薔薇の踊り
夕日はとっくの前に沈んで、いよいよ街に明かりが付く。少し湿った空気に建物の窓から漏れる光が反射し、幻想的な雰囲気を醸し出す。
街の商業区から貴族街を抜ける一本の大通りを何台もの馬車が連なり、湿った地面を転がる車輪の音が夜の街に響いた。
田舎者が見たら城と勘違いするような建物が並ぶ貴族街に一際大きい、それこそ城といっても過言では無い建物がある。ロスコール公爵邸だ。
貴族社会において上位の位、公爵。ヤハート・ロスコールは公爵で、国から財務大臣に任命されている。公爵邸にて、その娘が二十歳になったパーティが開かれている。
公爵家の娘が二十歳になったとあれば、それはそれは豪勢なパーティーで、普段から贔屓にしている貴族や商人、そして公爵に取り入ろうとしている打算的な貴族が挙って集まる。
貴族達は広大な庭に馬車を止め、本邸とは別の催事館と呼ばれる建物に入っていく。
「いやあ、ご機嫌麗しゅう、ヤハート閣下」
貴族の一人がヤハートに声を掛ける。ヤハートは白い口髭を揺らし、少しばかり黄ばんだ歯を見せて、右手を挙げて挨拶した。
そして背中を反らし大きな腹を上下させながら、互いに軽い抱擁を交わした。周りの貴族達はその光景を和やかに見ているが、
何人かの貴族は目が笑っていない。
それもそのはず。ヤハートは男爵だからだ。公爵と男爵が砕けた挨拶をし、抱擁を交わし合うなど、本来は考えられないこと。普通であれば片膝をついて対応するべきだ。財務大臣と、「馬売り」では釣り合いがとれないのだから。
この二人は学生時代、特に仲の良い学友であった。だからこのような挨拶なのだ。
「スクリン殿。いつも世話になっているなぁ」
「ヤハート閣下、前祝いに贈らせていただいた馬はその後どうですかな? あれは私の息子に選んで貰ったのですよ」
ヤハートは思い出したように、人差し指を立てて喋る。
「いや、あれは中々良い物だったよ。うちの娘が気に入ってねえ。それで乗馬の教師を呼んだのだが、彼も休む暇が無いものだ。はっはっはっは」
スクリンの目が輝いた。
「気に入っていただいて何よりです。あれはフィレットの最高級馬ですので、競り落とすのに骨が折れましたよ」
スクリンは大げさにそう言った。
ヤハートとスクリンが互いに笑っている時、横から女性の声が掛かる。
「あらあら、スクリン殿。無理をなさらなくても」
スクリンは一瞬だけ真顔になった。だが次には満面の笑顔になって女性にお辞儀した。
「ヤハート閣下のご息女の誕生日会に招待していただき、誠に光栄でございますわ」
女性は、スクリンは一旦放っておいて、ヤハートの手を取って挨拶した。
「ところでスクリン殿のご子息も来年で二十歳になられるのですね?」
「あ、ええまあ……。おかげさまで」
スクリンはポケットに手を突っ込み、こっそりと手汗を拭いた。
「また贈り物を準備しておかなければねぇ。そういえばスクリン殿のご子息はクルード殿のご息女と仲が良かったようで。それでしたら、ペアリングなんてのは如何かしら?」
女性はスクリンの顔をのぞき込んだ。スクリンは気まずそうにしている。
「おお! そうであったか。もしスクリン殿の息子さんが結婚することになったら、遠慮無く私に任せてくれ。盛大な式を用意しよう」
ヤハートはすっかりその気だ。スクリンの額に汗がにじみ出て、今にも流れ落ちそうだ。
結婚というものは一見華々しいものだが、その裏ではどろどろの陰謀、政略が渦巻いている。誰が誰と結婚するか、といった情報戦は常日頃から繰り広げられている。大勢の貴族がいる前でそういう話をされては否定しづらい。否定すると、否定した相手の家に泥を塗ることになるからだ。
豪華なカーペットが突然吹き飛び、その足下から一本だけの綱が現れる。その綱の下は奈落。そういう妄想がスクリンの頭の中をぐるぐると回った。
スクリンが苦悩している間にもパーティーは進行する。関係者達の祝いのスピーチ、豪華な立食、そして――。
貴族達がフルーツバターケーキに舌鼓を打っている時、突然部屋が暗くなった。部屋のあちらこちらで悲鳴と響めきが走る。貴族達は「なんだ! 強盗か?」、「おい警備兵!」などと騒ぎ立てた。だが次の瞬間、部屋の一点にだけ明かりが付く。部屋の、一段高くなったステージだ。
