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このボールが届けば  作者: 吉野ヒダカ
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最終話 届き続けたボール

 ――月日は流れて。


 夏の炎天下の中だというのにアルプススタンドは超満員で席が埋まっていた。様々な声援が飛び交う中、二人の少年はそこに立っていた。


「幸樹、ついにここまで来たな」

「ああそうだな、鴇久。後一球で終わる」

「打たれたら逆転サヨナラ。この球がお前に届いたらゲームセットだ」

「届くさ。三年前からお前の球はずっと俺のミットに届いてる」


 ふっ、と水野が表情を緩めると、小野寺もにかっと笑う。


「そういえば三年前と言うと、すっかり聞くのを忘れてたんだが、今聞いてもいいか?」

「ん? 何をだ?」

「お前、初めて俺の球が捕れたとき言ったよな、愛と友情のスポコン劇のような特訓をしたって」


 へっ、と最初は何を言われたのかわからなかった小野寺だが、すぐに思い出すと、ああ、あのことか。と呟いた。


「っで、どういう特訓をしたんだ?」

「聞いて驚くなよ。あのとき、俺らの住んでた地域には軟式のバッティングセンターはあっても、硬式はなかっただろ?」

「ああ、それで?」

「東京の方にはあったんだよ、硬式が。だから俺はあのとき、毎日片道二時間かけてそこに通ってたんだよ。そして……」

「お、おいまさか」


 もう想像できるがあまりに恥ずかしすぎるその答えがはずれてくれるように水野は祈ったが、その祈りが届くことはなかった。


「そのまさかさ! バッティングセンターだってのに俺は一球も打つことなく、ひたすらミットで硬式の速い球速の球を捕り続けたのさ。おかげで周りからは白い目で見られて大変だったよ」

「やっぱりか。よくそんな恥ずかしいことができたな」

「おかげで、お前の球が俺のミットに届くようになったよ」


 マウンドで話し込んでいると審判に早くするように言われ、小田島はマウンドから降りていく。


「まっ、とにかく後一球だ。頼んだぞ」

「幸樹!」

「ん?」


 小野寺を水野は呼び止めた。


「今の話に愛と友情は含まれてなかったけど?」

「はっ、それだけ軽口言えたらもう大丈夫だな」


 小野寺は満面の笑みを見せると、マスクを被った。水野も一息つくと、マウンドで構えた。するとさっきまで無視していたバッターとランナーが見える。だが再び集中しだすと、もう小田島のミットしか見えなくなった。周りは関係ない。水野の仕事はボールを小野寺のミットへ届けるだけだ。だからそれ以外の一切を無視する。


 このボールが届けばもう長かった夏は終わる。水野はまた一息つくと静かにセットポジションから足を上げる。球場全体を包んでいた声援がぴたりと止む。誰もが熱さを忘れて最後の一球を見届けようとしている。小野寺も最後の一球を捕ろうと、ど真ん中にミットを構えた。それを見た水野が少し笑ったように小野寺には見えた。水野が足を踏み込んだとき、ついに最後の一球が放たれた。野球人生のすべてが集約されたそのボールは、低い唸り声を挙げながらミットへと向かっていく。相手のバッターがタイミングを計ってバットを振る。だがそのバットがかすることはなかった。


 スパァァァン!


 三年前のあのときと同じように、そのボールは小田島のミットに届いていた。その瞬間、アルプススタンドが湧き、マウンドに立つ水野の下へチームのみんなが走り出した。遅れるように小野寺も水野に向かって走り出した。


「鴇久!」

「幸樹!」


 再び二人は互いの名を叫びあうと抱きついた。そしてマウンドに集まった仲間全員で、空に向かって人差し指を突き出した。


「やったな! 鴇久! 俺たちが、俺たちが!」

「ああ、俺たちが優勝したんだ!」


 初めて二人が会ったときには考えられなかった夢物語を今日、二人はついに実現させた。小野寺は歓喜の涙を流しながら叫んだ。


「あのとき、俺はお前をあきらめなくてよかった!」


 それを聞いた水野も、もらい泣きしながら笑顔を見せて叫ぶ。


「俺も、お前に会えてよかった!」


 ワー!!


 大きな声援に包まれるようにして彼らの最後の夏が幕を閉じた。


 end


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