黒い民衆
ルクレシア王国の首都では妙な流行がある。それは大通りを歩けばすぐに分かるだろう。
例えば、そこそこ評判の武具店の中は全体的に黒かった。黒い鎧、黒い兜、黒い剣。真っ黒な武具が店の棚を占領し、赤や緑などの武具は隅の方に追いやられている。やってくる客も当然、黒い武具を買っていく。黒い棚には何枚かの板が張り付けられており、店員の手書き文字で、「男は黒に染まれ」やら「孤高の黒は玄人の証」と言った売り文句が書かれていた。
もちろんそれは服屋でも同じ事。食べ物もイカ墨パスタやら黒パンなどが流行し、お上品な婦人達が歯を真っ黒にしてパスタを食べている。
町を歩く人間も黒い服を着ているため上空から見ればまるで蟻の大群のように見える。他の色を着ている者もちらほらいるがそういう者達は“お洒落上級者”であった。
そういう事情があり、黒い塗料の値段は軒並み上がり、塗料屋は挙って黒を買いあさり、それがまた値段が上がる要因となる。
一方、ロスコール邸では何人かの関係者達が会議をしている。
「最近、やけに黒い色が流行っているなと思ったが……そういうことでしたか」
「ご名答。前々から少しずつ商人達を誘導して黒を流行らせておいたのだよ」
「そういう状況の中でこの黒剣の登場。まさに満を持しての登場ですな」
貴族達の低い笑い声が上がった。広い机の上にはそれぞれに配られた企画書がある。その企画書には黒剣の目的、使う武具の性能、必要経費などが事細かく書かれている。
「――と言うわけで、武器などは先ほど申し上げた業者から取引を」
「聞き慣れない業者だが大丈夫かね? 企画書に書かれている物はどれも高性能な武具。手に入れるのは難しい。それこそ偽物を掴まされたら……」
貴族の一人は難しい顔をした。しかしトラウスは笑みを含めながら答える。
「大丈夫。この業者はあまり表沙汰には出ないが、その筋では信頼性があると評判でね」
遺跡やダンジョンから発掘された武具を売りさばく業者だ。その武具の一つ一つが入念に吟味され、手入れされた後販売される。中には出所が不明な武具もあるが、それらの性能は他の物とは違う。
貴族達は夕暮れまで細かい段取りを話し合い、黒剣の始動が決定された。
「では皆様、黒剣に乾杯」
話し終えた貴族達はワイングラスを手に取り、高らかに掲げた。
翌日、何枚かの紙を睨み、難しい顔をして唸る一人の初老の男が居た。冒険者ギルドのギルド長、ルーカスである。
「――と言う訳なのでご協力いただきたい。市民や冒険者の安全を確保するために今後、強力なモンスターが発生した場合は、冒険者ギルドの独断での行動は慎んでいただきたいのです。あと、そのような脅威が発見されたら速やかにこちらに報告するように」
ルーカスの前に居る眼鏡の男はやけに偉そうな態度でそう言った。
「そう言われましたもねぇ。元より、我々冒険者ギルドはそのような強力なモンスターを討伐するためにある組織ですから。今更安全がどうのこうのと言われても」
「それはつまりあなた方上層部は冒険者達を危険にさらしている事を承知していながら仕事を回していた、と」
ルーカスは苦笑いをしながら言い返す。
「ですからね、危険な役割を引き受けるのが我々の仕事なのですよ。現に当ギルドは市民達の支えとなっているではありませんか」
客人に出された紅茶はとっくの昔に冷たくなっており、口一つ付けられていない。窓から差し込む光で部屋暖かく、ギルド長は上着を脱いだ。
「こういうことを言ってはなんですが、冒険者ギルドは魔物に対する危険意識が欠落している。仕事の最中に死亡する冒険者は多いはずだ。ギルドはそれに対して何の責任も負っていない」
「いやいやいや……。当ギルドはね最初の加入の時点で“自己責任である”と口頭でも書面でも説明しています。ですから冒険者達は皆それを承知しながら仕事をしているのです」
