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4.



 ニューヨークでは、ここ最近、新聞の路上売店が次々と廃業し、紙媒体での情報を売買する量は極端に減っていた。

 とはいえ、まったく売っていない訳ではなくなんとかマーティンも一部を手に入れて読んでみた。

 スコープで通りを覗いていたときに、あの黒い影に触れられて倒れた黒人の子供のことが気になっていたのだ。

あれが載っていなかったとしても、何かおかしなことが起きているのではないかと考えたのだ。

 だが、それらしい記事は何もない。

 今どきはネットニュースの方が情報収集力が高いからかもしれないが、まったく影も形もないということはありえない。

 ニューヨークのど真ん中で起きた出来事なのだ。

 

「―――おい、ピンガをくれよ」


 カウンターに座っていた常連客が注文をしてきた。

 痩せたブラジル人の労働者だ。

 おそらくは不法入国者。

 それでも店にとっては小銭とはいえ金を落としてくれるのならば客である。

 マーティンはごく少数の南米出身者たちのために仕入れておいたピンガを瓶ごとさしだした。

 ピンガは砂糖キビから採った地酒で、地元では常温のまま供されるのが普通だ。

 

「横着するんじゃねえよ。いつも頼んでる通りにカイピリーニャにしてくれ」

「ニューヨークでピンガ飲めるだけで感謝しろ。まったく、面倒くさい」

「ひでえ、バーテンだ」


 カイピリーニャはピンガの氷割りに絞ったレモンと砂糖をいれる飲み方だ。

 レモンの代わりにライムが絞られることもある。

 面倒くさいとはいえ仕事なので、マーティンはレモンをナイフで割って、搾り汁を作ると用意したレシピの割合で注ぎ込む。

 このあたりやはり狙撃兵になれるだけ神経質な男ではあるのだ。


「ほらよ」


 カイピリーニャを差し出すと、ブラジル人はカウンターに放置してあった新聞を読んでいた。

 字が読めるのか、とマーティンは驚いた。

 どうみても不法入国の、肉体労働者以外に仕事もできそうにない男が新聞を読むとは。

 

「読めんのか?」

「そんな訳あるかい。写真を見てただけだ」


 客ははっとした顔をする。

 それだけでマーティンは意図を察した。

 日本人ではないが空気を読んだのである。


「まあ、そうだろうさ。あんたにそんな学があるとは思えない。スクールと名のつくものはキンダガーデンだって出ていないんだろう」

「……わりいかよ。こんなもんを読んでいたのはまずはおまえじゃねえか。そっちこそ珍しいんじゃねえの」

「別に。知りたいことがあっただけだ」

「なんだよ?」


 ブラジル人はグラスに口をつけて聞いてきた。

 意外とおしゃべりな男だった。

 読み書きができることを悟られたくないという誤魔化しからの調子の良さでもあるのかもしれない。

 無視してもよかったが、昨日からマーティンは調子の狂いが著しかったので、思わず応えてしまった。


「―――知り合いのガキがいなくなってな。どうなったのか知りたかっただけだ」


 だが、ブラジル人はあまり興味がなさそうだった。

 もっと刺激的なものを期待していたのだろう。

 アメリカでは小さな人間がどこかに消えるなどよくあることで、さらに治安のよくないブラジルではさらに日常茶飯事のはずだ。

 子供がいなくなった程度、明日の天気よりもどうでもいい話でしかなかった。


「なんでえ。そんなことか。だったら、新聞なんぞ読んでもしかたねえだろ」

「どうしてだ」

「俺の祖国くにでもそうだったが、アメリカ(ここ)」でもガキがどっかにいっちまうなんて話は五万とあらあな」

「そりゃあ、そうだけどよ……」

「おめえ、アメリカで毎年どれだけガキがいなくなっているか、知ってんのか」

「いや」

「俺の想像じゃあ、たぶん、何十万もいるだろうさ。金がねえ地域ならもっとだろう。つまりよ、そのぐらいどこにでもある話だってことだ。知り合いだろうが何だろうが、一人二人いなくなった程度でおたついてんじゃねえって話」


 思った以上に、インテリな言い分だった。

 ただの不法入国の肉体労働者とは思えない言い草だ。

 普段かぶっているバカの皮の中身が覗きかけている。

 

「別に……そういうわけじゃあねえけどさ」


 マーティンは別のピンガの栓を開けて余ったレモン汁をいれて飲んだ。

 ブラジル人に付き合ったわけではない。

 ただ、無性に喉が渇いてしまっただけだ。


「だから、新聞なんてもんに、ガキがいなくなった程度のことが載る訳ないだろ。おめえは小便を二度に分けてするように無駄なことをしてんだよ」

「新聞よりネットを調べろってことか」

「ちげえ。気にしたってしかたねえってことだ。うちの国じゃあ、ガキがいなくなっても三日で忘れる。ペ・デ・グラファあたりにさらわれて、アマゾンに連れていかれちまったんだろうってな。それで納得するしかねえんだ」


 聞き慣れない単語だった。

 ペ・デ・グラファ?

