王女への処方箋4
元々竜王には序列第二位以下の生存圏を設定する権限がある。
闇竜が生存圏を限られているのは、闇竜王が南大陸を出る時にそうしたのだという。
そして他の竜は生存圏こそ限られていないものの、能力に制限を掛けられている。
北大陸に渡った竜たちがフイネイから出ることがないのは、能力が制限されていることが大きい。
この能力の使用の制限は人間の契約によって、解除される。
そのため基本的に竜はフイネイを動かない。
「この制限は第二位以下に掛かる。っていうわけで王にはこの制限は掛かってないってことだ。いちいち人間側に報告する義務もないわけだ。っつーことで、フイネイにいない竜もいる」
レイナに説明を終えると、彼女は不思議そうに首を捻った。
「そういうものなのね。そういうことって兄さんも知ってるの?」
「竜の能力制限の事か? 知ってるはずだ。王位継承者は契約についても学ぶことになっていたと思う」
「ふぅん……」
レイナへの説明がひと段落したので、ルークはセレナを見る。
帰る気があるのかどうか。
もっとも、リカルの影に入って移動していた闇竜一人では、生存圏までは帰れないだろう。
「闇竜王がいなくても、しばらくここにいるつもりか?」
「そうするつもりだ。どうしても王に確かめたいことがあるからな」
「そうか。ところでセレナと言ったか。『月の眼』というものを知っているか?」
セレナの返答を聞いて、頷いたルークはついでのつもりで『月の眼』について質問してみた。
「聞いたことがないが、どんなものだ?」
彼女は『月の眼』という現象を知らないようだ。
そのことに失望したが、セレナの質問に答える。
「普通の人間の目が赤くなる現象だ」
「ああ。それなら知ってる。以前会った人間がそうだった。暗闇でも目が利く上に妙な事を言うと、兄が言っていた」
意外な事に名称は知らず、現象そのものは知っていた。
そのことにルークは目を丸くした。
生存圏を暗闇に限られた闇竜は人間との交流を絶ったか、限定したかどちらかだとルークは思っていたのだ。
まさか『月の眼』の人間を知っているとは思わなかった。
「――まさか、とは思いますが。その『月の眼』の人間、まだ子どもだったのではないでしょうね」
不意に、リーフが口を挟んだ。
先ほどまでの柔らかな雰囲気はどこかへ消え、鋭い声音でセレナに問う。
思えばセレナが正体を現してから、これまでリーフもレイリィも言葉を発していなかった。
何か思うところがあるのか、レイリィの顔も強張っている。
「年の頃は少年……確かにまだ子どもと言っても差し支えはないと思う。それがどうした?」
リーフは答えずにただ、鋭い目でセレナを睨むようにしていた。
「――ということで、この闇竜を城に連れて来てしまったわけだが」
ルークは気まずそうにジークにセレナを連れてきた理由を語った。
あの後リーフに聞いたところによると、リーフの世話をしている『月の眼』保持者の少年が闇竜に攫われたことがあるそうなのだ。
セレナは言い訳も何もせずに、事実だと肯定した。
ただし、それ自体を引き起こした闇竜の生死が不明なので、ここまで確かめに来た、と。
「まあ僕は判断できる立場にないから、陛下に報告する。それまでは暫定の王女付きってことで」
「それっていいのか?」
あっさり答えた弟にルークが渋面で問う。
フイネイに住んでいる竜なら顔見知りも多く、どんな性格かもよく知っている。
セレナは全く違う。
南大陸の、外界と完全に隔絶した場所にいたという竜を暫定でも受け入れるのはどうかとルークは思った。
難しい顔で考え込んでいるルークに向かってジークは笑う。
「どうせレイナさんが引き受けて、連れて帰って来たんでしょ。なら陛下か、フーチェさんに判断してもらうしかない」
「……はぁ……」
のほほんとした弟にため息をついたルークは、疲れた表情のまま待たせておいた王女とセレナの所へと戻った。
「何て言ってた?」
「国王に報告して判断仰ぐとさ。それまでは暫定でお前の護衛」
「やった!」
拳を握り、喜ぶレイナの横でセレナは首を傾げる。
無表情に近い顔つきは、恐らく感情をあまり表に出す機会がなかっただろう。
