鍵が開いている
「あれ? 昨日の夜に鍵をかけたはずなんだけどな?」
ある日の朝。仕事に出かけようと家の玄関の扉に手をかけた俺は、首を傾げながら呟いた。
内側の鍵は開きっぱなしになっており、チェーンも繋がれていない。もちろん帰宅した時に鍵を閉め忘れたということなのかもしれない。だが、ここ最近この頃空き巣被害が多発していると聞いたため、家を出るときはもちろん、家に帰ってからもきちんと内側から鍵とチェーンをかけるようにしていたはずだった。
俺は記憶を辿ってみたが、いつも無意識にやっている行動を思い出せるはずもなかった。モヤモヤを感じながらも、昨夜はうっかり閉め忘れてしまったんだろうと考え、そのまま家を出ることにした。
しかし、それから三日後。休みの日にふと気になって玄関のドアを確認した俺は、再び家の鍵が開いていることに気がつく。三日前のことがあってからというもの、俺はきちんと毎日意識して鍵を閉めていた。実際昨日帰宅した時、きちんと施錠したことをはっきりと覚えている。ではなぜ、かけたはずの鍵が開いているのか。それも俺が家を出ている間ではなく、俺が家にいる間に。
俺は玄関からリビングに戻り、ぐるりと家の中を見渡した。家にいるのは俺とそれからカゴに入っているピー助のみ。この家にはそれ以外に誰もいない。一応、去年まではここに元妻が住んでいたが、彼女はとっくに家を出ていってしまったし、合鍵だって持っていないはずだった。
ピー助のために、カゴの中の水やご飯を取り替えながら、落ち着いて考えてみた。昨日は帰宅してからすぐに寝てしまったので、鍵が開けられたとしたら俺が寝ている間なのだろう。ひょっとして家主が家にいる間を狙った泥棒なのかと思ったが、不用心に机に置きっぱなしだった財布からお金がなくなっているわけでもない。泥棒だとしたら金目のものを盗んでいくだろうし、その可能性は低いのかもしれない。
「ほら、ご飯だぞ」
俺はピー助にそう促すが、いつもご飯にがっつくはずのピー助は、俺が入れてやったご飯には口をつけようともしなかった。俺はため息をつきながらキッチンへと戻る。それからこの前買ったプリンが残ったままだということを思い出し、冷蔵庫の中を漁る。
「あれ?」
冷蔵庫を漁りながら、俺は独り言を呟く。
「プリンをここに置いていたはずなんだけどな……」
*****
それからも断続的に、鍵が開いているという現象は発生した。家の中からお金がなくなるとか、そういう被害はなかったので警察に届けることもできなかったが、それでも俺の心は落ち着かなかった。家の中に監視カメラでもつけてやろうかとも考えたが、結局もやもやしながらも、これと言った行動に移せないでいた。
しかし、そんなある日のことだった。遅く帰宅した俺は、そのまま倒れるようにベッドに横になり、そのまま深い眠りについてしまった。しかし、真夜中になってふと尿意を感じ、俺はそのまま目覚めてしまう。そして、目覚めた瞬間、俺は直感的に家の中に漂ういつもとは違う雰囲気に気がついた。そして、そのままじっとしていると、家の中から小さな足音が響いていることに気がつく。俺は息をひそめながらそっと起き上がり、足音を殺して音のする方へ向かった。
一歩一歩近づくにつれて、何者かの気配が強くなっていくのがわかった。俺は途中で武器になりそうなクイックルの棒を手に持ち、音のする方、つまり玄関へと向かっていった。背中に冷たい汗が流れる。呼吸はいつのまにか浅くなっている。それでも、俺は自分の気配を消し、暗い廊下を歩いていった。そしてぼやけた視界の中で、俺は何か動いている物体がいることに気がつく。俺は無意識のうちに息を止めた。いっそ何も見なかったことにして引き返そうとさえ思った。しかし、ここまできて後戻りなんかできるはずがなかった。俺は覚悟を決める。そして、深く息を吸い、それから手探りで照明のスイッチをつけた。
廊下が眩い光で照らされる。闇の中で動いていたそいつは突然の明かりに驚き、身体をすくめながら、くぐもった声を上げた。眩しい光の中、俺は眩しさに目を細めながら、動いていたその何かを捉える。しかし、それを見た瞬間。俺が感じたのは、驚きでも、恐怖でもなく、どうしようもないほどの自分自身への呆れだった。
「なんだ、驚かせやがって」
廊下にうずくまるその何かを見た俺は、拍子抜けしながらつぶやいた。
「鍵を開けてたのはお前だったのか、ピー助」
ピー助が廊下で蹲りながら俺を見上げた。細い腕で自分の身体をさすり、目には俺に対する怯えが浮かんでいた。少し頭を働かせたらわかったのに、というよりも、どうしてこんな簡単なこともわからなかったのかと俺は自分に呆れ果ててしまう。この家に住んでいるのは俺とピー助だけ。この家にはそれ以外に誰もいない。したがって、犯人が俺じゃないとすれば、犯人はこのもう一人、ピー助以外にありえない。
俺はピー助に近づき、腕を強く掴んで廊下を引きずっていく。痛い! とか、やめてお父さん! とか、いつものようにピー助がピーピー叫んでいるが、もやもやが晴れて気分が良かった今の俺は、いつもみたいに苛立つことはなかった。俺はそのままピー助をリビングまで連れて行き、部屋の隅に置いているカゴに押し込んだ。カゴの鍵を閉めた時、そこで初めて鍵が緩くなってしまっていて、力を入れたら外れるようになっていることに気がつく。俺はとりあえず紐でカゴの入り口を固く閉め、ピー助が夜に出て行かないようにしてから、寝室に戻った。
この数ヶ月間抱えていたモヤモヤが晴れ、久しぶりの気持ちいい眠りにつけそうだった。俺はベッドに横になりながら、次の休みはかごを買いに行かないとなと考える。すぐに、心地よい眠気が襲ってきて、ゆっくりと眠りに入っていくのがわかる。俺は重たくなったまぶたをそっと閉じた。眠りに入っていく中聞こえてきたのは、ブーンという冷蔵庫の音と、カゴの中でしくしくと泣いているピー助の鳴き声だけだった。