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強者の苦悩  作者: 林葉
砂の王
41/45

影の揺りかご

 セトは見上げた。

 高かったから見上げた。白い奴がいなくなったから見上げた。腰に剣を差していたから見上げた。

 セトが見上げたその人はそんな事はどうでも良いように歩き始めた。

 

 どこからともなく飛んできたタオルが血だまりの中に落ちた。


「ちょっ……」

 セトは反射的に追いかけた。その人は数歩歩いただけだが、もうすでにセトとの差は大きく広がっている。セトは走った。朽ちた石像の隣にぼうっと立っているアラマンなど眼中に無い。走り始めた時、足下の肉片に足を滑らせかけたが、持ちこたえてその人を追いかけた。


「ちょっ、ちょちょちょちょ……」

 その人は歩くのが速かった。

 謎だ。動作はゆったりとしているにもかかわらず、なぜか結構な速さで進んでいくのだ。

 完全に目測を誤ったセトは、角を曲がったその人を見失ってしまった。


「ちょいちょいちょいちょい、……ちょいっ!」

 セトの手が前に出た。喉も前に出そうだ。

 そしてセトも角を曲がる。だが、誰もいない。その人はもうとっくに何処かへ消えてしまったようだ。


 セトは途方に暮れた。確証は無いが、恐らくその人が例の人物。答えとして一番近いもの、否、答えそのもの。


 遅れてアラマンが足音を立てながらセトの隣に立った。


「……私に何の用だ?」

 セトが猫のように飛び上がる! その際、左足と右足がぶつかって派手に尻餅をついた。

 その人はあろう事か、寸前に通り過ぎていた狭い狭い路地の壁に立っていたのである。まさか、ほぼ真後ろから声を掛けられるとは思っていなかった。


 その人はセトより先に、アラマンに目をくれた。そしてセトの方を見た。セトは上目遣いでその人を見る。様々な感情が交ざった目だ。その人は少しの間、顎に手をやって考えるそぶりを見せると「付いてこい」とだけ言って背を向けた。


 ――カランコロン。

 ここは首都某所の狭い酒場。壁に取り付けられた照明器具が淡い光を発し、磨き上げられたカウンターが天井を映し出している。

 カウンターを隔てた向こうには片目に眼帯を付けた店主が一人、ただ黙々とグラスを磨き上げている。

 休業中、と表の扉に札が掛かっていたが、今日は客が三人もいる。

 店主は氷の塊を取り出し、アイスピックで削ってグラスに入れて蒸留酒を注いだ。そして蒸留酒のグラスを三つ前に出すと、何時ものようにグラスを磨き始めた。


「あんた、デュークなんだろ?」

 セトを追う白い奴を斬ったその人、デュークは何も言わずにグラスを傾けた。そして一口か二口、酒に口を付けると、呟くように言った。

「……だったらどうなる?」

 否定と肯定しか頭に無かったセトは固まった。


 セトの前のグラスが音を立てた。酒は口一つ付けられていない。アラマンに至っては、通路がふさがるのも気にせずに突っ立っている。それにもかかわらず、店主は律儀にもアラマンに酒を出していた。店主は二つのグラスが口一つ付けられていないことを気にしている様子は無い。


「だったら……」

 セトの声が漏れた。彼がデュークで無ければ人違い。デュークであれば――。

「頼みを、しに」

 セトは言った後、何の気なしにグラスを揺すった。荒削りの氷が澄んだ音でグラスの中を踊る。


 セトは凄く困っている。その理由は多くあるが、まずデュークの自分に対する対応が他の人と全く違うことだ。

 彼は王子だ。歳は十三ほど。

 砂漠の民は自分を玉のように扱い、何か要望を伝えるとそれはすぐに叶えられた。そして国を出てルクレシアの街に出たが、やはり番兵に事を伝えると何かしら気に掛けてくれた。


 だがデュークは違う。子供相手だというのに「だったらどうなる」という高度な回答を迫る問いを投げかけた。まだ年端も行かぬ子供にこのような問いを理解しろというのは難しい話だろう。

