死神の庭師
見渡すような草原。すぐ近くには川が流れ、ある種の魚たちの遡上も始まっていた。何匹もの魚が飛び跳ね、小さな崖を登ろうとしている。失敗してもまたやり直し、ひたすら愚直に。
その魚たちの上に真っ黒な影が覆い被さった。その刹那――。
バッシャア、と音を立てて何匹もの魚が宙を舞う。それらは川岸に向かって放り投げられたらしく、そこで待機していた小鬼、ゴブリンが急いで籠に魚を詰め込んだ。
ゴブリンが熊と目を合わせると、熊は若干笑ったように見えた。「してやったぞ」と言った具合に。
ゴブリンは一足先に川を出発する。
がに股で歩いて少しすると、ゴブリンはその緑の長い耳を少し動かした。
――近い、もうすぐ昼飯。
魔物達の騒ぎ声が耳に入り、木と葉などを組み合わせた簡単な建物が目に入った。
これから魔物達の昼飯の時間だ。
だがゴブリンが持っている魚の量では明らかに少ない。いや、その心配は不必要であった。
ゴブリンはその群れの中の一区切り、五、六匹の集団に手を振った。集団は手を振り返した。火の準備はもう出来ている。
大きな群れの中に小さな群れがあり、彼らも“群れ”という概念を理解していた。最初からでは無い。それはゴブリンメイジや各種族の族長達によってもたらされたのだ。
一匹のメイジが座して待つゴブリン達の所へやってきて、火を付けた。するとその場に居たゴブリン達は両手を組み合わせて丁重な礼をした。
火は尊いのだ。火は明かりを付け、肉を焼き、生活を満たす。それ故、魔法でも何でも、火を扱える個体は尊敬され、知識層として取り入れられ、出世する。
そのゴブリン達の群れから離れた場所ではミノタウロスたちの群れがあった。
彼らはこの大きな群れの中でも特に偉い。理由は簡単である。力が強いからだ。ここまでに来る途中、何度も害獣や人間を追い払った彼らに他の魔物達は尊敬と毘怖の念を抱くのだ。
食事も物資も彼らが優先され、戦いのこと以外で彼らが動く必要が無いように、とゴブリンなどの低級の魔物は配慮する。
しかし上には上が居る。
ミノタウロスたちが食事をする隣でのんきに毛繕いする魔物。キマイラだ。
獅子の体に竜と山羊の頭が生えており、尻尾は毒蛇になっている。
ミノタウロスの上半身ほどある大きな頭を近づけると、ミノタウロスは少しばかり警戒する。
ミノタウロスは、キマイラは気難しい魔物だと感じている。この間も理由は分からないが、仲間の一匹が背中をひっかかれた。その傷は今も毒々しい色のまま残っている。
ミノタウロスは戦いの時はキマイラの背に乗せて貰っているのだ。だからキマイラを怒らせたくは無い。
これが魔物達の昼であった。
が、しかし――。
ゴブリン達から見て遠くの方で豆粒ほどに見える馬車が止まった。一台だけだ。
だが魔物達にとってはどうでも良かった。
人間など取るに足らないと言う事は、数日前で理解している。あのときも多くの人間を撃退したのだ。たかが一人に何が出来る。
魔物達は人間のことなど忘却の彼方に追いやり、目の前の焼き魚に有り付こうとしていた。
良い風だ、とゴブリンの一匹は思った。そして魚を食べようと串を持ち上げると――。
「ゲゲ!?」
何という有様だ。串は真っ二つ、魚も真っ二つ。誰がこんな嫌がらせをしたのか。
そして次にゴブリンを襲ったのは、座っているにも拘わらず景色が回転していく現象だ。
――なぜだ。自分は座っているのに、なぜ宙に浮いて回っている。おかしい、あり得ない。
ゴブリンはその真相を知ること無く、空中にて腸をぶら下げながら絶命した。
ゴブリンの群れに赤い雨が降り注いだ。このとき、魔物達の日常は音を立てて崩れようとしている。
