02
深い眠りから覚めた俺は、大きなあくびをしながら軽く体をほぐすとケータイを確認した。契約している会社からのメッセージと同級生からのメールが1通入っていたので内容を確認する。
メッセージの中身はどうでもいいとして……何々、13時に《ルミナ》に来い?
ルミナというのは、知り合いが経営している喫茶店兼バーだ。強面の巨漢なのだが、性格は気さく。店の経営があるので機会は少ないが、BSOでの仲間だ。
時間を確認してみると、12時を過ぎたところだった。待ち合わせの時間まで1時間もない。
とはいえ、食事はルミナで取ればいいので俺がすることは顔洗うことと着替えだけだ。距離的にも徒歩で15分ほどなので間に合うだろう。仮に多少遅れたとしても、前もって言われていたわけではないのでどうにかなるはずだ。
「ふぁ……何の話があるのやら」
BSOの話ならばBSO内で話せばいいし、宿題に関しても夏休みは始まったばかりだ。普通に考えて、そのへんではないだろう。オフ会でも開こうというのだろうか……まあ行けば分かるか。
了解と簡潔な返事をした俺はケータイを一度置き、眠気を取るために先に顔を洗おうと洗面所へ向かった。洗面所で行うことを全て終える頃には、眠気もほとんどなくなっていた。
寝巻きからラフな格好に着替えた俺は、ケータイと財布を持って家を出た――が、肌に感じた熱気に家の中に戻った。
「……外は地獄だな」
この炎天下の中、15分も歩いたら死んでしまうかもしれない。何で俺はあっさりと了承してしまったのだろうか。うちに呼ぶという手だってあったはずなのに。
しかし、後悔したところでもう遅い。
今から予定を変えようとすれば、変えてくれる可能性はあるが色々と言われることだろう。炎天下を歩くか文句を言われるか、その2択ならば……前者を選ぼう。そう覚悟を決めた俺は、玄関を開けて外へ足を踏み出した。
「…………暑い」
どうしてこのへんには日陰がないのだろうか。あれば多少は涼しく感じるだろうに。
ルミナの中はクーラーが効いているはずなので、到着すれば生き返るような心地良さを味わうことだろう。それだけに早く到着したいとも思うが、走ればそれだけ体力を消費し体温が上がってしまう。走る気力になれなかった俺は、時間を確認しながら重い足取りで歩き続けた。
「やっと……着いた」
無意識にぼそりと呟きながら店内へ入ると、ひんやりとした空気が肌を冷やした。あまりの心地良さについ入り口で立ち止まってしまう。
昼間は客が少ない店なのでしばらく立っていても大丈夫だろうが、店長や待ち合わせていた人物に見つかると小言を言われることだろう。店内の中ならどこでも涼しいので、さっさと待ち合わせている相手の下へと行こう。
「あっ……おーい、こっちこっち!」
元気な声に導かれるように俺の視線は窓側の席へと向かった。
まず視界に映ったのは、大きく手を振っている肩口で整えている短髪の少女。名前は倉田理沙、BSOではリザベルという名の鍛冶精霊で鍛冶屋を営んでいる。鍛冶妖精は名前の通り、鍛冶や細工が得意な種族だ。
ちなみに俺が愛用している二振りの剣も理沙が打ったものである。また彼女は俺の知る限りBSOでも上位に入る鍛冶屋であると同時に、充分な力量を持つメイス使いでもある。そのため武器作成の素材集めやクエストに付き合わされることがしばしば……この言い方だとあれだが、別に嫌と思ったことはない。
「ようリザ、今日も元気だな」
「そういうあんたはへばってるわね。というか、現実でリザ言うな」
「別にいいだろ。お前と俺の仲なんだから」
「ちょっ、誤解されるようなこと言わないでよね!」
冗談を言った俺も悪いが、テーブルを叩いて立ち上がるほどのことでもないだろ。これまでに似たようなやりとりを何度もしているんだから。
「誤解はされないだろ。これが初めてでもないんだし」
「そういう問題じゃないでしょうが。てか、何であんたは会うたびにあたしのことをからかうのよ!」
「ん? ムキになって反応するところが可愛いからだが?」
「か、かわ……からかうのもいい加減にしなさい!」
「ダイン、コーヒーと適当に食べ物くれ」
「無視するなぁ!」
顔を真っ赤にして怒る理沙を適当に宥め始めると、彼女の向かい側に座っていた小柄な少女がくすりと笑った。
