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2.



 何気ないふりをして、マーティンは公園の芝生に座りこんだ。

 わりと大き目な花壇があり、黄色のマリーゴールドを紫のプリムラが囲んでいる。

 丁寧に手入れをされているのだろう、この花壇目当ての来訪者も少なくはないはずだ。

 くしゃくしゃな紙くずや空のペットボトルといったゴミも目についたが、それは公園の掃除人が夕方までに始末する。

 青く澄み渡った空、鮮やかな緑の繁るナツメヤシ。

 治安の良さという点ではあまり褒められた街ではないが、この公園だけは奇跡的に爽やかな微風に守られているようだ。

 普段、公園に向けて隠れて発砲するという性質の悪いことばかりしているマーティンにとっては少々居心地が悪かった。

 家族連れや恋人同士ばかりの中、中年の男性が一人でいるのは奇異に思われるかもしれないが知ったことではない。

 彼が座り込んだのは、前日に×印をグリーンのカラースプレーで記した芝生の脇だった。

 いつもならば、時間つぶしに雑草をむしるふりをして、自分で撃ち込んだ弾丸を回収したり、探しても見当たらないようならこっそりと穴を埋め戻したりもするのだが、今日の彼の目的は違う。

 すぐそばにいつものホットドッグ売りの移動店舗がある。

 店を開いているのはずんぐりとしたプエルトリコ人の年寄りだ。

 この公園でよく遊びの準備をしているマーティンとは、不本意ながら顔見知りになっている。

 少しだけ会話を交わし、プレーンのスタンダードを一つ、コーラと一緒に購入した。

 食欲はなかったが、商品を買っておけば相手の口も軽くなるだろうという計算があった。

 さりげなく昨日の狙撃地点を見やる。

 1000ヤードも離れているので、肉眼では屋上の様子はわからない。

 だが、確かにあそこからマーティンは狙っていたのだ。

 そして、撃った。

 マーティンが気にしているのは四発目の弾丸の行方であった。

 思い出す。

 あの時、彼の.300 Win Magは確実にあの黒い影の頭部に命中した。

 会心の狙撃をした手応えはある。

 なのに、命中したはずの影が存在していた理由がどこにもないのだ。

 またたくまに消滅したあの黒い影。いったい、あれはなんであったのか。

 マーティンの頭がおかしくなっていたのならば、それは誤射として誰かの死体が転がっていなければならないし、もし本当に存在していたのならば証拠なりが残っていなければならないはずだ。

 それなのにここには何もない。

 普段、マーティンがしている狙撃に誰も気が付いていないように、彼が撃ったはずの影のことを誰一人として認識していないのだ。


「いったい、なんだってんだ……」


 マーティンは思わずごちてしまった。

 狙撃手として一人こもっていた時期の癖なのか、マーティンは比較的独り言が多い。

 従軍する前はこんなに頻繁ではなかったはずだ。

 昨日はあのあと目にした事の意味が咀嚼できず、しばらく茫然としているうちに陽が落ちてしまい確認することができなかった。

 そして、今日、夜遅い仕事で明け方に眠り昼に目覚めたあと、しなくてはならない用事を早めに片付けてこの公園にやってきたのである。

 奇しくも四発目を放った時間帯と同じ午後四時すぎ。

 天気は同じ晴れ。

 風も、湿度も、昨日とほぼ変わらず。

 着弾の確認のためならば願ってもない好条件だが、残念なことにマーティンにとっては意味がない。

 ただ、運がいいといえるのは、ホットドッグ売りがまた店を開いているということだけだった。

 

