交差する死線
「ひどい雨だ」
誰かがつぶやいた。
町は昼にしては暗く人々の活動は鈍い。
農夫や大工は「仕事にならない」と言い、家に引きこもった。
しかし一般の人間では無い者、つまり“カタギ”ではない者は普段より良く動く。理由は単純であった。
「人が少ない」
それだけで“筋者”は「ツキ日」だと喜ぶ。
ある種の商売、取引、計画を実行するには楽で良いと言うわけだ。
目立たない身なりの者が町の路地裏を早足で歩いている。
時折、右に折れたりするがそうしなければいけないと言うわけではない。
単にわずかに遠回りするのでそうしただけである。
――ビチャリ、ビチャリ。
歩く者は一つの水たまりを踏む。
――ビチャッ、ビチャッ。
五秒ほど遅れて似たような音が立つ。二つめの音の主は歩く者について行く。落ち着いた足取りで、若干歩幅は大きくして歩く。先行者は案内人であるのだ。この絶妙な距離感を保ちつつ、二者は歩き続けた。会話は無い。
所変わって、ある部屋では男たちが集まっている。机の上で手を組み、神妙な表情で椅子に座る。何度か水を口に含んだりしているが寛いでいるという風ではない。
――カンッ、カンッ。
堅い物同士を打ち付けた音が響き渡った。
決まっていたかのように首を動かした重鎮たちが次に聞いたのは扉が開く音である。
「……お連れしました」
ずぶ濡れのマントを折りたたんで左腕にかけた男は挨拶する。
濡れたマントから滴が落ち、模様の入った絨毯に黒い点を作った。
何時もなら重鎮たちの誰かがそれに眉をひそめたりするが今日に限ってはそんなことは無かった。
遅れて同じくずぶ濡れの人間が入ってきた。
男か女かはわからない。顔布で顔が隠れている。だが情報によれば男であるというのは知っていた。
重鎮の一人はその男が腰に携えている武器に目が行って仕方が無かった。
この建物に勤める人間ならまず没収したであろう物品である。没収をしないという事は、それなりの相手である。
「……ようこそおいで下さいました」
普段は反り返っている背中は急に猫背になった重鎮は両手に角度をつけてお辞儀した。一瞬だが机と皮膚が擦れ合う音が木霊した。
重鎮の一人は僅かに苛ついた。その来客の態度に。
自分の実力を信じて疑わない。相手を見下すような視線。礼節を知らないような振る舞い。
ある程度教養が必要とされる立場にいる重鎮達にとって、彼は異物。未開の地の原住民でも相手にしているかのような気分である。
もしかしたら、目の前の彼の態度こそが、この国の正式な礼儀かもしれないと、重鎮達は僅かに思ったが、それは違うだろう。
一人が口を開く。
「貴方に依頼がしたい」
簡潔で明確な第一声。重鎮達は優れた仕事人でもある。
慇懃無礼な彼は、無駄な世間話が好きでは無いだろうという予測に基づく第一声。それに何も答えなかったが、掴みは良いと重鎮達は判断した。
重鎮は続けた。
「貴方は今、あちらにいるのだろう? こちら側についてほしい。十分な謝礼、もしもの際の退路も用意する」
十分な謝礼、依頼者のお決まりの台詞を聞いても彼は反応しない。
沈黙がのしかかる。僅かに聞こえる雨音が部屋の中を包み込む。
別の重鎮が喋り出した。
「結局の所、我々は必要悪な存在。お互いが潰し合うだけでは……、ね。流す血は少ない方が良いし、失う組員も少ない方が良い。支部に兵力を集めようかと思う、君がこれに乗ってくれるのなら、それは少なくて済むのだが……」
そうで無ければ兵を集めざるを得ない、と言う遠回しな脅し。面は割れている。おまけに相手方の依頼内容まで熟知したような口ぶり。
重鎮達は言いたかったのだ、「断れば、集中攻撃で貴様を消す」と、「この国に居られないようにしてやる」と。
重鎮の眉間にしわが寄る。水差しの水はすっかり温くなったようだ。
今まで動かなかった給仕は彼の前の机に移動する。手に持った鞄を机に置いた。
――ドカリッ、ガチャッ、ギィ……。
小気味よく開いた鞄の中には札束がぎっしりと入っている。給仕は鞄を閉めた。
「報酬です」
彼は動かない。だが、重鎮にとっては想定内である。
重鎮が指を鳴らすと、ずらりと並んだ給仕達が部屋に入ってきた。
――ドカリッ、ドカ、ガタッ、ドカドカ、ドンッ。
給仕達は彼の目の前に鞄の塔を作り上げたのだった。それは今にも天井に着きそうな程であった。
給仕達はわざわざ踏み台を持ってきて鞄を積み上げたのだ。普通に考えれば、そのようなことをしなくても地面に置くだけで良い。
これはパフォーマンスである。見た目が派手で一番効き目が良い。重鎮達の常套手段である。
そのとき、彼は初めて動いた。動いたと言っても、頭を僅かに上下させただけだが。
場の空気が弾けたように変わった。誰かの吐く息の音が聞こえる。重鎮達は彼の今の仕草を了承と解釈した。
「ありがとう……」
重鎮は笑みを浮かべた。重鎮達と幾らか話をした、緑の顔布の男は建物を後にする。
――グシャッ。
紙を握りつぶす音がした。
「ヨーガス……、くそっ!」
椅子に座る禿げた男はわなわなと震えている。
彼が握りつぶしたのは、贔屓にしている情報業者からの報告書だ。
「どうしたんですかい。三代目!」
三代目と呼ばれる男は、丸めた紙を部下に思い切り投げつけた。