 子供だとは思っていないのか。そうだろう。恐らくデュークは自分のことを、子供でも何でも無く、あくまで一人の人間として問いを掛けているのかも知れない。


 セトが口を開いてからどれほど時間がたっただろうか。デュークがおもむろに口を開いた。

「まずお前の身分を明かせ。……それからだ」

 セトは唾を飲んだ。そして意を決して言う。

「名前はセト。サンマド王国の……、王子」


 王子、という言葉に陰りが見えた。

 セトは父の背を思い出した。父は逃げることを嫌った。だから自分にも言い聞かせてきた。セトは、虛空に浮かぶ父の幻影にすら目を合わせることが出来なかった。


 セトは口を開いたその勢いで用件まで喋ることにした。


「ぼ、僕の国が……大変で……。手を貸して欲しい」

「ここに来るまでに見聞きしたものを話せ」


 やがて全てのグラスを磨き終えた店主は、瓶に貼られたラベルがきちんと前を向くように調整を始めた。


 セトは一連の出来事を説明した。

 夜中の轟音、騒ぐ兵、自分の手を引く守護神、数年前の罪人闘技会、白い奴。


「……それで、私がすべきことは?」

「国を……取り返して!」


 セトが芯の通ったまなざしでデュークを見る。デュークはグラスを傾けたまま問うた。

「報酬を示せ」

「えぇ……」


 予想していたが、難題だ。肝心な部分。ここで間違えれば無くなる。奪還の糸が砂のように消え失せる。

 サンマド王国王子セト、十三にして決断。今まさに歴史の一歩を踏み出そうとしている。

 苦悶、苦渋、苦悩。セトは探す。このデュークという巨石を動かす梃子を。そして一寸の閃き!


「――これ!」

 セトの人差し指が雷光の如き勢いを持って真後ろを貫いた! その雷光が指す先――。


 ――アラマンだ。

 

 アラマンがどういう物かはセトが知らないはずが無い。国の最高戦力だ。値段など付けられるはずも無い。だがそれで良かったのだ。

 今のセトにはアラマン以外何も無い。アラマンで支払い、目の前のデュークに賭けるほかに無いのだ。


 デュークは半分ほど残った酒を一気に飲み干した。そしてグラスを隅の方へやり、立ち上がった。セトはそれを不安げに見つめる。

 デュークは何歩か歩くと、セトに言った。

「管理権限を私に譲渡しろ」

「え?」

 セトにはよく分からなかった。セトの顔を見たデュークはさらに続けた。


「アラマンに、“管理者を変更する”と言え」

 このデュークがなぜ操作方法を知っているかは脇に置いて、セトはただ言われたとおりにした。

 そこからデュークが何回か呟くと、アラマンの目が緑から赤に変わり、また緑に変わった。そして突然座り込んだかと思うと動かなくなってしまった。


「あれ?」

 セトは慌ててアラマンに駆け寄る。押しても引いてもびくともせず、デュークが何かを言っても動かない。慌てるセトを余所にデュークは呟いた。

「魔力が無い」


 デュークはそう言うと、セトが押してもびくともしなかったアラマンを片手で持ち上げ、狭い店の隅の方へ置いた。店主は一瞬だけ隅に座るアラマンを見たがそれっきりで、また雑務に戻った。


 デュークはカウンターの上に幾らかの小銭を置くと、店の出口へ歩き始めた。

「ちょ、どこへ……」

「サンマドへ行く」

 なんて話が早い人だ、とセトは思った。報酬を払った途端、これである。支払ったのだから当たり前ではあるが。


 聞いたセトは慌ててデュークの後を付いた。

 「僕も行くから」とセトが言うと、デュークは何も言わずに気怠そうにゆっくり歩いた。


 デュークと一緒に歩くセトは面白い光景を見た。


 前から十人くらいの厳つい集団が歩いてきたのだ。それぞれは黒い革のジャケットなどを着て、黒めがねを付けて、膝や肩に何やら尖った装飾品を付けている。

 彼らは不必要なほどに大きな声で笑いながら、さっきまで噛んでいた何かを横へ吐き出した。


 彼らの歩く前で座っていた乞食の婆がよろりと立ち上がった際、その中の一人と肩がぶつかった。すると肩のぶつかった一人はさも当たり前のように婆の腰を蹴り押した。バッチャン、と汚い飛沫を上げて、婆はドブの中へ転がり落ちた。


「はっはっはっはっはっは! やるねぇ!」

 彼らの大きな拍手でセトは顔をしかめた。なぜ笑う時拍手をするのかまるで意味が分からなかった。


 さて、デュークはもう彼らの前まで着いた。彼らは少しの間よそ見をしていてデュークの存在に気がつかなかったが、やっとデュークの姿を見ると「あっ」と一人が声を出した。


 それからの行動は凄く早かった。

 最初の一人が「あっ」と言った瞬間、十人がそろって道の端の壁にめり込みそうな勢いで避けていった。

 その動作は迅速で、合理的で、洗練されていた。


 デュークは少しばかり広くなった通路を悠々と歩いて行った。彼らは道の端で余所を向いて、必死に存在感を消していた。


 しばらくの間、狭い路地を歩くと一つの扉の前にたどり着いた。上の看板には月のような絵が描かれている。やけに質感のある月の絵だったため、セトはデュークに「おい」と言われるまで見とれていた。