哀愁漂うギターの音色がぽろりと鳴らされた。それは徐々に速くなっていき、ついには奏者の指が見えなくなる程になる。この奏者の超絶技巧に貴族達は目を奪われた。そしてギターは一瞬止み、次にはテンポの良いフレーズに移行した。
横から踊り子達が走ってくる。情熱的な赤の衣装だ。貴族達は踊り子達の姿を見るや否や、盛大な拍手を送った。
激しくも美しい舞に貴族達は熱狂し、相手の手を入れる。踊り子はそれに応え、より一層笑顔になった。
踊りの出だしは過ぎ、ギターの演奏もこれからと言う時に、踊り子達は後ろに下がって腰を低くする。少し遅れて横からもう一人の踊り子がやってきた。
貴族達はその踊り子の姿を見ると、はち切れんばかりの歓声を送った。今回のパーティーの主役、ヤハートの娘だ。
赤のシンプルなワンピースを着た踊り子とは対照的に、様々な意匠が施された豪華な服である。頭には花をあしらった、金の冠。宝石のように光るドレスには、魔方陣のような幾何学的な模様が入っている。娘が一回転すると、ドレスは満開の花のように広がった。
美しくしなやかで、体の隅から隅まで芯が通った精巧な舞。野性的だが品性は有り、それは大地に生きる動物たちへの賞賛か。娘の余りに華麗な舞は貴族達の心鷲掴みにした。
音楽は後半の締めに差し掛かり、ギターの神速の連打と娘の脚捌きが一つになり、決めポーズと共に舞は終わった。舞が終わった瞬間、洪水のような拍手と、「ブラボオオオオオ!」、「素晴らしいっ!」と言った叫び声が上がった。
後ろに控える踊り子の一人が娘に駆け寄って花束を渡す。娘は和やかに花束を受け取り、貴族達のお辞儀した。その後、娘は衣装替えと化粧直しのために控え室に戻った。
「それでは再び立食をお楽しみ下さい」
司会者の一言が終わった途端、ヤハートの周りに立っていた貴族達が押し寄せてくる。
「ヤハート閣下、感激しましたぞ! ご息女の踊りは神がかっていましたなぁ!」
「そうですわ! この際、舞踊団を結成したらいかがですか?」
ヤハートは得意げにしつつ、迫り来る貴族達を軽くあしらう。公爵程になると手慣れているものだ。
ヤハートに集っていた貴族達は徐々に大人しくなり、それぞれの知人達と談話を始める。その隙を見て近づく者が二人いた。
「ヤハート殿、ご機嫌如何かな?」
公爵であるヤハートに気さくに話しかける人物。彼もまた公爵である。
名はトラウス・ディナール。国の役職は司令官。もちろん前線には出ず、必要に応じて各隊に指令を出す立場だ。彼は国から一つの師団を預けられている。ちなみに騎士団とは区別される。
司令官であるが、体は程よく鍛えられており、遠目で見れば細身だが近くで見ると体格が大きい。黒のスーツでは少し窮屈そうだ。
トラウスは隣に一人の青年を連れている。
「紹介しよう。息子のカトラスだ」
カトラスと呼ばれる青年。体格はトラウスと比べると少し細い。身長は高くスラリとしており、脚も長い。パーティー用のスーツも丁度良いサイズで、その容姿の良さを際立たせている。金色の髪は櫛でキチンとまとめられ、その顔は自信に満ちあふれている。彼が町を一回歩けば、それだけで女達が噂するであろう。
良いのは容姿だけでは無い。他の貴族に対する礼儀礼節を完璧にこなし、歩くその姿はまるで隙が無い。武人の目には彼がただ者では無いのが分かるだろう。
「ほお……」
ヤハートは感心した。武術の経験が無いヤハートですら、その立ち振る舞いに隙が無いと分かるのだ。そしてこの美形。是非ともうちの娘と結婚させたいとヤハートは思った。
「カトラスです。日頃より父上がお世話になっております」
「いやいやいや、こちらこそ」
カトラスの彫刻のように美しいお辞儀にヤハートはたじろいだ。
頃合いを見計ってトラウスは喋り出す。
「さてヤハート殿。今回息子を紹介したのは……例のアレでな」
「そうか……ではもう頃合いと言うことかぁ」