眼鏡の男の言っている事は無茶な事だ。今まで冒険者ギルドが危険な仕事をしているというのは国も承知の事。それを今更、危険意識が欠如していると言われても困るわけだ。
眼鏡の男は諭すように言う。
「ですからねルーカスさん。何も営業を停止しろとかそういうのを言っているわけじゃないんです。比較的弱い魔物は今まで通り討伐していただいて、強力な魔物はこちらに任せていただきたいと言っているのですよ」
「いや、そういわれても。そもそも、この黒剣とか言うのは何なんですか?」
ルーカスは口調は穏やかではあるが内心では苛ついていた。眼鏡の男の言っている事はギルドの仕事を横取りするような物だ。
強力な魔物の爪や骨や皮などは高い値段で取引される。だから強力な魔物を討伐するのは冒険者にとってもギルドにとっても旨みがあるのだ。
「彼らは対強力モンスターのスペシャリスト、“第一級特別戦闘員”です。彼らは強力なモンスター討伐することに関して独断で動く事が出来ます。ですから彼らは一定の脅威に対して強い権限を持ちます」
ルーカスは紅茶を飲んだ。紅茶のカップを置く時、大きな音が応接室に木霊した。
「正直言って困りますねぇ。我々はね市民の皆さんから依頼を受けているのです。その仕事をあなた方が勝手に片付けてしまっては我々の信用は落ちますよ。何せ冒険者ギルドの存在意義に関わる。冒険者ギルドは黒剣の残飯を食えと言いたいのですか?」
「ルーカスさん! 口が過ぎますよ。この黒剣の設立を企画した人が誰か知っているでしょ? さっき渡した紙にも書かれています。企画したのはあのトラウス公爵ですよ。黒剣の設立にはね多くの方々が関わっています。あなた方は黙って我々にお任せして頂ければいいのです」
ルーカスはくたびれた。
「もう良いです。今ここで言い合っても仕方が無い。お客様がお帰りだ。案内したまえ」
「私も言うべきことは言いましたからね。ご協力お願いしますよ」
眼鏡の男はにやりと笑った。
新部隊、黒剣の登場は大々的に報じられた。
「黒き英雄、誕生」、「もう魔物に怯える必要は無い」等という内容の情報紙が配られ、黒剣について様々な憶測や噂が飛び交う。
「この記事見た? 何か黒剣って格好良さそうだねえ」
「なんかぁ、噂ではぁ、すごいイケメンらしいよ!」
「きゃあああ。今年は薄い本が厚くなるわね!」
若い娘達は井戸端で噂し、商人達は早くも黒剣についての情報収集戦を展開する。民衆は黒剣の登場を今か今かと待っている。
新部隊の司令官となったトラウスは黒剣のお披露目パレードの段取りに追われていた。そしてパレード当日。
昼頃から大通りの中央は厳重に閉鎖され、「新部隊の登場!」と書かれた旗がそこらかしこに立っている。民衆達は沸き上がった。黒い物が流行している今、黒剣という名前は大いに受けたのだ。情報紙でパレード開催を聞きつけた民衆は朝早くから一番前を陣取り、屋台は屋台で壮絶な場所取り合戦を行っていた。この日に限っては商人も店を開け、黒剣の登場を目に焼き付けて、新しい商売の種にするつもりだ。
トランペットの音が高らかに響く。パレード開始の合図だ。黒剣の登場を待ちわびた民衆は大地を揺らすような雄叫びを上げる。未だに戦歴の無い新部隊。しかし退屈な毎日を過ごす民衆にとっては格好の話題であった。
その年の流行を決める大きな要素、色。その色を使い、黒色を流行らせてから黒剣を投入する事で、その人気は爆発的な物になる。これがトラウス達の戦略だ。
魔力で増幅された司会者の声が響き渡る。
「皆さん! 大変長らくお待たせしました。数日前から情報紙で紹介される、謎多き新部隊、黒剣! 本日はその黒剣がついに皆様の前に!」
爆発のような声が響く。民衆の興奮は絶頂を迎えた。
「彼らは他の戦士とは一線を画す実力! これでもう魔物や盗賊に怯える必要はありません! 皆様の通報一つで、冒険者ギルドよりも早く、迅速に対応いたします!」