髪の毛をツインテールに纏めている少女の名前は、金本舞子。BSOではテイミングと敏捷に優れた猫精霊を選択しており、プレイヤー名はタマ。武器はダガーを使用している。
余談だが猫精霊は、他の種族と違って猫耳があるからか女性プレイヤーに人気がある。
「レンさんとリザさんは今日も仲が良いですね」
「ま~い~こ……!」
「そ、そんなに怒らないでくださいよ理沙さん。実際に仲良いじゃないですか」
「あんただって同じくらい付き合いあるでしょうが」
「リザ、あんまりコネコをいじめるなよ」
コネコというのは、小動物的な外見とアバターの種族や名前から由来する舞子のあだ名だ。彼女と親しい理沙は名前で呼ぶことが多いが、他のメンツは割とこのあだ名で呼んだりしている。正確には、時と場所によって誰もが使い分けているといった方がいいかもしれない。
会話に出ていたレンという名前だが、消去法でも分かるとおり俺のことだ。本名は斎藤蓮夜。アバター名はレンである。種族は暗視や幻惑が得意な闇精霊だ。
「別にいじめてないし、元々の発端はあんたでしょうが」
「そうです。それとレンさん、こっちでコネコって呼ぶのやめてください。恥ずかしいじゃないですか」
「いや、そこは別にいいでしょ。舞子って小さくて猫っぽいし、アバターも猫だし」
「わ、わたしは好きで小さいんじゃないんです!」
「まあまあ、まだ成長の余地はあるって」
「……その言葉、理沙さんにそのままお返しします」
むすっとした舞子の視線の先は、おそらくだが理沙の胸だろう。理沙は背丈は平均だが、胸は同年代と比べるとやや小ぶりだ。
まあ舞子よりはあるのだが……というか、男の前でこういう話は普通しないんじゃないだろうか。俺はこいつらに男として見られていないのかもしれないな。
「どこ見て言ってんのよ!」
「最初に侮辱したのはそっちじゃないですか!」
「おいおい、いくら他に客がいねぇからってあんまし騒がしくしないでくれよ」
野太い声が耳に届いたかと思うと、俺の目の前にアイスコーヒーとサンドイッチが置かれた。彼の名前はダイン。本名は長ったらしかったので現実もアバター名で呼んでいる人物だ。種族は耐久力や採掘に長けた土精霊で、武器は大型のアックスを使用している。
ダインは全く家事ができなさそうな巨漢に似合わず料理が得意であり、この店《ルミナ》のマスターを務めている。また美人の奥さん持ちだ。この強面がどうやってあの奥さんを射止めたのか、いつか聞いてみたいものである。
「だって舞子が……」
「理沙さんだって悪いじゃないですか」
「何よ! ……って、何であんたは涼しい顔でコーヒー飲んでんのよ!」
根本的な原因はあんたなんだからね!
と言ってきた理沙に対して、俺は口に含んでいたアイスコーヒーを飲み込むと、持っていたカップを彼女のほうに近づけた。
「そうカッカするなよ」
「――っ、自分の分はあるわよ!」
勢い良く顔を背けた理沙は、目の前にあったメロンソーダを手に取ると力任せに吸い始めた。機嫌を損ねてしまったかもしれないが、彼女は根に持つタイプではない。しばらくすれば、普通に会話に参加してくるだろう。
静かになったことを確認したダインは、「んじゃ、何かあったら呼んでくれ」と言い残すとカウンターのほうへと歩いて行った。
「……コネコ、俺は何のために呼び出されたんだ?」
「え、聞いてないんですか?」
「聞いてない」
必要はないと思ったが理沙から届いたメールを開いて舞子のほうに向けた。画面を覗き込んだ舞子は、「うわぁ……短い」といった表情を浮かべ、何でこれだけなんですか? と言いたげな視線を理沙に向ける。
「えっとですね、何でも理沙さんのお友達がBSOを始められたそうなんです」
「ふーん」
「それに今度BSOですけど、伝説級武器の増加とか大型のアップデートがあるんじゃないですか」
「そうだな」
俺の記憶が正しければ、今のところBSOに存在が確認されている伝説級武器は《聖剣エクスカリバー》、《魔剣グラム》といった剣ばかりだったはずだ。
だが間近に控えたアップデートが完了すれば、《聖槍ロンギヌス》や《海神槍トライデント》、《魔杖ケリュケイオン》、《雷槌ミョルニル》と様々な伝説級武器がBSOの世界にもたらされることになる。まあ現在ある聖剣達でさえ入手されていない状況からして、新たな伝説級武器を手に入れるのは困難を極めるに違いない。
