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もうひとつのボーイ・ミーツ・ガール 4

 貴明と私、藤堂君と綾乃。四人のバランスが崩れるような事件が起きたのは、看護師の専門学校へ進んでから三年目の秋。

「ほう。ついに綾乃も情欲に目覚めたか」

「情よっ、なっ、お前、専門に行ってからすっごく言葉が悪くなったよなっ」

 私のからかう言葉で予想以上に楽しませてくれる反応を示す綾乃から頼まれたことは“アリバイ工作”。

 今度の十一月十五日は、藤堂君、二十一歳の誕生日。プレゼントは綾乃自身らしい。聞いているこっちがどんな顔をしていいのか困ってしまうほど照れてしまうその内容。

 藤堂君と綾乃は、ただいま戸多瀬と神奈川間での遠距離恋愛中。藤堂君がバスケのプロ輩出で有名な東洋大学に通っているから。月に一度しか会えないふたりは、どうも昨年辺りから巧くいっていない。昨年の全国大会で優勝を決めた藤堂君のミラクルシュートが、悪い意味で学校に彼を注目させた。

 恋愛禁止、なんだって。なんという時代錯誤。だけど私はスポーツに疎いから、恋愛がバスケへのモチベーションを下げるとか、欲をエネルギーに変換とか、なんかよく解らないけど、つまりは

『バスケットに専念しろ』

 そういうことらしい。

 でも、藤堂君はやっぱり私が一度は恋した人だけある。綾乃が藤堂君の将来を考えて別れ話を切り出した時、即答で怒鳴り散らして拒否ったという、漢。

『ふざけんなっ。何勝手に決めてんだコラっ。ずっと隣で応援するって言ったのはこの口だろうがっ』

 って、その口を封じられたらしい。そういう肉食なところが笑っちゃうほど藤堂君らしい。

 ミラクルシュートな藤堂君は、あちらでは有名になったらしく。綾乃みたいなキレイな心にも、嫉妬が宿ってると初めて知った。

「みんな、すっごいキレイでおしゃれで、言葉遣いもすげえ女らしくて。雅之の関心を惹くのが巧いんだ。だからなんか……心配」

 そんなことで繋ぎとめようとするアタシってずるくて汚いかな。そんな言葉に私がイエスと言うと思って?

「心配するのは、好きだからでしょ。私から見れば、全然心配するようなネタじゃないんだけど、その心配ごとの内訳って」

 居酒屋でちびちびとサワーを嗜みながら、呆れ返った内心を殺して綾乃をなだめた。

「だって、何度か応援に来てただけの知らない人なのに、だよ? フツー抱きつくとか、それをヘーキでさせとくとか。信じらんねえ」

「ファンサービスよ。K製鐵からスカウトがもう来てるんでしょう? プロの自覚が芽生えて来てるってだけのことよ」

「でも。だけどさ。アタシには雅之の奴、そのえっと……」

「は……ぁん、そゆこと。藤堂君、全力で体育会系だからねえ。ケダモノの自覚があるから単純に耐え忍んでるだけじゃない?」

 ちっとも進展がないとぼやく綾乃へ、私はそんな私見を口にした。大事なものほど汚せない。それはきっと男の人の殆どが抱く心情じゃないかしら。だから貴明も綾乃には……って、あ、なんか今ウザい自分が出て来た。考えるのは、やーめよう。

「いいわよ。家に泊まったことにしておいてあげる。お風呂とか言って折り返し電話すればいいんだし。ケータイの電波だけ気をつけておいてね」

「ありがとっ。ごめんな。なんか朋華の独り暮らしを利用してるみたいで、ホント、ごめん」

「東京ばななふた箱で手を打ってあげる」

「ふた箱って……お前、デブるぞ」

「看護師は体力勝負なの。デブる前に消費し切ってやるわよ」

「まだ研修生の癖に」

「うっさいわね。年明けからホントに実習なのっ」

 ああ、やっと綾乃が笑ってくれた。まったく世話の焼ける子なんだから。

 私はとっても欲張りだから。恋と友達を天秤に載せることなんて出来ない。どっちも失いたくないから、貴明とはセックスフレンドの関係を確保したまま、綾乃ともこうしてつき合ってる。

 愚か者は綾乃でも藤堂君でも貴明でもなく、貪欲過ぎるこの私。

「藤堂君のこと、肉食とか偉そうに言えないわね」

 へ? と真顔で不思議がる綾乃の乳臭さが、この頃益々羨ましい――。


 そして当日、十一月十五日の午後。ゼミ中にケータイへ綾乃からメールが届いた。

『二泊って頼んでいたけど、今夜帰るから、一泊分のアリバイだけでいいや。雅之、大学の人達とどっかへ消えちゃった。あと、ごめんな。望月を借りてる。行きしなにバッティングしちまって、ゲロさせられたらついて来ちゃった。お父さんにばらすとかされるとまずいし。その、ホントごめん。迷惑ばっか掛けちゃって』

