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強者の苦悩  作者: 林葉
血濡れの迷い人
31/45

流れ人の産声

「ちきっしょぉ、どうすりゃ良いんだよ」

 煤けたベッドに腰をかけたダイゴは林檎を囓りながら呟いた。

 そのうち、ダイゴは後頭部を掻きながら乱暴に窓を開けた。窓を開けると外の風が待っていたかのように部屋の中に入ってくる。冷たい風と青みがかった空。古ぼけた魔力灯は明るくなったり暗くなったりを繰り返しながらダイゴの顔を不規則に照らしている。

 ここは路地裏にひっそりと経っている三流宿である。


 ダイゴはふと自分のポケットをまさぐった。中から革袋を取りだして逆さまに向ける。

 静かな夜明けに、少し重たい硬貨が落ちる音は寝起きのダイゴの耳には刺激が強かったようだ。ダイゴはコインが落ちた音に思わず片目を瞑る。その音の中にはカサカサと乾いた音も混じっていた。

 硬貨と紙幣。割合は紙幣の方が多いようだ。

「何だかなぁ……」

 ダイゴはため息を吐いた。瞼を閉じると、あの貧乏商人の顔が思い浮かんだ。


 昨日の昼の出来事である。

 ダイゴはいい加減、町を探そうと舗装された道路を目指して森の中を歩いている途中であった。どこに町があるかなど皆目見当も付かなく、森を出れば道くらいあるだろうと言う考えの元である。

 ダイゴはその道中で罵る声と金属が擦れ合う音を聞いたのだ。何事かと思い、駆けていくとそこには複数のゴブリンと争っている男と女がいた。


 男女は複数のゴブリンに取り囲まれ、後ろから石を投げられたり、こっそり近づいて耳元で大きな声を出されたりと、散々な目に遭っていた。

 魔物の人間に対する虐めだ。


 ゴブリンの性格は様々だ。温和な個体も短気な個体もいる。もちろんその中には自分より弱い者を虐める趣味を持つ者もいる。人間でも動物でも、同じ性質の者同士は集まるという経験則があり、ゴブリンにもそれは適用されたらしく、加虐趣味の持つ者が固まっていたのである。

 高位の戦士にとっては取るに足らない存在だが、訓練を受けていない一般人にとっては驚異的だ。

 彼らは知能があり、武器を持って徒党を組む。身体能力こそ低いが、知能は無いが腕力を持つ野生動物よりタチが悪い。

 いくら弱いゴブリンでも、複数で襲いかかれば一般人はひとたまりも無い。


 ダイゴは木の陰に隠れて様子を見た。

 相手が人間ならば、いつもの癖で止めようとしたのだが、目の前には得体の知れない謎の人間擬き。迂闊に手が出せるはずがなかった。

 そして本格的に、「自分はおかしな世界に迷い込んでしまった」という考えが浮かんできた。

 見慣れた建物も、似たような服装の人間も、よく知る道もない。こんな訳の分からない森の中で男女が変な化け物に襲われていると言う非現実的な光景に、早くもダイゴの精神は避難を始めようとしていた。


 だが、現実に逃避していても事は進む。ゴブリンの嫌がらせは段々と激化しているようだ。

 ゴブリンの投げた石が男のこめかみに命中し、男はその場にうずくまった。震えながらこめかみに手を当て、そこから血が流れる。落ちた血は男の服の肩の部分を真っ赤に染め上げた。

「あなたぁ! あなたあぁ! きゃあああああぁ!」

 女の絶望と悲しみが混じった悲痛な叫びがダイゴの胸を抉り取る。


 ダイゴの心拍数は急上昇し、背中は熱くなり、汗が滝のように出る。周りの景色が赤く見え、頭の中は雑音でいっぱいになり、今にも破裂しそうだ。

 その時、ダイゴの見ている光景が酷くゆっくりになった。

 手を思い切り前に出し、何かを察した鳥たちが飛び立つのと同じ頃に地面を思い切り蹴った。


 残像と化した木々、耳元を襲う風音。ダイゴは目を見開く。

 全てが鮮明であった。周りの木々、草や花、そしてゴブリンの醜い顔。風が吹いた時の雑音でさえ、太い線で輪郭を書いたかのように鮮明であった。

 自分のあまりの変わりように、“危ない”香りを嗅いだ。


 地面を蹴り、石を投げたゴブリンの眼前にたどり着くまで多くのことを考えた。非常に多くの事を考えたのだ。この一瞬という形容しがたい時間の中を鯨が泳ぐように悠々と、だ。


