私が助けた人の正体 ディアーナSide(1)
私と執事のレイトンとテレサとミラは、初めてのザックリードハルトの市場やショッピング街で、ウキウキしどうしだった。執事のレイトンはバトラースーツのまま市街を歩き、テレサとミラもメイド服のままだ。それでも3人は観光気分に浸るこてが出来て、どこか楽しそうだった。私もだ。
どこまでも晴れあがった6月末の空は青く澄み渡り、緑豊かな木々の葉が風に揺れて最高の観光日和だった。街には活気が溢れ、人々は賑やかに商いに精を出していた。
私は一応エイトレンスの王妃に砂漠への追放を命じられた身なので、美しい模様のモスリンのマスクで顔元を隠していた。
飛び交う言葉が理解できたのは私だけだが、ルイが他の3人に色々説明してくれたので、問題なかった。
私がアルベルト王太子のことを一度も思い出さなかったとしたら嘘になる。
でも、胸の奥にちくりと鋭く切ない痛みが襲ってくるたびに、ルイが爽やかな笑顔で私に食料の鮮度や見るべきポイントを教えてくれるので、またそれにテレサやミラが目を輝かせて聴き入って質問をするので、私の気が紛れ、気分がそれほど落ち込まずに済んだ。
親友のエミリーが私の恋人と楽しんでいる姿は、私を人間不信に陥らせるのに十分な力があった。私のプライドや他人を信じようとする気持ちを、冷たく無惨に叩きのめしたのだ。
つまり、結局私には友達が一人もいなかったのだ。
そんなことを思うたびに手が震えてきて、涙が溢れてきた。しかし、ルイが素早く私に笑いかけて話題を振るので、私は深く落ち込む暇がなかったというのが実際のところだ。
綺麗で豊かな胸をつんと上に突き上げて、腰を振るエミリー、それに喜ぶアルベルト王太子……。
目にチラつく残像が甦って私を発狂させるほどの衝撃を与えるのだが、執事のレイトンにもテレサにもミラにも私はこの気持ちを打ち明けられなかった。
全てを知っているルイだけが、私の手を取り、街の中を引っ張って走り出しては「ほら、あの店の三日月型のパンは最高なんだよ!」と笑いかけるので、私は泣いている暇がなかった。
私が貴族令嬢を見かけるたびに足が震える様子は、ルイにしか気づかれていない。子爵令嬢のエミリーは私の親友で、彼女には私のアルベルト王太子への気持ちを全て打ち明けていた。
「テレサ、ミラ、レイトン、ディアーナ、ようこそ最高のジェラートの店へ」
「わっ、素敵でございます!」
私が受けた心の傷によって起きる体の反応に気づいているかのように、ルイはさりげなく、かつ巧みに私たちを楽しいショッピングに誘導してくれた。
――ルイは、私の動揺を全てわかってくれているようだわ……。
買い物をしながら、私は二度と王族と付き合うのはやめようと心に誓った。彼らは私とは違う感覚を持っていて、彼らに群がる女性たちも普通の感覚とは違うようだ。私とは全く違う世界の住人なのだ。
――私には理解できない心の持ち主なのかもしれない。ただですらバケモノのような魔力を抱える、ダサい私が近づいて良い相手ではないのよ……。
私はルイに連れられて楽しい観光と食料調達と可愛らしいものを集めるショッピングを楽しむうちに、二度と王族に近寄るまいという意志が固まりつつあった。
――エミリーだって、相手がアルベルト王太子だからあんなひどいことをするのではないか。親友の恋人を寝とるなんてひどいことをしたエミリーを、くどくどと私は考えるのをやめなければならないわ。
エミリーのことを考えるだけで、息が詰まるような感じがして、頭が痛くなり、胸に刺すような痛みが起こる。アルベルト王太子のことを考えても、まるで空気が薄くなったように溺れた感じになるのだから、私は裏切られた事を考えるのをやめるべきだった。
私はただひたすらに、執事のレイトン、テレサ、ミラ、そしてブロンドの髪をかきあげながら私に微笑みかけてくる碧い瞳のルイの言葉に集中しようと心がけた。
認めよう。
少し振り返れば、私が少し調べようと思えば、魔法の長椅子を家宝に持つザックリードハルトの貴族は、ロクセンハンナ家であると分かったはずだ。私はそれを一般常識として知っていたはずだ。