 ああ、凹んだ口調。ゴメンの連発。バカ綾乃。そしてもうひとりのバカの顔が思い浮かんだ途端、私の目が剣呑に細められていく。その様を見つめていたケータイのモニタがうっすらと映し出した。


 ゼミが終わって速攻外へ。急いでケータイを取り出し綾乃の番号を引っ張り出す。

『朋華? 今はゼミじゃ』

「人の心配より自分の心配! まさかこっちに帰ってる途中じゃないでしょうねっ」

 違うという言葉を聞いて、まずはほっと胸を撫で下ろした。

「いい? ちゃんと藤堂君とお祝いしてから帰って来なさいよ。藤堂君は、全部両立してみせるって言った手前、学校関係の人をないがしろに出来ないって解ってるんでしょう? それから独りで藤堂君との合流を待っていたら、どうせろくなことを考えないから貴明と暇潰しでもしてなさい。反論不可! 返事は?」

 ひっく、とひとつだけしゃくりあげる声が聞こえた。

『なに、怒ってんだよ……』

 ああ、もう世話の焼ける子、本当に。

「歯痒いのよっ。近くにいたらガッコを抜け出して引っ叩いてやりたいくらいに、あなたのウジ子がクソ歯痒いっ」

 しばらくの沈黙後、ぶふっ、と噴き出す声が聞こえて来た。

『へへ……朋華と話してると、なんかグジグジしてるのがバカらしくなって来る』

 ありがと、なんて、何よそれ。今度はこっちの方が絶句した。

『考えてみたら、仲間内のみんなだって、雅之が今日誕生日だって知ってるんだよな。日にちをずらせばよかったんだよ、アタシが』

「馬鹿ね。ホントお人好しの大馬鹿なんだから。ぶっちゃけ仲間なんてその場限りの存在なのよ、大概が。あなたは藤堂君にとってそういう存在じゃないでしょう? ちゃんと合流しなさいよっ」

 小さな声で、何度も何度も「うん」という呟きが聞こえる。くしゃくしゃの顔をして子供みたいに頷く綾乃が目の前にいるかのように感じてしまった。

『一応待ってみるけど、もし無理っぽかったら一泊だけして帰るね。この時間だと夜中に着く感じになっちゃうし』

 そう予定を告げる声は、少しは元気になったって感じかしら。

「そうね。一度本当にこちらへいらっしゃいな。来る前に連絡をしなさいね。一泊でも二泊でも、とにかく辻褄を合わせないと」

『解った』

 そんな綾乃の声の向こうに、むかつく男の声が微かに被さった。

『綾乃。せっかく来たんだから、夜景くらい見てから帰ろうよ』

 似非兄貴。偽善者。脳内にそんな言葉がくるくる踊る。

『あ、ごめん。そういう訳だから、一泊ってことでお母さんからもし電話が来たら、口裏の方、よろしく。ごめんよ』

 急に綾乃の声が完全復帰した。あいつに心配を掛けて、私をほったらかして余計に時間を取らせない為、なんだろうな、やっぱ。

「バカ貴明。綾乃を襲ったらブッ殺してやるからね」

 切れた電話に向かって、私は幼稚なことを小声で呟いた。

 これは嫉妬? それとも綾乃がいつも誘発させる保護欲、っていう奴?

 切れた電話に聞いたところで、答えが返って来るはずもなく。

 午後のゼミは殆ど頭に入らなかった。携帯が鳴るのばかりを気にしていた。


 綾乃から電話があったのは、ゼミを終えて同じゼミの子達と居酒屋で夕食がてらに飲んでいる時。

『タカのお陰で、雅之と合流出来た』

 綾乃が昔みたいに貴明をそう呼んだのは、十年以上振りっていうくらい久々のことかも知れない。照れ臭そうに零した綾乃のそのひと言だけで、私は状況を充分に察知した。

「よかった。ちょっと、藤堂君に替わりなさい」

『へ?』

「へ、じゃないのっ。あなたじゃなくて、藤堂君にお説教したいことがあるの」

『え、あ、でも』

「いいからさっさと替わるっ」

 藤堂君にも聞こえるように、わざと怒鳴り散らしてやった。予想どおり藤堂君が綾乃の電話を取り上げたらしい。

『誰だ、お前。何綾乃に喧嘩腰な声出してんだよ』

 うわあ……懐かしい。昔より随分と低い声になっている。でも。

「綾乃じゃなくて、あなたと喧嘩する気満々なの私。朋華よ、覚えてる?」

 もう藤堂君の声を聴いても、キュンともツンとも痛まない。

『ともか? って、あーっ! みんなから嫌味こかれてた似非お嬢』

 酷い言い草と覚えられ方。私ってその程度にしか藤堂君の記憶になかったのね。目の前にいたら引っ叩いていただろうと思うくらい、胡散臭いものを見るように目の細まっていくのが自分で判った。