 ダイゴは右腕を目一杯引き絞り、ゴブリンの顔めがけて放った。

 ダイゴの中でまた時間がゆっくりになった。

 あり得ない速さで打った拳が当たる寸前、うずくまる男を見て笑っているゴブリンの顔が見えた。そこへ拳が当たった瞬間、緑色の顔は赤い肉片へと変わった。


 その時、もの凄い風が吹いた。

 見えない莫大な力がダイゴの前方に放たれ、土は舞い上がり、木々は根元からへし折れた。


 ゴブリンの顔を飛ばした後、ダイゴは口をぽっかりと開けた。

 驚き、疑問、不安。様々な感情がダイゴの脳内で自己主張を繰り返す。

 しかし事実はとても簡単であった。文章化するならば、「突きを放ったら、前の木が折れた」と言った具合だ。あまりに簡潔で出鱈目な内容である。


 そして事は動き始める。

 最初に驚きの声を上げたゴブリンは棍棒を投げ捨てて、何やらわめき散らしながらどこかへ走っていた。他のゴブリンも同じくどこかへ消え失せた。


 やがて災難から立ち直った女はすぐに自分のタオルを取り出して男の頭に巻いた。真っ白なタオルはあっという間に赤い染みが出来る。それでも女は安堵の表情を浮かべた。

「あ、ああ……あの。ど、どっうも……」

 女の喉に緊張がつっかえて言葉が出なかった。ダイゴは気まずかった。

 自分の様子がおかしいとはっきり分かるのだから、相手も自分の事を化け物か何かと思っているだろう。ダイゴにはそう言った不安があった。だから男女に背を向けて足早に立ち去ろうとした。


「まっ! まま、ま……まって!」

 ダイゴは後ろを振り返ると、そこには革袋を持って駆け寄る女の姿があった。

「わ、私たちは貧乏な商人だけど……。こ、こ、これもってって!」

 女は早口に、押しつけるようにダイゴに革袋を渡そうとした。ダイゴは貧乏という言葉に腕をぴくりと震わせ、革袋を返そうとしたがまたしても女に押しつけられてしまった。そこで仕方なく革袋を貰うのだった。


「やれやれ……」

 ダイゴは革袋に入っていた紙幣をつぶさに観察する。窓から風が吹くと手に持った紙幣はひらひらと手の中で踊った。窓の外はさっきよりも青みが増し、立ち上っていた霧はすっかり薄くなった。

