
俺は苦笑して振り返り手摺に背中を付けた。
するとドアが開き、一葉の姿が見えた。
一葉は手を上げて、俺の方へと歩いて来る。
「一人……」
強い風の中、一葉は俺に訊いた。
俺は小さく何度か頷き、タバコの煙を空に向かって吐いた。
「アキラも一緒なのかと思ったよ」
一葉は俺の横に来て、俺と同じ様に錆びた手摺に革ジャンの背中を付けて立った。
俺は一葉の顔もまともに見る事が出来ず、何処までも青い空を見上げた。
「プロデューサーやるんだって」
一葉は俺の横顔に言う。
「そんなモン、名前だけだよ……。新人の教育係だ。兎小屋の兎の飼育委員と何も変わらんよ」
一葉はクスクスと笑い、クルリと振り返り街の風景を見上げた。
「私は一人で歌えって言われたわ。どうせバンドに未練も無いだろうって」
社長の言いそうな事だ。
俺は鼻で笑った。
「タカ……」
俺は咥えタバコのまま一葉を見た。
「何だよ……」
一葉は頬杖を突いた。
「やってみようよ……。それが嫌な事なのか、我慢できる事なのかは、それから決めればいいじゃん。私はまだ兄貴のやりたかった事出来てないし」
そう言うとまた視線を街の方へ戻した。
「シドのやりたかった事……」
俺はタバコを床に捨て、ブーツの爪先で踏み潰した。
一葉は頷いた。
「兄貴が何をやりたかったのかはわからないけどさ、まだ何も出来てないって思うんだ……。だから私はやってみるよ」
俺は一葉の横に立ち、同じ様に街を眺めた。
「そうか……」
「うん」
一葉は自分の腕に顎を乗せた。
「もしさ……」
強い風に一葉の髪が流れている。
俺はその髪が揺れるのを見ていた。
「もし、私が迷ったら、タカが拾ってくれる」
一葉は俺を見て微笑んでいた。
俺は頷いて、
「ああ、その時は俺が拾ってやるよ」
一葉はクスクスと笑った。
「何処に居るかもわからないのに……」
俺は街に視線を移し、
「何処に居ても探し出すさ……」
「日本に居なくても……」
「ああ、月にも行ける時代だからな」
俺と一葉は声に出して笑った。
それから一年、俺はプロデューサーとして新しいバンドを創りあげた。
それを評価してくれる人も多く、俺は事務所を辞めた。
一葉はソロになり歌い始め、テレビなどへの露出も増えたが、アイドル歌手の様な歌ばかりを与えられ、納得が行ってない様子だった。
何度かテレビ局やスタジオで不機嫌な一葉と偶然に遭遇した事があった。
その度に不満を口にしていた。
そして突然、体調不良を理由に姿を消し、一切見る事が無くなった。
アキラも曲を作り、他人に歌わせる事に喜びを感じている様子で、その活躍は凄まじかった。
週刊誌は「オルフェウスの呪い」は二人の天才を生み出したと書いていた。
そして忙しさを理由に俺は一葉の事も忘れていた。
その後、俺はレーベルを立ち上げ、何組もの人気バンドを生み出した。
夜遅く、自宅に戻り、ソファに座るとスマホをテーブルに投げ出した。
テーブルの上のパソコンのキーボードを叩くと大量に来ているメールをチェックした。
広い部屋の壁には「シュバルツ・オルフェウス」の最後のコンサートのポスターが貼られている。
冷蔵庫から缶ビールを出しソファに戻ると、スマホが振動している事に気付き画面を見た。
アキラだった。俺は画面に触れ、電話に出た。
「タカか……」
「おお、アキラ。どうした」
それと同時にパソコンにメールが届いた。
「今、メールでURLを送った、それ見てみろ」
俺はアキラのメールに添付されたURLをクリックした。
そこには一葉の顔が映っていた。
「一葉……」
俺はアキラの電話が切れたのを確認するとスマホをテーブルの上に置き、ノートパソコンの画面をじっと見つめた。
どうやら一葉の生配信の様だった。
「皆さん、こんばんは。石安一葉です」
一葉はシドの使っていた「石安」を名乗っていた。
最後にテレビ局で会ってからもう五年近く経っていたが、変わらない一葉がそこには居た。
俺は缶ビールを飲むのも忘れて一葉を見ていた。
「先日レコーディングを終え、今日はその曲を聴いてもらいながら、私のやりたかった事をしたいと思います」
やりたかった事……。
何かを見付けたのか……。
俺は画面に微笑み、缶ビールを手に取った。
曲が流れだし、タイトルが表示された。
「シド・ヴィシャスに接吻を」
そんなタイトルだった。
これは……。
タイトルと一緒に作詞、石安一葉、作曲、シド石安、高山裕樹の名前が入っていた。
高校生の時にシドと二人で作った曲だった。
それに一葉は歌詞を付けた様だった。
そして一葉は走り出した。
そこはロンドンのヒースロー空港だった。
そんな所に居たのか……。
俺はビールを開けると音を立てて飲んだ。
空港の中を走る一葉の姿が流れる。
どうもドローン撮影をしている様だった。
しっとりと歌う英語の歌の訳が字幕で流れていた。
一葉はあの日の様に髪を靡かせながら空港の中を走っていて。
革ジャンとミニスカートで走る一葉はあの時のままだった。
拙い俺たちが作った曲は上手くアレンジされ、それが一葉の声に似合っていた。
シドへのレクイエムか……。
俺はソファにもたれ、じっと画面を見つめた。
走り続ける一葉、そして曲もサビに入る。
いい映像だった。
そのままプロモーションにも使える。
俺は一葉が何をしようとしているのか、何となくわかった。
シド・ヴィシャスの母は、彼の遺骨をヒースロー空港で落とし、ぶちまけたという話があった。
だから今もシドの魂はヒースロー空港を彷徨っているという記事を読んだ事があった。
まだ走るのかよ……。
俺は画面の中の一葉に微笑んだ。
走れ、一葉……。
俺は拳を握っていた。
曲は最大の盛り上がりを見せ、一葉の声が切なく響いていた。
そして画面の中の一葉は空港の床に倒れ込む様に膝を突いた。
そして冷たい大理石の上に大の字になり、その床にキスをした。
「シド・ヴィシャスに接吻を……。か……」
床に寝そべった一葉の姿をドローンはその上から撮っていた。
そして一葉の姿が小さくなるまで引いて行き、そこで停止していた。
俺は思わずパソコンの中の一葉に拍手をした。
何かを見付けた一葉を見て、俺は自分のやりたかった事を見付けた気がした。
「一葉……」
俺はまた一葉に助けられたのかもしれない。
涙腺から流れ出た雫を俺は指で拭い、テーブルの上のスマホを取り、電話した。
こんな時間にと思うだろうが、知った事じゃない。
「私だ。一番早いロンドン行きを手配してくれ……」
それだけ言うと電話を切った。




