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強者の苦悩  作者: 林葉
砂の王
42/45

復活の覇王樹

 ブドウ、オレンジ、メロン、バナナ、マンゴー、パイナップル。

 山! 果物の山! 金の広い器の上に果物の山!


 召使いはバナナの皮を剥いて渡した。玉座に座る一人の少女に。

 名はエリシア・ロス・シュバイツ。現在、サンマド王国の新国王だ。前国王はと言うと、城の地下深くにある牢獄にいる。


 陽の通らない、乾ききった、何も無い牢獄。そこでは何の変化も無く、一日に三回出される食事で辛うじて時間が分かるほど。それ以外には何も無い、木と砂と石と金属で出来た牢獄。

 そこに痩せた男が一人。両手両足に鎖、その先にはあらゆる術式を組んだ特注の鉄球。

 男はただ座っているだけ。目は閉じたままで。


 外の街の一秒と、ここで流れる一秒にどれほどの違いがあるだろうか。それを考えても意味は無い。

 この世界で一番最初の生物はどれほどの寂しさを味わったのだろうか。考えても仕方が無い。


 血が心臓から全身へ、全身から心臓へ。息を吸って吐く、また吸って吐く。顔が痒いから掻く。耳鳴りを聴く。それだけ。それ以上もそれ以下も無い、乾いた世界。


 そして玉座の間ではエリシアが玉座に座っている。エリシアは召使いが出した紅茶にミルクを混ぜた。

「つまんない」

 エリシアはスプーンで紅茶のカップを叩いた。チン、という澄んだ音が虛空に吸い込まれて消えた。


 国を奪ったというのに、特に目新しい変化は無かった。もちろんエリシアは王だから、何か命令すれば召使いや兵がすっ飛んでくるのだが、それまでだ。

 民の何時ものように暮らしている。というか、そうするほかに無いのだ。前国王は退いた。民は泣きながら暮らしている。


 街の気候も変わった。こんなにも日が照っているというのに、冷風が腕を撫でている。道ばたで座っている子供の腕に鳥肌が立った。これはエリシアが王になってからだ。つまり、エリシアの魔術。

 これによって過ごしやすくなったのは事実だった。実際、屋根大工の仕事時間は増え、その分儲かっている。狩ってきた獣の肉も少しばかり傷むのが遅くなった。朝になると、たき火に群がる女の姿も見えた。


 罪人闘技会の様式も少し変わり、処刑人が王では無く魔物に変わった。それでも見に来る物好きはいる。


「はあぁあ。つまんない」

 二度目。エリシアは首を後ろに曲げて、天井を見ながら言った。


 一方、王城の入り口付近では何やら騒ぎが起ころうとしている。

「なんだお前」

 高そうな鎧を着た兵が来訪者に声を掛けている。何か、見下したような、面倒そうな顔だ。


 兵は二種類いる。前国王派と新国王派だ。エリシアが国を奪った際、腹心に命じて前国王の兵は全て閑職に追いやった。そしてどこからともなく連れてきた兵を城の兵としたのだ。

 今まさに声を掛けたのは新国王の兵だ。


「ここからは立ち入り禁止だ。帰れ」

 兵はそう言った。しかし来訪者は全く気にしていない様子だ。それどころか、兵を手の平で退けようとしている。

 兵の眉間が深くなった。


「つっ! お前何して……」

 ぐしゃあ! と妙な音がして兵の足が地面から浮いた。兵は必死で藻掻いているが首を掴んだ手は固い。固すぎる。ビクともしない。


 通りすがる群衆が足を止める。皆、口を開けてその光景を見ている。


 ――あいつだ、あの兵だ。何時もの、あの兵が痛めつけられている。石でも投げようか。加勢しようか。いや、何もしないでおこう。


 ごきり。兵の首がおかしな方向に曲がった。それと同時に全身が痙攣し、舌がだらりと下がって汚い唾液が地面に落ちた。来訪者は興味を失ったらしく、首の折れた兵を道端へ捨てた。


 群衆の中の一人が死んだ兵に駆け寄って、踏んだ。

 踏んだ、蹴った。踏んだ、蹴った。


 すると一人二人と数が増えて、その兵を踏んだ蹴った、踏んだ蹴った、踏んだ蹴った。

 足足足。無数の足が兵の顔を、腹を、胸を蹴っていく。新しかった鎧がへこみ、土で汚れていく。

 やがて蹴ることに飽きた群衆は去って行った。去り際に兵の胸を悪意たっぷりに踏みにじって。


 誰か一人が兵を殺した来訪者に目を向けた。来訪者がどこかで見たことあった気がしたからだ。ちょっと前に、何か凄い話題になったなった人だった気がしたが、確かめることは無かった。