永き闇の中での暮らしは、恐らくただ人間と隔絶した生活をしたルークより過酷な日々だったのだろう、とルークは思った。
「とりあえず、こっち来て。私の部屋に案内するわ」
「ふむ。護衛をするにあたって、それは大事な事だ。それで、私の部屋はどこになる? なければないでお前の影に潜ませてもらうが」
「何それ。そんな特技があるの?」
「レイナ、彼女は連れの影に潜んで南大陸から来たと言っていただろう。何を聞いていたんだ?」
ルークが口を挟むとレイナは目を丸くした。
「そんな話してたかしら?」
「してたんだよ」
ルークはやれやれと思いながら、二人を伴い王女の部屋へと向かった。
「護衛をするなら、続きの間を使えばいいだろう。俺は別の部屋を使うから」
「待ちなさいよ。まだセレナさんは暫定なんでしょ? なら貴方は続きの部屋を使いなさいよ。セレナさんは私の部屋で一緒に休めばいいのよ」
他の話はあまり聞いていないくせに、こういうことは覚えている。
それもどうかと思う、とルークが呟けば耳ざとくレイナが悪戯っぽく笑った。
「じゃあ逆にする? 貴方が私の部屋で、セレナさんが続きの部屋」
「何でそうなるんだ」
冗談にしても、それはまずいだろう。
そう問えば、二人の話をよく理解していなかったセレナが首を傾げた。
「それはまずいことなのか?」
レイナとルークは一瞬真顔で二人で見つめあい、苦笑いで視線を外した。
その空気がわからないセレナにどちらが説明するのか、譲り合いながら城の奥へと進む。
「闇竜の来訪……か」
ジークから報告を受けた国王は執務室で呟いた。
「どう思う?」
背後に控える己の護衛――フーチェに問いかける。
閉じた目を開かぬまま、彼は答えた。
「まずは日々の暮らしで見極めるとしますかね。幸い、城の中は俺の結界で害意を抱いた者をすぐさま拘束することができますし。何千年も闇の中で過ごした闇竜の選んだ道は何なのか、見守ればいいんじゃないですか?」
口元には左右非対称の、皮肉な笑みを浮かげて。
自嘲するように彼は言った。
「竜の国だ、なんて言っても俺たちは未だ人間と共存できてるとも言えないんですし。安易にここで決めつけてしまうのもどうかと」
お手上げ、と示した仕草の護衛を振り返り、王は瞳を鋭く細めた。
「確かに一度人間と諍いを起こしただけ、という理由で門戸を閉ざすようなことはできぬな」
竜の国と言えども、王都の近くに竜が住んでいるだけであり、王族の護衛として人間と関わる以外に大部分の竜が外に出ることはない。
外界と閉ざして暗闇の中、生きてきた闇竜たちと何が違うというのだろう。
しかもフイネイはただ一人の人間が起こした虐殺で、このようになったというのに。
「一度会ってみるのがいいのだがな。全く闇竜王は何をしているんだか。序列第二位と言えば血族だろうに」
「血族ならここに居ても顔を合わせないでしょう。彼には彼の信念がありましたからね」
フーチェの答えに、国王は眉をひそめた。
彼は闇竜王に会ったことがあまりない。
会ったことがあるのも、幼い頃の数えるほどの少ない回数。
ニコリともせず、当時の王子を見下ろしてきたその印象も『冷たい男』というものだった。
フーチェが言うには、それは彼の本質ではないのだ。
「やれやれ、問題は山積みか。レイナは落ち着いているのか?」
国王は娘の様子を護衛に尋ねる。
「結界の感触からすると、良好と言えますな。サーラ様の結界の作用もあるのでしょう。ただ、ジークからの報告で、街で発作が起きたと聞いたのが心配です」
ただ一つ幸運と言えることは、レイナに起きる症状の名称と対策の一部がわかったことだった。
『月の眼』という名称と、それが森の民の魔法で症状を抑えられるという事。
それはとても重要な情報だった。
過去の悲劇が繰り返されるのを防ぐことが出来るのだから。
「問題は、森の民が北大陸からほぼ消え去ったという事か」
「サーラ様なら、ご存じではないですかね?」
サーラは古の民の内の一人である。
特に結界と癒しの能力に優れ、フーチェの結界と合わせて城を実質守ってるとも言えた。
「いや、彼女の手は煩わせられぬ。他の方法を考えるとしよう」
かすかに首を振って見せた国王に気づいたのかどうか、フーチェは笑みを深めた。