学園奇譚 サイン
戦闘描写はあえて薄めにしました、本編よりも好き放題やってみた感じです。
一年二組は今日も平和だ。
隣のクラスではなんだか小学生にしか見えない子が転校してきたり、なんか二重人格じみた人が居たり、お嬢様が二人も居たり、あとなんか憐れな馬鹿が居たり、色々あるらしい。
でも、一年二組は平和だ。
平和、だったんだ。
***
「響玖さー、なにやってんだべさー」
ふ、と。
中空を漂っていた意識が、クラスメイトの声で自分に戻る。
こういう時って妙に現実感が薄くなるんだよな。
確認しよう。俺は赤坂 響玖、天下無双学園高等部一年二組の生徒だ。
目の前に居るこいつは空井 映恵。
確か田舎の方からこの町まで下宿してきた女生徒で、セーラー服にはとんと似合わない野球帽を常にかぶってる変な奴だ。
「上の空……か。赤坂さんは馬鹿馬鹿しくて俺等の話が聞けないらしい」
たった今、皮肉な言い方をしたコイツは近江谷 怜哉。一応友人。
よ〜しよ〜し、現実感湧いてきたぞ。今は昼食中だ。
そんでこの二人と馬鹿話してて……途中で眠くなって……あー、半分寝てたわ。
「すまん、二人とも。ドーデモイイ話だったんで軽く聞き流した」
寝てた、とだけ言うのもなんか面白くないので引っ掻き回してみる。
「どーでもいいだなんてことさないべや! あたしりゃあ真剣にばなぁ……」
なんかこの方言って適当臭い感じだよなぁ……。
たまに映恵の出身地を聞きたくなるが、聞きたくない気もする。
「抑えろ空井、コイツはお前をからかって楽しんでいるだけだ」
「ぬぁ!? なげにそんな事するがや、響玖〜!!」
あー、コイツ面白。常にテンション高いからちょっと言えば勝手に暴れだすんだよなぁ。
「いやいや、俺は面白い事なら努力は惜しみませんぜ? そして映恵の反応は限りなく面白いからしょーがないんだ、悔しかったらテンション下げてみやがれ田舎娘!」
「むがー! そげばこと言ったってあたしゃこれが元々やげな!」
映恵が俺に鉄拳制裁を加えようと立ち上がる。
だがそんなものを易々と受ける響玖様ではなぁい! 貴様ごときが我が俊足についてこられると思うてかフゥアハハハハハハ!!!
「逃げんでないわさー! このー!」
「ひゃっはっは! 悔しかったら捕まえてみろ! むしろ悔しくなくても捕まえてみやがれヒャッハー!」
俺は今、教室を駆け抜ける一陣の風に……
「うるさいぞお前ら」
「「はい、すいません」」
数分後、俺と映恵は怜哉にこっぴどく叱られていた。
いや……だってさぁ……怖いよ、コイツ。なんだよ、叱る時は恐ろしすぎるよ、お父さんか、お前は。
「な・に・か! 余計な事を考えなかったか……?」
「イエ、ナンデモゴザイマセン」
こ、怖〜。
「はぁ……まったく。ほら、とっとと飯食うぞ」
怜哉の許しを得た俺たちは急いで自分の弁当にかぶりついた。
「んぐんぐ、もぐもぐ……所でさ、さっきのは結局何の話だったんだ?」
「んまんま、ごくごく……あれだべさ、卯月さんだー」
「お前ら、食いながら喋るなよ……行儀の悪い……」
とりあえず怜哉はALL無視って事で。
で、卯月さんねぇ……。
「卯月さんがどうかしたのか?」
「いやあさ、どげもせん事が問題なんじゃあちゅう事がや」
まぁ、確かにそうだな。
卯月さんってのはウチのクラスの卯月 姫紀っていう女生徒の事だ。
別に特別目立つ容姿とかそういう訳じゃないんだが(普通に可愛いが、俺の目から見ると)、クラス中でもう彼女の名を知らない奴は居ない。
彼女は――喋らないのだ。
「卯月さんばぁ、こん前、当直ん時も全然やがったかぁ、女の子であんまよく思われとうないがや」
コイツの方言はまったくよく分からないが、とりあえず要点だけは伝わった。
女性は怖い、内輪には限りなく優しいが輪を外れると本当に怖い。
まぁ、映恵のようなのも居るしその限りではないのだが、やはりクラスの大半がそんな仲間意識の強い方々だろう。
「まぁ、そういう訳で卯月を俺らの仲間に引き込もうと思ってな。これで男女比も合うだろう」
「引き込むだなんてさぁ、人聞きが悪いやぁ。ながよくできりゃあそれで良かと」
まぁ、傍から見ても分かるとおり、俺たちはなんだか妙な集まりだ。
初めは俺が田舎から出てきたばかりの映恵をからかいまくっていたら、いつの間にか怜哉が俺を注意するようになっていた。
それ以降、何の流れかは知らないが昼飯を一緒に食うぐらいの仲になっている。
まぁ、そんな俺たちの輪に居れば周りからの被害も少ないと、こいつ等は考えているようだ。
「良い奴だな〜、お前ら」
「おうともさ」「だべ」
二人は一様に頷く。
まあ……面白そうだしな。喋らない女の子なんてなんだか訳アリっぽくて良い感じ。
「ひ〜び〜く〜、また面白いやらなんやらば考えとよったばな?」
「んあ? しゃーねーよ、それが俺の生きる理由だし。マイライフトゥ暇潰しですよ?」
英文法が合ってるかなんて気にしない。……一部の読者様、ここで俺が他作品のネタ使うと思っただろ?
