4(終)
少し長くなってしまいましたが最終話です。
※ 誤字を修正しました。
寮へ向かう道をとぼとぼと一人歩く。ポーリーンが寮を出てしまってから三日。どうとでもなると思っていたが、あの動きの少ない表情の向こうにある豊かな感情に存分に触れることのできない毎日はやはりどうにも寂しくて。
特にこういう日はポーリーンの不在が妙に心に沁みて目頭に直撃し、アレクシアは困ってしまう。
またため息をつき俯いていた視線をふと前に向けると、男子寮と女子寮の分かれ道、街灯の下に見知った顔が見えた。ブーツの紐を結び直していたらしいその影がこちらを向くと「あっ」という顔になり、そして破顔した。
「お疲れ様です、アレク卿!!」
にかっと歯を見せて笑ったのは今日の鍛錬場で話をしたあの第二騎士団の若手君だった。地面に置いていた荷物を持つと立ち上がり、アレクシアに寄って来た。
「今帰りっすか?」
にこにこと屈託なく笑うあどけなさの抜けきらない青年の顔に、アレクシアはほっとした。
「ああ、ちょうど帰りだよ。君もかな?」
アレクシアが答えると「はい!」と元気な返事が返って来た。眉をハの字にして目を細める青年は、なんだかとても嬉しそうに見える。
「そうか、お疲れ様。この時間に上りということは明日は中番かい?」
騎士は基本的に交代制で任に着く。警護の騎士であれば四交代制で、シフトによっては夜も寝ずに勤務することになる。
その他の騎士は、七時から二十一時までの間の九時間を基本とし、二十一時までの勤務だった場合翌日は休暇、もしくは中番と呼ばれる十時からの勤務となる。
今日のアレクシアは二十一時までの勤務だったので、明日は順当に中番の十時からとなっていた。
「そうっす!アレク卿もっすか?」
「うん、そう。最近は変則勤務だったから、久々のまともなシフトだよ」
そう言ってアレクシアが笑うと、青年は眉を下げて「大変そうっすね…」と労わってくれた。アレクシアを不躾なくらい真っ直ぐに見つめる青年の琥珀の瞳は不思議とアレクシアを落ち着かせてくれた。先ほどまで事故の余韻で催していた吐き気も気づけば治まっていた。
「ねぇ、君、ワイト男爵家のご子息だったよね?失礼だけど、名前を聞いても良いかな?」
覚えていなくてごめんね、とアレクシアが苦笑すると「いえ、むしろまともに自己紹介もせず勝手に愛称で呼んですいません!!!」と両手のひらをぱたぱたさせた。そして、右手を左の肩に当て、騎士としての自己紹介をしてくれる。
「第二騎士団第五隊所属、ワイト男爵家第四子、デイル・ワイト!来月で二十歳になります!!」
元気に言うとまたにかっと歯を見せて笑った。本来、貴族が歯を見せて笑うのは『はしたない』と言われるのだが、騎士団では様々な階級のものがいるためアレクシアは全く気にならない。むしろ、彼の屈託のない笑顔は今のアレクシアにはとても好ましく映った。
「デイル・ワイト卿…デイル卿と呼んでも良い?」
アレクシアが言うと、デイルが琥珀の瞳を嬉しそうにきらきらと輝かせた。
「もちろんっす!!あ、俺、勝手にアレク卿って呼んじゃってますけど…」
「ふふふ、かまわないよ。みんなそう呼ぶから」
表情のコロコロ変わる青年にアレクシアは思わず本当に笑った。ここ最近はポーリーンの前以外では本当には笑えなかったのに…。
「良かったっす!よろしくお願いします!!」
またにかっと笑ったデイルに、アレクシアの口からするりと言葉が滑り落ちた。
「デイル卿、私とつきあってみる?」
「は!?!?」
微笑んだまま数秒、自分が何を言ったのかに気が付きぎょっとしてデイルを見ると、デイルも目を見開いて固まっていた。思ったより自分の首が上を向いていることに気が付き、そこで初めてデイルが背の高い自分より更に頭ひとつ分大きいことに気が付いた。
「あ、ごめんね。そういえば君は女性が苦手だったよね。それより何より四つも年上の私が言うことでは無かったな」
―――冗談だよ、ごめんね。
アレクシアが笑って流そうとすると、固まっていたデイルがぶんぶんと頭を横に振り、焦りながら言った。
「いや、まっ、お待ちください!!つきあうって、そのっ、恋人、ということでしょうか…!?」
なぜか妙に丁寧な言葉で言うと、ぐいっとデイルが近づいてきた。お互いの間にあった二歩ほどの距離が、一歩に縮まった。反射でアレクシアの左足が半歩下がった。
「ああ、えっと、そうだね?そういうことだと思う」
「いいんすか!?!?!?!?」
目を見開いて被せるように言い、デイルがぐっと前のめりになった。思わずアレクシアは仰け反ったが、これほどに近づかれているのに嫌な気持ちはしなかった。
