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『先駆けの騎士と王弟付き秘書官の婚約解消について』の少しだけあとのお話。
剣舞、というものがある。
愚直なほど真っ直ぐな長剣を振るい、二人一組でくるくると舞う。時に剣を打ち鳴らし、時に相手の身を掻き切らんと輝く刃を横に薙ぎ、突き出された切っ先を寸でで躱し、離れ、そしてまた重なる。
美しさと煌めきを追求し、その殺傷能力よりもいかに見る者を魅了し心を奪い屈服させるかに心血を注ぐ。ギリギリの攻防を繰り返し、共に舞う半身ともいえる相棒に自らの全てを委ね、そして委ねられる。
二人の息がぴたりと合い、融け合い、彼我の境が曖昧になる―――。
その恍惚とした瞬間が、アレクシアは大好きだった。
その日、アレクシアは我が半身とも呼べる、彼女以外にはもう二度と出会いえないであろう最高の剣舞の相棒――王立騎士団の従騎士試験で一目見るや本気で惚れこみ剣舞のパートナーを申し込んだ――愛してやまない友人、ポーリーンを前に、声を上げお腹を抱えて笑っていた。
「いや、無いね。それは無い」
誰かが見ていたならばあまりの普段との違いに気が触れたのかと目を剥き天を仰ぐか、さもなくばきっと別人だろうと判断しただろう。
目の前で大変不本意そうな顔をしている騎士服の麗人はアレクシアの本性を知っているため、ただ口を尖らせジト目になっただけだった。
「笑いすぎ、シア」
「腹黒だ腹黒だと思ってはいたがあの王弟の秘書官、良くもまぁ陛下まで丸め込んだものだね」
「腹黒だと気づいていたなら言ってくれれば良かったのに…」
「ポリーは言って信じた?あの子犬のような目で見つめられて?」
あの腹黒の秘書官ことアンソニー・オブライエン侯爵令息改めスタンリー子爵は顔を見事に使い分けている。普段は可愛らしい顔に笑顔を浮かべて誰に対しても丁寧であり、決して性格が悪いわけではないし非常に理性的でもある。ただ、敵と見做したら最期、色々と容赦がないというだけだ。あと、ポーリーンに関してのみ何かのねじが外れる気がする。
そのため、ポーリーンは本気で気が付いていなかったらしい。今も恐らく半信半疑なのではないだろうか。
ちなみに子犬顔はポーリーンが目の前にいるときのみ鑑賞できる希少品だ。
ポーリーンは王弟殿下を腹黒だというが、アレクシアから見れば権力が大きいくせに加減を知らないただの駄々っ子だ。
王弟以下多くの権力者を笑顔と才覚で骨抜きにして、それとなく自分の思うとおりにことを進めるアンソニーこそ、見事な腹黒であるとアレクシアは思っている。
気が付けばアンソニーの思惑通り…ということはポーリーンに始まったことではないのだ。まぁ、最も『やられた』のはポーリーンだと思うが…。気の毒だが運命だったと早々に諦めて欲しい。
苦虫を嚙みつぶしたように顔をゆがませてポーリーンがむぐむぐと何かを言っているが、アレクシアはテーブルに頬杖を突きそれを笑顔で眺めながら「まぁ良かったんじゃない?」と内心では思った。
あの秘書官殿は間違いなく性格…というか性質に問題があるけれど、ことポーリーンに関わることに関しては信頼できるし任せられると思っている。笑顔の圧とやることのえげつなさは凄いが、本当に嫌がることはしないだろうし。たぶん。
「少なくとも、今なら信じる…」
両手を膝に置き、がくりと肩を落とすポーリーンは新婚ほやほや。気が付いたら勝手に婚姻が成立していた事件から早一か月が過ぎていた。何とか逃げ回っていたポーリーンも、ついに三日前、大変良い笑顔の秘書官殿に王宮近くの仮住まいに引き取られていった。
アレクシアはちょうど二週間ほど王女殿下の公務の警護で王宮を離れておりその後も事後処理に奔走していたため、やっとじっくりと詳細を聞けたのが今日だったのだ。
それにしても、とアレクシアは思う。いくら何でも国王陛下に御璽を押させて『王命』として婚姻を受理させるなどさすがに想像していなかった。
まぁ、あの銀縁眼鏡の秘書官殿なら似たようなことはするかもしれないと思ってはいたが…。思わずまた笑いそうになるが、微笑みにすり替えて耐えた。