ちょっと使いたかったけど、期待を裏切る方が楽しいから使ってやらねぇ。
「はぁ〜、響玖もなんば役だづ事、考えんきに〜よ〜。阿呆な事ばっがり気ぃ回しとってからに〜」
「仕方ない、赤坂のこれは生まれつきだ。生まれつき素晴らしいものを持っている人間も居れば、コレの様に下らん存在も生まれたりする……おぉ、神とはなんと不平等なものか!」
そこで俺の反撃を見越した怜哉が椅子から腰を浮かす。……だが、俺は別の事を考えていた。
「生まれつき……ねぇ。そんなに良いもんじゃねぇぞ?」
「「は?」」
あ、やっべ。
「い、いや、……テレビとかでさ! よくやってるじゃん、天才の苦悩的な!」
多少不自然なつなぎだったが、目の前の二人は顔を見合わせ、頷き合い、
「響玖にゃ一生関係無い話だがや〜」
「まったく……電脳などに毒されおってからに……これだから馬鹿者は……」
ちょっと殴ってやろうかと思った。
***
まぁとりあえずそういう訳で、赤坂 響玖という人間は特殊能力を持っている。
まぁ、特殊能力の基準が「普通の人間がどう努力した所で得ることの出来ない不思議な事を引き起こす力」全般を指すのなら――だが。
どういう原理かも、どういう方法かも、どういう理由でかも知らない特殊能力。
俺は、何も無い所に字を書くことが出来る。
人を笑顔にする事もその逆も、利益を得る事もその逆も、人を生かす事もその逆も出来ない、人畜無害で利益皆無の特殊能力だ。
(まぁ、人によってはメルヘェンとか思うかも知れんが……)
指を使い、宙に「あ」と書く。
すると指に追従するように青白い光の線が現れ、「あ」を形取っていく。――が、
「…………ぶはぁ! やってらっれか!!」
疲れるのだ、これは。
そんなに文字を書きたいなら鉛筆を買えばいいし、光らせたいなら懐中電灯でも買えば良い。
なんだかとっても割に合わない力だった。
と、悪態をついていると、
「………………………………」
目の前に、少女が居た。
きっと染めた訳ではないだろう栗色の髪が風にはためき、それ自体が風を象徴するようにはためいている。
同じような色の目が怯えるような、それでいて興味があるような色でこちらを眺めており、なんだか悪い事をしたような罪悪感に駆られた。
……いや、問題はそこじゃない。
「え〜っと……卯月さん?」
コクリと、少女の首がゆっくりと下がった。
……あー、思い出した。ここ、中庭にはよく卯月さんが居るというので様子を見にきたんだ。
そしたら居なくて……ちょっと待ってみようって気になって……やってるうちに暇になって……そんで昼飯の時の事思い出してたまにはやってみようかと……
「あの、あう、あー……見てた?」
また同じように、ゆっくりと首が動く。もちろん縦にだ。
それから、ほっそりとした指が俺の目先の空間を指す。
「ん? ……うぉうあ!?」
目の前にあるのは平仮名の「あ」。
俺としたことが……消し忘れてるじゃねぇか、こりゃ見つかって当然だ。
「あ」に手をかざして少し肩の力を抜く、すると文字は掻き消えていった。
「…………」
少女、もとい卯月さんが驚いたような顔をする。
正直、能力のことは誰にも知られたくなかった、まぁ大した理由は無いけど騒がれるのも嫌だし。……卯月さんも現在進行形で驚いている。
「なぁ、卯月さん……これ、内緒にしといてくれない?」
すごく微妙な具合に首を傾げられた、可愛いじゃねぇかコンチクショー。
「……じゃなくて! 色々驚かれたり避けられたりどこぞの博士の研究材料にされるのは嫌だから、黙っててってお願いしてんの!」
こっくりこっくりと首を左右に何度か傾げ、その後空を仰ぎ見て、しかる後困り顔。
この間、約5秒。
……………………天然系か?
「だあああぁぁぁかああぁぁらああぁぁぁ!! Hey! Don’t speak this! Are you OK?」
かなり英語を間違ってる気がするが気にしない。そして意地でもアレは使わない。
そして対する卯月さんは……
「…………」
……二、三歩引いてからコクコクと頷いていましたとさ。
これさぁ! 俺だって恥ずかしいんだよ!? 中庭中央で英語叫ぶって! ちょっと響きだけ愛を叫ぶアレに似てるじゃねーか!
もっとさぁ……こう……卯月さん喋らないから親指立てるだけでもいいからさぁ……もっとノってくれよ!
「はぁ……いやまぁいいや……卯月さん、暇?」
そんなジリジリと下がっていかないで下さいお願いします。
そんなにか? そんなに俺は変質者に見えるのか!?
「いやいやいや、ただちょっと暇ならー、……暇ならー…………」
ヤバイ、どうしよう?
