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強者の苦悩  作者: 林葉
血濡れの迷い人
34/45

鉄の進退

 暗闇をさまよっている男が一人いる。名はダイゴ。

 ダイゴは目の前の闇を必死にかき分け、光を求めた。しかしその濃厚で、全てを埋め尽くしてしまったかのような闇は少しも消える事無く依然としてダイゴの前に広がっている。

 その時、ダイゴの前に赤い光が二つ現れた。まるで人を睨んでいるような光だ。もしかしたら誰かの目かも知れない。その目は少しも動く事無くダイゴを射抜いている。


 それを見たダイゴの顔は強ばり、手足は震え、息は乱れる。これは見てはいけないのだ、と直感したのだ。

 だからそれに背を向けて逃げ出した。

 しかし背を向けたはずのダイゴの目の前にはやはり光の目があった。ダイゴはまたしてもそれに背を向けた。けれども赤い光は、どの方角を向いてもダイゴの目の前に現れる。

 いつまで経っても消えない光にダイゴは恐怖を感じ、しゃがみ込んで己の手で目を塞いだ。しかし赤い光はダイゴの瞼の裏にすら現れるのだ。

 どうにもならなくなって、ダイゴは叫び出す。


「――あああああっ!」

 ドスン、と鈍い音が鳴った。それと同時に床埃が舞う。

 ダイゴの目に映った物は、染みのある天井、朝日が差し込む窓、そしてベッド。

「ちょっと! 驚かせないで頂戴」

 シャルロッテの顔も、である。

 シャルロッテは眉をつり上げる。ダイゴは少し驚いた顔をして彼女に向いた。

「はっ。敵は!?」

「いいえ。あれ以来、追撃も来なかったし、依然として正体不明ね。ただ一つ言えるのは、向こう側に付いたのが貴方と同格かそれ以上の実力者と言う事ね……!」

「……」


 ダイゴは俯いた。そして己の掌を見つめる。

 この拳がゴブリンを吹き飛ばし、盗賊団を壊滅させ、貴族の陰謀でさえも潰し、そして龍を押さえつけた。そこに死の恐怖は無く、ダイゴにとっては水面越しに見ているような景色であった。

 だが昨日。とてつもない痛みを味わった。己の流す血と心臓の鼓動はダイゴに久しい死の気配を確りと示していったのだ。


 戦いは勝つか負けるか。ダイゴは勝つ側だった。負ける側はいつだって血反吐を吐きながら吹き飛び、無様な姿を見せて尻尾を巻いた。ダイゴの脳裏に今まで自分が負かしてきた敗者達の表情が浮かんだ。どれもが痛みと悔しさが混ざった表情であった。

 勝利の美味こそ知っていたが、敗北の血の味、鉄の味は知らなかった。


「戦う事になるのか……」

「恐らくは。いや、確実ね。私たちが白龍を追う以上は」

 部屋に少しの沈黙が訪れた。外は復興で忙しい男衆の声と建物を作る音で騒がしい。しかしこの一室はそんな世界から切り離されたように沈黙の糸を張っていた。


「ダイゴ……」

 次にスティーヴが口を開いた。彼らしくない、真面目な響きだ。

「俺らが白龍と戦う以上、あの閃光を飛ばしてくるような奴とぶつかる事になる。お前ですら深い傷を負わせて、俺が分からないほど遠くから正確に攻撃を仕掛けてくるような奴だ。“化け物”とかいう言葉が甘々に見えるぜ」

 スティーヴは息を吸った。部屋の空気はより一層張り詰めた。


「ここは一つ考えねえか? “降りる”のも一つの勇気だぜ。人間、死んだらお終いさ。まあ俺はあんたに付いていくけど……。ただ、一つ頭の片隅においておけ。逃げるのも立派な戦いだ」

 ダイゴは神妙な面持ちでその言葉を聞いた。理想でも無く、綺麗でも無く、酷く現実的な選択だ。だが納得がいかなかった。ここ一年で驚くほど自分は成長した。目の前に立ちはだかる者全てをこの圧倒的な力で粉砕していったのだ。正直、負ける想像が出来ないほどであった。


 負けてはならないのだ。この自分が。人々に恐れられ、評価され、信頼されている自分が。ましてや戻ってはならない。害なす者に何一つ言えなかった幼少期の自分に。弱い自分と決別しなければならなかった。だから負けてはいけないのだ。打ち倒さねばならないのだ。


 シャルロッテはダイゴの心中を察したように続けた。

「心配しないで。こういうのはギルドではよくある事なの。一流と言われるパーティでも状況次第では任務を断念する事もあるわ。もちろん、いい加減な理由だったら駄目だけど。きちんとした事情があれば、そう評価は落ちる事は無いわ」


 こういうのは基本的に命の関わる仕事だ。どれだけ強い人間でも死ねばそれで終わり。だから一流の人間は自分の生き死にを殊の外重要視し、無理があると判断すれば即座に断念する。しかしこれは不名誉な事では無い。むしろ、「良い判断だ」と評価される傾向にある。ギルドも、メンバーに死なれるのは困るからだ。至極当然な話である。