「引き抜きだ……」
怒りを押し殺した声。
三代目は拳を机に押し当てる。机の上のコップがガタガタと震える。
「どうも様子がおかしいと思った。奴に調査を頼んで良かった」
一人の男が部屋に入った。
「デュークさん……」
デュークと呼ばれた男は三代目の前に来るなり口を開いた。
「我々の業界にも秩序はある……」
彼が居る業界、目的のためなら手段を選ばない世界。その世界で暮らす人々。彼らが最も避ける行為……、依頼者に対する裏切り。
彼らは金銭はあまり重要視していない。金銭はあくまで一時的な物。増えたり減ったりする。それに対して執着しすぎると、有利になる機会を失う。重要なのはそこでは無い。
家族も、弁理士も、国の兵も頼れない人々にとって、彼らは重要な存在。金さえ出せば依頼を請け負ってくれる彼らは、信用を殊の外重要視する。
誰か一人の行いは、時として全体の評価に影響することがある。
名の売れた実力者であれば周りには影響されないが、あまり名の知られていない並の者は、その地域の彼らに対する評価に左右されやすい。
自分に落ち度は無いのに仕事の機会が減っているのは、同業者の誰かが信用を失ったから、と言うことが良くある。実際、それが原因で廃業を迫られた者もいる。
だから彼らは裏切り者には厳しい。個別の存在の様に見える彼らは、そういう部分で関わりがあるのだ。
「デュークさん……、どうすれば」
「私の知ることでは無い……」
デュークはきっぱりと答えた。
「そんな……」
引き抜かれたのはヨーガスだけでは無かった。いや、それどころの話では無い。二一人中、二十人が静蝶会に行ってしまった。残った傭兵はデューク一人。ほかにも戦闘員は居るが、所詮喧嘩が強い程度である。
三代目は、自分からは言わないが、「何とかしてほしい」と言ったような顔である。
それを察したのかデュークは喋り出した。
「勘違いするな。私は奴とお前の仲介をしただけだ。その問題の解決は引き受けていない」
デュークは不親切であった。
「そうですか……。でも静蝶会を潰すのはやってくれるのでしょう?」
デュークは反応しなかった。
当たり前すぎて頷くのも面倒だったのだ。そして苛つきを覚えた。
あらかじめ取り決めたことを二度も三度も聞かれるのは、まるで信用していないかのような態度であると思ったのである。
報告書の納品を確認したデュークは部屋を立ち去った。
デュークは思う。
そこそこ名の知れた傭兵二十人の情報を入手し、手中に収めるのは簡単なことでは無い。多少の報酬では、元の依頼者を裏切ることは無い。それ以上にリスクがあるからだ。
恐らく、それぞれに合った交渉法を使ったのだろう。
静蝶会は彼らを徹底的に調べ上げ、魅力的な報酬、もしくは人質等を利用した脅迫を行ったはずだ。
静蝶会はかなり優秀な情報屋を使ったのだろう。
デュークの脳裏にシャドウと言う人物が思い浮かんだ。
彼は仕事に対してはある程度公平である。仲が良いからと言って、友人の損になる依頼を断ったりはしない。
依頼であれば、常連客の情報も平気で売りさばくだろう。
デュークはそれを承知した上で彼と付き合っている。彼と同盟が組めるのは、それなりの金を支払っているからだ。
デュークは夜の繁華街へ消えた。
翌日、町は慌ただしい。
「号外! 号外!」
号外の情報紙が配られる。
中年の男がそれを引ったくるようにして取っていった。
「合法薬物取引組合の建物、全焼!」
「マフィアの抗争か!? 暴力団組員五十人以上が死亡!」
「激化する縄張り争い! 騎士団もお手上げ!?」
「静蝶会に甚大な被害! 第三勢力か!?」
嫌らしいほどに大きく書かれた見出しが民衆を驚かせた。
情報紙を求めて並ぶ人々の内、1人が路地裏に入った。
デュークは迷うこと無く路地裏を歩き、ある酒場に着いた。
しばらくした後、デュークは酒場を出て紅竜会の本部の方角へ歩き出した。そして三代目を一階に呼びつけ、一言だけ話した。
「落とすのは三日後だ……」
「三、三日後ですか……」
そして三日後。日が沈み、夜更けになった頃。
「三代目……、心配なのは分かりますが……」
廊下を行ったり来たりする三代目を見かねた部下が話しかけた。
三代目は朝から落ち着きが無く、幹部を呼び集めて会議をしたり、仕舞いには木刀の素振りを始める始末。
傭兵の引き抜きにより、戦力はがた落ち。このままデュークが討たれ、反撃を食らえば、紅竜会は崩壊確実。故に気が気でないのだ。
三代目は自分の部屋に戻り、血圧調整の薬を飲んだ後、ソファーにもたれかかった。
「自分でのし上がってみたはいいが、ここまで心細いとは……」
突如、大きな音を立てて窓ガラスが割れた。
「なっ!」
その割れた窓から、陰のような物が飛来した。
侵入者。
――ジャリッ。
侵入者はガラスの破片を踏みつける。
侵入者の姿を確かめた三代目は目を見開いた。
「デ、デデ、デューク!」
侵入者は紫に光る剣を手に持っている。この装備は彼の目印だ。
「嘘だろ……」
ソファーから転げ落ちた三代目は散らばった本をデュークに投げつけた。デュークはそれをすべて剣で斬り落とした。ペンを投げても、コップを投げても、椅子を投げても結果は同じであった。
――バタンッ!
