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もうひとつのボーイ・ミーツ・ガール 3

 高校に行きさえすれば、もう藤堂君と綾乃のいちゃつくのを見なくて済む。清々すると思っていた。

 そんな概念すら薄れた頃、高校二年の夏休み明け早々、突然私は過去へタイムスリップさせられた。

「と、朋華っ。お前に、その、は、話が……ある、んだけど……」

 駅を降りて改札を抜けると、そこにものすごく大嫌いな女が大股開きで通せんぼするように立っていた。態度と口調のギャップがバカみたいに正反対で、私は思わず絶句した。

「頼みが、じゃなくて、まずは、あの、ゴメン!」

「は?」

 固まった喉と唇がようやく溶けた。けれど、謝られるいわれもなければ、関わりさえも殆どない。

 私にハテナマークを幾つも浮かばせるような、奇妙な行動を取る女。まだ不快指数MAXとも言える九月頭の夕刻に私を迎えたのは、宮下綾乃――藤堂君の彼女だった。


 駅の裏にある古びた公園。そこで暑苦しい中ブランコをこぐ私。その前に立ちはだかるとか、つくづくあなたってバカ? と言いたくなるのを必死で堪える私がいたりする、なう。

「ま、雅之はモノじゃないんだし、ゴメンとか謝るとかおかしいって思って、アレだけど」

 そんな言葉に続いて綾乃の口から飛び出した言葉は、私の虚をついた。

「朋華はほかの女子と違って、雅之を冷静に見てたから、あいつのバスケを本気で応援してくれてるファンだって勘違いしてたんだ。その、ホントにガチで好きだったとか、あとで望月から聞いて初めて知って……ゴメン」

