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強者の苦悩  作者: 林葉
砂の王
40/45

深紅の純白

 街は雑音であふれかえっている。客と商人が交渉する声、馬車の車輪の音、飲み屋の喧噪。個別の音は空中でごちゃ混ぜになり、説明しづらいような色合いで群衆達の耳に還元された。

 ルクレシア首都の昼下がり。首都は今日も変わらない。


「どうしたんだい! そんな格好で!」

 首都の平常は、そんな番兵の声で割れた。番兵の叫びを聞いた市民は妙な顔で振り返った。そこには穴だらけの服を着た傷まみれの少年が街の入り口でうずくまっていた。


 ――よくあることだ。乞食か何かだろう。それにしても、そこらの乞食に情をかける兵もそれはそれで珍しい。


 道行く市民達にとってはどうでもよかった。乞食も番兵も、日常を彩る小道具に過ぎないと言う事だ。この広大な都市では。


 番兵は「あらら……」と内心で後悔した。声を掛けたのがただの乞食の少年一人だったら全然良かったのだが、その隣に物騒な奴が一人いたのだ。

 もう見ただけで目眩がするほど危険な匂いがする大きな奴。石材なのか金属なのかは分からないが、とにかく分厚い鎧を着て、一言も喋らず、それどころか呼吸しているかどうかさえ怪しいほどに静かに佇んで番兵を見下ろしている。

 対する番兵の目線はその巨人の腰の部分までしか無く、頭の方を見ようとすれば首が痛くなるほどであった。


 少年は番兵の顔を見るや否や、飛ぶ勢いで番兵の足首を掴んだ。

「た、たた……助け。うげっほ……げほっ」

 番兵の目は険しくなった。

 息を切らしている様子から察するに、少年は何かに追われているのだろう。その“何か”として一番怪しいのが巨人。

 「こいつをどうにかしてくれ」と言われて、巨人をどうにか出来るかと言われれば、恐らく無理! 潰される!


 だがそう考えるにしては不自然であった。この巨人が人を襲う輩であれば、番兵がそうこうしているうちに少年はひねり潰されているだろう。今のところその様子は無い。つまりこの巨人は単なる同行者。“単なる”という表現は妙だが。


 色々考えても結局の所、番兵が取る最初の行動は事情聴取。

「助けてって、誰かに追われているのか?」

「白い、し……白白白い白い人!」


 もう駄目だった。少年では無い。番兵が、だ。

 番兵を務めてたかだか一、二年の人がこのような状況に対応出来るはずが無い。出来ることと言えば、詰め所に連れて行って上司と先輩に事を放り投げることであった。

「……付いてきなさい。詰め所に行こう」

 そう言った番兵は着乱れた鎧を直して歩き始めた。


 それから少しした頃。

 詰め所の部屋の中では、頭を抱えた男数人と少年と、あと変な巨人が机を囲んでいる。

 数人の男の前には出された茶が半分ほど残っており、少年と巨人の茶に至っては口一つ付けられていない。


 無言。苦悶故の無言。難題故の無言。


 男の一人が口を開いた。

「で、その白いのが森から追いかけてきたと」

「そ……そうなんだ」

「んでその白い男が手を伸ばしたり、指を尖らせたりすると……」

「うん……」

 進展の無い質問。強いて言うなら、少年の正気を確認するような質問だ。


「魔族かな?」

「変態かな?」

「ギルドの人を呼んでこよう」

 “パンはパン屋”という格言に従った警備兵は早速ギルドへ向かうことにした。特徴は、体が白くて一般男性の身長で、手足を自由自在に変化させて人間を襲う魔族的な奴だ。


 再び詰め所に沈黙が訪れた。

 沈黙に飽いた男が巨人に問いかけた。

「さっきから、あんた全然喋らないね。失言症かい?」

 そう言われても巨人は前を向いているだけである。まるで動く置物だ。見たことも聞いたことも無い“白い奴”なんかより、目の前の物言わぬ巨人の方が、男にとってはよっぽど興味深いようだ。