「いい天気だな」


 ホットドッグを仕込んでいる間にさりげなく話しかけた。

 忙しくないこともあり、店主はのってきた。


「そうだな。商売繁盛だぜ」

「昨日はいつもより早く引き上げたろ。この時間に通りがかったが、あんたの店は見当たらなかったぞ」

「ああ、四時ちょっと前には店仕舞いした。ピクルスが切れちまったんだ。うちのは自家製でな、これがないと味が締まらないんだぜ」


 薄切りのピクルスを顔の前でゆらゆらとさせて店主はニタリと笑った。

 自慢したいのだろう。

 もっともマーティンはこのピクルスにどんな深い由来や味付けがあろうと一切興味はない。

 それよりも聞きたいことがあった。


「あんた、このあたりで商売して長いよな」

「まあね。1955年と88年のドジャースを覚えてるぐらいにはやってるぜ」

「何の話だ」

「ベースボールだ。俺の帽子みりゃあわかるだろ。あの奇跡を知らねえのかよ」


 自家製のピクルスよりも自慢げに指差したのは、赤い野球帽は確かにドジャースのものだった。


「ニューヨークでロスのチームの話をして誰がわかるもんか。それより、あんたこの辺で怪しいものみたことないかい」

「怪しいって? ポリか?」

「真っ先に警察をあげるってことはあんたも結構な悪党に違いねえな。Well(ああ)……そういうんじゃなくて、なんていうか、黒っぽい、人攫いみたいなのだ」

「意味がわからねえな。ヤクでもやってんのか」

「やってねえ。とりあえず聞きたいだけだ」

「―――知らねえな。少なくともここ一カ月くらいはちんけなかっぱらいも出ないぐらい、ここは平和な公園パークだぜ。おかしな噂を発てんじゃねえぞ、商売に響くからな。ほれよ」


 差し出されたホットドッグとコーラを受取って、あまり怪しまれないうちにマーティンは芝生の上に陣取った。

 どうやらホットドッグ屋の店主は何も知らないらしい。

 もしくは知っていて黙っているか、知っていても気が付いていないか……


「わかんねえな」


 大口を開けてホットドッグにかぶり付いていると、目の前を光が横切った。

 違う。

 近くで見ると輝いて見えるほど美しい金髪がなびいたのだ。

 思わず視線をやると、そこには見覚えのある子供が立っていた。

 座り込んだマーティンと視線の高さは同じだ。

 だが、彼を見ているわけではない。

 やや下を見ていた。


「なんだ」

「ハンカチ」

「ん」


 腰のあたりを見ると、風で飛ばされたのだろう、子供むけのキャラクターのイラストが描かれたハンカチがまとわりついていた。

 この子供のものだろう。


「すまないな。ハンカチ(こいつ)が俺のことを好きで、おまえさんのことが嫌いになったわけじゃないから勘弁してやってくれ」


 マーティンはハンカチを手にして手渡した。

 ジルとマジックで書かれていた。

 この子供の名前だろう。


(こいつ、やっぱり昨日のガキか)


 あのとき、覗き込んだスコープの中にいた子供だ。

 近くで見るとやはり1000ヤード先から見るのとでは印象が異なる。

 スコープ越しの一方的な再会だが、この場で出会えるとは、運がいいのか悪いのか、マーティンは自分でもわかりかねた。


「よくここに遊びの来るのかい?」

「うん。おじさんも」

「俺はただのご飯の途中だ。なあ、一つ聞いてもいいか」

「なに」

「この公園で変な黒いやつを見たことがないか。なんていうか、一言で言うとオバケみたいなのだ」


 ジルはおとがいに指を当てて少し考えたが、「知らない」とだけ答えた。

 おしゃまな感じのする子供だった。

 成長すればかなりいい線の美人になるだろう。


「そうか。わかった。じゃあ、そろそろママのところへ戻りな。おまえがクリス・ハンセンの手先じゃない可能性もゼロじゃないからな。俺はリスクを犯さない男なんだ」


 彼女が産まれるずっと前に終わったテレビショーのことなど知らないからか、無邪気にバイバイと手を振って去っていくジルを見送り、元軍人は飲みかけのコーラに口を付けた。

 横目で後を追うと、すぐに母親と合流して何やら話している。

 助かったことに子供と会話をした大人の男を見ても、母親の方は危険人物とは認識しなかったらしい。

 こちらを見ようともしなかった。

 健全な男性としては、「To Catch a Predator」の撮影ではないというだけで一安心である。

 だが、そんなことよりも……


(―――俺が撃った黒いの。やっぱり誰にも見えていなかったのか。あのガキぐらいは視えているかと思ったのに。本当になんなんだよ、あれはいったい)


 回答を求めてやってきたはずなのに、マーティンはさらなる疑問にぶつかることになっただけであった。

 ただ、いえることはあれほど危険だらけであったイラクにいたときの方が、まだ不安ではなかったような錯覚を覚え始めているということである。

 風も吹かない乾ききった中東の空気が、このぬるま湯のようなニューヨークよりも懐かしく思えた。

 あそこはわかりやすくシンプルだった。

 敵と味方しかいない。

 真っ黒で人の目に視えない不気味な存在などどこにもいなかった。

 マーティンはスマートフォンを手にして動画撮影モードにしてぐるりと一回転した。

 再生してみたが、昨日と同じように平和で見知らぬものたちがのんきに寛いでいるだけだった。

 どこにも黒い影などはない。

 ぬめっとした太陽光とぎらつくビル群の窓の反射による穏やかさの中―――

 マーティンは自分が見てはいけないものを見てしまったのではないかと、身体の芯を凍りつかせる震えに襲われていた。


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