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もうひとつのボーイ・ミーツ・ガール 2

 藤堂君は、女子の人気を貴明と二分する存在だ。

 決して背は高い方ではないが、そんなのがどうでもいいと思えてしまうくらい、とにかく快活でいつも笑っていて、子供みたいな(って子供なんだけど)笑った顔が仔狸みたいで可愛い、というのが主な理由。

 だけど頭にバカがつくほどバスケットボールにご執心で、恋とかエロとかとはあまりにも縁がないし、一年の頃には何人かが彼に告白を試みたらしいのだけれど、一貫して

『俺、バスケ以外に恋人とか要らないし』

 と昭和な回答を寄越すと言う、そんな硬派なところも貴明と異なる意味合いで人気のもとだ。


 一方の貴明は、いかにも生徒会長という感じ。物腰が柔らかくて人当たりもよく、先生からの評価も高くて、女子に人気がある割には男子の敵が殆どいない。

 唯一の敵と言えば、藤堂君だったりする訳で。それもまあ、言ってみれば藤堂君の一方的なライバル心というか、あまりにも対極で生理的に貴明みたいな模範的なキャラを受けつけないといったところなのか。

 でも、私だけが知っている。貴明の本当の黒い部分。

 以前、あんな綾乃なんかにでも、思いを寄せる男子が何人かいた。そう、小学校から同じ学区だった男子だったら知っているから。あの能面みたいな無表情は、自分が道路へ飛び出した所為で廉さんを死なせたという自分を責めている気持ちの表れだってことを。

 あの顔を笑顔にしたい、ということなんでしょうよ。下心を隠して何かと遠回しに綾乃に話し掛けていく男子が何人かいるにはいた。

 そういう奴らにさりげなく牽制を掛けているのが、望月貴明、あいつだ。言葉巧みに、でも暗に「自分以上に綾乃を理解している人間はいないから退け」と言っているようにしか聞こえない台詞を偶然目撃して聞いたことがある。

『一緒に暮らしてた俺でも、綾乃をどうにか出来ないのに。その気持ちにまるで綾乃が気づいてやれなくて、ごめんね』

 まるで自分のモノみたいな物言い、それが当然と洗脳させられそうな自信たっぷりの能書き。デバガメがばれた瞬間に見せたあいつの顔を、私は未だに忘れられない。

『やあ、同類。見ていたなら加勢してくれればいいのに』

 汚いものを見るような目で、わざと細めて顎を上げて見下ろした恰好を取って……とてもゆがんだ笑みを零した。

『そうしたら藤堂のこと、協力もやぶさかじゃないけどね』

 ですって。思い返してみれば、貴明が変わり始めたのもやっぱり、廉さんが亡くなってからだったと思う。

 藤堂君に対するものとは正反対の意味で、インパクトのある見知らぬ男子だ、と思った瞬間だった。




 三年最後の秋、藤堂君の地区大会決勝戦敗退の日。それは私の失恋記念日にもなった。

 試合が終わって、みんなが着替えて体育館から出て行ったあとも、藤堂君は独りボールをゴールへと投げていた。

 シュンっ、と鋭い音がしたかと思うと、ボールが吸い込まれるようにゴールの中へと入っていく。

(どうして試合中に入ってくれなかったのよ)

 心の中で、何度も彼の手にしているボールに恨み言を零していた。

 卑しい私は、チャンスだと思った。彼が弱ってる今なら、声を掛けられるかも知れない。

 そう思っただけで、心臓がドクドクと早くなる。足がガタガタ震えてしまう。こんなの私らしくない。何度もそう自分を叱るのに、体が言うことを利いてくれなかった。バカみたいにただ裏口の影から彼の背中を見るだけで。

『雅ゆ』

 正面入口から、そんな声が聞こえてぎくりとした。

(綾乃……あんた、応援団員はどうしたのよっ)

 私の心の声なんか聞こえるわけがない。綾乃の視線はただ一点に集中していて、私なんか眼中に入ってない。綾乃は男女の癖に、私と同じ目で私がずっと見つめていた先を見つめていた。

