トゥルーエンド
名良村
その名前は、先程俺が昔の思い出をネタに投稿した、少し変わったミステリー小説の舞台でもある。
そして、俺は実際にそこに行った事があった。
とは言っても、もう一五年も前の話だ。
しかもそれは、崖から落ちて気を失っていた時に見た白昼夢だと言う事で決着が付いていた。
しかし何故……それを娘の真名が知っているのか。
もちろん真名にはそんな話をしたことは無い。
「真名、その名前……どこで聞いたんだ?」
焦る感情を抑え、まずは娘から情報の出どころを聞き出す。
答えは意外なところにあった。
「ママが隠してた手紙に書いてあったよ」
俺はその手紙を持ってきてもらう。
その差出人を見て、俺は驚いた。
手紙の差出人は、一五年前に森見村でお世話になった、中林さんだったのだ。
中林さんは、俺が東京に帰ってきてからも、毎年のように手紙を送ってくれた。
たった一日お世話になっただけなのに、何故毎年手紙が来るのだろうとは思ったが、なにぶん年齢の行った方なので、こういう縁を大事にする人なのだろうくらいに思っていた。
しかしその手紙は、ある時からぱったりと来なくなったのだ。
元々が昔一晩泊めてもらっただけの間柄であったし、来なくなっても無理はないと、その時は気にもしなかったのだが……
実際はそれからも毎年のように来ていたのだ。
ただ、聞いたこともない人物から毎年来る手紙を、嫁が不気味に思ったのだろう。
ある時から俺に渡さず、こっそりと隠すようになったのだ。
真名が見つけたその隠し場所には、手紙が来なくなったと思っていた後のものが何通か保管されていた。
そして……恐らく最後に来た手紙と思われる中には、思いもよらない事が書かれていたのだ。
消印は二年前になっていた。
中にはただ一言。
名良村について話したいので、訪ねてきてくれないか。
そう書かれていた。
――――
そして今、俺は真名と共に、一五年ぶりに森見村へと向かっている。
嫁には電話で簡単な事情を話した。
例によって凄い剣幕で怒鳴られたが、今の俺はそれで考えを曲げる訳にはいかなかったのだ。
結局、喧嘩別れのような形で電話は切られ、俺は真名と一緒に車に飛び乗った。
そこから五時間半。
もう、記憶も定かではないくらいに色あせてしまった、あの森見村に到着した。
着いてしまえば、中林さんの家はすぐに分かった。
既に日も暮れてしまっていたが、まずは一言挨拶をと家の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
出てきたのは、六〇歳くらいの、当時の中林さんによく似た男性だった。
男性は中林さんの息子だった。
話を聞くと、俺が世話になった中林さんは、二年前に亡くなったという事だった。
俺に最後の手紙をくれてから、ほんの数ヶ月後の事だったそうだ。
落胆する俺の前に、中林さんの息子さんは、父から受け継いだという手紙を俺に渡してくれた。
何でも、中林さんが亡くなる直前に、もし俺がここを訪ねてきたら渡すようにと言われていたらしい。
ずしりと重い封筒の中には、何枚もの便箋にびっしりと文字が書き連ねられていた。
俺は息子さんに勧められるままに家にお邪魔し、中林さんが俺に宛てた手紙を読んだ。
あんちゃん、元気か?
俺の方はそろそろ、いつお迎えが来てもおかしくねえ。
本当は会って話せれば一番良かったんだが、こう離れているとそうもいかないだろう。
電話でってのもちょっとな。
だからもし、俺の生きている間にあんちゃんに会えなかった時の事を考えて、俺の話したかった事をここに書いておく。
話したかった事ってのは、名良村の事についてだ。
昔、あんちゃんがウチに来て、そのまま山奥で倒れてた時の事を覚えているか?