 王に勝った男、デューク。数年間、罪人闘技会で話題を呼んだ男だ。あの絶対的な強さの王を、開始早々打ち破ってしまった。それからすぐに兵に連れて行かれて、もう姿を見なくなった。


 デュークは死んだ兵に背を向けて城の入り口をくぐった。


 入り口を抜けた先は広場になっている。広場の中心にはご神木を縮小した木の模型が置かれており、召使い達はそこに座って喋っている。

 入り口の近くで立っていた兵がデュークの姿を見るとすぐに駆け寄った。


「おい」

 兵はデュークの前に立ちはだかる。


「予約を入れたか? 名前を教えろ」

 デュークは何も喋らない。まるで兵が見えていないかのように、奥の階段へ向かって歩き始めた。


 驚いた兵が怒鳴る。この城に予約も入れていないような奴を通してはいけない。不審者だ。


 兵の気が切り替わった。もう制圧する姿勢だ。

 すぐさまデュークの服を掴むと足払いを仕掛けた。


 だがデュークが少し体の向きを変えると、勢い余った兵が前のめりになる。デュークはその足下に自分の足を添え、兵を引っかけた。

 次に反転した後、倒れようとする兵の頭に強烈な回し蹴りを放った。


 近くで見ていた召使いの髪が風圧で揺れる。

 デュークに蹴られた兵が円の形の残像を作って、壁に激突! 兵は動かなくなった。


 次、デュークの背後から二人の兵が縦に斬りかかる。だがデュークの姿が消えた。その瞬間、二人の兵の頭が掴まれ、合わさった。潰れたトマトのようだ。


 広場の兵達は恐れて動けなくなった。

 その臆病な兵の一人が物陰からこっそりと矢を放った。だがデュークの二本指で掴まれて、投げ返されて絶命した。


 ――後ろにも目が付いている。化け物。


 兵達は腰を抜かした。


 二階。

 事情を知らぬ兵はまたデュークを呼び止めて、蹴られて死んだ。また大騒ぎになって何人かの兵が斬りかかったが、まとめて殴り殺された。二階の兵も恐れをなして、何もしてこなくなった。


 玉座の間にいるエリシアは召使いに問うた。

「この近くに国はあるの?」

「分かりません。私は生まれてから砂漠を出たことがありませんので。……申し訳ございません」

 エリシアは「はあぁ」と息を吐いてブドウを一粒食べた。召使いは空いたカップを片付けてどこかへ行った。


 玉座の間はだだっ広かった。

 長椅子にテーブル、遊戯用の机、簡単な調理台、と人が集うための物が多く置かれているが、ここ最近使われている様子は無い。

 玉座の間にも決まった者しか訪れない。


 エリシアは分からなかった。この空虚さが。国を奪い取って、また違う国を奪い取る。この行動を起こすまでの間がつまらなかった。

 国を奪い取っている時はたまらなく楽しいのだ。何かがどんどん増えていくような気がする。だがその後はどうでも良かった。


 器に置かれたバナナはすっかり黒くなっている。


 その時、突然扉が開いた。そこには一人の兵が。

「お伝えします! たった今、不審者が城の中に!」

 兵の大きな声が広い玉座の間に響いた。少し遠くにいるエリシアは言い返した。

「だったら今することをしてちょうだい」

 要するに排除、だ。


 だが兵の様子がおかしい。何やら口を震わせながら宙に浮き始めた。そして奇妙な音を鳴らしたかと思うと、浮いたまま動かなくなった。

 エリシアは何時もの顔でその光景を見ていた。その瞬間、浮いている兵が突然大きくなった。


 いや、実際に大きくなったわけでは無い。そう見えただけだ。変わったのは大きさでは無い。距離だ。


 人が吹き飛ぶにしては度が過ぎる速さで飛んでいく兵。その兵がエリシアの視界を掠める。エリシアは踊るように玉座の横へ飛び降りた。それと同時に木で出来た玉座が飛散した。