「まぁいいじゃない。旦那様のお陰で嫌がらせもなくなって無能も消えて騎士団が円滑に回る回る。感謝感激でしょ」
「…そもそもの原因があの人よ」
「それはそれは!大変失礼いたしましたファーバー子爵令嬢…いえ、スタンリー子爵婦人」
「本当に止めて…」
おもむろに立ち上がり仰々しいほど大げさに騎士の礼をして見せると、疲れたようにポーリーンがため息を吐いた。
ポーリーンの夫であるアンソニーは国内でも指折りの貴族、オブライエン侯爵家の三男だ。ポーリーンとの結婚に際して侯爵家が持っていたいくつかの爵位の内、スタンリー子爵を継いでいる。
ゆえにポーリーンはスタンリー子爵婦人なのだが、そもそも本人が騎士爵を持っているので普段はそちらで通している。
ポーリーンは第二騎士団に所属しており、第三隊の分隊長を拝命している。戦場に於いて真っ先に切り込み血路を開く先駆けの騎士であり、職位は高くないが正真正銘の実力者である。
対するアレクシアは第一騎士団の所属。実戦を主とする実力主義の第二騎士団と違い、第一騎士団は地位と容姿を重視する。その職務は主に王宮内における王族の警護や、式典等での警護…というか、花を添えるお仕事である。
ポーリーンの事件とは、ポーリーンに恋をしたお気に入りの秘書官が婚約を望んだため権力でねじ込んではみたが気に入らず、結局自分のおもちゃが取られるのが嫌な駄々っ子王弟殿下があの手この手でチマチマとポーリーンに嫌がらせを繰り返した。それに乗じて調子に乗った周囲がポーリーンに更なる嫌がらせを繰り返し、第二騎士団及び第三隊に多大なる被害を出した結果、ポーリーンが婚約解消のうえ騎士を辞すと言い出した…というものだ。
そんなことはあの秘書官が許すわけはないので、普段の愛嬌たっぷりの可愛らしい仮面を脱ぎ捨ててポーリーンに嫌がらせをしていた連中を冷え切った笑顔で次々と追い落とし、婚約解消どころか国王陛下直々に婚姻の勅令と御璽を出させるに至ったものだ。
小耳にはさんだだけだが、騎士団と関わりのある複数の部署の顔ぶれが上層下層関わらず二割ほど変わったらしい。子犬秘書官、恐るべしだ。
この件で王弟殿下は各方面からこってりと絞られ、国王陛下にも何かあったようだが…下々が知るべきことではないのでアレクシアは耳を塞ぎ沈黙を貫いた。
かく言うアレクシアも少しだけ手を回した。秘書官殿がいかようにもやるだろうと思ったので『掃除』にはあまり手を出さなかったが、第二騎士団が困らないように物資や裏方の部分でこっそりと伝手を使った。王弟殿下にばれると面倒なのでこっそりと、だったが。
ちなみに、ポーリーンに嫌がらせをして姿を見かけなくなった者は実は第一騎士団にも何人か居た。ほとんどがポーリーンの実力への嫉妬や秘書官殿への横恋慕(一部令息も含む)だったが、最も多かったのはポーリーンにお目当ての令嬢が熱を上げているという、情けないほど完全な逆恨みからだった。いや、他の理由も結局逆恨みなのだが。
第一騎士団に所属する見目麗しく家柄も大変よろしい高位令嬢令息方は、御多分に漏れずそのプライドも非常に高い。それがどんな内容であっても、自分より爵位も低く容姿も劣るはずのポーリーンに負けることそのものが許せないのだ。
アレクシアからすれば、どいつもこいつも実力も内面も比べることすらおこがましいほど完敗だと思うわけだが、それが分かる人材ならばたとえ所属が第一騎士団だったとしても、ポーリーンに負けぬよう剣技にも自分磨きにも努力を惜しまないだろう。アレクシアのように。
とはいえ、その努力に気が付いてくれる人と言うのもやはりまた多くは無いわけで。大抵の場合、第一騎士団の騎士は実力のないお飾りで、ただただ王家と王族に花を添えるだけのいけ好かない集団だと一括りにしてくれる。実際にそういう騎士も多いのであまり強いことも言えないのが悲しいところではあるのだが。
その玉座を飾る花の中でも特に見目麗しく、剣舞の名手であり、ポーリーンと数多の御令嬢方の視線を二分して欲しいままにする女騎士アレクシア・ガードナーは、やっかみや羨望、侮蔑などの感情をない混ぜにしてある一部からはこう呼ばれている。
―――『見世物騎士』と。
15時頃、18時頃、20時頃に投稿して、4話完結の予定です。