 それはいったい、なんだ。


「森の中からやってくる一本足の妖怪だ。ブラジルじゃあ、普通にそいつらのせいってことになっている」

「……妖怪って―――マーベルのコミックかよ」

「ちげえ。妖怪のせいってことにしちまうんだよ。ブラジルは金がねえからな、親がガキを黙って売り飛ばしちまったり、食わせられなくて殺しちまうことがある。そんなときに、近所の連中の眼を誤魔化すために、ガキがペ・デ・グラファあたりに攫われたことにしてしちまうんだ」

「おい、それって……」


 カイピリーニャを飲み干し、


「貧乏なところってのはたいていそういうもんだ。どこのガキがいなくなろうといちいち気にしていたらきりがないんだよ。……アメリカだってそうだ。毎年何十万いなくなっても、酒の肴にもならない。どうせ、見つかりゃあしねえんだ」


 吐き捨てるブラジル人をマーティンはじっと見つめた。

 顔しか知らないただの酒場の客でしかないが、ここにいたるまでどんな人生を歩んできたのか気になった。

 一つだけ確かなのは、このブラジル人の人生には何か暗い闇があったということだけだ。

 ピンガを痛飲する程度では忘れられない何かが。


「金のねえ貧しい場所だからってことか」

日本ハポンとかじゃまずそんなことねえだろ」

「かもな。あそこは金持ちばかりだから」

「そうだ。クズの掃き溜めじゃあ、金がねえから誰もガキなんぞ助けねえ。そんな余裕もねえからな」

「誰もか?」

「誰も、だ」


 そう呟くとブラジル人はカイピリーニャをそれから浴びるように飲みはじめた。

 最後はレモンもいれずにそのままピンガを瓶ごと飲み干した。

 マーティンはこのブラジル人を必要以上に飲ませたのは自分だという罪悪感を覚えていた。

 彼があんな話を振らなければこの男もいつもの陽気な酒で済んでいたことだろう。

 悪いことをした。

 そんな負い目があった。


「……でもよ」


 カウンターで酔いつぶれた背中に向けて、マーティンは言った。


「ここはアメリカだぜ。ペ・デ・グラファなんて妖怪はいねえよ」


 アメリカでアマゾンなんていったら、ネット上での小売販売業者だ。

 間違っても大密林ではない。

 ニューヨークの摩天楼に妖怪なんてものがいてたまるものか。

 マーティンは他にもう客がこないことを確認すると、店を閉めることにした。

 開いていてもどうせ金にはならない。

 スツールに腰掛けて、新聞を手にとる。

 改めて読むと、広告とトランプ大統領(ザ・ドナルド)を批判する記事ばかりだ。

 企業と政治とスポーツ―――

 マーティンが望むような記事はまったくなかった。

 あの黒い影がなんだったのか、彼に示唆してくれるようなものは当然あろうはずもない。

 

「ネットで検索してでるようなものなら、もっと前に話題になっているか」


 なにげなくマーティンが歩いている路地や下手をしたらパブあたりにもあいつはいるのかもしれない。

 誰にも気が付かれることなく。

 あの金髪のジルや倒れて消えた黒人の子供のように、あいつら(おそらくは一体ではないはずだ。最初のやつはマーティンが仕留めた)は吐き気をするような歪さで近づいていき触れるのだろう。

 大人を襲わないという保証はない。

 あいつらをみて、曲がりなりにも狙撃したマーティンの存在に気づいて目撃者を消す為に襲い掛かってこないとも限らないのだ。

 それに対してマーティンは自衛する手段がなかった。

 誰かに話して説得できるとも思えない。

 味方はまずいないと考えていい。

 だが、そもそも、まず……


(どうして、俺にはあいつらが視えるんだ?)


 そこがどうしても彼にはわからなかった。

 まずはそこからかもしれない。


「……クソったれ。俺たちがなにをしたっていうんだよ。ちくしょう……」


 多量のピンガで潰れたブラジル人が憎しみの混じった寝言を呟いていた。

 こうさせたのはマーティンだ。

 

「ペ・デ・グラファなんてのは、このニューヨークにはいないぜ」


 そっと備え付けのタオルケットをかけてやった。





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