 ちょっと、土下座とかやめて欲しい。まるで私が苛めてるみたいじゃないの。ほら、髪が砂で汚れるから。

 ――っていう言葉は私の脳内だけで紡がれていた。

「でも、本当に……雅之だけは……あいつがオレを必要としてる間だけは……朋華、ホントに、ごめん」

 熱で乾き切った砂に、まあるい染みがひとつ、ふたつ、みっつ……あ、数えるのが面倒臭い量になって来た。やーめた。

「頭、あげなさいよ。みっともない」

 やっと出せた声は、いつもより私らしくなかった。あげた彼女の顔を見て、私は女の癖にどきりとした。なんだか少しだけ、貴明の気持ちが解った気がする。

「なんて顔してるのよ。藤堂君と喧嘩でもしたの」

 今にもまた能面に戻ってしまいそうなほどに苦しげな顔をした綾乃を見たら、そのまま置いて帰ることが出来なかった。

 小さくこくりと頷く彼女に、仔細を話せと命令する。

「お、襲われたぁ?! で、ブン殴って逃げたぁ?!」

 それも、藤堂君のお母さんにばれて、ダブルパンチだったらしいイン・ザ・藤堂君の自宅。

「望月が巧く話を纏めてくれて、お母さんにはばれてないけど、でも雅之ともう会う度胸がなくて」

「なんで。嫌いになったわけじゃないんでしょう」

「うん……だけど、怖い」

「何が。だって考えてみなさいよ。私達、もう十七よ? つき合ってるならそういうことがあっても変じゃないでしょ」

 寧ろ綾乃の乳臭さが異常だと私は思う。思ったままそう言ったら、綾乃の顔がまたくしゃりとゆがんでパタパタとうっとうしいものを零し出した。

「雅之にも、言われた。……おままごとみたいなのはもうたくさんだ、って……だけど、そういうんじゃなくて……なんで信じてくれないんだ」

 そんなことしなくっても、オレの気持ちは別々の高校へ行ってても変わってなんかいないのに。

 腹が立つ。そんなこと言う綾乃が可愛く見える。ああ、もうホントに腹が立つ。

「朋華に教えてもらおうと思ったんだ。どうしたらそんな風に女らしくなれるか、って」

「は? 何いきなり持ち上げてんの?」

「そういうんじゃないんだ。ほら、オレがあんまりにも色気ないし変わり映えしないから。だから信じてくれないのかな、とか」

 そんな愚痴を貴明にも零したらしい。そして貴明の答えは。

「そんな弱気だと、朋華に藤堂を取られるよ、ですって……?」

 臓物がひっくり返る感覚ってのは、きっとこの状態を言うんだわ。

「朋華?」

 気づけばブランコから立ち上がり、私は綾乃を立たせて乱暴な手つきで彼女の膝についた砂を払っていた。

「行くわよっ」

「え、どこへ」

「隣町のデパートよっ。服、私が見立ててあげる。それからあなた、オレってのもいい加減に直しなさいっ」

「って、え、だって、朋華ってば今帰って来たところ」

「藤堂君を取るわよ!」

「やだ!」

 もうやだ。こっちが言いたい。強く彼女の腕を掴んでいた手から、一気に力が抜けてしまう。勢いのままにガツガツ歩いていた足が、勝手にピタリと止まってしまう。

「あなたね、貴明に発破掛けられたってことくらい気づきなさいよ。別に藤堂君なんて気にもとめたことないわ。それと、貴明、あれは私の男だから」

「……」

 何、その沈黙は。

「ええええええええええええええええええええええッッッ?!」

 戸多瀬の夕空に、綾乃の絶叫が轟いた。


 今日のお礼にと綾乃がマクドナルドをゴチってくれた。こんな店に入るのって、実は初めて。なんだか独りでは入りにくくって。

「オ、あ、アタシ、ほかに朋華に出来ることって、あるか? なんでもするっ。すっげぇホントに嬉しかった」

 “オレ”を“アタシ”に変えようと頑張ってるだけで、本質をまるで理解してない綾乃がキラキラした目でまっすぐ私を見つめて言う。

「……じゃあ、貴明に私がつき合ってるってこと綾乃にばらしたのをナイショにしておいて」

「なんで? 隠すような疚しいことじゃないだろう?」

 ああ、解った。この子、藤堂君とよく似てる。キレイ過ぎて自分とは違う世界に生きてるみたい。

「あんな小さな町で迂闊にばれてごらんなさいよ。それこそ私、お父さんに東京へ強制連行されちゃうわ。だから貴明も万が一を考えて綾乃にも話さなかったのよ。私との約束だから」

 なんてその場凌ぎの適当なウソなのに。まっさらな綾乃はまるっと丸ごと信じ込む。

「あ、そっか。お父さんって、娘が一等可愛いもんなんだって。家のお母さんも、だからまだお父さんには雅之とのこと話しちゃダメだって言ってるんだ」

 出た、無自覚なノロケ話。だけどまあ許してあげる。助けて欲しいっていう追い詰められた状況の中、ほかの誰かじゃなくて私を指名したっていう、綾乃にしては懸命な判断に免じて許してあげる。

「ま、そんなところね。それよりあなたこそ、どうして藤堂君を信じてあげられないのかしら」

 懇々と説教をかましているバカな私。あの藤堂君が、今更殴ったくらいで見放すほど綾乃のことを適当な感じで想ってるわけじゃないでしょう、とか。ちょっとは恋愛ものの映画やドラマも見なさいよ、とか。帰りにDVDのレンタルショップにまでつき合って、私のお気に入りなドラマや映画を選んであげたりまでして、バカみたい。

「朋華っ」

 別れ際、踵を返した私の背にそんな呼び声が降り注ぐ。

「なに」

 よく通る澄み切った声で呼び捨てられたことが嬉しい癖に、剣呑な視線で振り返ってしまう。

「ありがとうな。あのさ、また、その」

 相談してもいい? なんて。

「バッカみたい。いちいち断る? フツー」

 好きにすればと吐き捨てる。そのまままた家路に向かって歩き出す。

「ばいばーい、またなっ。お前も何かあれば、電話かメールしろよっ。望月と喧嘩したら、いつでも加勢するからなっ」

 バカ綾乃。アホ女。秘密だっつってんのに大声で言うんじゃないわよ。あなた、自分が応援団の副団長をしていた声の実績を忘れてるんじゃないの?

