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強者の苦悩  作者: 林葉
劣化品の烙印
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 だだっ広い荒野にぽつんとある闘技場。

 老朽化のため放置され、壁には無数の蔦が這い回っている。美しかったであろう女神の彫刻は見るも無惨になり、上半身は地面に落ちていた。


 その闘技場全体を見渡せる部屋に何人かの人間が居る。


「……シャドウ様。全二百二十八名そろいました」

「おう、ご苦労さ……ぐえへぇ!」


 影の王、シャドウの座る椅子が突然転げて、シャドウも床を転がった。


「……どういうことだ? 去年より多いではないか」

 一人の人物が脚を上げたままシャドウに言う。


「だって旦那あぁ……、こればかりはさぁ……ぐおおっ!」

 シャドウの腹の上に足が置かれ、ぐりぐりと捻られる。そのたびにシャドウが奇妙な呻き声を出し、彼の部下らしき者は目をそらす。


 旦那と呼ばれる男、デュークはシャドウの腹を踏みながら言う。

「こればかりは何だ? これはお前達のすべきことだろ? 何だこの失態は……」

「ひっく、やめとくれよぉ……旦那あぁ! 仕方がねえって」

「去年は減らす、と聞いたはずだが? 増えているではないか。散々息巻いた結果がこれ、とは……」


 デュークはシャドウを踏むのを止めて、窓際へ向かった。

 窓の下には多数の厳つい男達が居る。


 山のようにでかい男、涎を垂らして笑う不気味な男、目出し帽を被ってモーニングスターを振り回す男。


 彼らは皆、己のことをデュークと呼ぶ。


「あそこに本物が居るらしいじゃねえか……」

「ああんっ! てめえ何言ってやがんだ! 本物は俺だ。ぶっ殺されてえか!」

「へっへっへおめえなんかどう見ても偽者じゃねえか。なんかこう……感じがしねえんだよ!」

「おめえこそ偽者だろうが! てんめえ……剣を抜きやがれ! 殺してやるよ!」

「おう、かかってこいよ! ぶっ殺してやんよ」


 危険な香りを漂わせる彼らは待ちきれずに殺し合いをしようとする。それを誘導員らしき男達が押さえる。

「駄目だ! 本物と闘うまでは戦闘は禁止だ!」

「そのむかつきは決闘で晴らせば良かろう!」

 そういう誘導員に渋々納得した彼らは大人しく場内へ入っていった。


 その様子を窓から見たデュークは振り返って言った。

「……決闘が終わるまで、一人も死なすな。全員、俺が殺す」

「はっ、はいいぃ!」

 デュークが部下達に睨みを利かせた。部下達は直立不動で返事をした。


「シャドウ……、お前は最近怠けすぎだ。私は何のために金を払っている……?」

「いや、そう言われてもさぁ。これでも手一杯でよぉ。大目に見てくれよ、旦那ぁ」


 シャドウに何時もの不敵な様子は無い。まるで叱られてしょげる、悪戯好きの犬のようだ。


「私の顔に泥を塗るとは……」

 デュークはシャドウを振り返って「お前もな」と付け加えた。


 デュークの偽者を語る輩は幾らでも居る。その中でも特に悪質な輩、本物の品位を下げる輩を見つけ、デューク本人が制裁する。

 シャドウに与えられた役割は、その悪質な偽者を減らすことだ。デュークはその事に多額の金を支払っている。


 しかし簡単なことでは無い。

 偽者は次から次へと湧いてくる。シャドウの部下達がカバー出来る範囲にも限界があり、どうしても数が多くなってしまう時がある。


 だがデュークにとってはそんな事情はどうでも良いし、知ったことでは無い。ただ数が増えたか減ったかだ。減れば元々の報酬に上乗せするし、増えればこのようにシャドウを小突く。