司会者は指を天に向け、パレードの開始を宣言する。
「それではパレードの始まり! 出でよ! 黒剣!」
壮大で長々しい金管楽器のファンファーレが響き渡る。ファンファーレの後、少しの間を置いて打楽器の演奏が始まった。
踊り子達が列を成し、長いスカートを揺らして街を練り歩く。その踊り子達の何人かは大きな旗を持っており、「タリア薬剤商会」、「ルクレシア騎士団」、「スクリン・タフホース商会」などの資金提供者達の名前が書かれている。しかし民衆達にとってそんな物はどうでも良い。むしろ目障りだろう。
パレード主催者側は黒剣をすぐに出さずに、踊り子や演奏などで間を引っ張っている。民衆達はそれが不満で、「おいまだかよ!」、「前座はいい! 早く出せ!」と言う声が聞こえるようになった。
今回のパレードの盛り上がりは凄まじい。近年では一番の盛り上がりだ。これ以外に一番盛り上がった事と言えば、数十年前の戦争で英雄が帰ってきた時のパレードくらいだろう。道の両脇には大量の人、人、人。あまりの人口密度で、口を押さえて今にも吐きそうな娘が居る。
「ちょっと! 今ここでくたばったら見れないわよ!」
「そうよ! しっかりと目に焼き付けないと! 勿体ない勿体ない!」
「だって……人が、うっぷぅ……うんも゛お゛お゛!」
大量の民衆の中に混じってその様子を俯瞰し、興奮しているのか冷静なのか分からない表情で見ている人物がいる。
腰には何本も枝分かれした巨大な鞭が下げられており、本人の意思とは関係なく周囲に威圧感を振りまいている。そのせいで彼の周りには人二人分ほどの隙間が有り、彼もそれを気にする様子は無い。銀色の髪は女のように綺麗にまとめられ、風が吹くたびにふわふわと揺れている。顔は左右対称の完璧な美形で、神の造形物と言っても過言では無いだろう。
彼は聖母のような微笑みを浮かべてパレードを見学している。しかし、その張り付いたような笑みに含まれているのは穏やかなものばかりでは無い。子供が悪戯をするための虫を見つけて笑みを浮かべているような、はたまたその子供を見て微笑んでいる母親のような奇妙な笑みであった。
彼は中々黒剣のメンバーが登場しないのを見ると、つまらなさそうな顔をして踵を返した。すると後ろで立ちふさがっていた民衆は慌てて彼に道を譲った。
彼は大通りから逸れ、人気の無い路地裏へ足を進める。盛大なパレードをしている大通りとは違い、路地裏には飲みかけの酒の瓶や猫の死骸、そして生きているのか死んでいるのか分からない浮浪者が転がっている。ある一角では、光の無い目をしながら何か奇妙な煙を吸っている二人組、ひそひそと何かを話し合っている黒服達が居た。
彼はそんな事は全く気にせず、迷う事無く歩いて行く。道中、トゲトゲの腕輪を付けたモヒカン頭の男が立ちはだかったが、彼の顔を見ると青ざめてどこかへ消えていった。もちろん彼にとってはどうでもいいことだ。
そして彼はある扉の前にたどり着いた。その扉の存在を知らない人なら気付く事は無かっただろう。さりげなく、しかし確実に存在する扉。黒い木で出来た重々しい扉である。彼はその扉を躊躇する事無く開ける。
カランコロン。お決まりのような音が鳴る。それは扉の上に取り付けられた鐘から発せられた。
中はこぢんまりとしており、十人も入りきらないだろう。壁には照明が取り付けられており、部屋の中を頼りなく照らしていた。その照明を反射し、きらきらと光る物。それは数々の酒の瓶であった。カウンターを挟んで、綺麗に並べられた酒瓶は宝石のように輝いている。カウンターも丁寧に磨かれており、部屋の照明を映し出している。
キュッキュ、とグラスを磨く音が聞こえる。その音の主は左目に眼帯を付けた渋い男だ。その男はスーツをきちんと着こなして、何かを喋るわけでも無くひたすら作業をしている。今のように客が入ってきた時も挨拶一つ交わさなかった。しかしその客は全く気にしていない。