 男は見世物小屋の客のように巨人を見て、近づき、挙げ句の果てに鎧を叩いて音を確かめたりし始めた。

「石か、たぶん石だな。こんなの着てて暑くないのか?」

 だが巨人は言わぬ。それを見た男は、言い終わった顔のまま少年を見た。

「おじさん、その人喋れないから……」

「あ、そうなんだ」

 男は巨人の鎧を撫でながら応えた。


「あの、あまり触らない方が……」

「え? なん……うぎゃああ!」

 少年の目の前に埃が舞った。茶の入ったコップが倒れて床に落ちる。

 触りすぎた男は巨人に組み伏せられてしまったようだ。男は飼い主に押さえつけられて犬のごとく藻掻いている。

「だから言ったのに……」


 一方、冒険者ギルドでは一人の警備兵が職員と話し込んでいた。

「そもそも人型という時点で数は絞られてきますが……。不死者、吸血鬼関係か……。ただ、悪魔とか魔族になると未確認の種類が多すぎて特定出来ませんよ」

「いやあ、でも……話を聞くに、特徴がありすぎると思うんだけどねぇ。だって真っ白で体が変形するんだよ。一枚の資料ぐらいあっても良いと思うんだがなあ」


 机の上に五冊目の本が積まれた。表紙には「脅威生物解説書:人型」と書かれている。

 ギルド職員の皺の入った鋭い眼光が本に注ぎ込まれている。だが職員は本をじっくり見ようとせず、何回かパラパラとめくった後本を閉じてこう言った。

「やはりありませんね」

「ちゃんと見た?」


 警備兵は職員を訝しんだ。職員は年季の入った眼鏡を外して言い返した。

「二十年務めていますが、そんな脅威は聞いたことがありませんな」

 ギルドの職員は“魔物”を“脅威”と呼ぶことがある。いわゆる業界用語である。

 職員は続けた。

「まあ群体生物であれば、体の形を変えるのは簡単でしょうな。人型に化けるというのもよくある話です。恐らくこれでしょう。それ以外の特定の種族ならば、資料は無いでしょうな。諦めくだされ。とはいえ――」


 職員はまた眼鏡をかけて本を読みながら言った。

「どこの森でしょうか?」

「いや、それがはっきりせんもんでな。聞いても分からないだってさ。全く……」

「まあ境界線にでも行けばそんな脅威は幾らでも居そうですがね。はっはっは……。それであれば逃げ帰れるはずがありませんな」

「だよね。でも境界線以外でここらの森で人型がいたという話は聞かないけどね」


 人型。専門家達がそう口にする種類。ゾンビや吸血鬼等の不死類とは区別される、人間とは違う人型の脅威を指す。それらは総じて知能や技術が高く、討伐等級も高い。未確認の新種が膨大で、それらが発生する要因は未解明である。


