第四話 再戦、そして届いたボール
次の日、いつも通り若干遅刻気味の時間で水野が登校してくると、彼は小野寺が座る席に目を向けたがそこに彼はいなかった。クラスメイトに聞いてみると彼は今日休むらしいとのことだった。
そのことをただ水野は、昨日のことがショックだったのだろうなと考えていた。だがすぐに学校に戻ってくるだろうとも。しかし、水野の予想は外れ小野寺はさらに何日か休んだ。さすがにそこまで休むとクラスメイトたちが騒ぎ出した。無理もない。この前までずっと皆勤賞で、クラスのムードメーカーである小野寺が理由もよくわからないで休んでいるのだから。
その内に根も葉もない噂が流れ始めた。その中で一番の有力情報とされたのが、小野寺は誰かに恋をしていてその相手に告白したが手痛く振られ、その失恋によって休んでいるという話だった。その噂を聞いたとき水野は笑ってしまった。よく野球ではキャッチャーは女房と言われる。その女房を水野は、お前とはバッテリーは組めないと突き放したのだからあながちその噂は間違っていなかった。
夜になって自宅の二階にある自分の部屋で水野は寝転んでいた。小野寺が学校に来なくなってから彼は、自身がシニアクラブで野球をやっていた頃のことをよく思い出していた。その思い出されることとは、キャッチャーがまったく反応せずに顔面のマスクにボールをぶつけたことだった。そのキャッチャーは幸い、軽い脳震盪で済んだが、それ以来みんな水野を恐がりキャッチボールの相手はいなくなった。その後、相手がいなく孤独だった水野は半年足らずでシニアクラブを辞めてしまった。
「あれは中一のときだから二年ぶりぐらいになるのか、人に投げたのは」
決して水野の中で小野寺の評価は悪くなかった。水野が出会ったキャッチャーの中では小野寺は間違いなく一番だっただろう、なぜなら水野が初めて本気で投げた相手なのだから。今までの相手だったら最初の何球かで終わっていた。だがそれでも小野寺と組むのは無理だと言える。本気で投げられる相手でないと安心して自分を任すことなどできないからだ。自分を落としてまでキャッチャーに付き合う気など水野にはさらさらなかった。
「鴇久ー、電話ー!」
物思いにふけっていると母親の声が聞こえてきた。下から聞こえてくる母親の声に彼は一階に降りると、母親に電話を突きつけられた。面倒に思いながらも水野は受け取ると電話に出た。
「もしもし、誰?」
「俺だ。小野寺だよ」
「!?」
水野に電話した相手は学校では今噂の人物である小野寺だった。
「俺に電話って、何の用?」
「もう一度だ。もう一度、俺にお前の球を捕らせてくれ」
「いきなり何を言いだすんだ?」
内心驚きながらも冷静に用事を尋ねた水野だったが、予期せぬ返答によってまたもや驚かされることとなった。
「俺はお前とバッテリーを組みたいんだ。だから捕らせてくれ」
「何でそんなに俺にこだわるんだ? 高校に行ったらきっと俺なんかよりもっとすごいやつが出てくるだろ」
「水野、俺は言ったよな、お前とバッテリーを組みたいって」
「だから何だ?」
一瞬、間が空いた。続いて聞こえてきたのは今まで聞いたことのない真剣な想いだった。
「男に二言は無い。俺はお前に惚れた。だから俺はお前と甲子園を目指す。他のやつと組んで甲子園なんて、今の俺にはもう考えられない。俺は本気だ。捕れるまで何度だって挑戦する」
他の誰かが聞いたら何を夢見ているだと笑うかもしれない。それぐらい小野寺が言った甲子園というものはただ一介の中学生が口にできることではなかった。だが、水野は笑わなかった。笑えなかった。今まで真剣に自分と向き合ってボールを捕ろうと言ってくれるやつはいなかった。それが初めてこうして現れたのだ。そして、そいつが一緒に甲子園を目指そうと言っているのだ。笑えるわけがなかった。
「わかった。丁度明日は土曜で休みだ。明日学校のグラウンドで会おう」
「ありがとう。水野、今度こそ捕ってみせるお前の本気をな」
それだけ言うと二人の会話は終わった。切れた電話を手に持ちながら、水野は腹のそこから自分が燃えてきているのを感じていた。
「俺は全力で投げるだけだ!」
次の日の土曜日。二人はグラウンドに立っていた。水野は小野寺を何日かぶりに見たが、以前より少しばかりやつれたように見える。
「随分と目の下のくまがひどいな。休んでた間、何をしてたんだ?」
「秘密の特訓さ」
自信たっぷりに小野寺が答えた。
「そうか。それじゃ成果を見せてもらおうか」
「うわひどっ、特訓って何したか聞かないのな」
軽口を言い合いながら二人はキャッチボールを始める。
「お前が捕れたらじっくり聞かせてもらうよ」
「よし、それなら後で聞かせてやるからな。俺の愛と友情のスポコン劇を」
「特訓に愛と友情が必要なのか?」
大分肩が温まってくると、再び水野はマウンドへ向かった。小野寺もキャッチャー防具を着けて構える。今回は最初から水野は飛ばしぎみに投げた。前回ならギリギリ捕れていた速さだが小田島は難なく捕れていた。たった数日で小野寺のキャッチング能力は格段に上がっていた。これほど急激にうまくなるということは、なるほど、小野寺は本当にスポコン劇のような特訓してきたのだろう。とはいえ、そこに愛と友情も本当に有ったのかは不明である。
投げていてどんどん闘志に火が着いていくのを水野は感じていた。捕ってもらいたいと思いながらも捕らせないボールを投げようと、相反する二つの考えを持ちながら水野は球速を上げていく。
段々と小野寺の反応が遅れていくがそれでも彼は必死に喰らい付いていく。
「ふー」
十分に肩が温まったとき、水野は一息ついた。そして突如、彼の目付きが変わる。それを見た小野寺も本腰を入れてミットを構える。
「(いよいよだ。いよいよ来るぞ。あの球が)」
全身を武者震いが走った。水野が振りかぶったとき、小野寺の目には水野以外映らなくなった。水野の目にも小野寺のミット以外映らなくなった。今この世界に存在するのは間違いなく小野寺と水野だけだった。
ごくっ。
思わず小野寺は息を呑んだ。小野寺にはすべてがスローモーションに見えている。ゆっくりゆっくりと、だが着実に自分に向かって投げようと水野がモーションを起こしているのが見える。今、水野が一歩、小野寺に向かって踏み込んだ。そして後から遅れるようにして右手がやってくる。全身をバネのように使い、右手を鞭のようにしならせて振ったとき。水野の指先から力を一点に集束させたボールが放たれた。その瞬間、スローモーションに見えていた時が急速に動き始めた。あっという間にボールが自分に向かってくる。小野寺は必死にミットを動かす。そして、
スパァァァン!
痛快な音がミットを通して響き渡った。
水野の目が驚きに見開かれた。小野寺も確認するように震える手を動かし、ミットの中を覗き込んだ。すると、そこには一つの白球が収まっていた。
「小野寺!」
水野がマウンドから叫んだ。
「水野!」
小野寺も答えるように叫んだ。