その5
続きです。
桐生笙子がやってきた。
高倉が呼び出した。A市から少し離れた河川敷だった。
「高倉さん、こんなところに呼んでどうしたのかしら。」
「本当のことを教えてほしいんです。最近起こったあの事件、犯人は笙子さんですね。」
「ええ、そうよ。」
笙子はあっさりと認めた。やはりな、と高倉は思った。彼女はそれが悪いことだとは思っていない。隠すつもりもない。それが不幸な偶然で、捜査の手が届いてないだけなのだ。まだ間に合う。今自首すれば罪が軽くなる。そのため高倉はここに来るまでの道も気をつけていた。あの刑事たちがついてこないように、注意を払ってやってきた。彼女を逮捕させやしないと彼は誓っていた。
「だったらどうなの。」
「自首してください。今ならまだ警察も笙子さんが犯人だと気づいていない。いまなら罪が軽くなります。お願いです。自首してください。」
笙子は悲しそうに微笑んだ。
「みんな、そう言うのね。西脇さんや佐藤さん、小崎さんも、私のことを心配してくれた。でも、駄目。私には使命があるの。」
「使命?」
「そう、この子。」
笙子は大事そうにおなかを触った。
「この子を産むことが私の使命。」
「やはり、そのために殺人を犯した。笙子さん、いったいなぜなんです。」
「私は優秀な赤ちゃんを生まないといけないの。それが私の使命。そのためには素材が必要でしょう。だからよ。だから殺したの。」
高倉の頭に稲妻のような閃きが起こった。
「そうか。あの噛み切った傷。」
「ええ、そうよ。西脇さんは、走ることがすごかった。佐藤さんは現役のマラソンで強い心臓の持ち主よ。小崎さんは男なのにきれいな目の人だった。そして小林さんは、とてもきれいな顔立ちをしていたわ。だから食べたの。素材としてね。」
「馬鹿げている。」
「馬鹿げてなんかいないわ。」
笙子は厳しい表情になった。
「私はね、良い資質を再生する能力があるの。ハーベスト、私はそう呼んでるわ。私は素材を食べ、そして今、こうして愛の結晶が育ってるの。」
「笙子さん、人間にそんな能力はないんです。あなたの思い込みだ。」
「思い込みじゃないわ。だって私がそうだもの。」
彼女の頬に涙を伝った。
「母は私と詩子と産んだのよ。私はどんなことでも優れてた。でも詩子は生まれつき病気がちで私とは違っていたわ。私は母に聞いた。どうして、どうして私と詩子はこんなに違うのって。母は言ったわ。あなたはハーベストの子、私の代わりに幸せになる子なの。だからお母さんはたくさんの優秀な殿方から優秀な力を授かり、そしてあなたを収穫したの。残念なのは詩子は私がいらない能力を授かってしまった。ハーベストの子はハーベストの子を産まなければいけないの。だけど母は素材の取り入れ方を間違った。男と関係を持って精子を得ようとした。でもそれじゃあダメ。素材は食べなきゃ。食べたらおなかに直接、優秀な遺伝子が届くから。」
「笙子さん。」
高倉は笙子の肩を抱いた。何度も揺さぶった。
「あなたは間違っている。人を食べたからって、遺伝子を取り込むなんてできない。できないんです。医学的にありえないんです。目を覚ましてください。そして自首…。」
「お母さんがそうしなさいって言ったのよお。」
笙子は叫んだ。高倉は一瞬たじろいだ。笙子の顔がゆがむ。
「結婚したらいい子を産みなさい。いい子を産まないと、お父さんに嫌われるから。そして本当にそうなった。私は大事に育てられたけど、詩子には水沢の家は冷たかった。そして詩子を産んだお母さんにもそうだった。父は母に冷たかったわ。それは交通事故で両親が亡くなるまで続いた。何もかもお母さんの言うとおりだった。だからそうするのよ。いい遺伝子を取り込んで、収穫するの。お母さんがいつも言っていたように。」
「詩子さんは知っているのか。」
高倉は詩子が死んだことをまだ知らなかった。
「分からない。」彼女の表情がまた哀しくなった。「小さい頃から詩子とはずっと話してたわ。父からはひどい仕打ちを受けていたけど、私にとっては妹だから。両親が亡くなってからも私が面倒を見ていた。寝たきりになっても、彼女の病室でずっとしゃべっていた。唯一の肉親だったから。」
「そんな彼女になぜあんなひどい契約を。」
「彼女が生きたいって言ったの。私が子供を授かるまで、どんなことをしても生きたい。母のあやまちで生まれてきた自分を彼女は呪っていた。葬り去りたいと思っていた。でも自分の様な子がまた生まれてきてほしくなかった。その一心で彼女は生きてきた。だから五年前に倒れたとき、私はサインしたの。ああすれば、彼女は死なない。たとえ実験体にされても、彼女は生きていると思ったから。あんな彼女でも、母は好きだった。母も詩子を愛していたから。」
笙子は高倉の顔を掴んだ。高倉は振りほどこうとするが、頭はびくともしなかった。
「さあ、お話はおしまい。お医者さんに聞いたら、胎児の形成は満十五週までに完了するらしいの。だから時間がないの。後はあなただけ。あなたは私が会った中で一番頭のいい人。あなたの優秀な遺伝子は私の赤ちゃんの中で生きるの。どう、あなたも喜んでくれるでしょう。」
高倉は必死に抜け出そうとするがダメだ。だんだん恐怖が彼に覆いかぶさってくる。こいつは人間じゃない。化け物だ。助けてくれ。助けてくれ。
