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罠 ロミィSide

1867年6月25日、ザックリードハルトの宮殿。

 朝から様子の変だった兄が、私が小学校から帰宅してもまだ変なのに戸惑っていた。私は皇帝の娘のロミィだ。


「ロミィ、この世は素晴らしい世界だね」


 私が学校から帰って、いつもの宮殿で私たち兄妹がくつろぐために使っている昔母が使っていた居間に行くと、ルイ兄様とダニエルが先に来ていた。そして輝くような笑顔でルイ兄様が私に言ったのが、「この世は素晴らしい」だ。この時、初めて兄の笑顔を眩しいと思った。アダムがすぐ後に部屋に入ってきて、私に目配せをした。


 ――今朝から絶対に様子が変だ。


 私はアダムにうなずいた。昨晩、ルイ兄様だけがディアーナ姉様に会った。私とアダムは、父に毎日夜更かしするのは禁止だと言われて、昨晩はルイ兄様だけがディアーナ姉様と会ったのだ。砂漠のアリス・スペンサー邸宅まで行ったと聞いた。


 今日のルイ兄様はずっと顔を真っ赤にしてクッションに突然顔を埋めてみる、そして大きく深呼吸をする、はたまた飛び上がって部屋をウロウロしたりと、とにかく落ち着かなかった。


 今晩、ディアーナ姉様にまた会うので、ドキドキが止まらないと行って心臓のあたりを抑えたり(病気ではないとダニエルがこっそり私とアダムに解説してくれた)、とにかくルイ兄様の様子が極めて変なのだ。夢見心地のような、嬉しそうな、突然の幸運に遭遇したちっぽけな旅人のような、なんと表現したら良いのか11歳の私には分からない。


 ただ、父である皇帝にディアーナ姉様が指輪を受け取ってくれて婚約を承諾してくれたことだけは、誇らしそうに報告して、父から祝福してもらっていたのは見た。


 私とアダムはルイ兄様の様子の説明をダニエルに求めた。


「どうやら、エイトレンスのアルベルト王太子が昨晩奇襲を仕掛けてきたらしい。ゴーニュの森から飛び出してきて、長椅子に飛びついて、夜空を飛ぶルイとディアーナ嬢の乗った長椅子の上に仕方なく引っ張り上げることになったらしい」


 ダニエルが私とアダムにコソコソと教えてくれたのは、アルベルト王太子の思いがけない大胆な行動の話だった。


「あいつ……」


 私はしかめっつらで、心の中でアルベルト王太子を呪った。だが、それにしても変だ。ルイ兄様はかつてないほど舞い上がってしまっている。


「だから……」


 ここでダニエルはグッと声をひそめて、私とアダムを部屋の隅に手招きした。私とアダムは何食わぬ顔で、宿題のノートを手に持ってダニエルに教わる体で、部屋の隅のピアノの前に進んだ。ダニエルはピアノの前の椅子に座り、ポロロンとモーツアルトのピアノ・ソナタを弾き始めながら、その曲の合間にそっと私とアダムに早口でささやいた。


「ディアーナ嬢は、アルベルト王太子に対抗するためにルイとの結婚を承諾したようなものだ。アルベルト王太子がしつこく愛を誓って復縁を迫ると、ディアーナ嬢は迷っていたルイとの婚約をあっという間に決断してダイヤの指輪を受け取り、ルイと結婚すると宣言したらしい」


 ダニエルはピアノ・ソナタの続きを軽快に引きながら、私とアダムにウィンクをした。


 ――なるほど。ディアーナ姉様に早く本当の義理の姉になってもらうには、アルベルトのしつこさが起爆剤となるということだわっ!


 私は良いことを思いついた。


 ――アルベルトのしつこさを利用するのだ。押しかけてきてしまったものは仕方がないわ。アルベルトがいることで、ディアーナ姉様の心がルイ兄様にいっそう傾くのであれば、ディアーナ姉様には申し訳ないけれど、もっとアルベルトに一緒にいてもらおう。


 母を死ななかったことにしたいという危険な野望を持つ11歳の私は、アルベルトを罠に嵌めて、ディアーナ姉様がルイ兄様と早く結婚式をあげるための起爆剤として利用することに決めた。


 ――アルベルトはまだザックリードハルトにきっといるわ。昨晩砂漠のアリス・スペンサー邸宅を見たならば、きっとディアーナ姉様の魔力の凄さに驚いたに違いない。それでもしつこく愛を誓って復縁を迫ったのであれば、もっともっとディアーナ姉様に近づこうとするはずだわ。ならば、王太子が止まりそうなホテルをあたって見ればいい。



 私はナニーだけ連れて馬車でこっそり宮殿を出た。目的のホテルは最近できた最新式の高級ホテルだ。ザックリードハルトでパリのホテル・デュ・ルーブルに並ぶほどのホテルといえば、まずはここだというホテルに向かった。ホテルの支配人は皇帝の娘である私が姿を現すと、大慌ててエイトレンスのアルベルト王太子の宿泊するホテルを教えてくれた。


 私はそこでアルベルトを罠に嵌めた。アルベルトがディアーナ姉様に近づけば近づくほど、ディアーナ姉様はルイ兄様に接近するのだ。そのカラクリが分からないアルベルトは私の誘いに乗ると予想していたが、まんまと私の誘いに乗ってくれたと思う。


 私はすぐに馬車で宮殿に戻った。アダムとルイ兄様とダニエルはまだ居間にいた。ダニエルはまだピアノを弾いていたし、アダムは宿題をやっていて、ルイ兄様はソワソワと落ち着かない様子でいた。


「今晩こそ、いよいよ過去に行こうと思う。ディアーナ姉様は闇の書を呼んで、ある程度時を操る秘密を習得したはずだわ」


 私はひとりごとを心の中で思ったはずだが、声に出してしまっていた。すかさず、目の前にいたアダムにキッと睨まれた。ダニエルに聞かれるとまずいことを口に出してしまったのだ。


「ごめん」


 私はアダムに謝って、ピアノを夢中で弾いているダニエルをこっそり盗み見た。大丈夫だ。ダニエルには聞かれていなかったようだ。



 まだ『時を操る闇の書』がザックリードハルトの皇帝の息子と娘に盗まれたとは、誰も気づいていないようだ。早めに返さなければならない。


 私は今晩こそは、ディアーナ姉様と過去に戻って見ようと心に誓ったのだ。ディアーナ姉様とルイ兄様の結婚式は今週中にでも執り行うことはできないだろうか。


 ――そうだわ。これこそ、皇帝である父に相談するのが一番だわ。父の皇帝の職権乱用で、素晴らしい挙式をすぐにでも開いてもらおう。ディアーナ姉様とルイ兄様が婚約したのだ。婚約を発表する前に結婚式を開催したいくらいだわ。


 善は急げというではないか。


 11歳の私は、過去に戻って母に会える日も近いのではないかという期待に胸が震えた。




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