 心の中で、ありったけの悪口を綾乃に向かって連ねまくる。なのに気持ち悪いくらい、頬がびしょびしょに濡れる。せっかくのメイクが落ちちゃうじゃないの。それもこれも、みんな全部、綾乃の所為なんだから。

「バッカじゃないの。トモダチごっこなんて、ガキじゃああるまいし」

 豆電球の外灯しかない薄暗い田舎の農道を、私は鼻をすすりながらとぼとぼと歩いて帰っていた。

 なんだかものすごく、貴明に逢いたくなった。

“暇だから。そっちにその気があるなら、逢ってあげてもいいわよ”

 自分で連ねた言葉を読み返して、その可愛げのなさに溜息をつく。

「藤堂君の代わりってだけなんだから」

 バカみたい。ホント、何やってんのかしら、私。

 打ち込んだメールは送られることなく、濡れた私の親指一本で削除された。

 ――そんな弱気だと、朋華に藤堂を取られるよ。

 貴明がまだそんな風に思っていただなんて、初めて知った。どうしてこんなに胸が痛いのか、涙が止まらないのか解らない。

 その夜は、深夜貴明から届いた「おやすみ」メールに返信を送る気になれなかった。




 この町から出たいなあ。戸多瀬はお母さんが生まれ育った場所だけれど。私の生まれ育った場所でもあるけれど。なんだかとても、居心地が悪い。

 そんな風に感じ始めて、じゃあどうしようかと考えてみて。久し振りにお父さんと電話で少し話をした。

『看護師を目指そうと思います。跡を継ぐ気はありません』

 そんなメールを送ったら、速攻で家電がけたたましく鳴った。ヘルパーさんが少し蒼ざめた顔で受話器を渡して来たから、お父さんが不機嫌だということと、本題がメールの内容についてだとすぐに判った。

『久し振りにお前から連絡をして来たかと思えば、いきなり何を言い出すんだ』

 ここはひとつ下手に出た方が、私の意向がとおるかな。

「馬鹿馬鹿しいって思うかも知れないけれど、ちょっと最近の心境を聴く時間はありますか」

 そんな切り出しで、心境を語った。綾乃へのお節介がきっかけで、実は意外と私自身が世話をされるより世話をする方が好きな性分だと知ったこと。看護師と決めたのは、痴呆が進んだおばあちゃんに具体的な支援が出来るからとか、おばあちゃんをすべてにしてしまうのではなく、それ以降もそのスキルを活かすのであれば看護師という職が最適であるという現実的な将来に基づいて決めたものであって夢物語にするつもりがない、ということなどなどなど。

『……朋世の娘だな』

 久し振りに、お母さんの名を呼ぶお父さんの声を聴いた。懐かしむようでいて、少しも寂しさのない、だけど温かに感じられるバリトンの声。

『考えた上でのことならいい。私に似て突発的に思いついたことで暴走している訳じゃないなら、それでいい』

 意外なほどあっさり認めてくれた。そのことにも驚いたけれど、お父さんの声が温かいと感じてしまった自分の心境にはもっとずっと驚いた。

「……英美さんと、仲よくやってる?」

 後妻さんの名前を口にするのは初めてだった。お父さんは驚いたんでしょうね。しばらく返事が返って来なかった。

『ああ。相変わらず面倒を掛けている。たまには東京に出て来て、あいつの私に対する愚痴でも聞いてやってくれるとありがたい、かな』

 押しつけがましくない物言いが出来るようになったのね、この人も。なんて生意気なことを思った。

「思春期もおしまい、ってところかな」

 通話を終えて受話器を置く時、そんな独り言がころりと落ちた。


 それから一年の間に、おばあちゃんは私が戴冠式を迎えるのを待たずにこの世を去った。お父さんの妻であって、私やおばあちゃんとはなんの所縁もないのに、英美さんが身内としてお葬式に来てくれて、あれこれ細かいことをしてくれた。

「ありがとうございます。何も知らない子供だ、って今回は嫌というほど実感しました」

 それは素直な気持ちだった。そりゃ戸多瀬のみんなが助けてくれたりもしたけれど、影でどう言われているか知っている私としては、借りは少しでも少ない方がいい。英美さんも、お父さんを含めて自分までここの人達にどう言われているか知っているだろうに、それでも足を運んでくれた。町の異端は独りよりも、ふたりの方がまだ心強い。

