05
昨日行われたハルナの新人教育は、彼女が家の事情でログアウトしないといけなかったこともあって夕方には終わった。
BSOがアップデートされるのは夏休みの半ば。
それまでに一人前にしないといけないのに大丈夫かと思うかもしれないが、昨日だけで大体のモンスターを見ても(嫌悪感はあるようだが)問題なく動けるようになったし、魔法による支援も初心者にしては上手いと言えるほどには上達した。
さすがにまだコントローラなしの飛行はできないし、全体への気配りや敵との位置取りはまだまだ。とはいえ、このペースで成長してくれれば、少なくとも足手まといにはならないだろう。
「今日は確か13時にリザの店に集合だったな……ん?」
部屋に響いてきた微か高音。これまでの経験的にインターホンの音だと理解した俺は、自室から出て玄関へと向かう。うちの両親は共働きであるため、基本的に家には俺しかいないのだ。
「はーい、どちらさ……」
玄関の向かい側に立っていたのは、この上なくやる気のない表情をした女性。彼女は俺の顔を見ると、「よぉ」と言わんばかりに手を上げた。
女性の名前は佐倉京子。俺が通う高校の教諭であり、俺のクラスの担任でもある。
加えて、佐倉先生は俺の母親の昔ながらの友人であるため、私生活で度々この家を訪れることがある。しかし、基本的に訪れるのは母親が休みの日くらいだ。連絡が取れないはずはないし、俺を訪ねてきたような感じなので面倒な予感しかしない。
「……何のようですか?」
「おいおい、突然来たのは悪いとは思うがそこまで嫌そうな反応しなくてもいいだろう」
「問題を起こしたわけでもないの教師が訪ねてきたら、普通は不安になると思いますけど」
「まあそれは分からんでもないが、私とお前は昔から付き合いがあるんじゃないか。それに今日は私用で来ているので教師じゃない。というか、暑いから中に入れてくれ」
入れてくれと言ったわりに、俺を押しのける形で佐倉先生は中に入った。この人、相変わらず自由すぎるだろ……、と思いもしたが、彼女の言うように昔から付き合いがあるだけに口にするだけ無駄なことは分かっている。
「まったく……ん?」
玄関を閉めようとしたとき、ふと視界に別の人影が映った。意識を向けてみると、ウェーブのかかった長髪の少女が立っていた。
俺と視線が重なっても少女は瞬きをするだけで何も反応してくれない。こちらから声をかけてもいいのだが、彼女は何というかぽわ~んとしているというか、ふわぁっとした娘に見える。知り合いにこの手のタイプがいないだけに、どう話しかければいいのか迷ってしまった。
「何立ち止まってるんだ? って、あぁそういや言ってなかったな。その子は私の親戚の子なんだが、親の仕事の都合で2学期からうちの高校に通うことになってな」
へぇ、そうなんですか……などと返事をできるわけがない。2学期から学校に通うだとか、先生の親戚の子とかどうでもいいのだ。俺が知りたいのは、なぜこの少女をうちに連れてきたのかの一点に尽きる。
「おい、挨拶くらいしないか」
「あっ……は、初めましてレンさま……じゃなくて、蓮夜さん。私は柏木ひなたと申します」
「はあ、どうも斎藤蓮夜です」
名前を知っているようなので必要なかったかもしれないが、俺は彼女が口にした《レンさま》という言葉に思考の大半を使ってしまっていたために、適当に返事をしてしまった。
――レン……さま? 俺の聞き間違いじゃなかったらこの子、俺のプレイヤーネームをさま付けで呼んだよな。
BSOを始めてから大分経っているし、今では片手剣を2本装備しているプレイヤーは極めて少ない。それだけに柏木という少女がBSOをやっているのならば、俺のことを知っていてもおかしくはない。だがしかし、さま付けの理由だけは見当が尽かない。
「と……突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