異常な事態にゴブリン達は気付いた。周りを見渡すが部外者は見えない。
次いで、二十匹以上のゴブリン達が飛ばされ、空中で細切れになってもう一雨降らせた。
二撃目を生き残ったゴブリン達の顔に血や肉や糞尿がべちゃりと張り付く。
すぐ隣までやってきた不可視の恐怖に耐えきれなくなったゴブリン達は魚を捨て置いて逃げる。
こんなのは見たことが無い。あり得ない、どうして。
この光景を見たゴブリンは思い浮かべる。
そういえば、人間が刃物を持って草をまとめて切るという作業があった。どこかでそれは“草刈り”だと聞いた。
自分たちは今、雑草なんだ。刈られることしか出来ないのだ。死神だ。命を刈る、死神だ。
食べ過ぎたから、数を増やしすぎたから、生き物を殺しすぎたから、バチが当たったのだ。怒りに触れたのだ。もう助からないのだ。
ゴブリンは力なく両膝を突いた。
そして何者かに真っ二つにされ、上半身は空中に飛んだ。
血と肉を撒き散らしながら死に行くゴブリンが見たものは、大空を鳶が自由に飛び回る景色だった。
ゴブリン達が蹂躙される様を見たオーク達は雄叫びを上げた。敵襲を表す雄叫びだ。それを聞いた魔物達は沸き立つ。
それを察したキマイラ達は身を低くして、ミノタウロスたちに向かって吠える。「さっさと乗れ」と。ミノタウロスは食っていた昼飯を捨て置き、急いでキマイラの背に乗り、地響きのような音を立てて騒ぎの中心に向かう。
蹂躙され行くゴブリン達のたき火は死体の布に燃え移り、そして草に燃え広がった。ゴブリン部隊の居た場所では早くも火の海が広がろうとしている。
鉄の臭い、臓物の悪臭、どす黒い煙の臭いが魔物達の嗅覚を襲う。だが魔物達に気にしている余裕は無い。
一番最初に潰れたのはゴブリン部隊。位置的には次に襲われるのはオーク部隊だ。ミノタウロス隊はメイジを引き連れて、素早くオーク部隊と合流。戦力を一点集中させる。
まずは状況確認。魔物達は何が起きているかを確認する。
前方に出遅れたゴブリン達が居る。彼らもやはり合流を望んでいる。
その中でミノタウロス達は妙な物を見る。
一筋。見えるか見えないかの一筋の紫色の閃光がミノタウロスの視界の隅を走る。その刹那、逃げようとしている何匹ものゴブリン達の首が飛んだ。
ミノタウロスの一匹は仲間が殺されたことに激怒し、何を血迷ったか斧を振り回しながら死の輪の中に入っていた。そして一瞬でキノコを手で裂くように縦に真っ二つに割れた。ミノタウロスを割った太刀筋は残光となって魔物達の目に焼き付いた。
次いで、激しく地面を抉る音が聞こえ、地面に深い溝が出来た。そしてその溝の上に立っているのは――。
「グッモォ……!」
一人の人間だった。いや、現時点では人間かどうかは分からない。人の形をした“何か”かもしれない。
ミノタウロスは人間であって欲しくないと願った。
自分たちは頭の良さでは人間には敵わないと知っているが、身体能力には自信があった。だから戦いでまともにぶつかれば我々ミノタウロスが圧勝するに違いないと言う自信が染みついていた。
しかし、今目の前で起こっているのは何だ。たった一人の人間が圧倒的な数の味方を斬り倒している。まるで邪魔な植物を払うように。
体の弱い人間が出来るはずが無い。出来て欲しくない。神より定められた、その種族の壁を越えるというある種の侮辱的行為。少なくとも力では上という、摂理とも言える物がボロボロと崩れていく。
爆発するような音を立てて、人間の足下の地面にクレーターが出来たかと思うと人間の姿は消えて、代わりに紫の閃光が綺麗な線を描いた。
少し遅れて周辺の魔物がやはり真っ二つになる。
オーク隊は急いでミノタウロス隊の前に出て盾を構える。