「まあいいや。ちょっと寝るか」

 ダイゴはベッドに倒れ込んだ。腕も足も、考える事も投げ出して目を瞑った。


 だが眠りは浅かったようだ。駆け足で夜は明けて日光が窓に差し込んだ時、ダイゴは鬱陶しそうに目を開けた。

「っち……」

 ダイゴは寝れなかった事に舌打ちをした。

「考えてもしゃあねえ、出るか」

 古ぼけた部屋に独り言を残してダイゴは外へ出た。ちなみに素泊まりである。


 まぶしい日光に、眉間に皺を寄せてダイゴは大通りへ向かう。

 少し歩くと、突然ダイゴの背中に小さな衝撃が加わった。思わず後ろを振り返ると――。

「ぇえよお、いってよお! こらお前よおおおっ!」

 禿げ頭の男が尻餅をついて腕を押さえていた。ダイゴの眉間の皺はさらに深くなった。男の声がやけに耳に残ったからだ。大声を出し慣れている人間の声だ。

 男が声を発した後、どこからともなく数人が集まってきた。


 太った男が声を掛けた。

「どうしたんですか! こんな道のど真ん中で」

 事情を聞く第三者が現れて、ダイゴは胸をなで下ろした。しかし太った男は真っ先に禿げ頭に声を掛けたのだ。

「あいつにぶつかって、こけてよぉ……。何か肘の辺りが……」

 次に眼鏡の男が声を掛けた。

「ちょっと見せて貰って良いですか? 医学生なんです。こう見えても」

 あれよあれよと言ううちにまた人が集まってきて、辺りはちょっとした騒ぎになる。


 眼鏡の男は禿げ頭の腕を何回か動かしたり押さえたりした後、ダイゴにとって驚きの台詞を言う。

「あぁ……、ひびが入ってます。このままじゃあ炎症起こして……、ちょっと拙いですね。ところで、ぶつかったのは貴方ですか?」

 野次馬の輪の中で眼鏡の男はダイゴに手を向ける。知的そうに見える男だが、その目はぎらついており、確りとダイゴを射抜いている。


 ダイゴの背中に汗が滲む。酷い疎外感だ。

 禿げ頭が怒鳴っているだけならまだ何とかなっただろう。しかし眼鏡の男による文化的で理知的な言動が凶器となってダイゴを襲った。

 野次馬の目つきは鋭く、まるで断罪者のようにダイゴの周りに立ちふさがっている。追求と糾弾の矢が今まさに自分に向かって放たれようとしており、正義という筆が白い物を黒に塗り替えようとしていた。


「ちょっ……ちょちょ。いや、当たっただけ……」

「当たったんですね?」

「いや、ええ……まあそうだけど」

 眼鏡の男は毅然とした態度で事実確認をした。ダイゴはそこに恐ろしさを感じた。

 周りの景色が歪み出す。酷い耳鳴りがダイゴの頭を締め付ける。


 ふと自分が十歳くらいの頃を思い出した。

 一人の子が手を上げて何かを喋った。すると台の前に立っていた大人が自分を睨んだ。それと同時におよそ六十個もの瞳が自分の体を弄ったのだ。自分はわなわなと震えた。「立ちなさい」と言われて自分は立った。俯いて嘔吐きながら「違う」と叫んだけれどもその瞳は自分を射抜いていた。


「警備員呼んできてええ!」

 太った男が大きい声でそう言った。まるで、「大人としてすべきことをした」とでも言いたげに。

 この場に暴力はなかった。いや、あったかも知れない。その暴力は真っ白であった。


 ダイゴの腹がふつふつと煮える。昨日と同じように視界は赤くなり、耳が遠くなる。拳を握ろうとしたその時、ダイゴにある考えが浮かんだ。

 人を殴ってはいけない、と言う考えだ。いや、喧嘩は何回もしているが、あの怪物の末路を考えると人間相手にそんな事は出来ない。人殺しだ。

 人殺し、人殺し。もう一人の自分が脳内で囁き続ける。


 人間が犯す重い罪、人殺し。様々な人生を歩んできた人間の“全て”を終わらせる事など、あってはならない。今ここで拳を振れば、それこそ本物の断罪の場に立つ羽目になる。裁判官の重々しい槌の音がダイゴの脳内に響き渡った。