 デュークにとってシャドウの苦労はどうでも良いことであった。


 デュークとはそういった者だ。


「だってよぉ、こっちだって精一杯やってるんだぜ。増えるものは仕方ねえじゃん」

「……そう言うなら、まけてやる。一人一千万で許してやろう」


 一人一千万ルピー。人数は二百二十八人。合計で二十二億八千万ルピー。


 シャドウは椅子に座り直して苦笑いした。シャドウの後ろにはそれぞれの地域の担当者達が正座して俯いている。

 彼らもまた、デュークに呼び出されたのだ。

 身じろぎ一つ、咳一つせず、青い顔をして座っている。


 その頃、広い集会場では早くも偽者達が集まり、体を動かしていた。


「今からクジを引いて貰う!」

 集会場に誘導員の声が響き渡る。

「ああん? クジだぁ?」

 前の台の上に置かれたのは中身が見えない木箱。

「そうだ。番号が若い順に闘って貰う。あっ、一応言っておくが、逃走は認められない」


 集会場に失笑が走った。偽者達は口を歪ませて、馬鹿にするように笑う。


「はっはっは、おいおい……。逃げるだって? この中に逃げる奴が居るのかよ、はっはっは。そいつの面拝んでやりたいぜ!」

「うへっへっへっへっへ」

「はははははは」

「ぎゃあっはっはっはっは」


 偽者はひとしきり笑った後、誘導員を睨み付けた。

「お前さんよぉ、あんまり冗談言うんじゃねえぞ? 向こうにいる奴は間違いなく偽者だ。悪いけどよぉ、本物は俺だ」

 偽者は腰の剣を抜き、切っ先を誘導員の方へ向けた。その後ろにいる偽者達も同じような顔をしている。


 いくら偽者とはいえ、彼らは猛者。偽者を名乗ることが出来るほどの実力。本物であると、少しでも彼らの周りの人間が信じたのだ。


 いまやデュークと名乗る者が本物か偽物かは彼らにとってはどうでも良いことだった。

 向こうにいる本物とやらもぶっ殺して、周りに居る偽者達も全員ぶっ殺す。全員居なくなって最後に残った自分がデュークだ。


 デュークと名乗る人間が居なくなれば、次に名乗った人間が本物。


「……ははははは」

 殺気を当てられている誘導員が笑った。


「何がおかしい? まずお前からぶっ殺してやろうか?」

「分かってない。お前らは。本当に分かっていない」

「はぁ?」

 偽者は顔を前にやって、誘導員に聞いた。


「……まあ見れば分かるさ。口で言うよりもな」

「けっ……」


 偽者達は、前に居る者から順番に箱のクジを引いていった。そして全員が引き終わると、誘導員は偽者のうち十人を待機場へ連れて行った。


「まずは一から十番までだ。次呼びに来る時は十一から二十番までだ。準備しておけ」


 最初の十人は奇妙な笑みを残りの偽者達に見せつけながら待機室へと消えていった。


「ん? ちょっと待てよ……、おい」

「なんだ?」

 偽者の一人は別の誘導員に話しかけた。誘導員は肩により掛かって腕を組んだまま応じる。


「あいつを倒した奴が本物ってことだろ?」

「ああ、そうだが」


「もし一番目で決まっちまったらどうするんだ?」


 誘導員は偽者が話し終わらないうちに笑い出した。その光景に、偽者は怪訝な顔をした。


「はっはっは……。安心しろ。その心配は無い」

「いや、だから――」

「すぐに分かる」


 さっきから誘導員は「すぐに分かる」しか言わない。


 妙だ。

 何が分かるというのか。


 だが、考えたところで大した意味は無い。自分はただ決闘に出て、相手を殺せば良い。それだけのこと。


 待機室では十人の偽者達が準備を始めていた。


 待機室の明かりは壁際に取り付けられた蝋燭しかなく、隣にいる人間の顔がやっと分かるほどだ。それに狭く、両脇に五人ずつ座っており、その間は辛うじて一人が通れるくらいしか無い。

 部屋の奥には赤錆の鉄の扉あり、溢れんばかりの観衆の声が聞こえてくるはずだが、今は物音一つない。

 扉の真ん中辺りには板のような物が取り付けられており、それを横に引くと格子状の窓が現れる。


 扉の横には数字が書かれた装置が置かれている。

 カシャッと音を立てて装置の数字が動いた。数字は一番。


 偽者の一人、一番目は立ち上がって残りの九人に向かってこう言った。

「悪いな。お前らはただ見てるだけだ。はっはっはっは!」

「ああん? 馬鹿言え。お前じゃ勝てねえ。俺だ」


 一番目は反論もせず、ただ不気味な笑みを浮かべて鉄の扉を開けた。

 蝋燭が火の影が一番目の背中を焼いたかのように見えた。


 一番目は扉の向こうに消え、扉は悲鳴を上げながら閉じた。


 残りの九人は腕を組んで虚空を見る。


 静かだ。


 蝋燭の明かりにつられて蛾が火に飛び込む。羽に火が着いた蛾は悶えながら地面に落ち、最後には偽者の一人に踏みつぶされた。


 どれほど時間がたっただろうか。いや、そう言うには些か短い時間かも知れない。


 偽者達の耳に車輪が転がる音が聞こえた。


 扉に一番近い場所に座っている二番目は気になって扉の窓を開けた。


「――ぬっ……」

 二番目から声が漏れた。


 狭い視界の中で、台車が血を滴らせながら向こうへ消えていく。


 どちらが運ばれていったかは分からない。

 ただ、一人の足下と、紫の剣の切っ先が窓の視界の中で見切れていた。

 特に大きな物音はしなかったため、二番目は何が起こったかは知らない。


 ――カシャ。


 二番だ。


二番目は立ち上がって、己の剣を上げた。

「おめえら、残念だが俺で終わりだ」

「……けっ」

 残りの八人は舌打ちしてそっぽ向いた。


 二番目が扉の向こうに消え、三番目は扉の前に座った。


 何も無い待機室。隙間風の音だけが辺りを包んでいた。誰かが誰かの顔を見ると、そいつは睨み返す。待機室はそんな空気を醸し出していた。


 ――ぁあああああああああああああ!