「いや、多分そこの人に連れてこられたんだろうから謝らなくてもいいけど……」
……何なんだこの子は。
最初は普通だったのに会話を始めてから顔が妙に赤くなったし、俺と視線が合うと逸らしてしまう。この反応だけ見ると、まるで俺のことが好きなのではないかと思ってしまうが、少なくとも現実で会ったのは今日が初めてだ。俺に好意を持つ理由はないはず。
「蓮夜、喉乾いたから何かくれ。ひなた、ぼさっと突っ立ってないでさっさと上がれ」
あんたはあんたで何なんだよ。この家はあんたの家じゃないぞ。
と、感情に任せて言葉にしてしまうと、ここぞとばかりに教師という立場を悪用されて面倒になると思った俺は、柏木を中に入るように促してリビングに向かった。
コップに氷を入れて麦茶を注いだ俺は、ソファーに座っているふたりの前にそれを置きながら口を開いた。
「で、今日は何の用なんだよ?」
「お前、最初と口調が違うぞ」
「私用で来てるんだから問題はないだろ」
というか、人の家なのに我が物顔でソファーに座っている人間に敬意を払う気は失せる。対照的に緊張した様子で、ちびちびと麦茶を飲む少女にはどう対応したらいいのか迷うが。
「まあそうだな……用件だが、この子をしばらく預かってくれ」
「……は?」
預かるってこの家で生活させろってことか?
先ほど親の都合で転校することになった、のようなことは言っていたが、なぜうちで預からないといけないのだろう。そもそも、この手の話は普通俺よりも先に両親にするべきではないのか……父親は単身赴任してるからいないけど。
「え……京子さんと一緒に住むんじゃ?」
「ん? あぁ、言い間違えた。しばらくこの子の面倒を見てくれ」
「……意味が変わってないと思うんだが?」
「察しが悪い奴だな。こっちに来たばかりで親しい人間がいないんだから、友達になってくれと言っているんだ」
だったら友達になってくれって最初から言えよ。というか、柏木本人も困惑してる感じだったのに俺が分かるわけあるか。それに
「あのさ、普通は同性をまず紹介しないか? このへんには理沙やコネコだっているだろ」
「私の家からはここが1番近いんだよ」
「そんな理由……?」
「そんなとはなんだ。今は夏だぞ、出来る限り涼しいところに居たいだろうが」
「あんたの移動手段って車だろ」
「車も冷房が効くまでは暑いんだよ……っと、そろそろ時間だな」
佐倉先生は一気に麦茶を流し込むと、のそりと立ち上がって部屋の外へ歩き始めた。それを見た俺は、反射的に話しかける。
「おい、どこに行く気だ?」
「どこって帰るんだよ」
「帰るって、この子はどうするんだよ?」
「任せるって言ったろ。ひなた、あんまし遅くなるなよ。あと不健全なことはすんな」
自分勝手というか、あまりの適当さに俺は呆気に取られてしまう。我に返ったのは、佐倉先生の姿が見えなくなってからだった。状況を理解した俺は、急いで彼女のあとを追ったが、廊下に出た瞬間に移動速度を上げたのか背中はなかった。それどころか走り出す車の音が聞こえる始末……。
――……完全に詰んだ。
俺はいったいこれからどうすればいいのだろうか。別に人見知りする性格ではないが、初対面の相手とすぐに打ち解けられるほど器用な性格でもない。むしろ客観的に俺は取っ付きにくい印象を持たれる人間だろう。あの子の気持ちを考えると、正直に言って同情しかできない。
「えっと……レンさ、じゃなくて……蓮夜さんのご家族は?」
「母親は仕事。父親は単身赴任中」
「そうなんですか……ふたりっきりなんですね」
そうですね。
と、気楽に返事したい。だけど初対面相手にできるわけがないし、そもそも言ってしまうのは自分の首を絞めるようなものだ。
――くそ……今目の前にいるのが理沙や舞子だったなら緊張しないのに。というか、この子さっきからもじもじし過ぎだろ。そう意識されたらこっちも意識させられるじゃないか。