二人は別室に移動する。そのことを周りの貴族は不審には思わなかった。パーティー中に何人かの貴族が抜け出すのはよくあることだからだ。特に国の重鎮たる存在同士であれば尚更だ。二人が部屋を出た後に、見計らったかのように娘が入室した。貴族達は二人の事は忘れ、娘の登場に歓喜した。
月明かりが草むらを照らし、虫たちの鳴き声が応接室の窓越しに聞こえる。広い応接室であるが中に居るのはヤハート、トラウス、カトラスの三人だけだ。三人だけの応接室では小さな声でもよく響く。
「まぁ紅茶でも飲みながら、どうだね?」
ヤハートは棚からカップを三つ取り出し、紅茶を注いだ。熱い紅茶の入った容器の口がカップに当たり、チンと音を鳴らす。本来なら給仕の仕事だが、あまり人に聞かれたくない話だったため、部屋に呼ばなかった。
二人の前にカップを置き、ヤハートはカップを持ったまま椅子に座る。ヤハートは紅茶を一口飲む。次にトラウスが飲み、最後にカトラスが飲んだ。
トラウスは紅茶を一口だけ飲んだ後、本題に入る。
「さて、ヤハート殿には前々から話していたな」
「ああ、何でも新しい隊を作るとか……」
ヤハートは椅子に深くもたれ、手を組んだ。カトラスは膝に置いた手を握る。
「まあ、今日は他の者も来ていないし、細かいことは後日にしよう。それで一応確認しておきたいのだが……」
「ああ、予算か」
ヤハートは用意していた書類を机から取り出し、机の上で広げた。書類にはあらゆる項目が有り、そのどれもが決して安くない金額だ。
「予算委員会の者達は嫌な顔をしていたが、他国家への侵略が目的では無く、あくまで防衛組織として立ち上げる、と言ったら渋々了承してくれたよ」
「そうかご苦労だったな。しかし私の予想以上だ。さすがは財務大臣だな。」
トラウスは硬い表情から和やかな表情に戻った。
多少の小競り合いはあるが、大きな戦争は無く、商業が大きく発達した最近では軍部の予算削減の声が高らかに上がっている。軍部の予算を削り、その分を商業に回すのが削減賛成派の狙いだ。商業が活発になり、“商業貴族”が増えた今、削減賛成派の勢いは強い。
トラウスの計画は軍部の求心力を上げる事だ。削減賛成派が多い今では軍部は少し苦しい。予算が減った事で兵士達の給料は下がり、上層部の信頼はがた落ち。中には兵士を辞め、新しい商売を始める者も。これはトラウスにとっても頭痛の種であった。
「しかし、昨日や今日で出来た部隊に民衆の信用が勝ち取れるのかね。委員会の連中に無理を言って通した予算だ。失敗すれば私も痛い目を見る」
「大丈夫だ。一年ほど前から準備している」
トラウスの自信ありげな態度に、ヤハートは腕を組んで唸る。予算会議で何人かの文官に罵倒された記憶が蘇る。
「今更新しい部隊なんか作ってどうするのですか!」、「我が国に軍靴の音でも響かせようとでも?」、「それよりも商業税の減税が先でしょ」と言った罵詈雑言に耐え、魔物や盗賊達の恐ろしさを力説して何とか通したのだ。
軍部の予算削減の意識が高まっている今、新部隊設立の話は些か刺激的だったようだ。
「言っておくが、そこらの兵士とは訳が違う。冒険者の連中が十人で倒す魔物を1人で倒すことが出来るほどの腕前さ」
「……ドラゴンも倒せるのかね?」
「もちろんだとも」
ヤハートは今更怖じ気づいた。しかしトラウスの自信のある態度を見て安心した。何よりも、あのご子息だ。普通の戦士とは一線を画す実力だろう。一人一人がその実力と言うのなら、かなり有能な組織になるだろう。
「彼らには英雄になって貰おう。そしてお前にもな」
トラウスはカトラスの方を見た。
「ふむ……。トラウス殿のご子息が隊長を務めてくれるのか……。なら安心だな」
一個師団を受け持つ重鎮の息子が活躍すれば、民衆は持て囃すだろう。そして兵士を志す者が増え、軍部の重要性は高くなる。国の商人達は新部隊にちなんだ武具などの商品を作って売る。カトラスに憧れる者達はそれを挙って買いあさり、軍部と商業どちらにとっても旨みがある。国を守る司令官では無く、トラウスという一個人の視点から見ても十分利益がある。
「で、その部隊の名前は?」
「おっと、言い忘れていたな。名前は“黒剣”だ」