またしてもミノタウロスの視界の隅で紫の閃光が走る。その方へ目を向けると、ちょうど最後のゴブリンを斬り捨てた人間がこちらを向いているところだった。
そのとき、ミノタウロスの脳が震えた。あまりに巨大で得体の知れない存在を見た時、根源的な恐怖で脳が悲鳴を上げるのだ。
狙いを付けられた、とミノタウロスは思った。「もうじき、お前の所に来る」と言う死神の宣告だ。
生きとし生けるもの全てに平等に訪れる寿命。自然界の絶対的な掟。
少しでも知性のある生き物は、毎日一歩ずつ、確実に歩いてくる死に恐怖して頭を抱えると言う。
そして今はその死が“見える”。はっきりと、輪郭をなぞるように。嫌でも死神に見せつけられている。
それは紫の閃光だ。この紫の閃光こそが生と死の境界線であり、それに触れた者全てはあちらの世界へ引きずり込まれる。
そう、次元が違うのだ。この広大な平原の一角だけが切り取られたように、そこだけ殺意と悪意の塊でどす黒く塗りつぶされていくようだ。
事は非情にも粛々と進んでいく。オーク隊は人間を囲もうと動き始め、メイジ達は魔力を練り上げていた。しかし全部が無駄だった。
魔物部隊に死の津波が襲いかかった。
一列目と二列目の魔物全てが泥のように崩れ落ちる。
その後、人間は一瞬だけ姿を見せた。だがすぐに消え失せ、魔物達が前から順番に崩れ落ちていった。
やっぱり人間じゃ無い。違う、あれは違う。制裁者、死神だ。
我々魔物は調子に乗りすぎた。我々のような醜くて頭の悪い愚鈍な種族が一丁前にも徒党を組み、人間の領地を奪おうとしたことが神々の目には鬱陶しく感じたのだろう。
我々魔物は人間に討たれるべき存在。神は人類の技術の進歩のために我々のような悪役を作った。その悪役は決して正義になってはいけなかったのだ。
許されない罪を犯した。だから罰を受けるのは必然。しかし――。
「グモッ……、グモオオオオオォ!」
ミノタウロスは力の限り号令を出した。「逃げろ」と。
戦って良い相手ではなかった。いや、同じ土を踏むことさえ許されないのだ。
彼が蹂躙しているこの場所、神域に入った者は神の怒りを買って呪い殺される。神域から早急に離れなければならない。神の怒りを静めなければならない。
ミノタウロス隊は一斉に反転した。それに気付いたオーク隊も人間に背を向けて全速力で逃げる。
この判断は間違いでも無く、正しくも無かった。なぜなら結果は同じだからだ。
そもそも背を向けた時点で全ては終わってしまう。
ところで、人間が山で熊と遭遇した時の対処法を知っているだろうか。その対処法として絶対にしてはならないこと。それは背を向けて逃げることだ。
背を向けて逃げること、それは自分の命を差し出しているのと同じ事。
人間より熊の方が足が速いのは明確。その熊の動きを見ようともしないで逃げるのだから、報いを受けるのは当然。
先頭を走るミノタウロスの背後で魔物達の断末魔が聞こえる。
その断末魔は段々と確実に近づいてくる。それも一定間隔で。
理解できないものは恐い。だが、それが理解できた時、恐怖は倍増する。ミノタウロスは己の死を理解してしまった。自分がいつどこで何で死ぬかが分かりきっている。こんな恐怖がどこにあるのだろうか。
そもそもキマイラより速く走る人間など聞いたことが無い。走っているのかどうかさえ怪しい。ミノタウロスは一瞬だけ後ろを振り返った。
「グウウッ!」
後ろには何も無かった。いや、赤い肉の畑はあった。しかしそれだけだった。走っているのは自分だけ。
辺りは静かだった。時折涼しい風が吹いて、少女などが寝そべっていたら、「あら、良い風ね」と呟くような静けさであった。静穏と絶望がそこにあった。
