第2章魏冄と范雎
それからしばらくして魏冄は突然、王に呼び出された。
魏冄が向かうと、王の隣に見知らぬ人間が立っていた。
魏冄は不思議に思い、王に問いかけた。
「王よ。この方はどなたでしょうか?」
王は言った。
「この方は、私の先生だ。4、5年前に知り合ってな、色々助言を頂いて来た。この度、お前に代わって宰相を勤めてもらう事になる」
それを聞いて魏冄は驚いた。
「失礼ですが、どの様な実績がおありになるのですか?」
王は言った。
「実績はない。だが遠交近攻という明確な戦略を持っている上、魏では騙されて殺されかけるという仕打ちに遭い、それに必死に耐えてここまで来られた方だ。」
魏冄はたちの悪い人間が現れたものだと思った。
苦労をしたから偉いのではない。
苦労をして成長するから立派な人間なのである。
ここまで実績を挙げてきた、魏冄に対し、なんのねぎらいも無く、取って代わろうとする恥知らずな男が立派な人間であるとは思えなかった。
そこで魏冄は言った。
「遠交近攻。つまり、趙と結び。魏と争う訳ですね。魏はそこの范雎先生が辱めを受けた場所だ。戦で破ったらどうなさるおつもりですか。」
范雎は言った。
「当然、私の事を貶めた男には復讐をするつもりです。」
魏冄はそれを聞いて思わず笑ってしまった。
なんてたちの悪い男だろう。
宰相にもなってやることが復讐とは。
結局この男は民よりも自分の事の方が大切なのだ。
すると范雎は言った。
「私の事よりも問題なのはあなただ。国を私物のように扱い、私腹を肥やしている。この国は王のものだ。お前のものでは無い」
魏冄は思った。
国は王のものでは無い。
民のものだ。
真の名臣とは王に仕えるのではなく民に仕えるのである。
それに魏冄は結果を出してきた。
結果を出したものが贅沢をせずに、民が今後の生活に希望を持てるのか。
だが魏冄は言い返さなかった。
この男の言葉は王の自尊心を満たしてくれる。
この男は王に媚びる意思はない。
ただ無能で、小物であるが故に、王に対して言ったことが、王の満たされない心を満たしてくれるのである。
おそらく魏冄が何を言おうと決定は覆らないだろう。
そうなると魏冄の唯一の気がかりは白起だった。
そこで魏冄は言った。
「今、行なっている趙の戦はどうなさるおつもりですか?」
范雎は答えた。
「遠交近攻なのだ。趙とは和睦するに決まっているだろう。」
魏冄は驚きを通り越して呆れた。
この男は戦というものを知らないのだろう。
しかし、思わず言い返しそうになったが堪えた。
この男と言い争う事は時間の無駄である。
そこで魏冄は言った。
「しかし、それでは白起は納得しませんよ」
范雎は言った。
「納得しないだと?国家の決定だぞ。そんな事は許されない。もし、白起が命令に逆らうとしたら白起は国家を支える社稷の臣ではなく、お前におもねる私兵に過ぎなかったという事だ。その時は容赦なく解任する」
魏冄は言った。
「何が社稷の臣だ。お前の馬鹿で無知な命令に従うんだから権力におもねる佞臣だろ。白起もご苦労な事だな。俺の私兵か、お前の佞臣かどちらかしか選択肢がないなんて。だがどうする気だ?後任は誰にする。王齕か?」
すると范雎が言った。
「当面は俺が勤めるがその後はあてがある。鄭安平を将軍とするつもりだ。」
魏冄は言った。
「鄭安平?それは誰だ?」
范雎は言った。
「魏で辱めを受けた際、私を庇ってくれた友人だ。大変な人物で人格者だから、白起よりも良く将軍を勤めるだろう。」
魏冄はあまりの物言いに眩暈を覚えながら言った。
「それは良い人だな。そんなに良い人なら安心だ。」
そして魏冄は范雎との間合いを計った。
武器はない。
すばやく近づき、首を絞めて殺す他ないだろう。
魏冄自身も死ぬだろうが、それでもこんな男に政治を無茶苦茶にされるよりはましだと思った。
しかし、魏冄が動き出すよりも先に、魏冄のことを良く知る王が言った。
「もう話は終わりだ。この男をつまみ出せ。」
そして魏冄は兵士達に取り押さえられ、城の外へと連行されたのだった。




