数百万円の借金を背負いそうになった知人を、最後の最後で止めた話
これまで二つほど、作曲家としての目線からエッセイを書いてみたが、今回は知人のシンガーソングライターの話をしようと思う。
「なろう」にも、「ランキングに載りたい、書籍化されたい、アニメ化されたい」などの夢や野望が渦巻いているが、音楽も同じだ。
今回お話をする知人のシンガーソングライターも音楽での成功を夢見て上京し、試行錯誤しながら活動を続けていた。
彼は実力は圧倒的だったがどちらかという玄人受けするタイプで、実力の割にイマイチ人気は伸びず。
「わかる人だけわかってくれればいい」は口癖だったし、人気のあるアーティストに対して、「なんで俺よりあいつらが人気あるんだ」とこぼすのも常だった。
その彼がある時、ライブ興行を仕切るイベンターと知り合った。
彼は嬉しそうに、「こんな人と知り合ったんだ!」と連絡してくれて、一度自分もそのイベンターとの打ち合わせに招かれたことがある。
その際、イベンターはこう言っていた。
「こいつの才能は本物だ。俺がメディアで番組を持たせてやるし、メジャーレコード会社の関係者も呼んで一発大きいライブをして、売り込もう!メジャーデビューして、大金持ちになろう!」
もう、知人はそれまで見たこともないくらい、目をキラキラに輝かせていた。
ぶっちゃけ、泣いていた。
自分はまだイベンターの素性がよくわからなかったが、知人は「ついに自分の才能を理解して売り出してくれる業界人が現れた!」と大喜びだった。
そこから彼はライブまでの間、飲み屋、温浴施設、学校、養護施設、様々な所に営業をかけ、チケットを根性で売りさばいていく。
そして、ライブは満員大成功、自分も客として観ていて、こりゃメジャー決まったなと思った。
が……。
後日、「相談がある」という連絡の元、向かったファミレスで聞かされたのは、
彼がレコード会社から提示された、一万枚の買取契約だった。
買取契約とは、メジャーレコード会社からCDを出せる代わりに、売上保証として自分で数千〜数万枚買い取る契約のことである。
額にすると数百万円の負担となる。
そんな大金すぐには出るはずもなく、ローンを組むことになる。
デビューして大金持ちどころか、多大な借金を負うことになってしまう。
しかも、知人の口からは今まで聞かされてこなかった、ちょっとびっくりするような話が次々と飛び出してきた。
まず、イベンターが彼に持たせた「メディアの番組」というのはテレビや大手ラジオではなく、コミュニティFMでの10分番組のことだった。
その番組自体は自分も知っていたのだが、びっくりしたのはその番組のスポンサーは知人自身が見つけてきたらしい。
というのも、「番組を持たせてやる代わりに、スポンサーは自分で見つけろ」という約束だったそうなのだ。
結局のところ実態は、
イベンターがコミュニティFMの番組枠を買い取る→アーティストがスポンサーを見つけ、スポンサー料をイベンターに渡す→その差額でイベンターは儲ける
という構図だったのだ。
当然、知人の儲けはゼロ。
イベンターは「俺が番組を持たせてやる」と豪語していたが、これでは知人自身が番組を買い取った方が良いではないか。
さらに、もっとびっくりしたことがある。
実は、ライブの利益は全てイベンターが持っていく約束だったらしい。
イベンターは人件費や会場費や音響や照明などの経費でチケット代とトントンと説明したらしいのだが、一般的な相場からしてどんなに安く見積もっても数十万円の利益は出ている。
知人はレコード会社関係者を呼んでくれるなら、それで目に止まってデビューできるならと、そう考えて話を進めてしまったそうだ。
しかし、実際にレコード会社から提示されたのは買取契約。
もしかすると、イベンターは買取契約が締結されれば、レコード会社から斡旋料すら取るつもりだったのでは、むしろそれが最終的な目的だったのではとさえ思った。
これまでの話を聞いていて、自分は心の中で悟ってしまった。
イベンターは知人を成功させることよりも、知人自身から金を巻き上げることが目的だったのだと。
つまり、知人自身がそのイベンターの「客」だったのだ。
知人は「ライブを成功させ、デビューできれば大金持ちになれる」というイベンターの口説き文句を盲信してしまった。
「自分のことを買ってくれる業界人」に出会えたことが、たまらなく嬉しかったのだ。
そして、イベンターはそこを利用したのだろう。
卑劣極まりない。
意気消沈する彼の姿に自分もショックを受けながら、それでもきっぱりと、買取契約を断り、イベンターとも距離を置くよう説得した。
買取でも、メジャーデビューという肩書きは一生誇れるかもしれない。
しかし、そのために数百万円の借金という代償を本当に負うべきなのか、自分はYesとはどうしても思えなかった。
後日、様子を聞くと、イベンターから「他にも手がけているアーティストが沢山いるから、やる気のない奴にはもう用はない」と突っぱねられたそうだ。
やはり、縁を切って正解だった。
その後、彼の売り込み用音源制作を自分も手伝ったりして、知人自身が各所に売り込んだりしたが、段々と活動は縮小していった。
しかし、今では彼はちゃんと就職し、結婚し、可愛い子供と犬と共に、幸せに暮らしている。
「夢を見るだけ無駄だ、バカを見るだけだ」などという声もよく聞くが、彼は今の奥さんと、音楽での成功を夢見て活動していた中で出会った。
彼が一生懸命、自身の夢と向き合った時間は、決して無駄でもバカでもない。
それに、あのまま買取契約をし、数百万の借金を抱えていたかもしれないと思うと、あの時説得して良かったと感じる。
今では、二人であのライブを笑って振り返れるのだから。
いや実際、あのライブは最高だった。
そして今でも、規模は以前と違えど、彼が音楽に親しんでいることを嬉しく思う。
音楽が好きな気持ちを、悪い大人に食い尽くされることなく。
もしかするといつか、彼には「本当のチャンス」が舞い込むかもしれない。
未来は誰にもわからないのだから。
さて、出版の世界は詳しくないが、夢や野望を食い物にする大人たちはどこにでもいると思う。
才能を買っているフリをして、こちらに負担がかかる契約を持ちかけられた場合。
その場で返事せずにしっかりと冷静に考えることを、自分はお勧めする。