それに俺は13時から待ち合わせがある。隣に住んでいる兄妹が在宅していれば押し付けることもできたのだが、今日は部活でいない。
いや待てよ、この子は俺のことをレンさまと呼んでいるよな。レンという名前を知っているということは、少なからずこの子もBSOをやっているということだ。共通にやっていることならば話題になるはず。
「えっと、確か柏木さんだっけ?」
「は、はい。あっ、蓮夜さん、私のことはひなたでいいですよ」
「え、あぁうん……」
別に大した意味はないのだろうが、どうも慣れないタイプのせいか色々と考えてしまう。
「どうかしましたか?」
「いや、その……」
「ん? ……あっ、そのごめんなさい。蓮夜さんの許可もらってないのに蓮夜さんって呼んで……あ、また言っちゃいました!?」
……この子、天然か。
柏木――もといひなたは、何度も俺の名前を呟いては独り漫才のように自分に対してツッコんでいる。その姿は彼女から発せられる雰囲気と合わさってか、とても見ていて和むものだった。緊張が解けたのか、純粋にツボに嵌ったのか俺は噴出して笑ってしまう。
「べ、別に……名前で呼んでくれて、いいよ」
「え? え? あ、ありがとうございます。あの……私、おかしなこと言っちゃいましたか?」
「別におかしくは……いや、おかしいかな」
「ど、どこがおかしいんですか? 私、変な子だとは思われたくないです」
「変な子とは思ってないよ。面白い子だとは思ってるけど」
「それは……それで反応に困ります」
「そっか。じゃあ変な子ということで」
「え!? そ、それよりは面白い子のほうがいいです!」
必死に訴えてくるひなたの姿は、これまた笑いを誘う。
おっとりしてそうというか、自分のペースで話す子かと思ったけれど、結構良い反応する子だな。理沙や舞子と違って、変な子よりは面白い子が良いと言ってくるあたりが新鮮なのかもしれない。あのふたりなら、そういうこと言うなって感じだろうし。
「うぅ……蓮夜さん、いくら何でも笑い過ぎです」
「いや、悪い……ふぅ、ここまで笑うつもりはなかったんだけど、君が思ってたよりも違ってたから」
「そうですか? BSOでなら違うとは思いますけど……でも確かに、蓮夜さんも思ってた人とは大分違ってました」
「へぇ、どんな感じに?」
「その、何ていうか……二刀流で戦うプレイヤーは少ないですけどいますよね。でもコネクトが使えるのは、蓮夜さんを含めても凄く少ないです。気の遠くなるような練習が必要だって聞きますし、とても孤高な人なのかなって思ってました」
「孤高ね……まあソロで活動することも多いけど、結構パーティーも組むからな。今もアップデートしたら伝説級武器取りに行こう、なんて言い出した奴に付き合ってるし」
「え、伝説級武器取りに行くんですか!?」
伝説級武器という言葉に興奮したのか、ひなたは至近距離まで近寄ってきた。女の子特有の匂いが鼻腔をくすぐり、和らいでいた緊張が再度高まる。
「う、うん、そうらしいけど」
「いいなぁ……私もご一緒したいです」
BSOのパーティーは最大で8人であり、現時点でのメンバーは俺、リザ、タマ、ハルナだ。隣に住んでいる兄妹と知り合いの老け顔を誘っても7人。残り1人分まだ枠があるし、ダインが仕事で参加できない可能性が高いので、この子を加えてもいいかもしれない。
というか……こうも目の前で「参加したかったなぁ……」みたいにされてはスルーもできん。それに佐倉先生からも強引ではあるが頼まれてしまった。この子も女友達がいたほうが2学期を迎えるのが気楽だろうから理沙達を紹介しようと思っていたし、ちょうどいいだろう。
「なら一緒にやるか?」
「……え? わ、私なんかがご一緒してもい、いいんですか!?」
「まあパーティーには空きがあるし」
「で、でも……その私、少しの前に今までのキャラクター消去して新規で作ったばかりで」