「いいのかって…」
「恋人に、なってくれるんっすよね!?」
気が付けば、両手をぎゅっと握られていた。硬くかさついた手はアレクシアのそれよりずっと大きい。普段アレクシアが触れる御令嬢方の手とは全く違う、武骨で温かい手だった。温もりが心地よくて、アレクシアの口元に自然に笑みが浮かぶ。
「まぁ、きっとそいう話だと思う…よ?」
自分でも今だなぜそんなことを言ったのか分からないアレクシアは、どうにも歯切れの悪い返事をしてしまう。それでも否定しないアレクシアに、「うわぁ、まじかぁ…」とデイルが感極まったように天を仰いだ。
そして、何かに気が付いたように真顔になり、ばっとアレクシアを見た。
「あ、俺、本当に学園での成績が悪くて…全然伯爵の夫とか、できそうにないんすけど…」
眉を下げ、死の宣告を受けたような顔でデイルが告げた。がさつだし、言葉遣いも荒いし、貴族らしいこともできないし、あ、でもダンスは割と得意で…とぶつぶつと言いながらも顔色がどんどんと青から白へと変わっていく。
そうして「それでもいいっすか…?」と消え入りそうな顔で唇を震わせた。
つい先ほど突然「恋人」などという話をしたばかりだというのに。それを将来に思いを馳せ、しかも女伯爵の配偶者という、家の後継者以外なら誰もが欲しがる地位を喜ぶのではなく不安に思うのは、なぜか―――。
それは、デイルが誠実だからだ。己を正しく知り、向き合い、自分にできることとできないことを明確に理解しているからこその、不安。
好ましい以外の言葉が見つからないではないか。
「大丈夫。一緒に歩んでくれれば、それでいい」
自然とアレクシアもその未来を受け入れた。握られた手を握り返すと、デイルの顔に一気に色が戻った。また嬉しそうにキラキラ輝きだした琥珀の瞳に魅入られたように、アレクシアは目を逸らせなかった。
「えっと、とりあえずアレク卿」
「デイル」
「っ!ぅぇ!?」
被せるように名前から敬称を外して呼ぶと、デイルが真っ赤になってうろたえた。先ほどまでぐいぐいと驚くほど押していたのにずいぶん今更だ。けれど、悪くない。アレクシアは思った。
「デイル、シアでいい」
―――シア。それはポーリーンにだけ許した愛称だ。自分の『本当』を誰より理解してくれる、口数も表情筋の動きも少ないのに本当はとても豊かな内面を持つ大好きな友人。最高の相棒。その人だけに許した名前を、シアはあっさりとデイルに許した。
「シ…ア…」
デイルが噛みしめるように言う。
「うん」
シアが答えた。
シア、と何度も呟くデイルに、アレクシアもうん、と答え続けた。段々とおかしくなってきて、二人で顔を見合わせて笑った。
「シア、とりあえず、飯食いに行きましょう。遅くまで開いてるうまい店があるんです!」
言うと、握っていた両の手を一度放し、ぱっと片方の手を差し出してくれた。アレクシアもその手を戸惑いもなく握ると、デイルはぎゅっと強く握ってくれた。少しだけ痛いことがアレクシアはとても幸せな気がした。
「あ!!庶民が行くようなとこなんですけど大丈夫っすかね…?」
「大丈夫、ポール卿も私も割と大衆的な店を好むんだ。そうは見えないらしいけど」
じゃぁ大丈夫っすね!とまた嬉しそうににかっと笑うデイルに、アレクシアは柔らかく笑って言った。
「まずは着替えてくるかい?騎士服のままというのも…味気ないだろう?」
せっかくだ。少しぐらいは女性らしい服装で行きたいではないか。着ることはないがアレクシアも一応『デート服』になりそうなものは持っていた。着たいと思えることが何だかとてもくすぐったかった。
「そうっすね、着替えましょう!シアの私服、楽しみっす!」
そう言って歩き出そうとして、繋いだままの手に気が付いたデイルが言った。
「…手、離さないと駄目っすよね…」
しゅーんと、音がしそうなくらいデイルがしおれた。そのなんとも悲しそうな顔に、アレクシアは静かに、けれど確実に落ちた。
自分も子犬には弱かったのか…と、アレクシアは今頃仮の住まいで途方に暮れているであろう親友を思った。
「すぐ着替えて来る。そうしたらまた、手をつないでくれる?」
「っ、もちろん!!」
にかっと笑い、俺もすぐ戻るっす!と言ってデイルは駆けて行った。これはアレクシアもかなり急がねばならないかもしれない。
足早に女子寮の自室に戻り、いそいそと胸元がカシュクールになった自分の瞳と同じ紫光色の大人っぽいワンピースを出す。そうして、豊かな黒の髪をほどいた。ふと、思う。
―――これも一応、一目惚れかしら?と。
ご通読いただきありがとうございました!