「もし良ければ、他の冒険者に聞いてみましょうか」

「あ、だったら聞いて貰おうか。一応」


 職員は部屋を出て、一階に固まっている冒険者達に聞いて回ったが――。


「白い人型? わかんねえな」

「形が変わる? 人型でえ?」

「群体種ならよくあるけどな。それ以外かぁ……」


 ――この有様であった。


「おや、カルカドさんじゃありませんか。どうされましたかな?」

「あ、ルーカスさん! いやはや……」

 ルーカスを見た職員、カルカドは手を頭の後ろにやった。カルカドはルーカスに対して他の職員ほど丁寧に接してはいないようだ。つまりそういう仲であった。


「部屋で一杯、どうです?」

「ああ、せっかくなので」

 ルーカスは三階の所長室に入ると、誰かに紅茶を持ってこさせた。


「ところでこんな脅威を知りませんか?」

「ほお……。あなたが逆に聞いてくるとは。驚きですな」

 カルカドは少し恥じ、白い人型について説明した。だがカルカドが知らない脅威をルーカスが知っているはずが無い。

「聞いたことがありませんな。未確認の種族でしょう。まだいるのなら調査隊でも送りましょうか。どこの森ですか?」

「いや、それが分からないようで」

 ルーカスの顔にカーテンの影が差し込んだ。

「境界線……ではないか」

 ルーカスは呟いた。カルカドには聞こえなかった。


「所長、お客様がお見えになっています」

 給仕が告げるとカルカドは席を外そうと腰を上げようとした。だがその時には扉が開き、入ってきた誰かが給仕を押しのけていたのでそのまま座らざるを得なかった。


「あ、デュークさん……」

 目をひん剥いて怯える給仕を余所にルーカスはいつもの顔でデュークを迎えた。それはカルカドも同じ事であった。

 たかが手が当たっただけで大げさに怖がられるような人物を前に、平静が保てると言うことは彼をよく知っていると言うことだ。

「デュークさん、お久しぶりです」

「カルカド……。変わらんな……」


 ルーカスは一瞬だけ眉を動かした。彼らしくない言葉遣いだった。だからルーカスの背筋は虫でも這ったように毛が立った。

 しかしそれだけのこと。デュークはそれ以上はカルカドに何も言わず、ルーカスの方を睨んだ。

「いきなり睨まれましても、何のことやら」

 白々しい。紅茶のお供のミルクほどに白々しい返事だ。


「また相談料を忘れている……。今年で何度目だ」

「何を言いますか。こうでもしないと、あなた中々ギルドに顔を出さないでしょう」

 ルーカスは誇ったように言い返した。

「来るだけで相談料が入るなら、毎日来てやろう……」

「ほっほっほ、冗談ですよ」


 デュークは机の上にあったペーパーナイフを奪い取ると、真横に投げた。パリンッ、と小気味良い音がして、絵画の中の女神の額にナイフが刺さった。

 カルカドは苦笑いした。ルーカスは口を開けた。

「せっかく美術館から……」

「……とにかく、今月中に振り込んでおけ」

 言ってはいないが、カルカドの耳には「次はお前だ」と聞こえた。


 ルーカスに背を向けて歩き出したデュークを見て、カルカドは慌てて声を掛けた。

「ちょっと宜しいですか?」

 デュークは無言でカルカドの方を向いた。

「実は人型の脅威についてお聞きしたいことが……」

「……言ってみろ」


「色は真っ白で、身長は普通の男性くらい。それで体の形を自在に変えるというのですが聞いたことがありません。何かご存じですか?」

「お前の推論も言え」

 カルカドは後頭部を掻きながら答えた。

「森から逃げてきた少年がそう説明したらしいのですが……。群体種と見間違えたのでは無いかと。群体種以外では見当が付きません。魔族かも知れませんからあなたにお聞きしたくて……」


「知らん。人工生物の線も当たってみろ」

「ほっほっほ、あなたらしい思いつきですな」

 ルーカスが横やりを入れた。

 真意は「何でも人のせいにする」と言う事だが、デュークはそれを知ってか知らずかルーカスを睨んだ。そしてデュークは去って行った。


 結局の所、白い人型についての情報は何一つ得られず、少年が群体生物と見間違えたと言う事で事態は片づいた。

 警備兵は少年を帰そうとしたが、泊まる場所が無いと申したので一晩仮眠室に泊めることになった。そして傷まみれの姿を見て同情した一人から少しばかりの路銀を貰った少年は詰め所を去った。