キマイラは走り続ける。ミノタウロスは首を戻そうとする。
自分が斬られている様子は無い。
やったのか、とミノタウロスは思った。ついに死の輪の中から外れて、死神の手の届かぬ所へ逃げ失せられたのだろうか。きっとそうだ。さっきのような相手なら、今頃殺されていただろう。だが自分は生きている。つまり、許されたのだ。
ミノタウロスはの首は正面に戻った。
「グモオッ!」
ミノタウロスの顔は歪んだ。驚き、絶望、後悔、狂気。それぞれの感情が飛散して、そして何も残らなくなった。
静かで、心地の良い風が吹く平原であった。
そして少しすると、赤い色の付いた狼煙が上がった。
「殲滅完了の狼煙を確認しました。作戦は成功です」
「はは……、ご、ご苦労」
遠くの方で上がった狼煙を確認した所長は半笑いになった。
「もう、終わったのですか?」
「いくら何でも……」
「いや、狼煙は確かだ」
会議室に居る全員がため息をついた。話があまりに出鱈目だったからだ。
「到着予定時刻から小半刻も経ってないのでは?」
「ありえないぞ!」
全員が喚く。さすがに嘘っぱち、だと。
「それが、彼なのです」
聞き覚えのある声を聞いた全員が振り返った。そこには何時もと変わらないルーカスの姿があった。
ルーカスの姿を見た全員は改まって挨拶を交わした。ルーカスは、ふう、と息を吐いて椅子に座ると話を始めた。
「そういえば、仲介手数料の話をしてませんでしたね」
「その話をしに、わざわざ?」
「まあそれもありますが、あなた方の驚く顔も見てみたかったのでね」
ルーカスは意地悪そうに微笑んだ。やはり得体の知れない人だ、と所長は思った。
ルーカスは懐から紙を取り出し、緑縞の綺麗な万年筆でさらさらと字を書いた。
「ではこれをお願いします」
ルーカスは座ったまま紙を所長に渡した。
所長の鼻息が漏れた。
安い金額ではない。しかしデュークの報酬と比べれば一笑する程度であった。
「良いでしょう。お約束します」
「そうですか。さてと……。それでは帰りますか。生憎、処理で忙しいものでして」
ルーカスはゆっくりと立ち上がると、帽子を被り直して部屋から去って行った。
その頃、ある会議室では税務官達が話し合っていた。
「――と言うわけで……、えぇと、関係者からのタレコミでですね、脱税の疑いがあると」
「それってさ、前から何回も指摘あったよね」
「そうやねぇ。前に書類改ざんで指導食らったからね。調査して発覚したら……」
「礼状出るな」
国から礼状が発行されると、家を根こそぎ調べることになる。家の金の動きが税務官達の鋭い視線の先で丸裸になるのだ。
そしてまた違う会議室でも誰かが話し合っていた。
「えぇと、時間外労働の給料の不払いが数件。指導と称した暴力行為が……これまた数件」
「わぁおぅ……」
「あと、特定の給仕に対して休みを与えていないと。ほぼ全員の召使いの証言ですね」
「うわっ、お前、どこの不良事業者だよ。ひっでえな」
一人が顔を引きつらせた。彼らも久しぶりに大仕事をする気満々であった。
「あと、他にもあるぞぉ……。町の事業者に対して、取引中止を背景に金利を増やしたりな」
特定の権力者が治める町ではよくあることだ。一人の権力者に嫌われただけで一族郎党食いっぱぐれるという事が多くある。最近ではそれを防ぐために、脅迫の取り締まりが強化されているのだ。
「とりあえず現地調査で聞き込みと証拠集めね」
「その後で疑いかけて、裁判所に許可貰って……、呼び出しと」
「あ、重い税務絡んでるから、中央呼び出しもあり得るな」
「うおっ、こりゃ大捕物だな」
全員が、これから起こるであろう騒ぎに胸を踊らせていた。