「もう少し頭を働かせなさいね。自分の知名度を考えたら、仲間内や周囲の人が何かしてくれるんじゃないかとか想像つかないの? 根回ししておきなさいよ、男でしょう? 何綾乃に全部お膳立てさせて甘えてるのよ。次にそんなことがあったら、今度こそ貴明に綾乃を持っていかれちゃうわよっ」

 何かと貴明をライバル視していた藤堂君にこれは利くはずだ。と思ったのだけれど。

『あ~、それは、ないわ。けど、泣かせたのは悪いと思ってる。悪いな、お前にも迷惑掛けちまって』

 何? なんなのそのヨユー。むかつくくらいカッコイイじゃないのよ。まるで私がお節介ばばあみたいでバカでしかないとしか思えないくらい。

「わ、かってるなら、いいのよ」

『ってかさ、望月はお前の彼氏だろ? 帰るって言ってたからさ、いつまでも廉兄ちゃんの代理をさせてて悪かった、って。伝えておいてくれるか?』

 なんだ、カッコよくない。綾乃と同じで、まるで貴明の本心に気づいてない鈍感男なだけなのね。

「……随分カッコ悪い人になったのね、藤堂君」

 うっせぇ、という声が聞こえた気がしたけれど、それを無視して通話を切った。

 勝手にいちゃついてればいいのよ、あのバカップルはそれで幸せなんだから。

「……行かなくちゃ」

 頭がよ過ぎて機転が回り過ぎて、理論理詰めで考え過ぎて、キモチってものに鈍感な、もう独りのバカ男のところへ。

「へ? 何、朋華。急用でも入ったの?」

 ケータイをバッグに納めて上着を取り上げた私に向かって、一緒に飲んでいた子達が残念そうな顔で訊いて来た。

「うん。要介護のバカをひとり面倒見なくっちゃ。精算、よろしく」

 不遜に皆を見下ろして、諭吉を数枚テーブルに置く。ドタキャン料込みでこれだけあれば、財布代わりとして私にも声を掛けたこと、後悔しなくて済むでしょう?

「ばーか。顔に男絡みって書いてるわよ」

「細かいこと気にしてないで、さっさと行きなさいよ」

「今の内に捕まえておかないと、あとの男ゲットの機会なんて病院くらいしかないからね」

 口々にキツい言葉で、やんわりと私の勘違いを諭す子達。

 誰も「トモダチでしょ」なんて言わないけれど。

「……ありがと」

 初めて誰かにそんな言葉を口に出せた気がする。

 私は一度出した諭吉を一枚だけ残し、残りを急いでポケットに捻じ込みながら、慌てて居酒屋を飛び出した。


 ああ、貴明や藤堂君のことをバカなんて罵れない。

「タイムラグを考えなさいよ、私」

 望月医院がまだ開いていたので、そちらから貴明の呼び出しを頼んでみたが、まだ帰っていないとのこと。

「てっきり朋ちゃんと一緒だと思っていたのに。あの子、どこへ行ったのかしら」

 受付を担っている貴明のお母さんが首を傾げる。

「別に急用じゃないので、メールで連絡を入れておきます。もし連絡があれば、こちらにも連絡入れるよう伝えておきますね」

「ええ、ありがとう。まあ男の子だし、そう心配はしていないけれど、いつも行き先を言っていく子だから珍しいな、と思って」

 貴明のお母さんには、私、そう悪い印象ではないらしい。長続きしているから、結婚するとでも思っているのかしら。マザコン疑惑を私に抱かせないよう、突き放すような物言いがすごくわかりやすい。気のいいお母さん、嫌いじゃない。でも、私じゃあダメなのよ。

「じゃあ、失礼します」

 お母さんの配慮には、気づかない振りをして病院を出た。


 貴明の借りている青空駐車場へ足を向ける。田畑しかない農道を、月明かりだけを頼りにぽつぽつのんびりと歩いていく。かかとの高いブーツの音が、コツン、コツン、と響き渡る。私にはその音が、カウントダウンしている音に聞こえた。なんのカウントダウンか、って? それはね。

「潮時、だよね」

 実らない片想いをごまかす為の、まやかしの恋人ごっこなんて。男の人って、繊細。いつまでも片恋を引きずってる。私はとうの昔に藤堂君から卒業したのに。

「貴明もいい加減に、綾乃の人生の脇役をやめて自分の人生の主人公しなくちゃね」

 これ以上瞳が濁る前に、私から解放してあげなくちゃ。

 駐車場には思ったとおり、まだ貴明のカウンタックが戻って来てはいなかった。

 オーナーのいないその空き地に、ぺたりと尻をついてへたり込む。

「……え……っ」

 今の内に、泣いておこう。貴明が気兼ねなく泣けるように。

「え……っ、え……ぇ……」

 いつの間にか、私の大好きな人は、藤堂君じゃなくて貴明になっていた。

 もっとキレイな形で、もっと素直な形で、彼氏、彼女の関係になりたかった。今更悔やんでも遅かった。

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