リーフの反省
それは闇竜が去った宿屋から始まった。
「何でセレナ姉ちゃんを嫌うんだよ」
キリィがリーフに尋ねる。
この少年は珍しい姿のセレナをかなり気に入っていたのだ。
慕っているリカルの連れだということもあるが、何よりも堅いように見えて無防備な彼女を面白がっていたところだ。
「こらこら、キリィ。お客さん相手に何を言うんだ」
「だってさ、兄ちゃん。お客さん一人減っちゃったんだよ。貴重なのに」
エスノアが弟を宥めると、少年は口を尖らせて兄に言う。
それはそれで収入面では痛いのだが、食堂の営業でカバーできる範囲である。
まだ幼いキリィにそれを理解させることも難しいので、エスノアは考え込む。
どうしたらこの弟を納得させられるか。
考えても良い答えは出ない。
「まあ、心配すんなって。多分あいつも王都には出ると思うから。人間が珍しいみたいで、夜には出歩いてたんだぜ」
リカルがあっさり説明しても、キリィは機嫌を損ねたままだ。
「夜じゃあ俺が遊べないんじゃん」
「あいつもまだ光溢れる世界は苦手らしいからな、少しずつ慣らしていくつもりだろ」
そして思い出したかのように、リーフたちを振り返る。
「そういや、闇竜に攫われたお前らの身内ってトーマスって名前だったりする?」
リーフが驚いて、リカルに詰め寄る。
「何故知っているんです! 闇竜の連れとは聞いていますが、まさか貴方も加担していたんじゃないでしょうね?」
リーフの剣幕に圧されながら、リカルは苦笑いを浮かべた。
「違う違う。逆だよ、逆。俺は闇竜と戦った方。あの子、友人とアゾード国内回っていたんだろ。俺は風の竜の息子。目的地が一緒だったからしばらく一緒に旅してたんだよ」
南大陸の魔法王国アゾードの王子、トーマス。
彼は国内の隣国と接する拠点を視察するために、賢者ライリアルと共に旅だった。
その途中で闇竜に攫われ、ある意味変わり果てた姿で帰って来たのだ。
代償はずっと赤く変じた瞳。
リカルはトーマスと旅した内容を手短に語った。
闇竜に攫われたトーマスという少年を救うために闇竜たちの住む地帯へと侵入した事。
そこで彼女と戦ったことを。
「不思議なのは、その敵とどうして一緒にこの国に来たか、ですね。本当に害意はないのでしょうか?」
リーフの疑問はもっともなことだ。
敵として出会ったはずなのに、仲良く南大陸から北大陸へ渡って来たのだから。
「戦った時に、約束したんだよ。トーマスを攫った闇竜が負けたら、彼に心境の変化が起きたのか知りたいってな」
それで律儀に約束を守って、こんなところまでやって来たのだとリカルは語った。
半分は北大陸までやってくる任務があったからだったが。
「それで、あれから数年たつけどトーマスは元気なわけ?」
リカルの問いに、レイリィとリーフはお互いに顔を見合わせた。
どこまで話していいものか、無意識に問いかける。
少し考え込んだレイリィが頷くと、リーフは逆に問いかけた。
「ところで、貴方の友人というのは賢者殿のことですか?」
「ああ、ライルだろ。子どもの頃同じ村にいたんだ」
そしてリカルはレイリィの顔つきを見て破顔する。
「何かその子、ライルに似てるよな。隠し子だったりするわけか? あいつも隅に置けないなぁ」
ズバリとリカルが言うと、レイリィは表情を強張らせた。
確かにレイリィは魔法王国アゾードの賢者ライリアルの娘である。
ただ、その事実は当の父親本人にも長く伏せられたことであった。
リカルは困ったように視線を泳がす少女を見て、図星を突いたことを悟って口を手で覆う。
「……悪い」
「あ、いえ……ちょっと事情があって……本当は隠し子というわけでもないのですが……」
なんと説明したらいいのかわからず、レイリィも口ごもる。
「ライルの奴も色々あるんだな。大変なこった」