お昼一緒に食べよう? ……駄目、もう食ってるし。
今度の日曜遊びに行こう? ……無理、馴れ馴れしすぎる。
ちょっと付いてきて? ……不可、本格的に変質者に成り下がってしまう。
少し話でもする? ……どこのナンパ師だ。
とか、俺が苦悩にくれていると……
「んあー? 響玖〜?」
「お、ナイスタイミングだ映恵」
映恵が来た。……卯月さんはまた2、3歩引いた。
「そりゃあね、映恵は見た目変だし口調変だし引かれるのは仕方ないけどさぁ……」
「響玖〜、あんたにだきゃあ変とか言われたくねーべさ〜!」
ありゃ、口から出てたか。
まぁとりあえずそんなことはどうでもいいんだ、今の問題は卯月さん。
「映恵、卯月さんに適当に話しかけてくれ。女同士のがやりやすいだろ」
映恵は了解、と言いながら軽く敬礼すると卯月さんの方へ向かっていった。
たどり着いて……なんか話して……変な動き、つか手話? ……いや手話やってるの映恵だけだ、あいつ何やってんだ……あ、なんか動きがおおげさに……手をユラユラ動かして……お、虚空をたたき出したぞ……って
「誰がパントマイムやれと言ったか!!」
靴を脱いで映恵に投げつける、スコーンという良い音がした。
***
「え〜……明日の伝達事項は〜……あ、うふふ……昨日の〜、昨日が明後日で〜……」
現在、終わりの方のHR中。
普通ならばすぐにでも帰る事ができるのだが、担任教師の白佐賀はたまに大宇宙の電波を受信したりするので、長引く事もある。
今が正にその状況だ。
「はぁ〜」
ため息をついて横を向くと卯月さんの姿が目に入った、卯月さんもこちらを向いている。
お互いに見つめあい、そして苦笑。
あの中庭での一件、映恵との漫才が功を奏したらしく卯月さんも話を聞いてくれるようになった。
……どうしてアレがうけたのかよく分からないが。
「なぁ、赤坂」
と、後ろの席の怜哉が、小声で話しかけてきた。
「ん? どした?」
顔を少し後ろに向けて話す、受信中の白佐賀はこの程度のアクションならば気づかない。
「卯月と仲良くなれたのか? 空井とも少し親しげだが」
んー、という生返事とともに頷きを返す。
「そうか……いや、今さらなんだが卯月と居る時は注意しろ。そして絶対に彼女に言葉を発させるな」
「それは、またお前の仕事関係か?」
この町では未成年であろうと仕事が出来る、という事で映恵も怜哉も仕事をしている。俺はバイト程度だが。
「まぁ、そんな所だ。俺や映恵が居る時はまだいいが……というか映恵、もしかしてアイツは知らないのか……?」
俺への注意だった怜哉の言葉が、尻すぼみに自問へと変わっていった。
やはり、ややこしい事情らしい。もしかして大会社の令嬢とか?
と、その時――
「うふふふふ〜……これにて〜終了……ドリンダちゃんにお水をあげてこないと〜」
白佐賀の電波が終わり、学校が終わった。
ちなみにドリンダちゃんがなんなのかを考えたら負けだ。
「おっしゃ〜! 卯月さん、一緒に帰るでや!」
映恵がいの一番に卯月さんの机に飛びつく、卯月さんは驚いて仰け反った。
「いつも思うんだが、映恵ってたまに良い動きするよな」
「まったく、馬鹿が……」
怜哉が頭を抱えながら悪態を吐いた、誰に向かってかは分からないが。
まぁとりあえず、卯月さんは映恵の言葉に頷いている。
俺たちももちろん一緒に帰っているので今日は4人という事になるな。
「しゃー! 帰るぞ野郎どもー!」
「野郎は響玖と怜哉だきゃあな」
そのツッコミは許すとして、相変わらずお前はどこ出身だ。
そんな他愛の無い事を思いつつ椅子から腰をあげる、怜哉もまた同様。
「じゃー、帰るか!」
俺が言うと卯月さんも映恵も頷き、俺たちは出口に向かって……って
「ありゃ? どしたの?」
怜哉に問いかける。アイツは何故か俺たちとは逆方向に進んだ。
「報告だ、あのお嬢様に報告を怠ると消されてしまうからな」
怜哉はそう言い、肩をすくめて見せた。
ま、そういう訳で両手に花です。
「んー……なんというか落ち着かん……」
両手に花、男なら一度は憧れる状況だが、実際なってみると微妙に気まずいなと体験者談。
「卯月さんって誕生日はいつ頃だや?」
卯月さんは指で8を示し、その後1、6と示す。
「8月16日かや。誕生日になりゃあたらプレゼントでも渡すばあな」
……会話成立してるなぁ。
うん、手の動きだけでも十分話せるんだな。……なんか自分の能力が余計役立たずに思えてきた。
「響玖ー、卯月さん頼むや」
と、軽く落ち込んでいると映恵がこちらに声をかけてきた。
「ん? 頼むって何? この子をお願いしますで嫁入り確定?」
「アンタの嫁には誰もなりたきゃ無いさ。ちょっいと私も仕事があるから途中までだべ」
と、学校のある山の上を指す映恵。
映恵は巫女の仕事をやっていたりする、まぁ基本事務らしいが。
「ん、そうか。じゃな」
「卯月さん襲うなやー、響玖ー」
「何を言うか。俺は理性の塊だぞ」
役者のように両手を広げて言うと映恵は疑わしげな視線を向けてきた、失礼な。
まぁ、そういう訳で映恵は走り去っていった。
「んじゃ、帰るか……卯月さんの家、どっち?」
とりあえず今日は家の方向が違っても送っていくつもりだ。
普通なら誘った映恵が送るのだろうが、その映恵も俺を信頼して任せたのだろうし。
