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強者の苦悩  作者: 林葉
砂の王
37/45

灰色の屑

 少年の前にはいくつかの壁があった。まず砂漠の壁。灼熱と乾きが少年の体の水分を一片たりとも残さずに蒸発させるだろう。

 次に森の壁。いくら木々は大人しくとも、魔物は大人しくは無い。

 そして他民族と会話をし、デュークという人物を捜すという壁。そもそもデュークという人物がいるのかどうか。そして彼の居場所が見つかるかどうかが肝心だ。しかし彼に会えたとしても、サンマドまで引っ張ってこれるとは限らない。断れたらどうする、見つからなかったらどうする。

 それだけの壁が少年の前に立ちふさがっていた。


 そして城を出た後、夜が明けて最初の一日目。

 砂漠は静かであった。聞こえるのは風の音と砂が流れる音と二つの足音のみ。サンマドの王の息子、セトは増殖させたアラマンの分身に抱えられて砂漠を進んでいる。

 少し前に「歩くのがしんどいな」と呟くと突然アラマンが新しい兵を作り、その兵がセトを担いだのだ。


 現在、少年の周りには二十ほどの護衛がいる。全てが硬い硬い石で出来た物言わぬ兵だ。

 国を出てからセトはほとんど言葉を口にしていない。この静寂の砂漠で喋ることすら忘れ去ってしまったかのようだ。乾ききった風のおかげでセトの口内はからからに乾いている。


 毎日、涼しい城の中で召使い達に囲まれて食事、勉学、訓練と至れり尽くせりな生活をしていたセトにとってこの砂漠は過酷であった。サンマドは砂漠の真ん中にあるが少年はその砂漠を知らなかった。知っていたのは王族として生活している町だけだ。王となる者ながら、その砂漠の大地をセトは知らないのだ。


 セトは通り行く道の途中にうち捨てられた獣の骨を見た。それは己の行く先なのか。いや、そうなってはならない。


 その時、地響きのような音が聞こえた。セトは辺りを見渡す。だが周りには何も無い。ただの地震なのか。そう思った瞬間、目の前の砂が舞い上がった。

 舞い上がった砂塵が消え失せ、そこから姿を現したのは首が痛くなるような長さの蛇だ。黄金に輝く砂に墨を塗ったかのように黒い体。茶色に濁った牙からは緑色の汁が垂れている。

 それを見たセトの毛が逆立った。何も考えられなかった。今し方起きたこの現象を脳が受け入れることが出来ずに処理を拒否しているのだ。セトの時間は止まっている。

「……はっ?」

 そして苦し紛れに発したのがこの一言。喉の奥から絞り出すように発した一言だ。

 蛇も同じように声を出した。ぼろぼろになった縄を無理矢理引きずるような音だ。セトもまたその縄のように引きずり込まれようとしているのだ。


 蛇はその巨体に似合わず俊敏な動きでセトとアラマン達をあらゆる角度で観察している。右上から左から真上から正面から、舐めるように観察した蛇は突然その首を横に振った。

 その瞬間、セトを乗せているアラマンが凄い勢いで後ろに跳躍! セトの目の前を黒く太い影が通過した。遅れて少し離れた場所の砂が舞い上がった。


 攻撃だ。この蛇は牙を剥いた。明確な殺意を持ってセトに食らおうとしたのだ。

 セトは恐怖した。これが魔物、本や人の話で聞く魔物だ。その魔物が今まさに自分の前にいる。夢ではない。あの鱗の質感、こちらを凝視する縦に割れた瞳、照り返す砂漠の熱気。そのどれもが夢ではないと知らせている。


 二撃目。今度は酸を飛ばしてきた。アラマンは腕を伸ばして横に跳ぶ。その時――。

「うわああっ!」

 この世が白くなった。セトは目の前に手をやった。その手の隙間から漏れるのは真っ白な閃光。隙間から漏れる閃光でさえ自分の目を焼きかねないような強さだ。同時に耳鳴りも起こった。この世界から音が消え去ったのだ。

 しばらく時間が経つと閃光はなくなった。セトは手をどけて目の前の状況を確認する。

「ひいっ……!」


 セトの顔面が引きつった。目の前には上半分がなくなった蛇が砂の上に転がっていた。その断面はあまりの高熱で溶けているらしく、汚らしい液体を砂の上に垂らしている。上半分はどこを見渡しても見つけられなかった。

 セトは言葉を失った。いや、言葉はあの日の晩から失っていたが。


 あの大蛇が、捕食者たる大蛇が、蛇の頂点たる大蛇が、たった一撃。たった一撃で消え失せた。

 セトはアラマンの腕を凝視した。凝視せずとも分かっていた。あの蛇を消し飛ばした一撃を誰が放ったのか。伊達ではなかった。この国の切り札が。あまりに非現実的な戦力が今まさに目の前で繰り広げられたのだ。

 セトは確信した。いや、確信せざるを得なかった。「これは危険だ」と。セトが感じたのは巨大な蛇を退けた強い保護力ではなく、意図しないものを破壊してしまう危険性の方だ。それほどまでにアラマンは強力なのだ。