 着地したエリシアは何かを言おうとした。だがその喉には手が! 次、目の前に果物の山があった。

 エリシアの頭が果物の盛り合わせに叩きつけられる。グチャアと音を立てて、顔が果汁の地面に押しつけられた。


 エリシアを襲うデュークは転がってきたバナナを踏みつぶした。そしてエリシアを持ち上げると、紅茶の置いてあった机に投げつけた。

 服が紅茶で汚れ、顔は果物でベトベトである。


 そんな中でエリシアは立ち上がった。


「ああ……、あああぁ。汚れちゃったぁ、汚れちゃった、汚れちゃった」

 デュークは急接近し、エリシアの髪を掴んで引きずり倒した。エリシアは見切る暇も無く、派手な音を立てて床に転がった。


「なんで、なんで……そんな、虐めて……、楽しい?」

 エリシアの問いに、デュークは問いで返した。


「この国を引き渡すか?」

「え、うぇええ? ……どぅむっ!」

 エリシアの腹に拳が一発。吹き飛ばないように体を押さえられている。


「引き渡すか?」

 二度目の問いだ。デュークはすでに拳を後ろに引いている。

「ぐうぅ……ぐぐぐぐぐ……」

 答えようとしないエリシアにデュークが拳をお見舞いしようとする。


「いやああああああ!」

 刹那、エリシアの手から閃光が放たれた。エリシアの右手が右から左に振られ、赤い閃光も右から左へ払われた。遅れて濛々とした爆発が辺り一面に起こる。閃光の線上にあった物品が皆から焼き切られた。


 デュークの姿は無い。目の前に惨状。

 綺麗な木目の壁に歪な線が入り、入り口の扉は横に二等分されて床に落ちた。玉座は見る影も無い。床も血と果汁でぐちゃぐちゃだ。


 どんっ! とエリシアの背中に衝撃が走った。――と思えばもう壁が目の前だ! だがエリシア、奇跡の見切り! そのまま体を縦回転させて横の壁に着地! そのまま壁を蹴って、デュークに接近。

 

 ――引き渡す? どうして? この私が何で、得た物をわざわざ。


 エリシアに、国を引き渡す気などさらさら無い。

 エリシアの拳が青く光り始めた。そして大きく振りかぶる。


 対するデュークは少し足を広げて待っている。

 エリシアはニヤリと笑った。


 ――正直にするもんか!


 そして振りかぶった拳をデュークに――。

 ――いや、手前の地面に叩きつけた。


 外したのか。いや、違う。わざとだ。

 青く光った拳が地面に触れた瞬間、その周りが氷結する!

 その氷柱がデュークの足下に迫った。


 しめた! とエリシアは思った。


 氷がデュークの足を封じるのは予想に容易い。だが、エリシアが考えているのはそんな月並みなことでは無い。

 目の前の襲撃者、デュークがいとも簡単にこの氷を飛んで避けるのは先ほどの動きで分かる。違う、そこでは無い。もう一歩先だ。

 つまり、デュークが飛ぶことは織り込み済み。


 エリシアが右手の氷の拳で床を叩く寸前、左手に魔力を凝縮させていた。


 だが、エリシアは目を見開いた。

 飛んでいないのだ。デュークは何一つ動いていない!


 ――そんな阿呆な! 避けないという愚行を……!


 そう思いながら予定変更。デュークの首を狩る一撃を放つ!