あんちゃんはそこで起き抜けに、名良村の名前を口にしたよな。
本当はあの時、俺は心臓が口から飛び出るほど驚いていたんだ。
だってさ、知ってるはずがねえんだよ。
森見村の、ごくごく一部の人間しか、名良村の事を知っているはずがねえんだ。
本当は俺も、この事を墓場まで持っていくつもりだった。
だけどな、どうもあの時、あんちゃんの言葉を聞いてから、名良村の事が頭から離れねえ。
このまま無かったことにしちまっていいんだろうか、この十年、ずっとそんな事を考えていたよ。
だから決めたんだ、あんちゃんには悪いが、俺はあんちゃんにだけは本当の事を話す。
名良村の事を、俺の後の代に伝える。
それをあんちゃんがどう考えるか……それは任せるよ。
済まねえな、無責任で。
覚悟が決まったら、この先を読んでくれ。
知りたくなければ、この紙は燃やしちまってくれて構わない。
名良村があったのは、日本がアメリカと戦争している最中の事だ。
その頃は俺もハナタレガキだったから、詳しいことはよく分からなかった。
だが、名良村に色々届ける時に、早苗と菊ってお姉さんに遊んで貰ったのはよく覚えてる。
名良村は、どっかの頭がイカれた野郎が作った村だ。
住んでた連中は皆ロクデナシばかりで、赤紙から逃げてきたヤクザとか、退役軍人だったが職にあぶれて人を殺しちまったような奴まで色々だ。
連中はシャバでは生きて行けなくなったから、このど田舎だった森見村の、さらにど田舎に村を作って隠れ住んでいたんだ。
雨が降ったらもう行けなくなるような山の中さ、警察にだって見つかりっこねえ。
だけどそんな生活に嫌気が差して逃げ出す奴もいた。
そして同じように、こっちの方からも山に入って偶然、名良村を見つけちまう奴もいたんだ。
そこで、当時の名良村の村長は、この森見村と取引をした。
それは、女を提供する代わりに、名良村からの脱走者を捕まえたり、こっち側から山に入る奴を監視して止めるって事だった。
名良村に行くには森見村を通らなくちゃいけねえ、逆も然りだ。
戦争で疲れ切っていた村の連中は、この話に乗っちまった。
聞いた所によると、当時、名良村から逃げようとした夫婦を一組、この村で捕まえたらしい。
その先はどうなったのかは分からない。だが、きっとロクな話じゃねえんだろうな……
そうしてこの村と、名良村の奇妙な共存は続いたが、それも長くは持たなかった。
あれは戦争が終る少し前の事だ。
この村でちょっとした事件があった。
ある晩、東の方の街を爆撃したアメリカの飛行機が、どうやらこの近くにも爆弾を落としていったらしい。
こんな所に何の施設もありゃしねえが、後から調べた話だと、爆撃機ってのは逃げ帰る時に余計な荷物を減らして速く飛ぶために、残っている爆弾を所構わず捨てて行く事もあったんだってよ。
ここで起きた爆撃がそうだったのかどうかは分からねえが、ともかくその晩、名良村のあった辺りに爆弾が降って、そして、名良村は無くなった。
後日になって、村の人間が何人かで名良村を見に行ったらしいが、見事に何も無かったって話だ。
そしてな、ここからが本当に胸糞悪い話ではあるんだが。
森見村に来ていた、名良村の女二人……それをな、自分達がやっていた事がバレるかもしれないと、当時の大人達はよってたかって口を封じ、埋めちまったんだよ。
ガキだった俺はそんな事とは全然知らなかった。
俺も後になって、オヤジが酒を飲んだ晩に、ぽつりとこぼした話から知ったんだ。
言い訳だけどな……とにかく、俺達は許されない事をしちまったんだ。
警察に話にも行ったが、とにかく何十年も前の話だ。
しかも名良村なんてここ以外では存在すら認知されてないし、村人達の戸籍も記録も何も残っちゃいない。
当時の事を知る人間も、最早俺のみ……
ボケ老人の戯言だと笑われただけだったよ。
だから俺は死ぬ前に、この村が殺した二人の女の墓を作る事にする。
それが……俺に出来るせめてもの償いだからな。