 しかしフルーティアは言った。「アラマンでは勝てない」と。あの占拠者に。

 父親がどうなったかは知らぬ。だがフルーティアが自分を逃がしたと言う事はもう今には、城は悲惨たる道を辿っているというのは想像に容易かった。でなければこんな砂漠をほっつき歩いている自分がいるはずが無いのだ。石の冷たい保護者に子守をされながら。

 砂漠に出て、今を思うことしか出来なかった少年は城の方を振り返った。城はとっくの前に水平線の向こうに落ちたようだ。


 城はどうなったか、父さんはどうなったか、民は、フルーティアは。それは分からない。もしかすれば冷酷な新国王の下で献上と労働と粛正に押さえられながら生活することを強いられるかも知れない。奪還せねばならないのだ。国を、故郷を。

 だがこの自分には些か荷が重いように思えた。数えきれぬ国民と砂漠の大地を守るにはその手は小さすぎる。違う、そうではないのだ。

 少年は日常を欲した。何の変わりのない惰性の日々が今頃になって恋しくなったのだ。帰る場所が欲しいのだ。帰る場所というのは、何時ものように自分の頭をわしわしと撫でる王が治める国サンマドだ。得体の知れぬ占拠者がふんぞり返る場所ではない。

 結局は己のためであった。だがそれは全てに繋がる。

 セトとアラマン達は歩を進めた。


 その頃、サンマドでは――。


「“答えなさい”」

「……ぐ、ぎぎ……、ぎぎっ!」

 砂埃とカビ臭さに覆われたこの部屋で、全ての王と自負する者エリシア・ロス・シュバイツは丸太を椅子代わりにして座っている。

 その目の前には両手両足を木の杭で壁に貼り付けられたフルーティアの姿があった。目の上は切れて紫に濁り、頬は腫れ上がって無残な姿を晒している。

 それに対してエリシアはまるで光り輝くように白い肌で部屋を照らし、完璧なほどに美しい顔でにこやかに笑っている。それは第三者でも分かるだろう。どちらが優勢か聞くまでも無い。


 エリシアが命令すると、フルーティアの顔が歪んだ。己の意思と反するように口が動こうとしてそれを無理矢理押さえようとしている。笑えば、それだけで国民が歓声を上げるような顔が、今や血にまみれてぐしゃぐしゃだ。そこに守り神としての威厳などまるでなく、あるのは占拠者に取って代わられようとしている者の悲惨さだ。


「ほほほほほほ……。口が硬いのは有能な証拠! 評価に値するよぉ……。でも駄目な点が一個。そぉ、れぇ、わぁ、ねぇ……。あたしが王だって事を忘れてること」

 エリシアは座っている丸太を手で毟った。この丸太、フルーティアが部屋を照らすために使った果実の木だ。それをパンでも千切るように毟った。いや、そもそも丸太を素手で毟ること自体おかしいのだが。しかしこの部屋ではそんな常識などなかった。いや、常識はあった。この王は果実の神が作った木を普通に毟ることが出来る、と言う常識だ。王は常識さえ塗り替えるのだ。

 

 エリシアはその木の破片を持って呟いた。

「“尖りなさい”」

 その手の中で木の破片は独りでに削れて尖っていった。エリシアはその破片を親指と人差し指でつまんで、先をフルーティアに向けた。そしてその手が一瞬ぶれたかと思うと破片はフルーティアの丁度右肩に突き刺さった。

 フルーティアは悲鳴を上げた。しかし次には無理矢理口を閉じた。

「痛いでしょ? でも叫べない。叫んだら言っちゃうもんね」

 エリシアは二個目の破片を手にした。そしてフルーティアに左肩に向かって投げた。フルーティアはまた悲鳴を上げた。

「ぎゃはっ……! あれはむす……ぐぎっ! ぎぎ……」

 フルーティアが無理矢理口を閉じた。閉じた際、間違って舌を噛んだらしく、口の端から血が流れ始めた。


 エリシアは高笑いした。そして丸太から立ち上がるとエリシアの眼前に近づいた。両者の距離は矩尺でも計るには短すぎる。少しでも礼節のある者ならこんな近い距離で話はしない。

「今なんか言った! 言ったねえぇ! むす、なんだって? あはぁん……当ててあげようか?」

 エリシアはニタリと口をゆがめた。口の端に真っ白な歯が見え隠れしている。肉も油も返り血でさえ付かないような白い歯だ。


 フルーティアは暗い表情でエリシアを見た。もはや反抗する気力など残っていないのだ。事実であった。国の象徴で守り神たる自分がぽっと出の占拠者にボロ雑巾のように扱われたことが。受け入れざるを得なかったのだ。フルーティアはエリシアの命令に抗う力は無いのだ。


 エリシアは歌うように言葉を紡いだ。

「息子、なんじゃないの? あの男の。あなたが昨日逃がした一匹。ほほほ、“一匹”は失礼だねぇ……。あなたが直々に連れ出して逃がしたなら尚更だね」

 その時、フルーティアが動いた! 目を見開いて手足に力を込める。何かを裂く音がして手足が徐々に杭から抜けようとする。だがその苦痛たるや並大抵では無い。フルーティアは叫びながらさらに力を込めた。

