恋の気持ち ルイSide
彼女のワイン色の髪からは良い香りがする。
俺は熱心に『時を操る闇の書』を確認するディアーナの隣に座って、彼女がページを捲る様子を見つめていた。時々グリーンアイがランプの灯りに煌めく。俺たちはアリス・スペンサー邸宅の客間にいた。比較的広い床が広がっていて、床は磨き上げられていて艶々と光沢がある。
灼熱の砂漠の太陽の元では、テレサとミラが洗ってくれた俺とアダムとロミィの服はすっかり乾き切っていた。俺たちは礼を言って元の服に着替えた。
彼女のそばにいると心臓がドキドキする。
――これがトキメキというものか?
脳に何か素晴らしいものを送り込まれたように感じるのだが、彼女の長いまつ毛やページをめくる指先にまでトキメクのは、砂漠に墜落した時に俺が頭を強く打ったからなのだろうか。
「興味深いわ。私が勝手に未来に時間を進めて、季節を初夏から秋に変えたのも、この書を使えば完全にコントロールできることになるわ。この理論は面白いわ」
ディアーナは目を輝かせて俺に説明した。
「意味が分かるの?」
「えぇ、ラテン語と暗号で書かれているけれど、私は暗号が得意なのよ。正確には、暗号は得意というより好きなの」
俺は彼女が嬉しそうにしているのを見て、それだけで幸せを感じた。
「しばらく読んだら、時を完全に操作できるようになるかもしれないわ。でも、時を操作するには弊害があると書かれている。その辺りをきちんと理解しないと発動はできないわ。危険過ぎるから」
「もちろん、そうだ。そもそも禁書だからな。君にしばらくこの本を預ける。だが、本当にザックリードハルトに俺たち兄妹3人を移動させるのは難しくないのだろうか?」
「難しくないわよ。こんな邸宅を移動させることに比べれば簡単だわ」
俺はディアーナに無理をして欲しくなかった。
「大丈夫よ。今日は2回も昼寝したから」
俺はディアーナの顔色が良いことを確認して、うなずいた。
「移動先の座標を決めたいわ。ザックリードハルトのどこに長椅子ごと移動させればいいのかしら?」
ディアーナの質問に、俺はさりげなく森林公園を指定した。
「夜なら飛ぶ長椅子が一目につかずに飛べるから、ゴーニュの森でお願いしたい」
「わかったわ。えっと……世界魔法移動地図だと……」
俺にはよく分からない座標図をディアーナは確認して、立ち上がって床の上に八芒星図を描き始めた。午前中に彼女が着ていた太ももがあらわになるスケスケのドレスを思い出して、俺は一人で赤面した。
――こんな時に何を考えているんだ、俺は……。
俺は頭を振った。
「どうしたの?」
ディアーナは「マカバスターをここに置いて」とぶつぶつ一人ごとを言っていたが、俺が赤面して頭を振っている様子に気づいて、聞いてきた。
「な……何でもないっ」
俺は誤魔化そうとしたが、ハッと気づいてディアーナを見つめた。
「アダムとロミィが来る前に伝えておこうと思うが、さっきのキスは挨拶のキスではないからっ!」
「え……?」
ディアーナは意表をつかれた表情で俺の顔をぽかんと見つめた。
「だ……だから、女神のようにあなたを想っているということで、あなたに一目惚れして、あなたのことをもっと知りたいと想っていて……だからその……俺は今まで女性の方と近しい関係になったこともなくて、あなたに抱いたような気持ちを他の誰にも今まで抱いたことがなくて……だからその……あなたは俺にとって特別で……あぁ!」
俺は上手く言えなくて、自分で自分の頭をかきむしってうろうろした。
「な……何で急にそんなことを……」
ディアーナの小さな声がして俺はハッとして彼女の顔を見た。そこには、真っ赤な顔をしたディアーナがいた。
「もしかして照れている……?」
俺がそっと確認すると、ディアーナは八芒星図の上から飛び退った。横を向いて真っ赤になっている。
「こっちに来て、ディアーナ」
俺はそっとディアーナに近づき、ゆっくりと顔を近づけてのぞき込んだ。
「もう一度、キスをしていい?」
「まあ、嫌じゃないから、いいと思う」
ディアーナは小さな声で言ってくれた。俺はそっと抱きしめて唇を重ねた。震えるようなキスだった。
「初めてなんだ、女性にこんな気持ちを抱くのも、こんなことをするのも。ほら」
俺はディアーナの手をとり、自分のドキドキする心臓のあたりに彼女の手を重ねた。