 しかし――。


 その左手がデュークの首元を捉えようとした瞬間、その手が無理な方向へねじ曲げられた。

 円を描くような流れる動作だ。エリシアの左手を取った、デュークの右手が綺麗な円を描いて地面に付いた。


 エリシアはまた地面に伏した。デュークは一歩も動いていない。


 こいつが、この襲撃者が今の氷柱を見逃すという失態をするはずが無い。せっかくそこまで感じ取れたというのに、遅かった。判断が遅れた。

 それは少しでも、仕留められる、と思った結果。自信故の隙、油断。その意識の隙間を突かれたのだ。


 エリシアは首根っこを掴まれている。そしてデュークはその頭を叩き潰そうと、拳を真上に振り上げ、振り下ろした。


 エリシアにとっては不気味なほどゆっくりに見える。

 部屋全体が大きく揺れ、壁際の棚が倒れて前後左右に動き始める。

 地震では無い。それはデュークの拳が生む衝撃だ。


 その衝撃、空気の揺れが凄まじい風圧となり、エリシアの頬を歪めた。

 潰される。すり潰される。ひねり潰される。


 ――怖い。潰される。


 王は恐怖した。もう潰されるのだ。

 メテオだ。まるでメテオのようだ。


 エリシアは目を瞑った。デュークの拳がもうエリシアの目の前まで来ている。

 が、しかし――


 デュークがなぜかその拳を真横に振った。


 入り口側の壁が無くなった。その代わりに青空が見えた。向こうの方で布屋根らしき物が何枚かひらひらとどこかへ飛んでいった。


 デュークが真後ろに飛ぶ。遅れて何かが飛来して、エリシアと重なった。そしてそのままでエリシアと共に玉座の方に着地した。


 赤い鎧の人だ。いや、人かどうかは怪しい。というより人で無い。鎧どころか全身が真っ赤。その上、頭に角が生えている。

 エリシアが呟いた。


「アルコン……」

 アルコンと呼ばれた赤い人はエリシアを降ろすと片膝を突いた。

「この非常事態だというのに遅れましたことをお詫びします」

 開口一番の謝罪。彫刻のようなお辞儀だ。


 アルコンは謝罪が終わるとおもむろにデュークの方を向いた。そしてまたエリシアに向き直った。

「エリシア様、この人間は大変強く見えます。ここは私に」

「駄目。二人でね」


 エリシアは微笑みながらも、こっそりと唇を噛んだ。たった一人に二人で掛からねばならないという劣等感はぬぐえない。


「エリシア様と共に戦えるとは……。このアルコン、一生忘れません。では――」


 アルコンの足下が弾けた! 右手を目一杯広げて魔力を溜めながらデュークに接近。

 同時にエリシアが跳躍し、横に閃光を振りながらデュークに迫る。


 デューク、アルコンに対抗する形で前に跳躍。今いた場所を閃光が掠める。


 デュークとアルコンが瞬時に入れ替わる。その刹那、紫の線が円を描いた。

 

 アルコンの体に縦線が走る。だがアルコン、反転してまたもデュークに接近。殴りかかろうとするアルコンの腕をデュークが掴む。そしてぶん投げようとした時、それを好機と見たエリシアが風の刃を飛ばす。


 デュークは投げようとしたアルコンをそのまま振り回し、風の刃に向かって投げる。巨大な三本の刃にアルコンの体がぶつかり、派の勢いは減衰する。

 そしてすぐさま剣を振り、風の刃を打ち消した。


 遅れて、バラバラになったアルコンが振ってきた。


 着地したエリシアは攻撃を止め、後ろへ飛んだ。

 微笑む王もさすがに苦の表情を浮かべている。


 ――この男。強すぎる。


 アルコンの残骸が赤いオーラになり、一カ所に集まり出す。オーラは人の形を取り、赤い肉を作った。


「エリシア様。ここは引いた方が……」

 この男がとどめを刺してこない以上、気が変わらないうちに引くのが得策。そう判断したアルコンはエリシアに提案した。


 エリシアは口元を歪めた。

 だが仕方が無い。勝てないのだ。


 この王、直接戦闘にこだわるような戦闘狂では無い。

「……あたし、帰る」

「はっ!」


 二人は壁の大穴から飛び降りてどこかへ消え失せた。


 デュークは玉座の間を出て、震えているだけの兵に話しかけた。

「前国王は?」

 兵は白目を剥いて倒れた。


 話にならない。デュークはそう思って自分で国王を探すことにした。そして少しばかり時間がたって、国王にいる牢獄にたどり着いた。


 サンマドの国王、タールクムは座っていた。

 何も無い静寂の暗闇。

 さっき地響きがあった以外は何も変わらない牢獄。


 その牢獄の扉が突然吹き飛んだ。


 タールクムは手を目の前にやった。突然の光だ。光、といっても牢獄の通路に取り付けられた照明の僅かな光だが。しかしそれでも眩しく感じるには十分であった。


 次に足音が聞こえた。ゆっくりと確実に自分の方へ来ている。

 そして目が痛いのも我慢して手を退けると――。


「……そろそろ自分の仕事に戻れ」

 あの男がいた。


 己を打ち破った後、再会を約束した男だ。だがその男はいつまでたっても来なかった。もう二度と来ないと思ったが、まさかこの日に来るとは思わなかった。


 言葉など出るはずも無い。タールクムはただただデュークのすることを眺めた。


 デュークは自分の手足に付けられた鎖を力任せに千切った。

「いや、まて。千切るとは……」

 その所業に思わず声が出た。デュークは何も言わない。


「お、おい! どこへ行く?」

 タールクムはデュークの背に声を掛けた。デュークは背を向けたまま言った。

「アラマンは貰ったぞ……」

 本当にデュークは去って行った。


 数日後、息子のセトが戻ってきた。その日は盛大な宴を開いたが、セトの様子が妙だ。

 セトは女の召使いの群れに飛び込んで、慣れた風に口を利いている。そして懐から葉巻を取り出すと、これ見よがしに吸い始めた。

 タールクムは思わず席を立った。


「おい!」

 大きな声がして、会場が静まるとタールクムは続けた。


「その葉巻……、もしや北の」

「そうだけど?」

「す、吸わせろ! 吸わせろ!」

 兵達は内心でずっこけた。てっきり葉巻を吸う息子をしかるかと思ったのだ。


 砂漠の国サンマドの夜は長くなりそうだ。

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