「別にそれでも大丈夫だけど。今は新人の教育してるし……ただ理由を聞いてもいいかな?」
「はい。その……私の前のキャラってレンさんに似てたんですよ」
似てたではなく似せていたが正しい表現なのではないだろうか。BSOは弄らない限りは現実の自分と同じ顔なのだから。
「でも京子さんに、『お前はほんとあいつのことが好きだな。確かゲームじゃあいつに似たアバター使ってるんだって。今までは問題なかっただろうが、これからは現実でもあいつと会う。あいつとしては自分に似てる奴がいるのは嫌なんじゃないか?』みたいに言われまして……」
「まあ……嫌ってわけじゃないけど、自分に似た顔がいることに思うところはあるかな」
「す、すみません!」
「いや別に謝らなくていいよ。新しいキャラにしたってことは今まで積み上げてきたものを壊したにも等しいわけだし。悪いな、気を遣わせて」
「い、いえ、元はといえば私のせいですし。そう言っていただけただけで私は幸せです」
目をキラキラと輝かせながら言うひなたに対して、俺はどういう反応をすればいいのだろうか。どうにも彼女は俺に憧れのようなものを抱いているようなので、理沙達と同じようにしてしまうと勘違いをさせてしまう恐れもある。
――それだけは避けなければ……ん? 待てよ、俺に付き合ってる子はいないんだし、女子と付き合った経験もない。どういう形であれ好意を抱いてくれている可愛い子から告白された場合、俺には別に断る理由はないよな。付き合っているうちにこちらも好きになる可能性だってあるわけだし。
「あの、いつからご一緒してもよろしいですか?」
「ん、13時から集まる予定だから今日からでもいいけど」
ふと時間を確認してみると、まだ約束の時間まで2時間近くある。ここに来たころから荷物の片付けは終わっているだろうし、ひなたは慌てることなくBSOにログインできるだろう。
「あ、あの……今からでも?」
「別にいいけど。新しく作ったばかりなら色々と準備もあるだろうし、落ち合うにも時間がかかるかもしれないから。俺達はフリーダムにいるんだけど君は?」
「その、前はフリーダムにいたんですけど……初期装備で行くのも難しくてシルフ領に」
「そっか、じゃあ迎えに行くよ」
「え、そ、そんな悪いですよ」
「いや、そうしないとダメだろ?」
「……はい。よろしくお願いします」
ひなたは深々と頭を下げると、持ってきていたバッグから《トラベルギア》を取り出した。これは簡潔に言ってしまえば、VR技術を用いたゲームをするために必要なハードだ。頭に装着するタイプであるが、小型なので持ち運びもできる……しかし、持ってきているとは思わなかった。
この家には理沙や舞子が来るし、ここから一緒にログインすることもある。誤解がないように言っておくが、ログインしている部屋は別々だ。
BSO内にいる間は現実の体は動きはしないので、一緒の部屋でも問題はない。が、まあやはり年頃の男女が一緒の部屋というのは良くないだろう。俺はまだしも、理沙や舞子は絶対に無理だと言うだろうし。
「その、できるなら蓮夜さんと一緒にしたいなって思って持ってきちゃったんですけど……」
「あぁ大丈夫だよ。起動できる場所も何部屋かあるし……ただ君はここからログインするの平気なのか?」
「はい、大丈夫です。というか……京子さんの家に夕方まで帰れないんです」
合鍵は? と聞いたところで、あの人が渡しているとは思えない。
そもそも、あの人は一人暮らしをしていたはずなので、合鍵を持っていないだろう。もしかすると、今日はこの子に必要なものを用意するために外に出ている……そう思いたい。
「そうか……お腹空いてる?」
「あ、大丈夫です。食べてきましたので」
「そう、じゃあ部屋に案内するよ」
「え……は、はい」
「……言っておくけど、俺の部屋じゃないから」
「……はい」