 数えきれぬ雑踏の間に白い奴がいないかと怯えながらも、少年が取った行動は例のデュークを捜すことであった。しかし――。


「坊主、聞いちゃあいけないこともある。これ飲んだら帰れ」

「ああん!? ぶっ殺されてえか。俺に何の関わりがあるんだよ!」

「ひいっ! 許してくれ……、頼むあいつには言わないでくれ頼む! 許してくれ許してくれ……」

「坊や、その話は止めよう。古傷が痛む」


 ――酷い有様だった。

 会った当初は頭を撫でたりジュースを奢ったりとされたのだが、デュークの名を出した途端彼らは豹変し、少年を追い出した。

 あんな悪党のような男達が猫のように怯えるのだから、デュークはそれに輪をかけて大悪党なのだろうと少年セトは思った。宝玉も盗んだし。


 セトは多種多様な人種と会話し、さらなる情報を求めて路地裏へと迷い込んだ。当然のように絡んでくる悪党。中には武器をちらつかせる者も。だがセトがその顔を見るたびにデュークについて聞くものだから、悪党もどうして良いか分からずにセトに手を出さないことにした。


「どうするよ、奴を嗅ぎまわっているガキがいるぞ」

「どんな事情があるかは分からん。絶対に手を出すなよ!」

「依頼人か? あんなガキが」

「あのガキも意外と大物かも知れねえぞ。とりあえず様子見だ」


 路地裏の異様な雰囲気を感じたセトは出ようとしたが、すでに道に迷っており、どんどんと深部へ入り込んでしまった。

 もうそこは別世界。あらゆる人種が闊歩し、暗号のような言葉が飛び交う混沌の街。

 空気は淀み、セトの鼻先を紫煙が通る。膝を立てて座る女が葉巻を吸いながらセトを舐め回すように見つめた。歯の抜けた老人が笑いながら剥きたての海老をぷりぷりと振ってみせる。数人の男が網の上で焼かれる足の曲がった昆虫を食べ始めた。


 ぎゅうぎゅう詰めの建物のおかげで妙な視覚効果が働き、来たはずの道が消えた。代わりに何本もの分かれ道が現れる。

 どこへ行っても淀んだ風景。もう出られない。

 溝水に落ちたパンを加えた黒猫がセトの目の前を横切る。


 いつの間にか人のいない場所にたどり着いた。

 歩き疲れたセトはひび割れた石像の台座に腰掛けた。


 ――ひた。

 ――ひた。

 

「見つけた。捜した」

 一瞬の閃光! アラマンの腕が光ると同時に石像が半ばから折れた。高い塀に腰を下ろしていた何者かが跳躍して閃光を避ける。

 五回転ほど宙を舞った何者かは着地した。


 セトの後頭部に電流が走った。奴だ、奴が追いかけてきた。

 己に恐怖を植え付け、アラマンでさえ始末に困り、一晩中森を走らせて、食事も摂る暇も与えずに、足が折れそうになるまで歩かせた奴が追いかけてきた。追いかけてきた。


 セトは反転して走った。

 愚行! アラマンから離れるなど、愚行! だがセトの脳は停止!

 セトの髪が宙を舞った。遅れて耳に赤い線が入る。次、右手に。次、左脇腹に。だが振り返らない。恐怖の赴くままに走る!


 奴は森だけの存在では無い! 街にも、人が多い街にもやってくる。姿を変えて形を変えて市民を欺き、息も潜めずに堂々と。


 アラマン、撃てない。セトと白い奴が同一直線上にいる。追うがその重量故、速度が出ない。明らかな欠点。


 セトが角を曲がる。

 バアン、と派手に壁にぶつかる。いや、壁では無い。何者かだ。セトはたまらず何者かの背後に隠れた。遅れてもの凄い勢いで白い奴が走ってくる。

 白い奴がセトの方へ指を向けたその時――。


 白い奴が停止した。

 遅れて、脳天から股まで寸分の狂いの無い赤い線が入った。そして白い奴の体が左右に分かれ――。


 ――ない! 分かれない!


 白い奴はニヤリと笑った。そして何か肉を潰したような音が鳴った。

 白い奴はニヤリと笑ったまま再び停止した。


 風が吹いた。

 地面に白い小指の先が落ちた、第二関節までが落ちた、根元が落ちた。そして砂が崩れるように、体全体が崩壊し、地面の上に肉そぼろの山が現れた。


 それ以上の事は起きなかった。もう何も無かった。

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