「どうしたんで……、うわっ!」
騒ぎを聞きつけた一人の部下がドアを開け、その惨状に驚く。
そして考えるより早く、懐の短剣を抜いてデュークに飛びかかる。
デュークが剣を振りかぶったかと思えば、部下の右肩から左脇腹にかけて大きな赤い亀裂が走った。
悲鳴すら上がらなかった。
癇癪を起こした子供が投げた人形のように部下は地面に転がった。そこから血が広がる。光を失った目がどろりと三代目の方を向いた。
「まままままま、待ってくれ、なっ! う、裏切りはじゅ、じゅう……」
三代目がとっさに横に移動すると、後ろの本棚が粉砕された。
予想外。まさに予想外。この状況に三代目は頭が追いつかない。恐怖感と直感だけが彼の体を何とか動かしている。
壁に背中を押しつけて逃げる彼をデュークはゆっくりと追い詰める。
三代目とデュークの間に突然何者かが割って入った。
「お、お前は!」
緑の顔布の男。天才剣士ヨーガスである。
「お前! う、裏ぎっ……、まさか……、グルか!」
ヨーガスは三代目に背を向けて、デュークと対峙している。三代目を襲う様子は無いようだ。
デュークの足が止まった。剣を持つ手が震えている。
三代目はそれが動揺しているように見えた。
裏切ったはずのヨーガスがなぜデュークと対峙するのか。
三代目には何が起こっているかは分からない。
だがこの二人が高次元の戦いを繰り広げていると言うことは分かった。
逃げようと考えたが、彼の腰はもう動かないようだ。後は神に祈るしか無いのだ。
さすがは天才剣士。デュークの繰り出す攻撃全てを弾いている。
三代目はそう思いながら、ひたすら恐怖と戦った。
息、殺気、風切り音。死線が渦巻くこの部屋で三代目は吐き気を感じる。間近に迫った死に、体が拒否し、胃が絞られるようだ。
体の穴という穴から汗が噴き出し、心拍数は上がり、今にも臓器が飛び出そうな勢いであった。
デュークに勝てる人間は居ないと言われているのに、このヨーガスの立ち回りは余裕すら感じる。まるで遊んでいるような風であった。
――ズジュグ……。
空気が変わった。訪れる静寂。
――ズシャッ、ドシャッ。
デュークは地に伏した。
剣の血を払ったヨーガスに三代目が話しかける。
「いっ! い、いいいったい。どどう言う……」
「……ちょっとした遊びだ」
「え? その声……」
――バッサアアッ、シュルル……。
ヨーガスは自分の服を剥ぎ取る。さらにその下にデュークが着ていたローブがあった。
「デューク! デュークが二人だと!」
三代目の目の前には三日前に会ったその姿が立っていた。
デュークは目の前の死体を足で転がす。
仰向けになった死体の顔を見て三代目は飛び上がった。
「デュークじゃ無い!」
「ヨーガスだ……」
遡ること三日前。
「よう旦那ぁ」
シャドウは何時ものようにデュークに挨拶した。
「特別な動きは無かったか?」
デュークが札束を机にのせると、シャドウは笑いながら答えた。
「ヨーガスのガキがママゴトでもやろうって話さ」
紅竜会の親分を殺せと依頼を受けたヨーガスは悩んだ。裏切りの罪は重い。必ず執拗に追われるだろう。
静蝶会の幹部は助言した。
「変装をすれば良い。ちょうど良い奴が居るではないか。皆に見られる中、親分を殺せば、追われるのは奴……!」
「そ、そんなことが!」
デュークはあまり説明をしたがらない性分だが、このままでは良くないと言うことで三代目に一連の話を説明した。
「しかし、なぜ貴方も変装を?」
「……気にするな、ただの遊びだ」
「三代目! 大変です!」
部下に言われて窓の外を見ると、そこには武装した荒くれ達が騒いでいた。
「静蝶会の奴らです! 一気に叩き潰すつもりです!」
「くっ……、今居る奴らをかき集め……」
「私一人で十分だ」
「えっ」
「えっ」
驚いた顔をする二人を見てデュークは続けた。
「まだ依頼進行中だ……」
二人はこちらに背を向けて歩くデュークを見送るしか無かった。