「ううん。でしゃばりだったかしら、とも思ったけれど、お父さんがどうしても仕事を休めなかったから」

 そんなお父さんからは、おばあちゃんに宛てた分厚い手紙が英美さんを通じて届けられた。私はそれを開封しないまま、おばあちゃんの棺に入れた。届けられたそれは、きっとまだ仏様になっていないおばあちゃんの魂が知るところとなって、そしてきっと喜んでいるに違いない。デバガメしたら、おばあちゃんに怒られちゃうと思ったから、そこは婿と姑だけの秘密、ということで。


 全部が終わったあと、綾乃と貴明がそれぞれ心配して様子を見に来てくれた。

「お疲れ」

 貴明は、ただそれだけ言った。相変わらずにやりとした皮肉な笑みを浮かべたままで。

「別に。英美さんが面倒なことを殆どしてくれたし」

「心配のない親孝行な娘役の演技に対してお疲れさん、って意味」

 貴明の肩に、ぽすんと私の頭が載せられる。反射で彼の背に腕を回してしまう。

「……っ」

 初めて誰かの前で涙を流した。やっと独りぼっちになってしまった悲しみという名の膿を洗い流すことが出来た。


「ちっくしょ。望月に先を越されたっ。お前とつき合ってるのがバレちゃまずいと思ったから出遅れちった。ごめんな」

 まだナイショなのかよ、と不満げに言う綾乃が小憎たらしいほど可愛くて。

「少しは頭が回るようになったじゃないの。望月家を偵察してから出て来たのね」

 そう毒づいて、ふふんと鼻で笑ってやると、綾乃はようやく笑顔を見せた。

「なんだよ。もう望月に元気もらったのか。ちぇ」

 ちょっとぎこちない笑みだけれど、それも私の栄養源。素直になれている不思議。おばあちゃんの置き土産かな。

「あいつと喋ってると怒りの方が先に立つからね。落ち込んでる暇なんてないわよ」

「は? なんだそれ」

「喧嘩するほど仲がいい、とでも解釈しておいて頂戴」

「い、意味わかんねえ。どっちかっつうと望月も朋華も鼻で笑って流すタイプじゃん」

 冷戦状態で喧嘩とか? アメリカと旧ソ連みたい、なんて例えに本気で噴いた。

「勉強頑張ってるのね、相変わらず」

「な、何笑ってんだよっ」

「例えが古過ぎてかび臭い」

「き、教師目指すって決めたんだから、色々覚えておく方がいいんだよっ。笑うなっ」

 なんて言いながら、ほっとしているのがよく解る。ぎこちなかった綾乃の笑みが、いつもの向日葵みたいな明るさに変わった。そんな綾乃を見ていたら、なんだかこっちの頬も自然な笑みをかたどれるようになっていた。

 藤堂君がバスケットの選手を目指す傍ら、引退後の進路も考え教職免許を取る為に、教育学部を受験するのだと初めて綾乃から知らされた。

「ついていくんだ」

「うん。あいつとおんなじものを見ていけたらいいな、って」

 その素直さが羨ましくて、愛おしい。私にはないものだから。

「私も看護師を目指すことにしたの。隣の町へ引っ越すわ」

「そっか。望月医院に就職希望?」

「ああ。その手もあるわね」

 なんてね。実はそれが大目的だったりなんかするんだけど、綾乃にはやっぱ、速攻見透かされてしまったみたい。

「とか、またとぼけてるし。素直じゃねえな、朋華は」

 綾乃には、言えない。貴明はあなたが好きなのよ、なんて。だから苦笑でやり過ごす。素直じゃなくていいの、私は。欲張ると、また独りぼっちになってしまうから。ちょっとゆがんでるけど、貴明が友達としているんだし。妹みたいな可愛い友達がここにこうしているんだし。

「私はこのままでも充分幸せだもの。だから別に素直になる必要ないの。持って生まれた才能ね」

 幸せって才能で決まるのかよ。綾乃はそう言って苦笑を零した。

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