「いつもロープで絞めるんだけど、今回はそれじゃあ二度手間なので直接やるわ。」
頭にものすごい力が加わる。痛い。助けて。
「高倉さん、痛い?でも安心して。一瞬で終わるわ。だって、私、ハーベストの女だから。」
やがてぐしゃりと音がして、高倉が動かなくなった。最後に見た笙子の顔は、病室で見た悲しく呪われた女性と、同じ顔だった。
「ハーベスト」とどこかで声がした。
通報を受けて現場に向かう間、上村と二宮は黙りこくっていた。
前に聞き込みに言ったところだったからだ。そして今、倒れている遺体もそうだった。西脇美佐子。最初の被害者の妻だった。美佐子はリビングに仰向けになり、首を絞められた状態で発見された。首にはロープが巻きついており、その両端を彼女がしっかりと握っていた。このロープには他の血の跡があり、詳しい検査はまだだが一連の事件の凶器に間違いないだろうと鑑識から聞いていた。向こうで二宮は鑑識とやり合っている。
上村が遺体を調べていると、二宮が戻ってきた。
「自殺か他殺か分からないなんて、鑑識失格ですよ。こんな状況で自殺なんてありえない。こりゃあ、他殺ですよね、上村さん。」
「いや、言い切れないな。」
「本気ですか、上村さん。ガイシャを見てくださいよ。自分で自分の首を絞めてるんですよ。できるわけないじゃないですか。」
「精神に異常をきたした、としたらどうだ。運動で鍛えた体なら、腕力は男並だろう。精神のタガが外れた状態なら、恐ろしい力で自分を絞め殺すこともできるかもしれない。」
「まさか。そんなばかな。」
「しかし、無いとはいいきれない。しかも彼女も白河スイミングスクールの会員だ。被害者とも接点がある。精神に異常をきたした美佐子が夫を殺害、それが忘れられず、スクールの関係者を次々と殺害する。しかし、積もり積もった良心が彼女を責め、遂に耐え切れなくなって自殺した。話としては通らなくも無い。」
「じゃあ、西脇美佐子が犯人だと。」
「さあな。正直、犯人とは思えん。証拠も状況証拠ばかりだしな。しかし、上はこの線でケリをつけようとするだろうな。」
「なぜ。」
「こんな事件、長引かせてもしょうがない。新しい証拠も出てこないしな。膠着したこの状態を解消するためなら、こんな状況証拠でも飛びつくさ。」
「これで、この事件も終了ですか。」
ため息に似た二宮の言葉に、上村は答えなかった。じっとテーブルの上にある写真立てを見ていた。そこには友人たちと笑顔で写る美佐子の姿があった。となりで桐生笙子も笑っていた。どこで彼女達の運命は狂ってしまったのか。美佐子の遺体が担架で運ばれていった。彼女の顔は驚愕に歪んでいた。彼女もまた自らの人生の結末に驚きを感じていたに違いない。
二宮の携帯が鳴った。電話を取った二宮の顔が驚いた顔になる。
「上村さん、例の高倉圭吾が遺体で発見されました。頭蓋骨が砕け、その、脳が無くなっています。」
上村はもう一度写真の笙子を見た。心の中で問いかける。
あんたは、これで幸せなのか。
六ヵ月後。
分娩室で笙子は荒い息をしていた。
外では誠一がじっと祈っていた。がんばれよ、がんばれよ。赤ちゃんがどんな状態か誠一には分からない。胎内の詳しい診察は笙子が強く拒否したからだ。まずは無事に産まれてくれ。誠一はそれだけを願っていた。
笙子は叫び声を上げながら息む。看護婦さんが、「もうちょっと力を入れて」と応援していた。息むごとに額に汗が玉のように吹き出ていた。そんな状態がもう三時間も続いていた。
おぎゃあ、と声が室内に響いた。
「ほら桐生さん、かわいい女の子ですよ。」
苦しいながらも笙子は赤ちゃんを見た。
「かわいい。」
やっぱり私は間違っていなかった。そう、あなたは優秀な遺伝子の子。私と同じ、選ばれた子。収穫された、ハーベストの子。この子によって私達の運命が変わる。私と詩子が解き放たれる。本当の幸せがやってくる。
一瞬、赤ちゃんの顔が歪んだ。笙子がギョッとする。顔の歪みはますますひどくなり、やがて笙子が忘れられない顔に変わっていった。
「詩子…」
詩子の顔となった私の赤ちゃんはしばらく焦点の合わない視線で辺りを見回していたが、やがて「見いつけた」とでもいうように笙子を真正面から視た。目があり得ないほど見開いている。
「ひいいっ」
「お…ねえ…ちゃ…ん」
生まれたばかりの赤ん坊の声とは思えない低い声が分娩室に響いた。…これは私だけが聞こえているの?
「あ~り~が~と~う」
そう言って、赤ん坊は…詩子は…にやあっと、そう、にやあっと笑ったのだ。
笙子は悲鳴を上げた。そして気を失った。
しばらくして彼女は気がついた。長い時間に感じたが、実際は数十秒程度の出来事だったらしい。気がつくと目の前にスヤスヤ寝ている赤ちゃんを看護師さんが抱っこして立っていた。
「はい、抱っこしてみる?」
言われるがまま、笙子は赤ん坊を抱っこした。暖かい。時々感じるわずかな動きが生きている実感を思い出させる。彼女は生まれた時と同じ顔で気持ちよく眠っている。
…でも…でも
私は得体のしれなくなったこの物体を、もうどうすることもできなかった。
ようやく陽を見せることができました。みなさんのご感想をお待ちしています。