「だからそれまでにその人の強化を手伝って、みんなで伝説級武器を手に入れよう! って計画してるらしいですよ」
「ほう……無謀なことを」
「い、いやまあ、確かに入手は難しいでしょうけど、やっぱり挑戦したいじゃないですか」
「短剣の伝説級武器ってあったっけ?」
「どうしてテンション下げることばかり言うんですか!」
「現実的なこと言ってるだけなんだが?」
「……理沙さ~ん、理沙さんの提案なんですから理沙さんが相手してくださいよ~!」
泣きそうな雰囲気で助けを求め始めた舞子をよそに、俺はサンドイッチを口に運び、アイスコーヒーを一口飲んだ。
チラリと視線を横に向けると、助けを求められた理沙がしぶしぶといった感じに「もう……しょうがないわね」と《お姉さん》ぷりを発動し、体ごと俺のほうに向けてきた。
「レン、あんたの言うことは至極最も。だけどね、ゲーマーたる者やっぱり伝説級武器はほしいじゃない。手に入らないにしても挑みたいじゃない。それに何より、先輩として後輩の育成は大切だと思うわけよ」
「まあお前の場合は使えるのあるし、使えないのは溶かしてインゴットにすればいいもんな。確か伝説級溶かしたらオリハルコン・インゴットが大量に手に入るらしいし」
「え、マジ?」
「ああ」
「これは何が何でも手に入れたくなってきたわね……」
おいおい、後輩の育成が何より大切だったんじゃないのかよ。
そう思いはしたものの欲求に素直な理沙に呆れた俺は、アイスコーヒーで口に出しそうな言葉を飲み込んだ。直後、店内に来客を知らせるベルが鳴り響くが、昼間は客が少ないとはいえゼロではない。これといって気にすることなく食事を進めていると、耳に届く足音が少しずつ大きくなっていった。
「ごめん、お待たせ」
反射的に意識を向けると、綺麗な長髪をなびかせる少女が立っていた。季節が夏だけあって肩口から先は素肌を晒す薄着であり、下に履いているスカートの丈も短い。白を基調とした衣服を纏っていることもあってか、とても爽やかな雰囲気がある。
そして、何より理沙や舞子とはある一点のレベルが違いすぎる。
あまりジロジロと見るわけにもいかないので視線はずらすと、自分の胸部と少女を見比べている舞子の姿が視界に映った。
人のことをからかう俺でも、さすがの現状で声をかけることはできない。下手に発言すればセクハラになるというのも理由だが、言葉にしてしまうと深く乙女の心を傷つけることになる。おそらく慰めの言葉も逆効果だ。ここは大人しく黙っていよう。
「……って、えっと……理沙、この人は?」
「あれ? 今日のこと言わなかったっけ?」
「友達を紹介するとかしか聞いてないんだけど……」
「ん、こいつもあたしの友達」
「いや、まあそうなんだろうけど……男の人も来るならそう言ってよ。薄着で来ちゃったじゃない……」
頬を赤らめながら肌を隠そうとする少女は、素直に可愛いと思った。それと同時に、完璧というかお嬢様のような彼女に対して緊張を覚える。
おそらく話に出ていた理沙の友人なんだろうが、この美貌に服装……初対面というコンボの前じゃ緊張しない男はいないぞ。ハイスペックなフラグメーカーのイケメン以外。
別のことを考えて心を落ち着かせようとするが、少女が腰を下ろしたのは舞子の隣。つまり俺の真正面だ。向かい合う形で座っているため、どうしても視界に入ってしまい、視線も重なってしまう。視線が重なると、少女は恥ずかしそうに視線を逸らすのだが、その仕草も俺をドキっとさせるために状況は悪化する一方だ。
「ほら春奈、黙ってないで自己紹介、自己紹介!」
「もう人の気も知らないで……えっと、初めまして、南春奈と言います。BSOは始めたばかりなので、色々と教えてもらえると嬉しいです」
「何ていうか転校生の言うセリフって感じね……まあいいわ、次は舞子」
「え、わたしですか!? え、えっと……金本舞子です。BSOでは猫精霊で、名前はタマです。わ、わたしも他の方に比べると若輩者なんですけど、南さんの力になれるように頑張ります……あの、どうかしましたか?」
「ううん、何でもないよ。ただ理沙から聞いてたとおり可愛い子だなって思って」
「か、かわいいだなんて……南さんのほうが綺麗で可愛いです」
「ありがとう。あっ、私のことは春奈でいいよ」