リカルはそれだけ言ってその話題を打ち切った。
金の目をキラッと悪戯っぽくきらめかせて、リカルは笑う。
まるで少女を安心させるかのように。
「店主さんよー。セレナさんの分の代金だけど」
「ああ、明日の分からなしでいいんだろ?」
エスノアが何気なくそう聞くと、リカルは意外なことに首を振った。
セレナの分も払うというのだ。
不思議そうにエスノアが首を傾げると、リカルは笑いながら答えた。
「あいつが城追い出されたらどうするっていうんだ。人間との生活なんてしたことないような奴だぜ」
肩を竦める仕草をしてリカルは部屋に戻っていく。
「ちょっと悪いことをしてしまったかもしれませんね。感情のままに彼女を拒否してしまいました」
リーフはがっくりとうなだれた。
無機質な竜の女性の動作に身構えてしまった事だ。
そもそもリーフは相手が人間であればある程度、記憶を読み取って性質を読むことが出来る。
それは半分が竜であるリカルでも対象だ。
しかし純粋な竜についてはその能力の及ぶところではないのだ。
恐らく感情の類が人間とは根本的に違うのだろう。
記憶を読むことはできないが、記憶を本人の中から呼び起すことはできる。
ルークという青年の記憶は感じ取れなかったが、言動から真面目な男であることはわかった。
一方でセレナという女性は言動からして、人間とは違うという事しかわからなかった。
「ちゃんと色々話を聞いて、仲良くなりましょ。トーマスも闇竜と暮らせる国にするんだって燃えてたじゃない」
「……そう……だが……」
リーフの脳裏に浮かぶのは、言い知れぬ不安だった。
日が沈み、月が空へと上ってもリーフの不安は晴れなかった。
月を見ると余計にそうであった。
闇竜に攫われて、それでも国内の視察を終えて帰って来た王子トーマスの雰囲気はどこか変わっていた。
それは、修羅場をくぐったからかもしれないが、赤く変わった王子の瞳が不安を掻きたてる。
『月の眼』は発動した人に未来を見せて狂わせるのだ。
囚われた人間は発狂して死んでしまう。
しかし、トーマスの瞳は赤くはなっているのだが、奇妙なことに落ち着いている。
何が原因なのか、トーマスは話そうとはしなかった。
それが闇竜に関わってのことなら、警戒しなければならない。
「困りました……」
こんなことで悩んでいるなんて、レイリィには言えなかった。
レイリィはトーマスが発作のような頭痛から解放されたと聞いて喜んでいた。
だからこそ、リーフは王子の下を離れて少女とはるばる北大陸までやって来たのだ。
考えに行き詰ったリーフは夜の街へ繰り出すことにした。
緑の多い所ならともかく、街中では落ち着いて考え事も出来ない。
夜の風は涼やかに肌を撫でるが、それに混じって様々な生活の香りがする。
「どこか緑の多い場所があればいいのですが……」
緑の匂いこそ、彼を落ち着かせる唯一の物だ。
夜なのにもかかわらず賑やかな通りを抜けて、静かな通りへと入った。
ここは住宅街のようで、静まり返っている。
広い邸宅が多く、微かな草の香りにリーフは微笑んだ。
「ここはいいですね」
足音を忍ばせて、リーフはその通りを歩く。
角を曲がると通りを隔てて、今は閉まった役所のような建物と付属する広場があった。
植えられた木と草にほっとして、リーフはそこへと向かう。
すると、月明かりに照らされた木の下には先客がいた。
近づいたリーフの気配に気づいた先客が振り返った。
月に照らされたその女性の顔に愕然としたリーフは立ち尽くす。
この顔は見たことがあった。
北大陸では古の民の慈悲の部族だと言われていたはずだ。
風に揺れる明るい茶色の髪に柔らかな表情。
「サーラ・リトカ・ピエタ様……!」
リーフがその人の名を呼ぶと、サーラはしっとりと微笑んだ。