あんちゃんがどういう形で名良村を知ったのかは分からねえが、もし良かったら、そこに昔、早苗と菊という、とても仲のいい姉妹が住んでいたという事だけは
覚えておいてくれると嬉しいな。
手紙はそこで終わっていた。
俺は溢れる涙を止めることが出来ずにいた。
脳裏には、あの村で過ごした日々が鮮明に蘇る。
早苗と出会い、菊と出会い、そしてあの夜、狂ってしまった姉妹が、それでも救いを求めながら死んでいった夜。
娘を刺し、全てを終わらせようと村に戻った玄氏。
そして、大きな笛の音と爆音、炎……今、その全てが繋がった。
何故忘れていたんだろう、こんな大切な事を。
あの夜、俺は確かにあそこにいたんだ。
何故かなんて分からない、だが、夢でなどあるはずが無い。
「パパ……行こう?」
隣で俺の腕を掴む真名の目にも涙が浮かんでいた。
名良村の事など何も知らないはずなのに、俺の目を見て、大きく頷いた。
その夜は中林さんの家で一泊し、俺達は次の日の朝、川を上って名良村があった場所を目指した。
中林さんの息子さんは、父の残した手紙を見て驚いていたが、生前からそれを仄めかすようなことを聞かされていたらしい。
その時は妄想の類としか考えていなかったようだが、今こうして、俺と中林さんと名良村が繋がったことで何かを感じ取ったようだ。
山を歩くためのナタなどの道具一式と、軽トラックを貸してくれた。
俺と真名はそれに乗り、以前よりもずっと水量の減った川を上っていく。
そうして、昼になる少し前にそこにたどり着いた。
そこには何もない。
ただ、鬱蒼と繁った森と川があるだけの、どこにでもある山林。
しかしここは、俺が中林さんに発見された場所であり、そして、早苗に助けられた場所でもあった。
俺はかつて村があった方向を見る。
かなり育った木々に覆われていたが、俺の目には家の建っていた場所をありありと思い起こす事が出来た。
目指すは四番目の家のさらに奥……炭焼き小屋だ。
担いだ草刈り機で道を作り、狩った草を真名が横に退けていく。
暗くなるまでそれを続け、終ると中林さんの家に戻り、また次の日に名良村に向かう。
記憶を頼りにそんな作業を続け、いつしかそれは、森を貫く一本の道のようになっていた。
真名も全く文句も言わずに、もう三日も手伝いをしている。
俺と真名は特にお喋りをすることもなく、ひたすらに道を作る作業を続けた。
そして遂にその時が来た。
四番目の家があった場所から、五〇〇メートル程奥に進んだ所だろうか。
既に朽ち果て、木は変色し、周りはツルだらけになっていたが、僅かに残った石壁と、殆ど風化したトタン板の残骸が、そこに以前建物があったことを示していた。
俺はその周りを丁寧に掃除し、積もった瓦礫を取り除いていく。
そして……瓦礫を取り除き、黒ずんだ土を払った先にそれはあった。
寄り添うようにして並んだ二人分の人骨。
間違いない、早苗と菊だ。
真名が後ろで息を呑む音が聞こえる。
一三歳の少女にナマの人骨は刺激が強すぎただろうか……しかし、この二人は……
「真名、この二人が、早苗さんと菊ちゃんだ……俺を……助けてくれた人だよ」
そう真名に教えると、真名は目を逸らさずにじっと二体の人骨を見ていた。
持ってきた水で骨を綺麗に洗う。
あの二人だと思うと、気持ち悪いとか、不気味だとか、そういう感覚は全く無かった。
思わず二人の頭骨を俺は抱きしめる。
あの晩、あの小屋で確かに事切れていた二人は、それでも俺を引き止めた。
今なら分かる、あれは、一緒に死んでくれという事ではなく……外に出てはいけないという事だったのだ。
彼女達は最後まで、俺を助けてくれた。
その後、俺達は月の見える川の畔に、二人の墓を作って弔った。
最初は遠慮がちに遠くから見ているだけだった真名も、最後は二人の墓に手を合わせ、何かを祈っていたようだ。
「早苗さん、菊さん……パパを助けてくれてありがとう、おかげで真名は生まれることが出来ました」
そう呟いて祈る真名を見て、俺の目からはまた涙が流れ、頬を伝って落ちていった。