紙くずの真偽
どこぞの街の昼下がり。
一人の男が歩いていた。
短い髪を逆立て、両耳にピアスをしている。その目つきは鋭く、まるで肉を目にした猛獣のよう。だが口元には不気味な笑みを携えている。
危険。筋者でなくとも分かる風体だ。
ピアス男の前には何人かが歩いている。彼らの姿も厳つく、その筋の人間であるのは一目瞭然だ。
コツン、と小石がピアス男のつま先に当たった。
ピアス男は足を後ろにやると、その小石に向かって強めに振った。
蹴られた小石は放物線を描き、男の一人の頭に当たった。
男はよろけると頭を押さえた。そして大きく舌打ちすると振り返ってピアス男を睨み付けた。
「おいごらぁ!」
男は大股でピアス男に近寄る。
すると突然ピアス男が前に向かって唾を吐いた。男は驚いて飛んでくる唾を避けようとする。
その時、ピアス男が消えた。
ピアス男は彼が唾を避けた時、瞬時に身をかがめて彼に接近したのだ。両肩に取り付けられた鞘から短剣を取り出して。
ピアス男の交差した腕がハサミのごとく、彼の脚に振られる。
ブッ! と何かが切れる音がして、ピアス男と彼の位置が入れ替わった。
「――ぁあああああああ!」
膝から下を無くした男が血を撒き散らしながら転げ回る。
――やばい。ただ者じゃねえ!
残りの男達は一目散に走って逃げた。
ピアス男は逃げる男達の背中を見て口元を歪める。
――逃がすかよ。
身をかがめて高速移動。転げる男の目には消えたようにしか見えないだろう。もっとも、それを眺める余裕は無いが。
男の叫び声はとっくにピアス男の後ろ。
必死で逃げる男達。だがその足が止まった。
「逃げれると思ったか? へっへっへっへっへ」
目の前のピアス男が下品な笑い声を立てる。黄色い歯から唾液が垂れ、糸を引いている。口から飛び出した舌のピアスが光った。
ピアス男は高速で一人目の男の横に付き、首を斬った。残りの男三人は音のした方を見たが、ピアス音はいない。
二人目、背後に回ったピアス男に、股から脳天までを斬られ、縦に分かれた。
三人目、怯えて動けず、何のひねりも無い突きで心臓を貫かれた。
四人目、両手を切り飛ばされ、脳天に短剣を刺されて死んだ。
逃げる男達を殺し終えたピアス男は脚の無い男に近づいた。
「ひっ! まて、まままま……待ってくれ」
「待てねえ」
一瞬の風切り音の後、男の両手が飛んだ。
ピアス男は、悲鳴を上げる彼の髪を掴んで持ち上げた。そして彼の目元に舌を這わせて、目から出た汁を舐める。
「うめえ……。恐怖の味ってやつはよ」
ゆっくりと短剣が男の首元に沿わされる。男の目が見開いた。
ピアス男はその目を見た後、笑いながら短剣を引いた。
悲鳴は無かった。
それから少し立った頃。場所は薄暗い波止場。ピアス男は一人の男と対面していた。
男は黒いスーツを着て黒眼鏡を掛けている。スーツの男は脇に置いた鞄を持ち上げ、ピアス男の前で開いた。
「こちらが今回の報酬です。デュークさん」
デュークと呼ばれたピアス男は鞄の中身を見るなりスーツの男を蹴り飛ばした。
スーツの男は後ろに積んである樽に激突。派手な音を立てて樽が転がって中身の林檎が飛び出す。
「へっへっへ。てめえよぉ……、足りねえなぁ」
「いや、しかし! この額は最初にお話しした通りで……」
ピアス男は、狼狽えて反論するスーツ男の脚を踏んづけた。
「おい舐めてんのか。追加報酬って奴があるだろ?」
違反。ピアス男のしていることは業界の掟に反している。
普通、仕事を依頼する時はその内容や報酬は事前に決めて約束する。勿論追加報酬についてもだ。だから約束に入っていない追加報酬をくれと言うのはおかしい。もちろん、依頼人側が約束されているはずの追加報酬を払わない場合は制裁を加えても問題ない。しかしピアス男は約束に入っていない追加報酬を請求している。
このような行為は間違いなく地元業界の品位を下げる。そして掟を破った者にはそれなりの制裁が待っているのだ。
闇の世界。一見して無秩序な世界だ。だから余計に彼らは秩序にこだわる。秩序無くして闇の仕事は成り立たない。闇の世界では信用が殊の外重要視される。