「私は人に魔力を使わないの。だから、人の気持ちを勝手に勘違いして自分の都合の良いように解釈していたのかもしれない」
俺は彼女がアルベルト王太子のことを言っているのだと分かった。
「ほら、こうすれば、俺が本当にあなたにトキメイテいるのが分かるでしょう?」
ディアーナは頬を赤らめて、恥ずかしそうにはにかんだ。俺はその表情にやられた。腰が砕けるかと思うほど、ノックアウトされた。
「可愛い……」
俺はぎゅっとディアーナを抱きしめた。彼女の髪からふわりと良い香りがして、俺は幸せだった。母が亡くなって以来、初めて心が舞い上がるような心地を感じたようだ。
「ねえ、ルイ兄さん!」
書斎に近づいてくるアダムの足音と声に俺はハッと我に返った。ディアーナがスッと床にかがんで、八芒星図の続きを書き始めた。
「準備できたわっ!アダム!」
アダムが書斎の扉をノックして入ってきた時、ディアーナは頬を紅潮させて瞳をキラキラと輝かせてアダムに笑いかけた。
「やった!じゃあ、長椅子に乗ってくるね!ロミィ、帰るよ!」
アダムがロミィを呼びながら廊下を走って行く音がした。
「明日のお昼ぐらいに、レイトンとテレサとミラと一緒に買い出しに行こうと思うの」
「凱旋門の時計台の下に12時でいいかな?市場を案内するよ」
「ありがとう、それでいいわ」
俺はディアーナと明日また会えることになって嬉しかった。
「ルイ兄様、早く自分の長椅子に乗ってきて!」
ロミィとアダムが乗った長椅子が廊下を飛んでドアから部屋の中に飛び込んできたので、俺も慌てて玄関に置いたままの長椅子のところまで走った。
2台の長椅子はディアーナの書いた八芒星図の中にきちんと収まった。
「レイトン、ちょっと3人を送ってくるわ。すぐに戻るから心配しないで」
ディアーナは、心配そうな表情の執事のレイトンに声をかけた。レイトンはうなずき、俺たちは「またね!ありがとう」と手を振った。
その瞬間、護符を握りしめたディアーナのワイン色の髪の毛が風で舞い上がり、彼女のドレスの裾が風にはためいた。美しいグリーンアイが煌めき、次の瞬間、俺たちの長椅子はゴーニュの森の広場にあった。
「すごいっ!」
「本当にすごい!」
「ディアーナ姉さま、最高だわ!」
俺たち3兄弟は感嘆の声をあげた。
「またね。気をつけて家に帰るのよ」
ディアーナはそう言うと、すぐに姿を消した。あの砂漠の中のアリス・スペンサー邸宅に戻ったのだろう。
「さあ、ダニエルも含めて皆が大騒ぎだぞ。長椅子の話をしていいのは、父さんだけだからな。見つかるなよ」
俺はそう言って、ゴーニュの森の上空まで高く長椅子を飛び上がらせた。星空が綺麗な夜だった。アダムとロミィも安定して長椅子を夜空に飛ばせていた。
俺たちはこっそり宮殿に戻り、地下の秘密の部屋に長椅子をしまった。
もちろん、父を始め、ダニエルたちからこっぴどく怒られた。だが、俺の心の中は明日またディアーナに会えるという喜びでいっぱいだった。
「お前、結婚しろっ!」
最後に父が説教した時に初めて俺は父の顔を見て、力強くうなずいた。
「皇帝閣下、私の結婚相手を見つめました。近いうちにご紹介しようと思います」
俺の言葉に父は一瞬戸惑った表情になった。
「どこで見つけた?お前は誰とも会わぬと言って、内々に持ち込まれた縁談を全て断っていたではないか。それは、どこかの国の王族か?」
父の言葉に俺はニッコリ笑って答えた。
「王族以上でしょうね。最高の女性なので、楽しみにしていてください、父上」
俺はあんぐりと口を開けて黙った父に恭しく挨拶をすると、「アダムとロミィも明日は学校なのです。失礼します」と父にささやき、弟と妹に素早く合図をして父の部屋を出た。
「待てぃっ!話はまだ終わっていないっ!」
父が怒鳴る声が聞こえたが、ダニエルがいなしてくれている声も聞こえて、俺は心の中でダニエルに「すまない」と思いながら、走るように廊下を急いだ。
――早く寝て、明日に備えよう。
「今回の冒険は大成功だったね」
「うん、本当だな」
ロミィとアダムは満足そうに言っていたが、二人の目はもう眠くてくっつきそうだった。俺は二人のお世話がかりの侍女たちにそれぞれ合図をして、二人を引き渡した。
――おやすみ、ディアーナ。
俺は心の中で、今日初めて会ったばかりの女性にときめきながらおやすみの挨拶をしたのだ。
俺にとって、最高の出会いがあった日だった。