……ちょっと深読みな気がしないでもない、映恵は結構馬鹿だし。
と、気づけば卯月さんは手で方向を作っていた、どうやら下ってから右の道に向かい……あぁ、小鳥遊町か。
俺の住んでる所は志乃崎町なので逆方向、まぁ俺の心がけが無駄にならなかったって事で。
そして俺たちは再び歩き出した。
「…………なぁ、卯月さん」
声をかけると、彼女は少し首をかしげて僕の言葉を待った。
その顔は女神のようでもなんでもなく、ただの少女の顔だ。
本当に――誰かと比べても同じような顔なのに。
「……やっぱ、なんでもない」
うん、聞くことじゃないよな。
どうして、喋らないかなんて。
***
「次社長、卯月との接触を持ちました」
男の――近江谷 怜哉の声が壁に反響する。
この場所はそれ程度に静かだった。
ここは――生徒会室。
「続けなさい」
促す声はあどけない少女のようで、しかし確かな威厳と威圧を放っていた。
金の髪に青い目、長い髪はクルクルと縦にロールされており、服装は青いパーティドレス。
その容姿は正に「人形の様」であり、どこか作り物めいた印象さえ感じる整った顔立ちだ。
この学園そんな服装の人物は怜哉と同い年の小鳥遊 灯夜とその姉ぐらいで、そしてこの場にいるのは姉の方だ。
小鳥遊 鷹子、小鳥遊家の継承者であり、既に数部署の経営を任されている才女。
しかし、怜哉はいつも違和感を持つのだが身長だけは小学生並だ。
この学園には人の身長を縮める成分でも含まれているのかと思う、教師にも小さいのが一人居るし。
余計な思考を頭の片隅に追いやり、怜哉は報告を続ける事にした。
「はい、とりあえず俺と赤坂、空井と三人分で接触しました。現在は空井、赤坂の両名と下校しているはずです。……しかし次社長、どうして一生徒に護衛を?」
次社長、表向きは何の仕事も持っていない彼女だが、その言葉は彼女の立場をストレートに表していた。
そして怜哉の仕事とは小鳥遊財閥、このご時世に未だ財閥とさえ呼ばれている総合企業の社員だ。
その立場の差を知りながら彼は質問する。
自分のプライベートを割いてさえ、大切な友人すらも巻き込んで、そこまでして見張らなければいけない彼女は何者なのかと。
「機密、ということにして頂けるとありがたいですわ」
それを受けて、ニコリと微笑みながらも拒絶を示す言葉。
彼女の拒絶はいつも易しい、その理由はといえば必要が無いからだ。
言い難いわけでも遠慮するわけでもなく、彼女がやんわりとでも拒絶すれば誰であろうと従わざるをえない、小鳥遊 鷹子とはそういう生き物だ。
「……とりあえず、今日の所は空井がついているので無事でしょう」
怜哉は言いたい事を飲み込み、報告を終える。
息苦しい時間はこれで終わりかと怜哉は心の中でため息をついたが、思わぬ事が起きた。
報告を終えたそのタイミングで、鷹子がとんでもないことを言ったのだ。
「無事ではありませんことよ、おそらくですが。如月町より武装した何者かが出立。一般人の報告が無ければ調べ切れなかった隠密性、下校時というタイミングから見て、狙いはほぼ間違いないという結論に達しましたわ」
息を呑む。
この市は、四つの町の力のバランスが釣り合っているからこそ平和であり、その気になれば本当に漫画や映画のような戦闘が起こりうるのだ。
それが、彼らの元に向かっている、気が気ではなかった。
怜哉にとって響玖と映恵は、自分から声をかけてようやく出来た本当の友人なのだ。
しかし、次の瞬間に一つの事に気づく。
「……いえ、空井が居れば大抵の相手は迎撃可能でしょう」
自分とは所属する「町」が違うが、空井の力とお人好しは知っている。
空井ならば敵が武装していようが、赤坂にも卯月にも気づかれずに排除する事が可能だろう。
「いえ、黒椿峰の方から彼女の帰還を確認したとの情報が来ましたわ。彼女は護衛の事もなにも知らないのだから当たり前といえば当たり前なのでしょうけど」
再び、息を呑む。
彼女の所属する町、黒椿峰の機関から情報が来たのならそれは正確だろう。
「クソッ! ……如月の奴らは何を考えているんだ!」
「同意ですわ。平和が一番だというのに……無粋な連中ですわね」
怒りで顔を歪ませながらも、よく言う、と怜哉は心の中で失笑を一つ。
平和が一番などと、本当に考えているのなら怜哉のような人間は要らないのだから。
「…………次社長、やはり街中では……」
「えぇ、部隊は出せません」
予想通りの答えだが落胆する。
敵は如月の正規部隊のようだが、対するこちらは身一つだ。
その怜哉の失望を見て、鷹子は微笑を浮かべながら話しかける。
「大丈夫ですことよ。志乃崎は……まぁ、あんな調子なので期待できませんが、黒椿峰は自分の領内で起こった事だからと協力を申し出てくれました」
そこで言葉を切り、続ける。
「後はあなた次第ですわよ――不必要悪」
その言葉に、仕事だという事を認識する怜哉。
小鳥遊株式総合会社対危険存在対策部非人道課、通称「不必要悪のあなぐら」
小鳥遊の私兵を囲う対危険存在対策部の中で、任務内での全ての外道と全ての悪逆と全ての残虐を許された非公式機関。
彼らの仕事は、社の利益のためならば任務に規定されていない限りの全てが許される。
その非人道課の課長が怜哉だ。
「ふぅ……分かりました。こちらとしても助けない訳にはいきません。装備は頂けるのですか?」