この不明瞭な世界では信用が無くては仕事が成り立たない。依頼する側もだ。
信用という柱が無ければ、今日にでも崩れ落ちる業界。それが闇の世界。
スーツの男も思わず声を荒げた。
「デュ、デュークさん! そいつぁ駄目だ! 俺たちは最初からこの約束で仕事を――」
「分かってねえ。お前らは。俺の価値を。こんなちんけな標的、誰にでも殺せるんだよ。けどよぉ、お前らはわざわざ俺に頼んだ。俺をデュークと知っておきながらな……。舐めんじゃねえぞ!」
スーツの男は反論したかった。だが何も言えない。
なぜなら相手がデュークだからだ。
闇の世界では超一流の仕事人として、実力者であれば名を知らぬ者はいない。だがその正体は依然として不明で、会った人間にしか分からないという。
そのデュークを敵に回した人間がどうなるかは想像に容易い。
いくら闇の掟があろうとも、このデュークが目の前ではその掟も曖昧にせざるを得ないだろう。
ピアスの男は両手で両肩に付けられた短剣を取り出した。
「俺がこの値段で? ふざけやがって」
「まっ! 待て! 金なら……かか、金なら」
短剣がスーツ男の頬を撫でた。その跡が赤い線になる。スーツ男は慌てて部下らしき男に言った。
「おい! も、も持ってこい!」
部下は慌てて同じような鞄を持ってきてピアス男に渡した。
倍だ。ピアス男は倍の金額を手にしたのだ。業界の禁忌を犯して。
それがピアス男の常套手段だ。だが実力が伴っていないと成り立たない。ピアス男にはそれだけの実力があった。
ピアス男はこの街に来て仕事を始めた。元々実力があり、様々な標的を殺す過程でさらに実力を付けた。そしてある日、誰かが言った。「お前もしかしてデュークか?」と。
ピアス男が自分をデュークと言ったのはその日からだ。デュークがこの街で仕事をしていると言う話は瞬く間に広がり、街で最強の実力を付けたピアス男を皆はデュークと信じた。
だが仕事の仕方は最悪だった。
依頼人を脅して金を取るのは当たり前。必要以上に標的を惨たらしく殺す。同業者の標的を横取りし、挙げ句同業者からも金を脅し取る。その日の気分によっては関係ない者も殺す。
だが彼はデュークだ。それをとがめる勇気を持った人間はいない。過去にはいたが返り討ちにされた。
彼は今この街で好き放題している。
この街に対する業界人の評価は最低だ。仕事や業者を斡旋する者もこの街を避けるようになった。その結果、業者達はこの街を去り、ピアス男はますます好き放題することになった。
「もう我慢ならんぞ!」
この街の首領の堪忍袋の緒が切れた。
「いくらデュークとは言え、これ以上好き放題させてたまるか! シャドウの部下を呼べ! 今すぐだ!」
街を束ねる首領の大半はシャドウの組織に属している。違う、と自覚していても、やはりシャドウ関係の組織なのだ。
首領の手に余る厄介ごとは組織に相談される。やはり相談料や報酬は必要だが。
組織に属している者はその役務を優先して受けることが出来る。要するにコンシェルジュだ。
表には出ない組織や個人が助力を必要とした時、存分に対応出来るコンシェルジュを用意する稼業もシャドウはやっている。
「どうも何時もお世話になっております。今回はどういったご用件でしょうか?」
やってきたコンシェルジュは一見どこにでもいそうな男だ。
「この街にデュークがいる。あいつは最悪だ! ここの“シマ”を荒らしまくっている。いくらデュークでも許されないだろ」
コンシェルジュは少しの間考えてこう言った。
「それにつきましては専門の担当者をご用意致します。なお相談内容や報酬については担当者とお話しください」
コンシェルジュは担当者が来る日時を紙で記し、首領の元を去った。
それから数日後、担当者が来た。
「お世話になります。デューク様についての担当です。本日はよろしくお願いします」
担当者は首領に名刺を渡した。冴えない商会勤務が出す薄っぺらい名刺では無く、多少の力では折り目が付かない丈夫な紙だ。
シャドウの従業員は皆丁寧な対応だ。もちろん従業員になるにはかなりの実力が必要で、客の方もそれなりの料金を払う必要がある。
担当は首領から事情を聞くと、突然妙なことを言った。
