収穫は雑草
「なあ、デュークっているだろ?」
取るに足らない兵の唐突な疑問であった。その同僚は妙な顔をした。
「ああ……ちらっと聞いたことがあるなぁ」
デュークと呼ばれる伝説上の人物。その名は、昔に大陸で大きな戦争があった時から語り継がれている名だ。
「どれくらい強かったんだろな?」
「そうだなぁ。一人で一個の軍隊を潰すくらいは強かったらしいぞ」
「またまたぁ……」
兵は、自分で聞いておきながら怪訝な顔をした。正直、冗談にしか聞こえないようだ。
デュークのことに関しては、たまに上官達が少しだけ語っていた。
曰く、熊のような巨体で丸太のような腕を持つという。
曰く、それはそれは腕が立つという。
曰く、高すぎる報酬を請求するという。
何人もの先輩や上官達がそう説明した。だから兵もデュークはそういう奴だろうと思ったのだ。
「まあそんな奴はいねえよ。迷信だ迷信」
同僚はそう言ってパスタを一口食べた。兵も「やっぱりそうか」とだけ言って昼飯を食べ始めた。
突然店のドアが乱暴に開けられた。
何人かの人間がそれを気にして振り返った。
「うわっ……」
兵が思わず声を上げた。
店の入り口に入りきらないような大男が立っているのだ。
その大男は窮屈そうに身をかがめて店に入ると、大きな足音を立てて前へ進んでいった。
大男はカウンターの席に着くと、店員に料理を頼み始めた。
群衆は興味を失って元の会話に戻った。
大男はと言うと、出されたミートソースパスタ大盛りをあっという間に平らげ、そこからさらにピザや鶏の丸焼きや、葡萄酒や蒸留酒などを頼み始めた。
店員が入れ替わり立ち替わり、男の前に皿を置いて空いた皿を片付けていった。
その大男の食らいっぷりは凄まじく、店員達の話を聞いた料理人が遠目に見に来るほどであった。
そして酒を浴びるように飲み、グラスを勢いよくテーブルに置くと席を立った。
店員が慌てて声を掛ける。
「ちょっと、お客さん。お勘定」
振り向いた大男の顔はなんと恐ろしい顔だったか。店員は小さく「ひっ」と声を漏らした。
顔は浅黒く、顔には幾つもの深い傷がある。目は血走り、鼻からは火山のごとく息が吹き出ている。口の周りには陽の光一つ通さないような黒い樹海が広がり、その中心部で地獄の門が待ち構えていた。
その腕は太く、目の前の店員の胴ほどある。
この大男が立っただけで店員の目の前に夜が訪れたようになった。
「で、伝票ぉ……」
店員は縮こまりながら大男に伝票を差し出した。
二万六千八百ルピー。それが飲食代。
とんでもない額だ。一人が飲み食いしても、二千ルピーにも届かない。つまり大男は二十人前を優に超える料理を注文したのだ。
伝票を見た大男の眉間に皺が寄る。そして脅すような声でこう言う。
「悪いが金がねえ。払えねえな」
店員はさらに縮こまる。しかし、ここできちんと言っておかなければ、この男の真似をする輩が増える。これは店の面子に賭けてとがめる必要がある。
「そ、そそれは困ります!」
「ああんっ!」
大男が店員に顔を近づける。店員は近づかれた分だけ後ずさりした。大男は店員を睨み付けている。かと思えば急に不敵な笑みを浮かべて言った。
「そいつぁ悪いなぁ。その代わり、お前の店の用心棒になってやるよ」
よく、路銀を稼ぐのに困った人がその腕を活かして店の用心棒になることがある。働き次第ではあるが、悪党を追い払えばそれなりの謝礼が貰えるのだ。
恐ろしさが限界に来たのか、店員はそれを承諾した。
次の日、昼間になってから大男がやってきた。