 中は古めかしい内装の酒場のようだ。歩くたびに床が大きな音で軋む。机も椅子も深い傷が刻まれている。

 さっきの無口な店主とよく似た男が、今入った二人に挨拶もせずグラスを磨いている。

 店には何人かの男達が飲んでいる。明らかに“業界人”だ。彼らの顔に刻まれた皺の一つ一つが鋭い剣のようだ。


 そんな彼らは店に入ったデュークの姿を一瞬だけ見ると、また何時ものように静かに酒をあおり始めた。いや、ただ酒を飲んでいるわけでは無いようだ。俯いているように見えるが、意識は今入ってきた二人に向けられている。もっとも、その事に気付いているのはデュークだけだが。


 デュークはグラスを磨く男の方を向くと、男が無言で頷いた。それを見たデュークはセトに「来い」とだけ言って、カウンター奥の扉まで歩き出した。

 扉を開けると細長い廊下に出る。その先にまた扉がある。デュークはその扉を開けた。


 部屋の中は凄かった、というのはセトの感想だ。その内装の派手さと物品のごちゃつき加減で目が眩みそうになる。目の前の壁には鹿の頭が飾ってあり、棚には奇抜な形をした酒瓶、目を背けたくなるような格好の女の絵などが所狭しと並んでいる。

 そしてその部屋の主であろう人物は虎柄のソファーに足を広げて座り、情報紙を読みふけっている。


「おお、旦那ぁ……。久しぶりじゃあぁん。元気だったか」

 その人物は情報紙でこちらが見えないはずなのに、来訪者が誰か知っているようだ。

 デュークは特に返事せず、向かいのソファーに座った。


 この部屋で情報紙を読む怪しい男。名はシャドウという。いや、本名かどうかは分からないが彼は自分のことをシャドウと呼んだ。シャドウはデュークが認める数少ない人物。故にその実力は計り知れない。

 得意分野は情報関係。影の王と呼ばれる彼はこの国、いや、この大陸中を網羅しており、彼に掛かれば遠い国の浮浪者ですら瞬時に特定出来るという。

 彼はデュークと直接取引が出来る、超大物の人物だ。


 シャドウは少しの間情報紙を見ていたが、突然バッと紙を折り返すと片目だけでセトを睨んだ。

「可愛い坊ちゃんだねえぇ。旦那も隅に置けないねぇ。こんな子と――」

「仕事の話をしにきた」

 デュークはシャドウの台詞を遮るように言った。シャドウは残念そうな顔をした。


「依頼する仕事は、こいつの保護だ」

「ええぇっ!」

 セトは思わず声が出た。てっきり自分も付いていくものだと思っていた。まさかここで保護を頼まれるとは思わなかった。


「その坊や、訳ありか」

 シャドウの鋭い目がセトを貫く。普通の人間にこんな目は出来ない。幾多もの死線を潜り抜けてきた者だけが出来る、目だ。


「どっかの貴族の息子か、はたまた王の子か。だがこんな坊やは俺の記憶にねえな。違う大陸か。それでも妙な感じだな。なんか、こう……、文化が違うというか」

 セトはどきりとした。確かに出身は大陸南だ。それをこの男は勘づいた。泥と血にまみれた、ぼろぼろの服を着ていてもなお、貴族か王族かと見当を付けたのだ。偶然か。いや、そうではない。


 素人が起こす偶然と、玄人が起こす偶然ではまるで違う。己の血に刻まれた、知識、経験、技術全てが作用し、本来当たるはずの無い答えの、極限まで近い所まで当ててくるのだ。単なる当てずっぽうでは無い。

 

「……詮索はそこまでだ」

 デュークが口を挟んだ。シャドウは難しい顔で喋るのを止めて、セトを上から下まで舐めるように見た。そして何か納得したような顔で言った。

「あぁ……。大体予想は付いたなぁ。坊や、大変だったろう?」

「え?」

 意図の見えない質問に、セトは答えに詰まった。だがシャドウはこれ以上は聞かなかった。


「依頼する仕事はこいつの保護だ」

「おお! お楽しみだねぇ。期間はどれくらいだ?」


「私が帰ってくるまでだ。そう長くはならない」

「よし! その依頼、受けるよぉ……」

 シャドウが不敵な笑みを浮かべる。黄色くなった歯がむき出しになった。


「報酬は帰ってきた時に話す」

「あいよぉ、頼むぜ」

 あっという間に商談成立、だ。

 話が終わったデュークはセトに「そこにいろ」とだけ言って去って行った。シャドウは怪しげな笑みを浮かべてセトに言った。

「坊や、遠慮はいらねぇ。思う存分遊びなぁ。酒でも女でも薬でも、みな買ってやるぜぇ……」

「はっ……ははは」

 それは妙な笑いであった。

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