『ばーか……。なんでお前が泣いてんだよ』

 私は思わず息を呑んだ。藤堂君の涙なんて、初めて見た。

 あの藤堂君を素にさせる存在。いつも喧嘩ばかりしていたふたりなのに。いつの間にそんなに親しくなったのか、私はなんにも知らなくて。

『俺は、綾乃が女の子だって知ってる。兄ちゃんの振りしてることも解ってる。自分のことを本当は名前で呼ぶってことも……お前のことはずっと全部、小っちぇえ頃から、知ってる』

 彼が女子を名前で呼ぶのは、何も特別なことじゃなくて。そんな小さなショックよりも、私が綾乃と同じ小学校へ通っていたあの頃に、綾乃はもう藤堂君と出会っていたということの方がものすごくショックで。

『無理して“オレ”とか言ってんじゃねえよ。綾乃に戻れ。そういう顔して俺を見るなら』

 彼の腕が、綾乃に伸びる。あのバカ女が彼の気持ちと勇気を台無しにする言葉を吐く。

『ちょ、待っ、う、ぇお? んーっ!』

 失恋って、泣けるものだと思ってた。だけど実際、少なくても私の場合は、泣けるようなものじゃあなかった。

(ずるい……。私の方が、綾乃なんかより、ずっと、もっと)

 浮かび始めた言葉は、風を切るように駈けていった誰かによって邪魔された。

(え……あ)

 ほんの一瞬しか見えなかったけれど、そいつのあんな感情を剥き出しにした顔なんて初めて見た。驚きのあまり、声を掛けそびれた。それはきっと今の私とそっくりそのまま、同じ顔。怒りとも憤りとも口惜しさとも言えるようで言えない、複雑怪奇な横顔に絶句した。まるで大切な宝物を壊されたと言わんばかりの顔、とでも言えばいいのかしら。対象は私と違うけれど、ない交ぜになった気持ちが眉間に出来た皺へすべて集約しているような横顔だった。

『もぎゃああああああ!!』

『はーい、下校時刻はとっくに過ぎてまーす』

 一陣の風、それは貴明だった。貴明から渾身の跳び蹴りを食らった藤堂君が、バスケットボールに負けない勢いで体育館の反対隅まで転がっていく。さっき一瞬見せた表情は貴明の顔を見てももうどこにもなくて。だけど明らかに彼は、藤堂君に牽制を掛けていた。

『誰も“手を貸す”なんて言ってないだろ? それに“手を出さない”とも、ひと言も言ってないよ』

『望月ーッッッ!!』

 余裕たっぷりに宣戦布告をしている貴明。嫉妬で怒り狂って綾乃に触れる貴明を止めに入る藤堂君。

(バッカじゃないの。帰ろう)

 悔しいのは、貴明との賭けに負けたことじゃない。私は、あんな戯れを思いついて口にした貴明のバカさ加減が、そしてそれに乗ってしまった自分自身の浅はかさが、どうしようもないほど悔しかった。

 敢えて言い訳するとすれば、藤堂君の失恋が私にとってのチャンスだと思ったから。綾乃を貴明が、藤堂君を私が励まし慰めることで心の距離を縮められると企んだから乗ったのに。

 だから、涙も出なかった。自業自得で流す涙ほど見苦しいものなんてないわ。

 私は仔犬みたいにじゃれあっている三人を一瞥してから、力なく体育館を立ち去った。




 巷がバレンタインデーだと浮かれている日。戸多瀬の真ん中を横切る戸多瀬川の橋の下で、こっそりと待ち合わせている綾乃と藤堂君を盗み見るのが習慣になっていた頃。

(何やってんだろう、私)

 これじゃ落ちぶれた惨めなストーカー女。解っているけど、とまらない体。勝手に先回りして待ち伏せてしまう。いつ壊れるんだろう、って心のどこかでまだ未練がましい期待を燻らせてたバカな私。

「マジ? 綾乃の手作り?!」

「手作りっつうか、ほら、えっと、溶かして型に流し直しただけっつうか」

 そんなお手軽なチョコで喜ぶな、藤堂君の大バカモノ。私ならちゃんと料理用のチョコレートに味をつけて、愛情もたっぷりふんだんに盛り込んでプレゼント出来る自信があるのに。