大男はテーブル席にどかりと腰を下ろして入ってくる客達を睨むように眺めた。そして急に立ち上がったかと思うと、四人の男客のグループまで歩いて行った。
「おい、お前ら」
「え、ええ?」
客は驚いたように返した。大男がテーブルに手を突いて客を睨む。睨まれた客は息を呑んだ。他の客達はそれを何もせずに見ている。とにかく、関わりたくないのだ。
「お前ら、そんなでかい声で喋ってよおぉ、周りの迷惑考えろや」
そんなはずは無い! と客は思った。確かに喋ってはいたが、そこまで大きくは無い。下手すれば周りより小さいほどだ。客は抗議した。
「ちょちょ、待ってくれ! それだったら周りの人に聞いてみれば良い! “うるさいか”て」
四人の客は助けを求めるように周りを見渡した。しかし周りの客は大男と目が合いそうになると慌てて俯き、中には半分しか食べていない料理を放って店を出た者もいる。
「ほらみろ、お前らがうるさいから出て行ったんだ」
「いや、だから――」
「罰金だな」
唐突な宣告。客は面食らった。
「そうだな、罰金……一人五万だ!」
「おい! 待ってくれ。大体、あんたに何の権利があってそんな事言うんだ」
大男がテーブルを叩いた。葡萄酒の瓶が転げて床が濡れた。周りの客は本格的に店を出始めた。奥にいる店員達が困惑する。
「そんな事も分からねえのか? 俺はここの客なんだよ。その客が迷惑だつってんだろが。後よ、俺ここの用心棒だ。悪いが罰金は店の規則だ。俺はそれに従ってるだけだ」
大男が一人の客の頭を握った。頭蓋骨がミシミシと音を立てる。
「良いから財布出せよ。罰金払ったら見逃してやる」
恐れた客四人は大慌てで財布を出した。大男はそれを奪うように取ると、四つとも真っ逆さまにして中身全部出した。そして金額を数えながら言う。
「何か足りねえなぁ。まあ無い物は仕方ねえな……。足りねえ分は勘弁してやるよ。ほら」
大男は埃一つ入っていない財布を四人に投げて返した。それから四人は飛ぶように店を出た。
店の客はほとんどいなくなった。見かねた店員が大男に文句を言った。
「ちょっと! 止めて下さい。次からお客さんが来なくなるじゃないですか!」
「は? 何文句言ってんだお前はよお!」
キマイラの咆哮のような怒鳴り声が店に響く。
「お前ら、ちっとは感謝しろ! 正直ただ飯くらいじゃあな割にあわねえんだよ! 俺の名前知ってるか?」
聞かれた店員は妙な顔をした。
「俺の名前はな……デュークだよ!」
デューク? デューク、デューク! 名を聞いた店員達が目を見開いた。
この大男が噂に聞くデューク。幾多もの戦場を乗り越えて、もの凄い力を手に入れた伝説の人物。確かにこの巨体であればどんな相手でも子供のように扱われるだろう。
「デュ、デュ……デューク、さん?」
「ああ、そうだよ。本当はもっと報酬取りたいがな、この店があんまり儲かってねえから特別にただ飯で済ませてやってんだ! 少しは言葉に気をつけろ! あほんだら」
大男が勢いよく机を叩くと、なんとその机が真っ二つに割れた。
奥から「ひぃ……」という叫び声が聞こえた。
それからというもの、大男はことあるごとに「俺がデュークだ」と騒ぎ、街ではちょっとした噂になった。そして噂には尾ひれが付くもので、「店に入った強盗団を一人でぶちのめした」とか「実はあの男が本物で、街で偽者狩りをしている」などと言った噂がそこら中に流れた。
店には誰も近寄らなくなるかと思いきや、世には物好きという人間がいて、店は客が多かった。
あの伝説のデュークを一目見ようと、粋がった厳つい集団が店にたむろし、大男はその若者達から罰金を巻き上げ、店の料理をただで飲み食いし続けた。