「いや、請け負った以上は続けたい。もちろん嫌だったら二人は降りてもいい。当然、報酬は山分けだ」

「本当に続けるのね?」

「ああ。……頼む!」

 ダイゴは頭を下げた。

 仲間二人に迷惑をかけてはならない。だから「降りてもいい」と言った。そしてそれは自分のわがままであったから報酬も山分けにした。


 スティーヴはため息をついた。そして笑った。

「まあ、ダイゴならそういうと思ったよ。仕方ねえ……、付き合ってやるとするか!」

「私もそうするわ。でも良い? 本当に危ないと思ったら断念するから。その時はあなたも連れて逃げるわよ」

 シャルロッテはダイゴの目を見てそう言った。ダイゴはもう一度頭を下げた。

「ああ……、分かっている。ありがとう」


 所変わって、ある村の会議室で話し合いが行われていた。

「――分かりました。我々も悪魔では無い。祭りの時は龍に対する攻撃は止めましょう。しかし……、祭りが終わったら話は別です。その時は――」

「待って頂きたい! 祭りが成功しても、それでは意味がありません! 頼みますよ、どうかこの金額で泣いて頂けませんか?」

 筋肉男はテーブルを叩いた。鈍い音がして手が当たった場所に罅が入る。

 スーツの男はため息をついて髭を手で触る。もう何日も髭を剃っていない。顔もろくに洗っていないので皮脂で汚れている。スーツも皺が入って、眼鏡も埃だらけだ。


 一人の男が会議室に入ってきた。その男は一直線にスーツ男に駆け寄ると、耳打ちをした。

「――本当か? それは心強い。……ありがとう。下がっててくれ」

「おっ、私の前で内緒話ですかぁ。呆れますなぁ」

 筋肉男は天井を仰ぎながら嫌みたっぷりに言った。だがスーツ男の表情は少し明るいものであった。


「内緒にはしませんよ。たった今報告がありまして、この件を文化保存協会と希少生物保全協会に話したところ、交渉に参加して頂けるそうです。もしかすれば、そちらの希望の金額を出せるかも知れません」

「ほおお……」

 筋肉男は大げさに頷いた。


「ですから討伐隊の解散をお願いしたい」

「おいおい、そりゃ話が早過ぎますよ。ですが交渉がまとまり次第すぐに解散するために伝達係を設置しましょう」

 筋肉男は後ろに控える男達に合図を送った。何人かの男が足早に会議室を去って行った。

「それで彼らはいつ来るのですか?」

「明日の朝には……」

 スーツの男はハンカチで汗を拭った。明日は祭りだ。保全派の村にとっては祭り当日が交渉の正念場。祭りが終わるまでに協会と話を整え、速やかに問題を解決しなければならない。


 その頃、遠い遠い城の一室で一人の少女が紅茶を飲んでいた。

 部屋の中は桃色の光に包まれており、貴金属をふんだんに使った家具がそびえ立ち、少しの堅さも感じさせないようなソファーが並べられている。そのどれもが素人目にも分かるほどの一級品であり、そこらの貴族でも買うのが憚られるほどだ。

 その時、ノックの音が鳴った。音の主は少し間を開けると静かに扉を開いた。

「エリシア・ロス・シュバイツ様 ご報告です……」

 エリシアに声を掛けたスーツの男の目の前には白いカーテンがあり、向こう側はバルコニーになっているようだ。そこから日が差して紅茶を飲むエリシアの影が男の目に映った。

 男とエリシアの間にカーテンがあり、男が立っている場所からはエリシアの実像は見えない。

 エリシアは何やら楽しげにスプーンでカップを叩くと、チンという澄んだ音が鳴った。


「ジタを倒した人物を探していますが一向に……」

 カーテンの向こうのエリシアはスプーンを持ってケーキらしきものを口に運んだ。そしてまた紅茶を飲んだ。カーテンの向こうからは気の利いたバイオリンのアンサンブルが響いている。


「覚えてるかなぁ? 自分が何回同じ事を言ったのか。ふふふ……」

 フルートの音色のように柔らかく、滑るような言葉だ。だが男は青ざめた。

「も、ももも……もうしわ――」

「謝っている暇があるのかしら? とっとと行ってきなさい。どじ、間抜け、鈍間!」

 エリシアは、「どじ、間抜け、鈍間」に合わせて三回スプーンでカップを叩いた。男は弾かれたように部屋を飛び出した。その男の背中に向かってエリシアは言った。

「土産なしで戻ってきたら承知しないんだから! おたんこなす!」

 男が飛び出した後、開けっ放しの扉から隙間風が吹いた。


 その男と入れ替わるように、屈強な男が姿を現した。男はカーテンの前に来ると、両足の踵をきっちり合わせて大声で言い放った。

「エリシア・ロス・シュバイツ様! 占拠の用意が整っております! ご采配を!」

「いらない」

「えっ……」

 男はその顔に似合わず、間抜けな顔をして口を開けた。蝿が入ってきそうな、口の開き具合だ。


「あたし一人で良いのよ。大体ねぇ、いつも周りでちょこまかとされちゃあ困るのっ。あたしの強さと恐ろしさを分からせるにはこれが一番。分かる? 民を、兵を、王を力と恐怖で押さえつけてこそ、征服と呼べるの。話し合いなんて軟弱! 力で無きゃ駄目なの! あたしの力の前では全てが平等! これが和平ってもんでしょ」

「はっ! その通りでございます。エリシア様は全ての王となるべき存在!」

 男は打てば響くようにそう言った。


 王。一口に言っても様々な王がいる。

 官僚達が政治し、象徴として玉座に座っている王。太い腕で木をなぎ倒し、民を先導する王。厳しい法と高い税で搾取する王。そして力と恐怖で国を支配し、他の国々も恐怖という触手で取り込もうとする王。

 男に“王”と呼ばれたエリシアはどのような王なのか。この男は多少なりとも分かっていた。それについて物申すつもりは微塵もないが。


「ついでにあの“気になる大きな木”もあたしの物にしよ。きっとコックも喜ぶよぉ。ほっほっほっほ!」

 バルコニーに、さえずりのような笑い声が響いた。

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