「もちろん。情報の欠片すらも一切漏らさないというのなら」
無理だ、と怜哉は結論。
街中に出るかもしれない中、銃器火器は絶対不可、刃物やそれに類する物でも長いと怪しいし、短いならば持たない方がマシだ。
如月町という相手ならば、人間よりも化物が出る可能性が高い。
嘆息一つ、外に向かって歩き出す怜哉。
「情報は端末に送ってください。俺はとっとと済ませて学園生活を楽しみたいんです」
その後姿を見て、鷹子は呟くように、さえずるように、言葉をかける。
「うふふ……頑張ってくださいましね? 私のための不必要悪。殺戮を破壊を残虐を非道を殲滅を悪逆を非道を、小鳥遊のために成しなさい」
その言葉に、歩調をまったく変えずに怜哉は答えた。
「了解、人道に在らぬ我が所業は全て貴女様のために――」
***
――今さらなんだが卯月と居る時は注意しろ
怜哉の言葉が頭をよぎるが、それはもう今さら考えても無意味な事の訳で……
俺と卯月さんは今、追われていた。
一人は緑色の髪の女、もう一人は青い髪の女、最後に黒っぽいが普通と少し違う髪の男。
なんだかファンキーでエキセントリックな見た目だが、やる事はマジらしい。
「卯月さん、こっち!」
卯月さんの手を引き、俺は来た道を逆走している。
学園にさえたどり着ければ、とりあえずは安全なはずだ。
観た所銃とかは持っていないらしい。いや持ってる訳無いよなこの法治国家、日本で。
「逃がさないであります」
青い女が先頭で走ってくる、速い。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、私達の、初めての仕事が、これっていうのは、ちょっと、嫌なんだけど……」
「…………」
が、向こうは向こうで何か事情があるらしい。
緑の少女が抗議し、黒い男も肯定するように頷く。
「文句は受け付けないであります。父上に直接言えば良かったと出来の悪い子たちに進言しておくであります」
あ、後ろの二人が震え上がった。なんかやっぱり先頭の奴が偉いんだな。
「とか考えてる場合じゃねぇ! 卯月さん、まだ走れるか?」
頷く卯月さんだが、息も絶え絶えで汗でびっしょり、とても無事そうではない。
……ここは仕方ないよな。
「ちょっとごめん、卯月さん!」
と、掴んでいる彼女の手を引き寄せ、握っていた手を首筋にずらしてもう片手を太ももに、そのまま卯月さんの体を90度回転。
お姫様抱っこの出来上がりだ、追われているのに彼女を背中側に晒すわけにはいかない。
そして俺は理性の塊なのでこんな事をしてもヨコシマな考えは浮かばないのだ、多分。
卯月さんも顔を赤らめていたが文句は言わないから大丈夫だろう、喋れないからだってツッコミは当社サポートセンターまで♪
「逃がさないであります……」
ってうおぉ!?
ふざけてる場合じゃない、アイツすげぇ速い! てかもうむしろ人間か!?
追いつかれる! やばい! もしかして俺の人生終わり? こんな訳の分からん間に!?
「んっなの! 許せるかアアあああぁぁぁァ!!」
俺はまだ死にたくない!
映恵をもっとからかってやりたいし、まだ怜哉相手に一矢報いた事も無いし、それに卯月さんとも仲良くなってない。
だから、こんな所で死んでられるか!
「ふむ、人間――それも一般人にしては良い動きであります」
速度を上げ、通学路の林の中に入る。
これはいつも通っている学園の通学路、地の利はこっちにあるはずだ。
あるはず、だった。
「しかし、それでもただの人間……」
耳元で、女の囁き声が聞こえる。
今日ほど人畜無害で利益皆無な自分の力を呪った日は無い。
自分に宿っていたのがもっと強力な――それこそヒーローのような力だったら戦えていただろうか?
……きっと無理だな、能力以前に俺が弱い。
はは、なんだよ……俺は。
ただボーっと過ごすだけで、何もしないで、しようとも思わないで……
女の子一人すら、守れないじゃないか。
瞳を閉じる、覚悟を決めた。
ただ、胸の前に抱いた少女だけは、俺が倒れてからも走り出せるように降ろしておいた。
「我らには敵わないであります」
さっきからこれだけしか時間が経っていないのか、と自覚させる女の言葉の続き。
そこから先は全てがスローで見えた。
女の腕が俺の肩を掴み、引き寄せ、もう片腕を握り締め、その腕が弾かれて、女の体が宙を舞い…………って、え?
「や、響玖〜、あせりや戻ってきたんが疲れたば〜」
女と俺との間に、映恵が立っていた。
いつもの野球帽をかぶり、しかしその服装は若草色の着物である。
「え……っと、映恵、だよな?」
「こげな美少女、他に居るかや?」
「星の数ほど」
「そりゃねぇや〜」
脊髄反射のように言葉を返した後、彼女が映恵だと再認識する。
そして奥を見ると、もう一つ異変が起こっていた。
さっきまで後ろに居た二人のうち、黒っぽい男が居なくなっている。
「ま、あっちはあっちでやっとるちゅうことば」
映恵が喋り、野球帽の上から頭をかく。
その仕草は、もう安全だと言っているように思えた。
(あぁ……映恵が卯月さんの時と同じくらい頼もしく見える……。なんだ今日は、スーパー映恵タイムか?)
そんな事を考えながら、俺は再び卯月さんをお姫様抱っこ。
あぁ……なんか落ち着いて考えるとこれっていいなぁ……理性? ナニソレ食えるの?
