王妃サーラ・リトカ・ピエタ
「仲がいいのはいいことだよ」
連れだって夜の庭を行く息子と王女を見送ってリラは呟く。
「そういうものだろうか」
よくわかっていないのか、セレナはそう返して首を傾げた。
闇の中でも目が利く彼女には、手を繋いで早足で歩く二人の足元に障害物が多いことが見えている。
このままではこけてしまうのではないかと心配したが、リラがそれを笑って否定する。
「まさか。風を操れる息子は人間の姿でも空を飛べるんだから。ま、何かハプニングがあった方が盛り上がると思うけどね」
「何の話だ?」
「いや、何。こちらの話だ」
リラの独り言に、セレナが反応するとリラは首を振ってセレナに向き直った。
ようやく本題に入るのだろう。
そう察知したセレナの目が一瞬細まる。
「そうそう、話というのは他でもない。多分もうすぐ戻って来る王妃の護衛の事さ。私の後をあんたに頼もうと思う」
「今日、初めて会った私に? ここに私を連れてきたルークもそうだが、どうかしている」
セレナは首を傾けたままそう感想を述べる。
ルークとは今日初めて会った。リラとは今初めて言葉を交わした。
王妃というのは、王の次に序列としては高いはずだ。
人間の習慣には疎い彼女でも、自分たちの序列に置き換えてそう考えた。
それを見ず知らずの者に護衛させようなんておかしな話である。
「でもあんたは人間に害意を抱いていない。まあ、王妃も変わっているからね。あんた一人がどうこうしたところで、ビクともしない人だけど」
リラは快活にセレナの疑念を笑い飛ばす。
そして王妃の人となり、自分の後任を急いで選ばないといけない理由をリラは語りだした。
「あらあら……闇竜とは入れ違いになってしまったのね」
リーフは久々に会う古の民の仲間に近況を話した。
しかも彼女は古の民の中でも、一つの部族を任されるほどの力を持っている。
たとえそれが、防御と治癒に特化していたとしても、並みの人間や竜ではサーラに対しては無力だと言える。
彼女の話によると、サーラは今フイネイ王妃であり、闇竜が連れて行かれた城に住んでいるようだった。
だから警告として、セレナの事を語った。
するとサーラは楽しげに笑ってそう答えたのだった。
「サーラ様……どういう事ですか?」
「実はその闇竜の子を探して夜の王都に出てきたの。出てくる前にルークに聞けばよかったかしら」
鈴を転がしたような声でサーラは笑う。
リーフはある闇竜が南大陸でしでかしたことを説明した。
恐らくその闇竜も関わっていたという事を。
「懐に入り込まれては危険ではありませんか?」
いくら彼女が結界と治癒の達人でも、四六時中警戒するのは骨が折れるだろう。
本来サーラには常に数名同族の側近がついているはずなのだが、気配を探っても近くにはいない。
「でも、闇竜は闇の外にいる誰かの協力なしには、ここまで来れないのよ。だからわざわざこの国までやって来た闇竜は外の種族の協力を得たのでしょう? 改心をも信じられないと言うなら、きっと私たちも先に進むことはできない、そう思わない?」
サーラの暗に示したことはリーフにもよくわかる。
憎んでいては終わらない闘争がある。
天使の国グローリアと、リーフの故郷の森との関係もそうだ。
古の民と天使の憎しみ合いはいつまでたっても終わらない。
だからと言ってセレナを、闇竜を恐れずにいられるかというとまた話は別だ。
「まあ、少しずつね。きっと大丈夫よ。私たちも先に進めるわ」
ふんわりと印象的な表情でサーラは笑う。
リーフはそれに応えることもできなかった。
「ところで、リーフ君。さっきお連れの方がいらっしゃるって言ってたわね。どんな方?」
思い出したかのように彼女が手をぱちんと叩く。
その音で我に返ったリーフは、その話の内容にほっと安堵した。
「ええ。南へ渡った古の民の末裔の姫君ですよ」
「いつまで滞在するのかしら?」
「決めていません。彼女もこの国で見つけたいものがあるとか……」
リーフの答えにサーラは満足そうに頷いた。
何か考えがあることは確かだが、今のリーフには知る由もない。
「そう? じゃあ半年後までこの地にいたら、一度城に招待するわね」
城に招待される。
それは竜と人との交わる地を見られるなら、喜んで行くが、国外の人を招待できるとなると何か大がかりなイベントでもあるのだろう。
リーフが長く暮らしているアゾードの城でもそうだった。
ある事情により表には出れないレイリィと共に、そんな日は白の片隅の塔に潜む。
それはたいてい、盛大な宴であり――。
「まさかとは思いますが、城の宴に私たちを招待なさると? 姫はともかく私は目立ちすぎると思いますが。竜ほどは目立たないにしても」
「その点については大丈夫よ。主だった古の民の部族長も、グローリアからも天使の姫がいらっしゃるわ」
天使と古の民は不仲である。基本的に。
それをわざわざ宴に招こうと竜の国が言い出すのだから恐ろしい。
リーフはゾッとする。
「一体何の宴なんですか!」
「私の子ども達の結婚相手を決めるの。特に次期国王になる王子には強い力を持った結婚相手が必要よ。今の私がフイネイ王妃であるのと同じように」
フイネイの国王は初代が竜の子であったと、伝えられている。
リーフが北大陸にいた時にも、族長からそんな話を聞いていた。
初代が竜でも時代を経れば、次第に血が薄まり力も落ちていく。
それを補うための婚姻なのだろうか。リーフにはそのあたりの事はわからない。
「姫を婚姻相手の候補としてお考えですか?」
「そうね。あるいは貴方を娘の結婚相手に、という可能性もあるのよ。半年後の娘の気持ち次第ね」
「御冗談を」
「冗談じゃないのに。まあ、考えておいてくれるだけでもいいの。少し長居をしてしまったわね。じゃあ私はもう戻るわ。あまり長く城から出るわけにもいかないし。また会いましょう、リーフ君」
しっとりとサーラは最後まで自分のペースを崩さずに話して帰って行った。
何か大事な事を聞き忘れたような気持ちを抱えたまま、リーフは宿に戻る。
「まさか、サーラ様が王妃だなんて……」
古の民は古の民だけのコミュニティで生きていたはずだ。
彼女の部族の総意がサーラが嫁ぐことを認めたとしても、放置される部族はどうなるのだろう。
下手をすると神とさえ争った世代の古参の側近が、反対するかも知れなかったのに。
もしかしたら半年後に行われる宴に主な部族の長が来るというのも、それが関係しているのかも、とリーフは思いを馳せる。
レイリィが承諾すれば、行くのは問題ないのだが苦手な相手がいるのだ。
他の部族の長でも、面識がある相手は慈悲の部族のサーラともう一人だけだ。
その相手が昔から苦手だった。
暗い炎を瞳に宿したような怒りを常に抱えた男だった。
何に苛立っているのかは、リーフも知らない。
ただ、その苛立ちの解消の為に何度も森の部族の集落を訪れた人だった。
その男の名はジョシュア。滅びた傲慢の部族の生き残り、とされる長だった。