でも、頭が回らなかった。アルベルト王太子と親友エミリーの裏切りの行為と、アルベルト王太子と侍女の行為を目の当たりにしたショックで、私はそれ以外のことについてよく考えるのを無意識に止めていたのだ。
だから、楽しい午後の買い物の途中で受けた衝撃は凄まじいものだった。
新鮮な卵や肉や魚を手に入れて、メイド服を仕立て直すためにモスリンと木綿の生地を買ったところで、ルイがハッとした表情で空を見上げた。
真っ青な空に何かが一直線に飛んできた。私は過去の世界に知っていた飛行機かと一瞬思った。そのくらいのスピードだった。突然、ルイが右手を挙げると、その飛んできた茶色い塊がこちらに急降下してきた。そして、ルイが私の右手をつかみ(私は一瞬魔力を使ったと思う)、私の体はルイに引っ張られるように急降下した物の上に引っ張り上げられたのだ。
「アダムかロミィが長椅子を呼んだらしい。こんな時間帯には呼んではダメだと言っているのに」
ルイは困ったようにそう言った。
「思わず君を長椅子に乗せてしまった。まいったな」
私たちは市場の驚いてこちらに手を振っている人々の頭上を一気に長椅子で飛んだ。
喝采を浴びた。
「ブルクトゥアタ!」
「ブルクトゥアタ!」
「ブルクトゥアタ「皇太子!」!」
時々皇太子という言葉が聞こえるように思うのだが、自国の言葉ではないので、本当に人々が皇太子と叫んでいるのか私はよく聞き取れないと思った。
ただ、大歓声を浴びていることは分かった。人々は興奮して口々に喜びの言葉を叫んでいる。
そのまま長椅子は真っ昼間の街を飛び回り、大歓声を浴びたまま、ロミィとアダムの小学校と思われる建物まで飛行した。
そこでも子供たちに大歓声を浴びた。子供たちはやはり同じフレーズを叫んでいるように思った。
「ブルクトゥアタ!」
「ブルクトゥアタ!」
「ブルクトゥアタ「皇太子!」!」
時々、私の耳には『皇太子』という意味に思える言葉が聞こえた。でも、意味がわからなかった。
そこに、突然、もう1台の長椅子が現れた。すごいスピードで建物の3階の窓に吸い込まれた行った。
「ロミィのやつ、何がしたいんだ?」
ルイがボソボソとボヤいている。
――そうなのね。長椅子はロミィが呼んでいるということね。
皆の視線が3階に吸い込まれた新たな長椅子に集中した。私とルイが乗っている長椅子が飛行していると、猛烈なスピードでもう一つの長椅子にロミィが乗って現れた。
「ロミィ・ロクセンハンナ!」
「彼女、ブルクトゥアタだわ!」
悲鳴のような驚きの声が小学生たちの間に広まった。あんぐり口を開けて見つめている女生徒がいる。ロミィは敢えてなのか分からないが、その上を優雅に舞うように長椅子を操作させていた。
私の目にはロミィが嬉しそうに笑ったように見えた。
困惑した表情を浮かべたアダムが、その様子を校庭の隅から見つめているのも見えた。
ロミィは学校を抜けて、街の方に長椅子を飛ばした。ルイの長椅子もそれについて行った。風を切って市街地を抜けて飛ぶ長椅子の上にいるのは最高の気分だった。
ただ、私の中で何かの違和感が警告のように湧き上がった。
――ロミィ・ロクセンハンナ?
――確かにそう聞こえた。
――ロクセンハンナ……?
大勢の人が「ブルクトゥアタ!」と興奮して叫んでいるのを見ながら、私の頭の中は、長椅子から振り落とされないように自分がさっきから抱きついているルイは、一体何者なのだろうという考えがぐるぐるしていた。
ザックリードハルトにはロクセンハンナ家は1つしかないはずだ。処刑された皇族の末裔だ。現在、再び皇帝の座についている家系……。
ルイはロミィの長椅子に並走して叫んだ。
「ロミィ、やめるんだ。長椅子を戻そう!何でこんなことをしたんだ!」
ロミィは一瞬でハッとした表情になった。冷や水を浴びたように熱が冷めた表情になり、顔が少し青ざめた。
「えぇ、本当にごめんなさい。やりすぎたわ。戻ります」
ロミィは素直にルイに謝った。
その後、市場の隅に長椅子からルイに下ろされた私は、ハンサムな彼の顔を穴があくほど見つめた。
でも、私は彼に聞けなかった。あなたは誰なのかと。