「まぁ、映恵、そういうことでもう大丈夫なんだよな?」
どうしてここに、とかなんでこんなに強い、とか聞きたい事は大量にあるが、とりあえず助か――
「もう帰っちゃくれんかねぇ、私もケンカは好きじゃないべよ」
「いえ、私は、無抵抗の人間を、連れ去るのは、卑怯だと、思っていました」
――ってねぇ。
緑色の少女と映恵がなんだか激戦を繰り広げている。
人智を越えた限界バトル! その果てに待つものとは!? 響玖先生の次回作にご期待ください――って感じだ。
……やばい、俺も変な事態でテンションが妙な方向に向かっているらしい。
「…………いやまぁ、逃げないとな」
いやほらだって今青い人が立ち上がったし、映恵はドラゴ○ボールみたいな戦いしてて忙しそうだし……。
「状況、ほとんど変わってねぇじゃねぇか」
***
からからころころ。
右手の中で、拾った石ころが音を立てる。
敵数は一、これ以上を引き受ける義理は無い。空井なら上手くやるだろうしな。
さて、やるか。
「これより悪を執行する。遺言があるなら勝手に言え、祈る神がいるなら勝手に祈れ」
右足で地面を強く踏みしめ、左足を次の地面へ。
「――時間は与えんがな」
手の中にある石を一個、親指に乗せて弾く。
これが先ほども使った手、林の中から攻撃が来れば奴らも分散せざるを得ない。
「…………」
敵は無言、石ころを首の動きだけでかわす。とりあえずはやるようだ。
だが、まだ戦い方が純粋すぎる。きっと実戦経験が浅いのだろう。
そういう敵ならば、俺にとってはいいカモだ。
ひとさし指の腹に一つ、石ころを乗せて親指で弾く。
ここまでは順当だ。――だが、それだけで終わるはずが無い。
もう一撃、手の平の中から不意打ち気味に中指で弾く。
そして、ダメ押し。
「――――っ!」
驚いた顔をした、俺が。
敵の肩がピクリと動く、悲しいかなどれだけ警戒していても生物にはそういう生理的な反射がある。
そして俺は、世間一般にはやるべきではない事――嘘や悪事をコンマの迷いも無く実行する事が出来る人間だ。
よって、敵に一瞬の隙、こちらには一瞬の好機。
もう一つ、左手に隠し持っていたたった一つの石ころを放つ。
まだ、まだまだ罠は終わらない。
兆弾。
三発目は二発目よりも速く、同軌道上に放った。……つまり、この二つは針路上で激突する。
一発目は鳩尾、跳ねた二発目は右目に、弾いた三発目は股間に向かって飛ぶ。
全てが必殺の一撃、それ単体ではどうかは分からないが、当たりさえすれば殺しまでもっていく自信はある。
「…………」
敵は無言、だがかわす。
上手く見切れないようにフェイントだらけだったというのに、それでも男は横転ぎみに左へとかわした。
本当、この動きは素晴らしい。
素晴らしく素直に動いてくれる。
もちろん、そこに在るのは最後の罠、つまりは俺自身。
着地、受身すら取れぬ状況で奴のアゴを――蹴り上げる!
「…………!」
敵は無言、しかしそのまま後ろ向きに倒れていく。
かろうじて体勢を立て直したようだが、形勢はこちらの方が有利だ。
アゴに攻撃を入れるという事は、脳に衝撃を与える事にもなる。
「……………………」
不利を悟ったのか、敵は背を向けて走り出す。
「逃がすかっ!」
それをもちろん、追いかけはしたのだが……奴は木の上に一飛びで飛び上がり、そのまま枝を飛び移って逃げていった。
やはり、人間ではない。
見た目が人間で性能が違うか、人間をベースに一工夫加えたものかだ。如月町の研究者どもはそれぐらいやる。
「しかし……位置が分からんのでは追跡も出来ないな」
そうだ、このままではアレが赤坂と卯月に追いつくかもしれないのだ。
だが、どこに居るのかも分からない状況ではどうしようもない。
とりあえず俺は、近くの林を探索する事にした。
***
「邪魔を、しないで、ください!」
目の前の少女が、拳を放つ。
その拳は神速、プロのボクサーにも劣らないだろう。
「いやさ、あん子らは私の友達じゃけん」
しかし、それを掴む。
真正面から、神速を力によってねじ伏せる。
「やっぱり、人間じゃ、ありませんね」
少女が今度は回し蹴りを脇腹に。
後ろに退いてかわしたが、それと同時に少女の手が開放される。
「んー、わたしゃ、河童だげさ。田舎から出てきたん」
そう、自分は妖怪。人にあらざるもの。
黒椿峰は妖怪の駆逐だけではなく、友好的な妖怪の発展と保護にも努めている。
そういう訳で、私は黒椿峰の神社に下宿させてもらっているのだ。
……文が方言じゃない? 心の声は万国共通だよ?
と、油断している暇はなかった。
「……どうして、帽子を、かぶって、いるの、ですか?」
暇はあった。
どうやら少女は話すのが好きらしい。
「そりゃあな、河童の皿ちゅうのは知っとるけ?」
「はい」
「ありゃなぁ、頭ん太陽当たっだらあかんから水でちょっいとでも守ってる訳だぁ。だがら河童はなぁ……」
一拍、間を空ける。
正直、この体質は先祖を怨むしかない。
「頭に光を浴びすぎると……皿ぁ作るためにハゲるんじゃ」
これのせいで……家の外では常に帽子着用……。
この年齢でハゲるのは嫌だ、年取ったら良いわけじゃないけど。
「そう、ですか」
少女が少し気遣ったような態度を見せて、しかしその後ニコリと笑った。
「では、ごきげんよう」
「な? あぁ!?」
しまった、話している間に立ち位置が変わってた!