 いそいそとじれったそうに包みを開ける藤堂君。開かれた中を見れば、ホント、ただのチョコレート。そのシンプルさは男子でもドンビキよ。壊れてしまえ、チョコも綾乃と藤堂君の幼稚な恋も。

「うわぁ、うわあ……初めてチョコもらった!」

 ウソおっしゃい。下駄箱に入れたことあるわ、私。匿名でだけど、一度だけ。それに下校時間が遅くなったのは、女子からもらったチョコをゴミ箱へ捨てた所為で職員室に呼ばれたからでしょうが、藤堂君。

『ガッコに勉強道具以外は持ち込み禁止なんだろ。俺が持って来たわけじゃねえし』

 そう言って先生にゴツンとされていた。だからってゴミ箱に捨てるもんじゃないだろう、というテンプレートなお説教。

 ばっかみたい。綾乃のあんな色気も愛情もこもってないチョコなんかの為に、先生からゲンコツ食らって下校時間を遅らせるなんて。

「ウソばっか。お前毎年職員室に呼び出し食らってるじゃねえか。職員室での話、丸聞こえだったぞ。チョコが嫌いなら無理すんな。形だけだから。だからもうみんなの前でチョコくれとか……って、もう今年で卒業じゃん」

 真っ赤な顔して義理チョコだなんてウソをつく綾乃なんか大嫌い。そう思いながら眺めている、もっと本質的なところでウソつきな私。

「無理じゃねえよ、食う食う。あ、綾乃、一緒に食おうぜ」

「ここで?」

「ここで。ほい、口あけな」

 頭にクエスチョンマークが浮かんだのは、綾乃だけじゃなくて私の頭上にも。彼女が不思議そうな顔で口をあけ、差し入れられたチョコをかぷりと歯で噛み支えて口を閉じた。その瞬間、突然綾乃の顔が私の覗き見る角度から見えなくなった。

「んごっ、まひゃひゅひっ! のへ! ひひょ……っ」

(……ベタ。見てるこっちが恥ずかしい)

 思わず声に出して呟かないではいられない。そしてその場にも居られない気分になった。

「……ん……」

 甘い甘いチョコレートと、不意打ちという卑怯な手法を使ったキスのお礼。勝手にやってなさいよ、ばーか。

 チョコレートもふたりの幼稚な恋も、壊れないまま卒業を迎えることになりそう。そんな風に思ったら、春の訪れが待ち遠しくなった。

 あんなふたり、もう見ていたくない。早く卒業してしまいたかった。

 戸多瀬から出てふた駅南の町にある高校への合格を確信していた私は、早くこの町から出て行きたかった。




 模範的な卒業生代表として卒業の答辞を述べる貴明が、檀の下になるここからでも間近に見える。

「今日の善き日を迎えさせていただき、ありがとうございました。僕達はこの学び舎を巣立っていっても、この学校で学んだことやともに過ごして来た仲間達との思い出を、ずっとこれからも忘れません。在校生の皆さん、どうか僕らのように、大切な宝をこの学校で見つけ、僕らのように清々しい気持ちで卒業の日を迎えられるよう、毎日を大切に過ごしていってください」

 ありがとうございました、という締めの言葉に、保護者や在校生、先生達からの拍手が重なった。

 誰も貴明の表情に気づかない。開業医の跡取り息子は私みたいに逃げ出せないから、きっと知っているのであろう藤堂君と綾乃の春休みの過ごし方を、憂鬱な気分で脳内復唱しながら答辞を述べていたのだろう。

