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「あぁ、こんなところで美しいアマリリスお目にかかれるとは」
アレクシアの日常は、王族の警護につかない日は主に御令嬢方のお相手に始まりお相手に終わる。今も騎士の鍛錬場を訪れていた御令嬢三人娘に極上の微笑みを向けたところだ。
紫光色の瞳を優しく細めてそっとリーダー格の公爵令嬢に右手を差し出すと、御令嬢がぽっと頬を染めて手を差し出してきた。
左手を後ろ手に腰に置きそのまま真っ直ぐに腰を曲げて実に優雅に指先に口づける。もちろん、そのまま上目づかいで御令嬢を見つめゆっくりとした瞬きを一つ献上するのも忘れない。
「きゃー!!!」と、取り巻きの二人のみならず、こちらをチラチラと伺っていた御令嬢方からも黄色い悲鳴が上がる。これこそが、アレクシアの日常だ。
ちなみに。アマリリスの花言葉は『輝くばかりの美しさ』というのもあるが、『おしゃべり』というのもある。
転じて『よくしゃべる姦しい御令嬢の集まり』という意味にもなるのだが、御令嬢方は都合よく人気の歌劇のほうの意味にとったようだ。
「まぁアマリリスだなんて…麗しいアレク卿にそのように仰られては、わたくし…」
感極まったように瞳を潤ませる公爵令嬢は公爵家のお姫様らしく大変気位が高いのだが、まだ十六歳という幼さも相まって今年で二十四歳のアレクシアから見ると非常に扱いやすく愛らしい。
伯爵家の令嬢としてのアレクシアがこのような態度をとれば当然不敬であり咎められてしまうが、騎士爵を持つ騎士アレクならば当たり前のようにそれが受け入れられてしまう。騎士という身分の不思議か、それとも騎士服の魔力だろうか。
「何をおっしゃいます。グローリア様がいらしてくださった日の鍛錬場がどれほどの熱を持つのか…お分かりではありませんでしたか?」
公爵家の持つ私設騎士団は実は王立騎士団よりも給金が良い。私設騎士団では騎士爵を得ることはできないが、王立騎士となり騎士爵を得た後に採用となれば騎士爵も好待遇も手に入る。縁故採用とスカウトがほとんどのため、何とかねじ込めないかと自己アピールに励む騎士が増え、実に訓練に熱が入る。
そして、この時ばかりは普段は鍛錬など泥臭いとさぼりがちな第一騎士団の騎士たちもやる気を見せるのだ。主にちらちらと令嬢を見ながら、だが。
「あなた様がアマリリスであることに誰が疑いを持ちましょう?まさしくあなた様こそが咲き誇る大輪の花ですよ、グローリア様」
手を取ったまま一歩近づき、小首をかしげ上から見下ろしながら更に笑みを深くする。少し下の方、うなじ辺りでまとめたアレクシアの見事な黒髪と細い紫のリボンがふわりと揺れた。
グローリアの瞳が蕩け、過ぎるほど赤い唇から「ほぅ」とため息が漏れたのを見て、今日の自分の仕事がしっかりと遂行されたことを確信した。
うしろの取り巻き二人に視線を向けて微笑みかけ、そしてそっと公爵令嬢の手を引き観覧席へと促す。
本来ならば鍛錬場の見学は一段高い場所にある観覧席からと決まっているのだが、この公爵令嬢は何だかんだと理由をつけていつも下へ降りてきてしまうのだ。
「さっすがアレク卿。今日も見事っすねー…」
御令嬢三人娘が侍女を引きつれて観覧席へ続く通路へ消えたのを見届け、第二騎士団所属の若手君が軽く拍手してくれる。従騎士試験に合格してまだ二年目の彼は先日正騎士へ昇格したばかりだ。
何年たっても従騎士から抜けられない者がいる中で二年目にして早々に騎士爵を得た彼は、男爵家の出ではあるが中々の男前で騎士としての評判も悪くない。婿を探す御令嬢やお金持ちのお嬢さんからは有望株として日々秋波を送られているようだが、御令嬢方が苦手なようでいつも逃げ回っているのだ。
「ありがとう。これくらいなんてことないから、困ったらまたいつでも呼んで」