「……誠に失礼ですが、そのデュークは偽者でございます」
「はっ?」
首領は口をあんぐりと開けた。担当は見慣れた様子だ。
「当組織の代表はデューク様の情報を常に最新の状態で持っておられます。代表によりますれば、デューク様の外見的特徴、行動、依頼人の履歴に一致しないとのことです。間違いなく彼は悪質な偽者でございます。当組織ではそのような偽者を排除する仕事も請け負っております」
首領は笑んだ。
これで街の秩序が保たれる。偽者がいなくなれば信用も回復し、利益も戻せる。
「それで料金の方ですが……」
首領の顔に皺が寄った。
安い金額では無い。だが背に腹は代えられない。
「それで良いだろう。しっかりやってくれよ!」
それから数日後。
スーツを着た男が一人、街を歩いていた。
スーツ男の目の前には耳にピアスを付けた男が歩いている。スーツの男はおもむろに口を開いた。
「失礼ですが、デューク様でしょうか?」
「あぁ?」
ピアス男はふざけた顔で振り返った。スーツの男は、いかにも真面目な商会勤務です、と言った顔をしている。
そんな男が、この外道を行くピアス男に用があると言うのか。
「なんだよ。何か用か?」
ピアス男に警戒している様子は無い。だが隙は無いようだ。両手両足は適度に脱力し、いつでも動けるようにしている。
「あなたをデューク様と知って頼みがございます」
「……依頼か?」
ピアス男の目が細くなった。
「ここでは何ですから……」
スーツ男はピアス男に背を向けて歩き出した。ピアス男は意外にも大人しく付いてくる。
たどり着いたのは人気の無いうち捨てられた廃墟。二人は廃墟の中に入った。
「――で、どんな依頼なんだよ?」
ガラッ、と音を立ててぼろぼろの椅子が引かれた。ピアス男はその椅子に座って足を組んだ。
スーツ男はピアス男に背を向ける形で立っている。両手をポケットに突っ込んで落ちようとしている陽を眺めながら話し始めた。
「デュークの偽者をご存じですか?」
「……はぁ?」
ピアス男は眉を動かした。
「デュークを騙る偽者は数多くいます」
「だろうな」
ピアス男はそう言いながら背を向ける男を睨んだ。「俺が偽者とでも言うのか」と言いたげだ。
「しかし我々にとってはどうでも良いことです。あなたもそう思いませんか?」
「おまえはよぉ、俺が誰か知ってて言ってんのか?」
ピアス男に苛つきが見えた。
わざわざ呼び出しておいてこれか、と。
「もちろん。デュークさんです。ただ、あなたが本物か偽物かは我々にとってはどうでも良い。ただ一つ言えるのは……、一番強い者がデュークだと言うことです」
ピアス男は口元を歪めた。
「偽者、連れてこいよ。俺が全員ぶっ殺してやる。ただな、お前が俺を偽者だと言うんなら……、お前も殺してやるよ」
スーツ男はおもむろに指を鳴らした。
するとどこからともなくガラガラと音が聞こえてきた。その音は段々近づいてきて、廊下から二人の男が姿を現した。
二人も同じようにスーツを着ている。そしてその手で台車を引いている。台車の上には高く積まれた鞄が。
二人の男は台車をピアス男の前まで持ってくると、鞄を地面に降ろして全部開けた。
――ヒュウ……。
ピアス男が口笛を吹いた。
「まだ差し上げません」
ピアス男はスーツ男を見た。スーツ男は振り返って続けた。
「これからあなたを偽者の集う場所へ案内します。そして偽者を全員殺した時に差し上げましょう」
「ところでよ、なんでそんな事をするんだ?」
ごもっともな疑問。いや、スーツの男が胡散臭いのだ。この話、食えるか食えないか。ピアス男は確かめたいのだ。
「あなたほどであれば、居るだけで他国にとって驚異的です。交渉の場にあなたがついていけば、あらゆる面で有利になれるでしょう。そうなれば我々の商会も天下を取れます。もちろん、あなたにも望むだけの報酬を差し上げましょう。偽者はこれから活動を始める上で障害となります」
己が最強。ピアス男は信じて疑わない。
簡単なことだ。殺すだけで良い。たったそれだけ、それだけのこと。
「案内しろよ。早く」
「では今すぐ手配します」
ピアス男とスーツ男は夕闇の街へと消えた。