しかも結構間を空けられてるし……逃げられたら、追いつけない。
「待たんかや、こらぁ!」
「待ちません」
そして少女は林の中へ消えていった。
追いかけはするが……最早追いつけるかどうかも怪しい。
(くっそー! 響玖は大丈夫かえなー?)
***
指の先から文字を生み出し設置。
「馬鹿」とか「阿呆」とか神経逆なでするような事を主として。
「…………」
そしてそれを放置。自分は別方向に逃げる。
まだ夕方だが林の中は暗い、文字が光になって嫌でも目に付くだろう。
「……………………」
暗闇から観察する限り、声こそ荒げないが女の表情はどんどん険しくなっていく。
初めはそんな事もなかったのだが、塵も積もればなんとやら、イタズラの基本だ。
「卯月さん……大丈夫?」
コクリ、と卯月さんが頷く。
とりあえず今は卯月さんに自力で走ってもらってる、両手塞がると字が書けないし。
しかし……逃げながら書くのは疲れる。
「よし、もういっちょ」
次は「年増」。
人間怒ると判断力が鈍るものだ、本来ならここで膝かっくんでも仕掛けたい所だが、シリアスに逃げている状況ではさすがにやらない。
と、そこで気づいた。
女の後ろから近づいてくる二つの影に。
(映恵ー! 食い止めるんじゃなかったのかよー!?)
さすがに三人分の包囲からは逃げられない、俺のは見つからないからこそ意味があるのだ。
そして、三人による山狩りが始まった。
「あ、アハハ……」
俺たちはすぐに見つかった、しかもあの女に。
「……何か弁解があるなら聞いて差し上げるであります」
さっき聞いた女の声は抑揚が無い感じだったが、今は氷のように冷たい。
「いやそらあのえっと、ねぇ、そっちが追いかけてくるからじゃあ――」
「私たちは貴方に危害を加えるつもりは無かったであります。用があるのはそちらの少女」
ちらり、と女は卯月さんを見る。
卯月さんはビクリと震えた。
「……卯月さんは俺の友達なんだ。何かあったら助けるに決まってるだろ」
「いえ、すこし誘拐させて頂きますが危害を加えるつもりは毛頭無いであります」
……………………え?
じゃ、これって……え? 無意味? 折角逃げたのに……いや、でも誘拐ったら大事か。
「で、少年。……貴方は、私にしたことを覚えているでありますか?」
「あ、ハハハハハ……」
「さすがに少し怒りを覚えたので、一発だけ殴らせて頂くであります」
…………殴られ損のくたびれもうけ?
ってあー! なんかもう殴る姿勢になってるよ!? 結構腰はいってるよ!? 世界を狙えそうな良いパンチの予感!
「ちょいほんとうもうごめんんさいあやまりますから――ってグブアッ!!」
殴られた。
ここまでならギャグで済んだのだろう。
しかし色々と誤算があった。
女の力の強さ。
俺たちは逃げて、女は冷静さを失って、場所に確認が出来ていなかった事。
女の拳を受けた俺は、数m浮き上がり。
そして、後ろにあった崖から落ちた。
「…………え?」
最期だというのに、そんな間抜けな声しか出なかった。
崖なんてあると思わなかったのだから、せいぜい「いってー!」で済むと思っていたのだから。
運悪く頭から、崖の下に落ちていく。
そして、俺は死ぬんだと思った。
だったら最後にと、手から力を発した。
人畜無害で利益皆無のつまらない力、でも――居場所を伝える役ぐらいには立ってくれ。
そして聞こえたのは自分の体が砂利をすべる音、骨の折れる音、頭蓋に響く音、それと――
「――――――――!」
卯月さんが、何かを叫んでいたように思う。
***
私は、普通とは違った。
私には能力があった、能力の基準がなんなのかとか下らない事を吹き飛ばすほどに特別すぎる能力。
私は、喋るだけで全てを思い通りに出来る。
人畜有害で利益大量、ただの一言で命すらも簡単に扱える力。
初めに気づいたのは、もう物心ついた時だった。
「遊んで」と言えば誰もが寄ってくる、「嫌い」と言えば誰もが遠ざかる。
しかしこんなものは自分が子供だからだろうと思っていた、周りの人間が少し自分に甘いのだと誤解していた。
きちんと自覚したのは、小学生の頃。
「やめて」と言えばケンカは止まる、「やって」と言えば誰もが手伝う。
初めは人望でもあるのかと思っていた。
しかし「死ね」と言う事を言ってしまったことが、一度だけある。
それは本当になんでもない口げんかで、良くある日常の一コマになるはずだった。
しかし、言われた少女は本当に窓から身を乗り出していた。
「やめて」と言えば、糸が切れたかのように動きを止めたが、後日それは問題になった。
私が死ねと言った事にショックを受けてそんな事をした、というのが教師の意見だ。
教師も相手の親も怒っていた。
特に相手の親は私を殺さんばかりに睨んでいた。
それでも、「ごめんなさい」と一言謝ると、誰もが許してくれた。
そこで子供の頃を思い起こす。
――あの雲、ゾウさんの形だぁ。
それは、自分が望んだからそんな形になったのではないか。