「じゃ、じゃあわたしも舞子でいいです!」
「春奈、この子のことはコネコでもいいから」
「理沙さん、こっちでは勘弁してくださいって言ってるじゃないですか。呼び捨てはまだしも、コネコちゃんって言われたりしたら恥ずかしいんですよ!」
あぁ、確かにちゃん付けは恥ずかしいだろうな。ただどんな反応をするのか気になる。試しに今度呼んでみるか。
などと考えていると、軽く肘打ちされた。何事かと思ったが、向けられていた理沙の瞳に「次はあんたの番でしょ。さっさとしなさい」と促される。
「えーと、斎藤蓮夜です」
「……それだけ?」
「ダメか?」
「ダメかって、もう少し言えることはあるでしょ。春奈、こいつの補足だけど、闇精霊でBSOでも数少ない二刀流の使い手」
「二刀流って、あれは厳密には両手で片手剣技出してるだけだろ」
「別に大して変わらないでしょうが」
いや、左右に持った剣を両方使って技を繰り出しているわけじゃないのだから、二刀流の使い手とは言えないだろう。
「へぇ……確かコネクトっていう技があるんでしたよね。斎藤さんは使えるんですか?」
「まあ一応……」
「あぁもう、何か硬いわね。これからしばらく一緒にやってくんだから、もっとフレンドリーに話しなさいよ。敬語はなしで、互いのことは名前で呼ぶ」
理沙、言いたいことは分からなくもないが性別の壁がある以上、それは何でも急すぎるだろう。お前みたいな娘ならともかく、この子に対していきなり距離を縮めるのは厳しいんだから。
というか、そもそも俺は理沙の提案に協力すると言った覚えはない。言ったところで、なんだかんだ理由を付けて強引に参加させられるだけだろうが。
「分かったわね?」
「ちょっ、理沙……いきなりそれは」
「レン……あんたはやれるわね?」
「何でマジな声なんだよ?」
「やれるわよね?」
……近いんだけど。
というか、何でこいつはムキになってるんだ? 今日会ったばかりなんだから適度な距離感を保っていいだろうに。男に慣れさせようとしてるのかもしれないが、このペースは速過ぎるだろ。
「……まあ。でも別に今のままでも良いんじゃないのか?」
「そうもいかないわよ。だってこの子、プレイヤー名に本名使ってるんだから」
理沙の言葉を聞いた俺と舞子は1秒ほど静止したのち、視線をゆっくりと長髪の少女へと移した。それに彼女は困惑したような顔を浮かべた後、小さく首を縦に振った。
――……なるほど。
プレイヤー名に本名を使用する人間は少ないが、彼女のようにゲームに慣れてなさそうな人間ならば充分にありえる話だろう。一方で、友人なのだからそのへんをきちんと説明しておけよ、と理沙に対して思うが。
まあどうあれ、最低でも俺は名前で呼ばないといけない……わけでもないが、名前で呼ぶようにしたほうがいいだろう。
出会って間もないが、この子が男に名前で呼ばれるのに慣れていないのは分かる。ゲーム内で同じように恥ずかしがられていては、街の中はともかく戦闘中に支障が出てしまうだろう。プレイヤースキル依存のゲームだけに、小さなミスが全滅に繋がっても不思議じゃない。
「南さん、現実はともかくゲーム内だと、どうしても名前で呼ぶ場面ってのはあるだろうから名前で呼ばせてもらっていいかな?」
「え、あっ……はい。えっと……れ、蓮……夜くん」
「別に君は無理する必要はないよ。まあ呼ぶならレンでいい。あっちじゃそう名乗ってるし」
君はこっちでの呼び名がそのまま出そうだから、と続けそうになった口はどうにか閉じることが出来た。言ってしまっていたならば、間違いなく隣にいる少女に小言を言われていたことだろう。
「じゃあ自己紹介も終わったし、あとはあっちで話しましょうか」
「そうですね。アップデートまで時間もないですし、早くハルナさんを鍛えないと」
「え、えっと……お手柔らかに」
「春奈、悪いけど結構ビシバシ行くと思う」
「そんな……私、初心者なのに」
「大丈夫、大丈夫。こいつが守ってくれるから」
「ほう、前線はお前とコネコだけでやってくれるのか」
にやけながら放った俺の言葉に、理沙と舞子は慌てた様子で反応した。再び口げんかを始めそうになった2人に俺と春奈は制止かける。
その後、今後のために連絡先を交換し支払いを済ませた俺達は、落ち合う場所を決めてそれぞれ帰路に着いたのだった。