「待ちなっ!」

 太った男がびくりと体を震わせた。それほどまでに芯の通った声であった。遅れて路地の角から一人の女が姿を現した。

 黒のタイトなズボンにタンクトップを着た、燃えるような赤髪の女だ。

 眼鏡の男が吠えた。

「何なんですか!」

「そりゃこっちの台詞さ」

「はぁ?」

 禿げ頭が間抜けな顔をして女の方を見た。


「うちの島を荒らすなんて良い度胸だね。――を斬り落として口に突っ込んでやろうか!」

「あ、今の脅迫ですね」

「すいませええん! 警備員さあああぁん!」

 太った男はやっぱり大声で警備員を呼んだ。少し遅れて警備員は姿を現した。物騒な案内人付きで。


「レイラ、こいつか?」

 山のような男が警備員を引きずりながら歩いてきた。

「おいおいおい、大通りで手荒な真似は控えろって言ったろ?」

 レイラは警備員の目に出来た痣を見て半笑いでそう言った。筋骨隆々の男は静かに言い返した。

「……レイラが早く捕まえろ、て言うから」

 大男が歩くと、野次馬が血相を変えて道を空けた。


 大男はどうでもよさげに警備員を前へ投げ捨てた。警備員は汚い水たまりの上に着地し、泥水が禿げ頭の顔を汚した。

「ひいぃ……」

 禿げ頭は情けない悲鳴を上げた。野次馬は逃げ出した。だが東の道からも西の道からも黒い服を着た人達がやってきて野次馬を包囲した。


 ダイゴは棒立ちになって事の成り行きを傍観していた。

 宿を出て、誰かと肩がぶつかったと思えば警備員を呼ばれそうになって、そうこうしているうちに妙な女が出てきて、大男も出てきてしっちゃかめっちゃかになっているのだ。

 まるで意味が分からない。


 そんなダイゴの表情を見たレイラが話しかける。

「新手の当たり屋さ。……ところで見ない顔だね。どっから来たのさ?」

 レイラが目を丸くしてダイゴをのぞき込む。ダイゴは思わず仰け反った。触れたら燃えてしまいそうな髪がダイゴの鼻のすぐ近くまで来ている。

「あぁ、いや……。た、旅してるんだ」

「どっから来たんだよ! ええ?」

 レイラは呆れて笑いながらもう一度聞いた。ごもっともな質問である。

 ダイゴはとっさに旅人を装ったのだが意味が無かったようだ。少し間沈黙を保つと、レイラが喋った。

「まあ、色々あるだろうから……。て言うか髪黒いね!」

 レイラは大げさに驚いて指摘した。ダイゴはまたしても仰け反った。レイラの赤い髪がダイゴの黒い髪を焦がしているようにも見える。


 ダイゴが少し困った顔をしているとレイラはそっぽを向いて歩き始めた。

「まあ、よそ者がこんな所うろつくのは止めなよ」

 黒服の男達が、一人につき二人の野次馬を引っ掴んでレイラに付いて行った。

 ダイゴは少しの間呆けていたが、レイラの言葉を思い出して足早に大通りへ向かった。


 ダイゴはまず始めに食べ物屋を探した。それはちょっと首を動かすだけで幾らでも見つかった。

 大通りを埋め尽くす喧噪の中に、「骨付きチキン!」と言う叫びを聞いたダイゴは真っ直ぐに声のした方へ行く。


 脂ぎった親父が威勢の良い挨拶をダイゴに投げかけた。ダイゴは挨拶の代わりに、「骨付き、二つ」と注文する。ダイゴが指で二を表したのを見た親父は即座にチキンを紙袋に詰めた。ダイゴはチキンと引き替えに金を支払おうとしたが――。

「あっ……」

 硬貨の価値を知らなかった。ダイゴは慌てて、こっそり硬貨を調べた。

(良かったあぁ……)

 硬貨に書かれた数字を見たダイゴはほっと胸をなで下ろすのである。


 チキン屋の隣にはご丁寧にも椅子が置かれており、ダイゴはそこに腰を下ろして無造作にチキンにかぶりつく。

 ダイゴの止まらない食欲のおかげで凄まじい速度で白い骨を露わにしたチキンはゴロンと音を立ててゴミ箱に吸い込まれていった。


 ダイゴはそこから当てもなく大通りをうろついていると、声を聞いた。

「本日の無料情報紙です。はい、どうぞ。はいどぞ、はいどぞ。どぞ、どぞ――」

 人の流れに沿って歩いていたダイゴは当然のごとく男から情報紙を渡される。


「え、あれ、なんで……?」

 字が読めるのか、と自分でも疑問に思った。ただ如実に字を見ると訳が分からないのに、読もうと思ってみるとすらすらと頭に入ってくるのだ。やはり意味が分からない。

 ダイゴは、分からない状態と分かる状態の二つの状態がくっついて如何ともしがたい気持ち悪さを感じた。だが考えるだけ無駄であった。そういう摂理だと思うほかに無いのだ。


『近郊の森に岩竜が出現するも、五級パーティが一夜で討伐!』

 これが見出しであった。


 近郊の森に岩竜が出現して討伐依頼を五級パーティが引き受けた。職員は最初は引き止めたが、「どうしても」と言うので渋々了承したという。彼らは準備を済ませて町を出た後、僅か一日で岩竜を仕留めたのだ。

 岩竜を五級パーティが倒すのは中々無い事で、職員は彼らの等級を一段階上げた。


 ――と言うのが情報紙の内容だ。


「え、冒険者ギルド……」

 ダイゴは無意識に反転して情報紙を配っている男に聞いた。

「冒険者ギルドって?」

「ん?」

 しばらくして、ギルドの紋章が掘られた扉の前に立つダイゴの姿があった。

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