――このシャボン玉、割れないねぇ。
それは、自分が割れるなと命じたのではないか。
――ねぇ、お父さんお母さん……
父母は、自分が望んだから優しいのではないか。
怖くなった。
世界の全ての善意が怖くなった。
何もなくなってしまえばいいと、思ったことはあったがすぐにやめた。
自分なら、本当に実行できるのかもしれないのだから。
そして喋るのを止めて、高校生にまでなった。
そこには、友達になってくれる人が居た。
喋らなくても、善意を向けてくれる人たちが居た。
だから、私はさっきから「もういい」と言いたかったのだ。
それさえいれば、彼は何事も無かったかのように家に帰るはずだから。
でもなかなか言えなかった、頭で分かっていても心がそれを許さなかった。
でも、彼が崖から落ちたときは自然と声が出た。
おそらく、喋ったのは6年ぶりぐらいだろう。
私は叫んだ。
「死なないで」――と。
***
目が覚めると、そこは白い天井だった。
「よぉ、赤坂」
怜哉の声がする。
怜哉は丸い椅子に腰掛け雑誌を――って
「それもう発売してたのか!? ってか今日は何日だ!?」
「第一声がそれか」
怜哉は苦笑して本を置く。
「あ……そっか。色々と聞きたい事があるんだ」
段々とあの出来事を思い出す、崖から落ちたんだな……俺。
「あぁ、とりあえずお前は片腕折ってる」
「ん? うおおおおぉぉぉ!?」
良く見るとここは病院のベッド。
その上で、俺は右腕を固定されていた。
「まぁ、救急隊員の人曰く生きてるのが奇跡だと。喜べ」
「喜べって言われたってなぁ……そうだ、卯月さんは!?」
思い出す、そういえばあの女は卯月さんをさらうとか言ってたはずだ。
「ギリギリ間に合ってとりあえず停戦した、奴らも本気で狙っている訳ではなかったらしい。……まぁ、目印をありがとうと言っておくぞ、赤坂」
「おう。……って、なんで俺だってわかるんですか!?」
確かに最後の力で大きい字を書いたはずだ、遠くからでも見えるようなものを。
しかし、何故こいつが俺の力だって知っている?
「くくく……俺の仕事がそういうの関係だって言うのは知っているだろう? それぐらいは学校で監視していれば分かる」
「マジか! お前の仕事ってオカルト関連で、本当に対策してるとは思ってなかったぞ俺は!」
「ふっ、まぁしかし『助けろ』とはな。お前だけなら見捨てていた所だ」
「仕方ないだろ、『て』よりも『ろ』のほうが書きやすかったんだから」
大きく書く場合は、最後に外に跳ねるより内に跳ねた方が書きやすいのです。
そこまで話すと、怜哉は何かに気がついたように顔を上げ、こう言った。
「まぁ、後はおいおいな。……俺は邪魔する気は無いんで」
怜哉が病室から出て行く、なんなんだ一体?
そしてそれと入れ替わるようにして……卯月さん!
「よ、卯月さん、無事そうで何より」
折れていない左腕を挙げて挨拶すると、卯月さんは申し訳無さそうに俯いた。
「あー、気にすんなよ? なんか……あー、これは……」
一応、入院させた事に罪悪感を感じているのだろう。
とりあえず、俺はしばらく卯月さんと話す事にした。
***
彼は私を悪くないと言ってくれた。
「ほら、友達なんだからさ、え〜っと、今度なんかおごってくれればそれでいいって」
彼の言葉はとても魅力的に思える。
赤坂君と近江谷君と空井さん、三人と一緒に遊べるのだ。
みんなにはお世話になった、次の日曜にでも財布が許す限りお昼でもおごろうと思う。
「で、卯月さん、もう気にしないで」
その言葉に、一つ頷く。
あの時は咄嗟だったが自分は本来喋ってはいけないのだ、それがそのまま世界に影響を与えるのだから。
……でも、一つだけ不満がある。
それを改善するのは悪い事かもしれないけど、さっき良い事をしたからあいこ。
これで私は彼に貸しだけになる、気持ちよくおごってあげられそうだ。
息を少し吸って、口を開く。
「姫紀って呼んで」
赤坂君は近江谷君の事を「怜哉」と呼び、空井さんの事は「映恵」と呼ぶ。
だから、私だけ仲間外れなのは嫌だ。
「え? あれ今喋ったのか? おーい、ワンモアプリーズ姫紀ー」
次の瞬間、彼は極めて自然に「姫紀」と呼んでいた。
彼はなおも追求を続けたが、私は首を軽くかしげて知らないフリをした。
うん、これでいい、私のイタズラ終了。
「じゃあ、今度の日曜日、遊びに行こうぜ」
なにがじゃあなのか分からないが、彼は私が思っていたのと同じ提案をした。
もちろん頷く、すると彼は目の前に手をかざし指を立てた。
「え〜っと、じゃあ予定を立てるか」
どうやら能力をメモ代わりに使うようだ。
疲れると言っていたが、すぐに眠れる病院内なら大丈夫だろう。
彼の手が揺れる。虚空に文字が現れる。
その人畜無害で利益皆無な力は、私の人畜有害で利益大量な力よりもよっぽど綺麗で素敵に見えた。
はい、本編のキャラも絡みましたが、とりあえずこれで終了。
彼らの次回の活躍は本編にて!
何気に映恵はお気に入りだったりしますし(笑)