御令嬢たちに向ける微笑みとは違う人懐こい笑顔でにこっと笑うと、若手君が「綺麗なのにかっこかわいいとかずるい」と両手で顔を覆った。一応、跡継ぎ娘のアレクシアも婿殿探し中なので有望そうな青年には多少粉をかけておきたい。だいぶ年下なので実際どうこうすることはないだろうけれど。
「アレク卿、あの、なぜアマリリスなのですか?」
第三騎士団所属の熊のような巨体の騎士がのそりと近づいてきた。筋骨隆々。ポーリーンよりもアレクシアの方が背が高く、アレクシアは男性の平均よりも少し高い。けれども熊君はそのアレクシアでも見上げるほどに大きい。近づきすぎると全く顔が見えなくなるくらいだ。
第三騎士団はほぼ平民で構成されている。主に王都の警備を担当しており、市民にとって最も身近な騎士だ。ちなみに目の前の熊君も平民だが、騎士爵を得ているので低位貴族扱いだ。
王立騎士団は、アレクシアの所属する第一、ポーリーンの所属する第二、熊君が所属する第三に、三つの騎士団を統括する司令部で構成されている。
「なぜって?」
熊君の質問の意味が取れずアレクシアは問い返した。熊君は縦にも横にも筋肉で大きいが、心根は優しく恥ずかしがり屋の可愛い子だ。
「あのう、アマリリスは『騒がしい』って裏の意味があるって前に先輩に聞いたのですが…公女様はすごく喜んでいたので…」
手振り身振りを交えながら熊君が説明してくれる。なるほど、どこかの誰かがまっすぐな熊君に裏の意味を教えたわけか。あまり純粋な青年の心を捻じ曲げないでいただきたいとアレクシアは切に思う。ポーリーンもそうだが、こういう真っ直ぐで誠実な気性は実に稀有なのだ。特に貴族社会においては。
「ああ、そうだね。私は彼女にそういう意味でアマリリスと言ったけど、彼女は今はやりの歌劇のヒロインだと思ったようだね」
ふふふ、と笑いかけると熊君が目元を赤く染めて困ったように目を泳がせた。実に初々しい反応に嬉しくなる。アレクシアは常にこういうのを求めているのだ。だからこそ年若い御令嬢方のお相手はアレクシアにとって苦にはならないのだが。
アレクシアに寄って来る男はなぜか自分に酔っているタイプが多い。「君なら隣に置いても遜色ない」などと言われた日には笑顔で一昨日来やがれと脛を蹴飛ばしてやりたくなる。
「『王の歌』っていう歌劇は聞いたことがないかな?」
熊君と一緒に第二騎士団の若手君もふるふると首を横に振っている。知っている方が女性にもてると思うので、これからが本番の彼らには知っておいて欲しいところだ。
「王がね、最愛の女性に彼女が好む美しいアマリリスを讃える歌を贈るんだ。どれほどアマリリスが美しいのか、どれほど魅力的なのか。滔々と歌い上げて、そうして最後、彼女の手を取り歌うんだ。『そんなアマリリスもあなたの前では霞んでしまう。あなたに敵うものなど何もない。あなたこそが最上のアマリリス、私の最愛で全てだ』ってね」
唇に人差し指をあててにやりと笑う。少々権力を乱用しがちな姦しい少女は、アレクシアに『何よりも美しく貴い』と言われたと勘違いしたのだ。そしてアレクシアは、彼女はきっとそう誤解するだろうと分かった上で『アマリリス』と呼んだのだ。
「うわぁ…それは、喜びますよねぇ…」
若手君が遠い目をしている。アレクシアが敢えてアマリリスに例えたことも正しく理解しているのだろう。何とも言えない顔になっている。
「なるほど、すごい、すごいです、ありがとうございますアレク卿」
熊君は大きな体に似合わないつぶらな瞳をキラキラとさせ、両のこぶしを胸の前で握ってぶんぶんしている。熊君は一見すると大きくて威圧感があって少し怖いのだが、顔だけ見ると実はとても可愛らしいのだ。話し方も少しのんびりとしており、山野でたまに討伐対象となるあの熊というよりアレクシアは大きなテディ・ベアを想像してしまう。
「どういたしまして。さぁ、ふたりとも、しっかり鍛錬してお嬢様方にアピールしておいで」
そう言って、ウィンクを一つサービスしておいた。
「「はい!!」」
元気よく答えて鍛錬に戻る二人の背中を、アレクシアは眩しそうに見送った。