 このあと卒業生任意参加で打ち上げがあるのだけど。藤堂君と綾乃はふたり揃って、出欠確認表の欠席に丸印をつけていた。


「藤堂のバスケ練習が明日からもう始まるんだって。だから今日しか一緒にいる時間がないんだとさ」

 幾つかの部屋に分かれて入ったカラオケボックスで貴明からそう聞いた。

「ふぅん」

「あいつ、なんで俺にあれこれ相談みたいなことをして来るんだろうな」

「何を聞かれたのよ」

「えっちに持ち込めるまでの話や雰囲気の持っていき方」

「げほっ、ごほがはっ」

 飲んでいたオレンジジュースをみっともないことに噴き出した。幸いなことに皆はカラオケに夢中で、誰も私達の密談に気づいてなどいなかった。

「で、なんて答えたのよ」

「綾乃を怖がらせてやればいいんじゃない、って言って、遊園地を提案してやった」

「……偽善者」

 おかしくもないのに、ふたりして笑う。口許だけでくつくつと。乾いた小さな笑いは、上っ面だけの友達とやらががなる歌声に掻き消された。

「……ま、綾乃は咄嗟に手が出るタイプだから、どうせ藤堂が下手打って終わると思うんだけどね」

「でも心配で気が気じゃないってところかしら。つければよかったのに」

「一次会くらいまとめないとダメだろう。仮にも生徒会長と副会長だったんだからさ」

 でも、さすがになんか疲れたね。貴明が漏らしたその声は、本当にくたびれたサラリーマンみたいな声をしていた。

「……ふけよっか」

 なんとなく口を突いて出た。

「ふたりで?」

 意味ありげに笑った彼が、逃げたいんだと虚ろな目で訴えて来る。

『藤堂はなんで俺にあれこれ相談みたいなことをして来るんだろうな』

 貴明の零したその問いは、人物を変えればそのまま私の疑問と同じようなものだった。

「貴明は、どうして私にばっかりそういう目をして来るの」

「同類だから、かな。なんか前にもそう答えた気がするけど」

 それよりどうする、抜けるの、と甘やかに耳許で囁かれれば。

「……ええ、そうね」

 ふたりがどうなるんだろう、なんてことで自分をいっぱいにしたくなかったから。傷の舐め合いでも構わない、お互いさまなんだし、と思ったりして。

 そっと別々に部屋を出る。受付でふたり分の会計をさっさと済ませ、引継ぎという名の人身御供に定めた男子の名を告げると、私は貴明に促されるまま走ってその場を逃げ去った。

 久し振りに貴明と手を繋いだ。最後に繋いだのは、幼稚園のお遊戯の時。誰も私とは組んでくれなくて、あの頃はまだ綾乃も普通の女の子だったから、貴明は今ほど彼女に執着していなかった。彼は彼女から手を離したかと思うと、

『朋華、洋服が汚れるなんてウソでしょう』

 と言って、ホールの隅で座っていた私の手を取り、みんなが陣を組む輪の中へ連れ戻った。

 あの時の感覚を、なぜ今思い出したのだろう。柔らかくて温かくて、ちょっとだけ優しい包む感触。

 貴明は当たり前のようにおばあちゃんに爽やかな挨拶をして、私の部屋へ我が家のような厚かましさで上がり込んだ。

「随分耳が遠くなっちゃったんだね」

 貴明はくすりと笑いながら、おばあちゃんのことを馬鹿にした。

「私をお母さんと思ってるしね」

「ヘルパーさんは、今日はいないの?」

「いないって知ってるから家にしたんでしょう? おばあちゃん、貴明を見ても全然驚かなかった。朝の内に顔を出したんでしょう」

 正解。彼がそう口にする頃には、私の唇にその息が掛かるほどの距離で。

()……っ、ま、待って」

「すぐ痛くなくなるから……多分」

「う……ん」

 零れ落ちた涙を慰めるように舌で拭われた時、なぜかまた幼稚園の時に感じた妙な温もりが私の中に宿った。だから、唇を噛んで、痛む数秒に耐えられた。多分きっと貴明だって、痛いモノがあるはずだから。身体や表向きの痛みなんかじゃなくて、もっと心の奥深くに眠るモノ。正しいあり様とか自尊心とか理想の自分と今の自分とのあまりにも激しいギャップとか……失恋の痛み、とか、喪失感。

「朋華……俺の彼女とか、嫌?」

「……いいんじゃない? 公式限定ってことでなら」

 その日私は中学校だけじゃなくて。

 貴明と一緒に、藤堂君のこととか少女だったこととか、いろんなものを卒業した。

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