客は銀色の髪を揺らしてカウンターの椅子に座った。そう、ここはバーだ。客は二人しか居ない寂れたバーである。
「ウィスキーを。氷で」
店主は返事無しに仕事に取り掛かる。グラスに大きな氷を二つ入れ、美術品のような瓶に入ったウィスキーを入れた。店内は静かで、ウィスキーが注がれる音だけが店内に木霊する。
店主はグラスを置く場所にコルクで出来たコースターを置いた。そのコースターは使い古されているらしく、所々が黒みがかっている。店主はそこにグラスを滑るように持って行き、静かに置いた。グラスが置かれた時、コトリとも音がしなかった。銀髪の男にウィスキーを差し出した店主は再び俯いてグラスを磨き始める。
銀髪の男はウィスキーを一口だけ飲んだ。そして独り言のように話す。
「いやあ今日は人が多いね」
当たり前のような事を言った。それに誰も反応しない。
「最近遊んでくれる相手が居なくてね。だから黒剣、て言うの? 楽しみにしてるんだよねぇ。ふっふっふ……」
銀髪の男は左手でグラスを持ち、右手で腰の鞭を弄んだ。そして隣の先客をちらりと見る。
ここの店主と同じく、酷く無口な客だ。フードを深く被っており、その顔は暗闇に包まれていて見えない。腰には長く反り返った妙な剣があり、銀髪の男に弄ばれる鞭と違って、ただ静かに鞘の中で眠っていた。
銀髪の男はさらに微笑んだ。
「早く闘ってみたいなぁ……。貴方もそう思うでしょ? デュークさん」
銀髪の男は歌でも口ずさむように先客の名前を言った。しかし先客、デュークは何も答えない。デュークの前に置かれたグラスに入っている氷が溶け、音を立ててグラスの底に沈んでまた浮いた。彼がいつ店に来たのかは分からないが、そのウィスキーは半分も減っていない。
無口なデュークをよそに銀髪の男は続ける。
「恐らく彼らは最高の武器、一流の実力を揃えているはず。果実は熟すまで待てと言うけど、黒剣にはもうすでに熟された果実がたくさん……。それを僕が食べたい時に食べる。これほどの幸せがあるかい?」
銀髪の男はこぼれそうな笑みを浮かべる。
「……期待しすぎだ」
デュークが初めて喋った。店主がグラスを磨く音が一瞬止む。デュークの吐いた一言は重々しく響き、店の空気を張り付かせ、そしてゆっくりと沈殿していった。店主はデュークの言葉が終わると再びグラスを磨き始めた。
銀髪の男はデュークに指摘されたにも関わらず嬉しそうに笑った。その顔は、母親に構って貰えた子供のようであった。
グラスの外側に付いた水滴は上から下へ落ち、コースターを少しだけ濡らす。
「ふっふっふ、いいんだよ。僕は期待するのが大好きなんだ。例えその期待が外れても、ね。この子だってそう思っているはずだから」
銀髪の男は腰の鞭を優しく撫でる。そしてウィスキーを飲み干すと席を立った。
「貴方と一緒に居るのは楽しいよ。じゃあまたね」
銀髪の男は扉の前で振り返った。そして懐からコインを取り出すと指で弾いた。澄み渡るような音がしてコインは綺麗な放物線を描く。そして迷う事無く、空になったグラスに入った。チリンと音を立てて、コインは二つの氷の間に挟まった。
店主はそのコインを拾い、何か言いたげな目で銀髪の男を見る。銀髪の男は砕けた笑いを見せてこう言った。
「余った分はそっちのお客さんに。僕からのお礼さ。ふふ……」
銀髪の男は路地裏に消え、店は何時ものように静かになった。店主は一言も発さずにグラスを磨き、デュークはウィスキーのグラスを傾けた。
それからしばらく経って、デュークは何も言わずに静かに店を出た。デュークが店を出て行って扉が閉められた後、店主は両手を腰に付け、丁寧なお辞儀をした。そして乾いた布でカウンターの水滴を拭き、その布をキチンと折りたたんで棚に置いた。客が入る前も帰った後も、そのカウンターは何時もと変わらない様子で輝いている。
必要に応じて活動報告を書く事にしました。