 赤い血が沸き出してフルーティアの足下に血だまりを作る。木の杭は尖っている方が壁に刺さっているため、抜こうとすれば手足の穴はどんどん広がる。それは必然のことであった。しかしフルーティアはそれを脱しようとしている。


 エリシアは呆れたように言った。

「やれやれ、まだそんな元気があっただなんて。何をするのっかなぁ……」

 エリシアは後ろに下がって丸太に座り、少しだけ殺気を見せながらフルーティアを見物した。


 やがて自由になったフルーティアは地面に這いつくばって手の平を地面に向けた。その時、地面から一本の小さな木が生えた。黒い実が一個だけ生っている。

 それを見たエリシアは尖らせた破片をいくつか握った。

「ほほほ……、そんな枝で何しようって訳?」

 フルーティアは黒い実を取って囓った。何回か咀嚼した後、ゴクリと飲み込んだ。そして一回痙攣したかと思うと仰向けに倒れたきり動かなくなった。

 エリシアは眉を上げた。

「あらっ、あらららら……。死人に口なしか……。一本取られちゃった。ほほほほほ……」


 エリシアは指をパチンと鳴らした。風が吹く音がしてエリシアの目の前に何者かが現れた。

 エリシアの目の前は何もかもが赤かった。燃えるような赤い髪、赤い角、赤い顔に赤い体。そして赤い鎧を着ている。

 部屋の密度が一気に高くなった。この空間にはエリシアと赤い奴の二人しかいないはずなのに、空間がパンパンに膨らんで今にもはち切れそうだ。

 とんでもない圧力。奴の赤いオーラとエリシアの桃色のオーラが渦巻き、混ざり合う。たったそれだけでこの地下室の壁や床に亀裂が走り、フルーティアの残骸が縦に真っ二つになった。この赤い奴はエリシアに匹敵するほどの圧力を持っているのかもしれない。


「エリシア様……。何なりと」

 赤い奴は跪いた。まるで彫刻のように綺麗な姿勢だ。首の角度、手の置き方、足の向き全てに神経が行き届いており、跪くという動作に最適化されているようだ。嵐が来ても、地震が起こっても、剣で斬られても、小指一つ動かしはしない。そんな気構えが感じられた。

 その光景を見た者は一発で理解するのだ。忠誠を誓っている、と。それほどまでに完璧な跪き具合であった。

 そしてその赤くも高貴な目が真っ直ぐにエリシアを見据えている。


「アルコン、あなたに仕事をあげる」

「はっ……!」

 アルコンは即答した。この「はっ」の一言だけが全てを受けるという意味だ。例え「この場で死ね」と言われても眉一つ動かさずに己の首を斬るだろう。アルコンの今の一言の響きは、何に対しても不信や疑念を抱かないという意思の表れだ。


「どうやらここの王だった者の子が逃げたんだって。逃げたのは昨日の晩。そう遠くに入ってないはず。連れてきなさい」

「はっ、必ず!」

 アルコンは返事と同時に立ち上がった。そしてエリシアに背を向けて歩き出そうとした時。

「待って頂けますか?」

 もう一つ別の声がした。

 二人が声のした方を見ると、そこには灰色の奴がいた。


 アルコンと違って灰色の奴は鎧を着ておらず、裸であった。だが二人にとってそんな事はどうでも言い。大事なのはこの灰色が何を言い出すかだ。

「あぁあ、またあんた? 失敗作ちゃん」

 エリシアは「失敗作」に力を入れて喋った。その言葉は嫌でも“失敗作”の耳に入った。だが失敗作は力強く言った。

「いいえ! あなた様に失敗などございません。私がそれを証明して見せます」

 その時、笑い声が響いた。大地が咳き込むような音だ。

「くっけっけっけっけ……。失敗作。君は恵まれている。君は明日にでも処分されるのだが、言う口があるだけ恵まれている」

 失敗作はアルコンの笑い声に怖じ気づいた。だが続けた。

「アルコン様がお受けになった任、私に預からせて頂けませんか? もし、成功した暁には……その、な……名前を下さい」

 失敗作は一瞬ためらった後言い切った。アルコンは眉を上げた。エリシアは口に手をやって笑った。


「ほほほほほ……、失敗したらどうする?」

 至極当たり前な疑問だ。少しの間考えた後、失敗作は口にした。

「私を無かったことにする故、自害します」

 無かったこと。つまりエリシアの失敗を無かったことにすると言う事だ。それほどのことを彼は言った。三人しかいないこの部屋の空気が少し張った。すきま風が吹いて、少女の死骸の髪の毛が揺れた。


「ふうん……。そこまで言うなら預けてやっても良いよ。じゃあ成功した時のために名前、考えておくね」

「うぅ……、ぐす……、ありがとうございます!」

 失敗作は地面に這いつくばって礼を言った。アルコンはその姿を冷たい目で見た。


 アルコンと失敗作は姿を消した。一人残ったエリシアは呟く。

「名前占いでもしようかしら。ほっほっほっほっほ……」

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