 全員が扉の方を向いた。

 三番目は我慢出来ずに扉の窓を開けた。


 窓の外で一人の男が宙に浮いている。

 何回か足を動かした後、全身が痙攣し、おびただしい量の血が地面に流れた。


 宙に浮いた男は地面に転がり、動かなくなった。

 二人の人間がその男に布をかぶせ、台車に乗せるとどこかへ押していった。


 ――三番。

 三番目は無表情で出て行った。


 壁際の蝋燭の火が、無表情な四番目の顔を照らした。


「弱っちいじゃねえか。あいつら。はっはっは」

 偽者がそう言った。

 誰も何も言わない。偽者は居心地悪そうに足を組み替えた。手元の番号札は四番。


 狭く暑苦しいのか、四番目は額に汗を浮かべている。


 ――四番。

「おおっ……」

 装置の数字が変わる音で、四番目が一瞬だけビクリとする。

 短いような長いような待ち時間であった。だが四番目にとっては一瞬のような時間であった。三番目の最期も見ていない。

 四番目は立ち上がり、汗を浮かべたまま扉を開けた。そして扉が閉まった。


「おい、ちょっと窓を開けやがれ」

「あん?」

 六番目に言われた五番目は渋々窓を開けようとしたが、なぜか寸前で手が止まった。

 窓の取っ手を摘まんだまま、五番目の手は動かない。どこか遠い場所を見るような目をしている。


「早くしろよ!」

「おっ! ああ……」

 五番目は急かされるように窓を開けた。


 すると六番目は五番目を押しのけて、外の様子を見た。五番目は何かを言いたげな顔をしたが、諦めて俯いた。


「……っ!」

 六番目が目を見開いた。


 窓の外で一人が、何か根っこのような物を引き抜いているのを見た。

 根っこは空中で揺れ、汁のような物が滴っている。その根っこの上部に付いている塊――。


「うわああぁ……!」

 六番目は扉に弾かれたように尻餅をついた。

 五番目は驚いて六番目の顔を見ると、窓の外を見た。そして無言で勢いよく窓を閉めると、握りこんだ拳を震わせた。


 ――五番。

 五番目は俯いたまま動かない。痺れを切らした七番目が五番目の腕を掴む。

「おい、早く行ってこいよ。おらっ」

「……だ」

「はぁ?」


 五番目が何かを呟いた。七番目が聞き返すと、五番目は突然その腕を振り切って、集会場へ続く扉へ駆けだした。

「うわああああああああああっ!」

 五番目がその扉の取っ手を捻るが、一向に動く様子は無い。どうやら向こうから施錠されているようだ。

 五番目は声にならない悲鳴を上げて扉を叩く。


「ん? 何の音だ?」

 集会場で待っている偽者の耳に扉を叩く音が入った。


 もの凄い勢いで待機室の扉が叩かれ、向こうから絶叫が漏れてきた。それはすぐに偽者達に伝わり、扉の前に人だかりが出来る。

「おいおい何だ? ありゃ」

「はっはっは、だらしねえな、おい! びびってんだろ?」

 偽者の一人が笑った。誘導員も笑った。


「始まったな……」

 誘導員が呟くと、周りの偽者は「何言ってんだ」というような顔をした。


 それからしばらくして、待機室から誘導員が出てくると「次は十一番から二十番だ」と言った。

 呼ばれた十人はへらへらと笑いながら待機室へ入っていった。


 それから少しして、また扉からもの凄い音と絶叫が聞こえてきた。

 偽者達の顔から笑みが消えた。


「……どうなってんだ?」

 誰かが呟いた。しかしその疑問に答える者は居ない。ただ一つ分かるのは、入っていった十人が帰ってこないと言うことだ。


 また時間が経って、絶叫が聞こえてきた。部屋中が静まって、皆がその絶叫を聞こうとする。

「……じゃねえ! ……じゃねえよおおおぉ!」


 偽者達は耳を凝らした。

「人間じゃねええええ。ひっく、ひいいっく。ひひ、ひひひひひいいいいい! 人間じゃ、に、ににに、にんげ、げほっ! げほっ! 人間じゃねえええええええええええええええええええぇ!」