こんな筈では、と店長が嘆いた。本来はもっと、和気藹々として大人から子供までがのんびりとくつろげるような店にしたいと思っていたのだが、今日では街の不良という不良が集まる掃き溜めだ。
一旦不良が集まるとこの店の客層は不良に限定され、札付きの悪や荒くれ者達が集うようになる。勿論その中にはある程度腕が立つ者がいる。彼らは当然のように大男に喧嘩を売りに行ったが、大男の方が何倍も強く、店を出る頃には素っ裸にされていた。
そして挙げ句の果て、大男は「俺が宣伝したから客が増えた」と言い、店から宣伝費を巻き上げた。
そんなある日――。
ぼろぼろになった店のドアが音を立てて開いた。店に入ってきたのは小柄な爺だ。
茶色の帽子とスーツを着た爺は、両手を腰の後ろで組みながら店を歩く。店にたむろする若者達はこんな爺には気づきもしないようだ。
両足をテーブルに置いて微睡む大男の向かいの席に爺は腰掛けた。
「……あっ?」
大男は自分の向かいに座られたことに苛つきを隠せず、爺を睨んだ。睨んだが、丁度帽子を脱ごうとしていた爺の目には映らなかったようだ。
身なりは良いようだ。ならば適当に脅して金を巻き上げようと大男が考えた矢先、爺が口を開いた。
「デュークさんですね」
大男の目が一層険しくなった。この爺は何か話を持ってきたらしい。
「おめえは誰だよ?」
「私はね……知っているのですよ。あなたが本当ではないと言う事は」
「てんめええ……」
大男が怒鳴ろうとした瞬間、爺は指を口に当てて「しぃ」と言った。それに何かを感じた大男は思わず黙ってしまった。
爺は喋り始めた。
「当然ご存じでしょう? デュークを。しかしその実態は誰も知りません。いや、知らなくても良いんです。我々にとっては」
喧噪の店。だが大男と爺の周りだけ景色が違った。騒ぐ群衆の姿などまるで目に入らず、騒ぎ声など聞こえないに等しい。
「大事なのはその名の価値ですよ。あなたがデュークでいることが、どれだけの価値を生むか」
「何が言いてぇ……?」
大男は静かな声で聞いた。
「本物になってみませんか? 一流。いや、超一流の世界。少なくとも、今みたいに貧乏人から金を巻き上げるような事はしなくて済みます。たった一回。一回の仕事をするだけで遊んで暮らせるだけの金が。そんな仕事が幾らでもある世界です」
「うさんくせえ……。消えろ糞爺」
大男だって馬鹿では無い。こんな、つかみ所の無い爺をいきなり信用するわけが無い。
「ところで、負けを感じたことはありますか?」
「……はぁ?」
大男の腕がぴくりと動いた。ふざけた質問だ。愚弄の意さえ感じられる。
大男は爺の胸ぐらを掴もうとした。しかし爺の鋭い眼光に当てられ、息を呑んだ。
「無いでしょうな」
爺は見透かしたように言った。大男は何も言わない。それが図星であることを物語っていた。
どれくらいの時間がたっただろうか。
爺はおもむろに懐から紙を出して机の上に置いた。
「もし勝者の頂に登りたければ、そこに書いてある場所まで来てください。運びましょう。あなたを、その山の上まで」
爺は去って行った。大男は紙を見たまま座っている。
粋がった群衆が馬鹿みたいに騒ぐ。所々で取っ組み合いの喧嘩が起こり、群衆達はそれを囃し立てる。
――しょうもねえ。雑草だ、こいつら。
そう雑草だ。そこらに生えている雑草。大男はその雑草を喰って生きてきた。
――雑草? 冗談じゃねえ。俺が喰いたいのはそんなんじゃねえ!
味のしない雑草など、喰っても満たされない。喰うなら、肉。
貪る! 肉を!
紙がぐしゃりと音を立てた。