 その後、扉が壊れるかと思うほどの音がしたかと思えば、何かを引きずる音が聞こえてきた。そして叫び声も徐々に小さくなっていく。


 扉から狂気が漏れ始めた。

 自覚が無いとは言え、その狂気は確実に偽者達の心を蝕んでいく。

 疫病のようだ。その時は何も感じないが、徐々に心は腐っていく。そして気がついた時には手遅れ。治す手立ては無い。病は時間と共に進行し、最期には見るも無惨な姿になる。


 だがこの時、偽者達が狂気に蝕まれている様子は無い。


 三十九番の札を手にする大男はそんな事は気にせずに地面に寝っ転がっていた。


 ――どいつもこいつも、弱い奴らばかりだ。違うんだよ格が。


 根拠の無い自信。同じ自信を持っている偽者達が帰ってこないという現実を見ようともしない。


 ――本物になれば金が腐るほど手に入る。さて、女の奴隷でも買おうか。


 そして十一番から二十番は帰ってこなかった。

 二十一番から三十番もやはり帰ってこなかった。


「次! 三十一番から四十番!」

 真っ暗な死の口が開かれた。


 三十一番から順番にその口に吸い込まれ、大男は入る間際に不敵な笑みを残して吸い込まれていった。


 待機室の中は狭い。大男は窮屈そうに、しかし遠慮なさげに座った。隣の偽者も遠慮無く膝を広げようとして、大男とどうでも良い戦いを繰り広げていた。


 十人のうちの一人、大男とは対照的に、小柄で卑屈なゴブリンによく似た男がいた。

 彼は忙しなく辺りを見渡し、目が合った偽者に睨まれては違う方を向き、仮面を被った不気味な偽者を見てはまた違う方を向いた。

 彼の持っている番号札は三十三番。


 ――三十一番。

「ひぃっ!」

 小柄な男は装置が動く音だけで驚いた。

 三十一番の男は勝てると豪語し、勇んで扉の外へ出た。


 三十二番の男が扉の前へ座り、小柄な男は三十四番に押し出されるようにその隣に座った。


 三十二番は窓を開けようともしない。

 真っ暗で静かな待機室。それはまるで外界と隔離されたかのように感じさせた。全ての世界を置き去りにして、この部屋だけがぽつんと空間に存在しているかのようだ。


 部屋には九人も居るが、それぞれが孤独。


 小柄な男は恐怖に悩まされた。

 先ほどの絶叫を聞いてからだ。


 そもそもここは自分が来るべき場所では無いのだ。

 ただ自分はデュークの名を騙って盗みを繰り返しただけ。戦いの玄人でも何でも無い。


 持っている短剣は薄っぺらく、今にも折れそうだ。被っている兜もひびが割れている。


「――ぎゃあああああああああぁ……!」


 ――カシャッ。


「ひいいっ!」

 三十二番だ。三十三番は目を手で覆った。数字を見るのが怖くなったのだ。


 呼ばれた奴は帰ってこないのだ。扉の向こうへ行ったっきりで。

 それが何を意味するのかは考えたくも無い。


 ――行きたくない。嫌だ。


 番号順に扉の向こうへ行き、帰ってこない。


 ――まるで食肉工場では無いか!


 ふと三十三番は目の前の大男が気になった。

 大男は腕を組んで目を瞑って俯いている。その隣には番号札が無造作に置かれている。


 閃いたことはただ一つ。番号札を取り替えて、少しでも生き長らえること。


 三十三番は腰を少しだけ上げ、ゆっくりと手を伸ばした。その手が少しずつ番号札に近づき、ついに中指が番号札の先に触れた。


 ――バアンッ!


 突然、大きな手が番号札に打ち付けられた。

「うわああっ!」

 三十三番は驚いて尻餅をつく。顔を上げると三十九番の大男がこちらを睨み付けていた。


 三十三番は札を奪うことに失敗した。


 ――カシャッ。


 三十三番。

「幸運を」

 隣にいる男がそう言った。残りの全員も半笑いでそう言った。


 三十三番の足は動かない。それを見かねた誰かが無理矢理立たせようとする。

「うわあああああああああああっ!」

 三十三番は反対へ駆けだした。そして集会場への扉を思い切り叩く。


「ああああああああああああ! だし、だ、出して……、出してええええええええええ、出して出して出して出して。反省するから、は、おえええぇ……、はんせ、はぁはぁ、反省すぉおげえええええええ」

 三十三番は俯いて汚い物を吐き出した。その飛沫が他の偽者の足を汚し、それに怒った偽者が三十三番の首根っこを掴んで無理矢理引きずっていった。


「うわああああああああああああ」

 集会場に情けない悲鳴が聞こえてきたが、誰も気にする者は居なかった。


 闘技場の夜は長い。

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