もうひとつのボーイ・ミーツ・ガール 1
中学へ入学したその日から、藤堂君が好きになった。
自分にないものばかりを持っているから。明るい笑顔を自然と出せる羨ましいくらいカッコイイ人だと感じてしまったから。
そして何より好きになった理由は、私をお嬢さま扱いしなかったから――。
ここ、戸多瀬町は人口二万人弱の小さな町。戸多瀬中は、ふたつある小学校から町中の子供達が一斉に進学する中学ってことになる。みんながお父さんやお母さんと来ている中、私だけが母方のおばあちゃんを伴って入学式に出席した。
小さな小さな町だから、みんな私のことを知っている。正確には、私のお父さんを知っている。
この小さな戸多瀬町でお父さんが興したステーキハウス。たまたま訪れた鉄道マニアな雑誌記者が、グルメ雑誌にお父さんのお店を紹介した記事を載せたことから激変した我が家。
東京からお父さんの料理の腕を買いたいと言って来た人の話に乗ったお父さんは、まだ幼稚園だった私を残して東京へ行ってしまった。
お母さんは私が生まれて間もなく死んでしまったらしい。元々からだの弱い人だったみたいだから。私はお母さんというものをあまりよく覚えていない。
おばあちゃんがお母さんみたいなものだったからいいの。それはいいの、だけれども。
写真で微笑んでいる、私そっくりなのにもっと優しい笑顔のお母さんだけが、私にとってのお母さんだったのに。
お父さんはおばあちゃんや私にはなんの相談も報告もないまま東京の女の人と結婚をした。それから二年後、小学四年生の時に私を迎えに来たけれど、断った。その頃のお父さんは、私の知っているお父さんじゃなくなっていたから。
お父さんを支援してくれた人を出し抜いて、その会社を乗っ取ってフランチャイズ店にして。店を大きくした挙句、お母さんとの出発点だったこの町の店をたたんでしまった。
同じ年頃のみんなは、そんな大人の事情を知らない。大人だけが知っている。そして冷ややかに、または哀れんだ目で私を見るの。
『朋華ちゃんはおばあちゃん孝行だね。年寄りの独りぼっちは寂しいもんだよ』
同情なんかうっとうしい。私は私の為にこの町に留まっているだけなのに。お父さんやいきなり母親面する似非ママがウザいだけ。
『どうやら朋華ちゃんは朋世ちゃんに似ていると思ったけれど、お父さんに似ちまったようだね』
うるさい、ほっといて。どうせ私は可愛げもないし、負けず嫌いだし、性格はお父さんにそっくりな根性悪よ。だけど好きで似たんじゃない。恨み言なら遺伝子に言って。
そんな私のいびつな心は、高飛車な態度に表れていった。いつの間には私は子供達の間で「朋華さま」と呼ばれるようになっていた。
あれは中学入学式の時。
そんな私を呼び捨てた人と初めて出会った。この私に自分から媚を売る以外の意味で話し掛けて来るなんて奇特な人と初めて会った。それが藤堂雅之君だった。
『なあ。朋華って、なんで女子にはさまづけで呼ばれてんだ?』
たまたま同じクラスで隣の席になった藤堂君は、もうひとつの小学校区だから、私のことを知らないのかしら。本当に屈託なく嫌なことを訊いて来た。だけどそう思わせないキレイで大きな瞳がまっすぐ私を見つめた瞬間、気づいたらありのままを口にさせられていた。
『お父さん譲りのお高い態度と口調と、それとお父さんがシュレムの社長だから、でしょ』
シュレムっていうのは、お父さんが社長をしているステーキハウスの名前。今では百店舗くらいになっているフランチャイズ店。
どうせ藤堂君も、ほかの子と同じ反応をすると思っていた。おこぼれ目当てで媚びて来るとか、逆にドンビキして口をつぐむとか。
『なんだよ、親の七光りを妬んでるか何か、そんなヤな意味合いでそう呼ばれてるってことか。ま、気にすんな』
キニスンナ、という五文字が、私の中にフラグを立てた。その時なんて答えたのかさえ覚えていないくらい、私は本当の自分を藤堂君に見透かされたようでうろたえていた。
本当は「朋華さま」という壁を感じる呼ばれ方が、ものすごく疎外感を誘って嫌で仕方がなかったこと。それを察してくれた藤堂君は、彼の中で私を意識して見ていたんじゃないか、って。そう思うとコトコトと心臓がせわしなく働いた。ありのままの私を見てくれていると思うとドキドキした。
だけど、それは私の盛大なる勘違いで。
彼の姿を目で追うごとに、それは確信へと変わっていった。自分の気持ちを彼に伝えられないまま、折角三年間同じクラスでいられたのに、遠巻きに彼を見るだけで終わっていた。
私はその日、生徒総会の座席表を見た瞬間、怒りで大きく目を見開いた。
「ちょっと、これ、どういうことよ、貴明。生徒会を私物化しないでって何度言わせるの」
新生徒会が発足してから、副会長として総会準備を会長である望月貴明と一緒にして来た訳だけど。いきなり小さな訂正プリントの原稿をコピーしておくよう言われ、尖った口調で彼を問い詰めた。
「私物化したのは藤堂だよ。俺は奴に頼まれただけ」
「断れない弱味なんか他人に見せたことのないあなたが、何頼まれたとか大嘘ぶっこいてんの」
椅子から立ってコピーに行ってやる気なんて更々ない。だから私は椅子に腰掛けたまま、腕組みも解かずに脚も組んだままで、その左足を思い切り貴明のすね目掛けて蹴り上げた。……スカだったけど。
「お嬢さまの風格、だいなし」
「お嬢さまって言わないで」
好きであの親の娘に生まれたわけじゃあないし、親の成功だって私には関係ない。
「でも実際お嬢さまじゃん。お父さんの経営するステーキ店、この間またバラエティ番組で紹介されてたよ」
どうして一緒に東京へ引っ越さなかったの、という貴明の不躾な問いは全身全霊でスルーした。
「巧く話を逸らしたつもりでしょうけど、こんな勝手も頼まれたなんてウソも、私には一切通用しませんからね」
それだけ吐き捨てて席を立った。にやりと笑う貴明をひと睨みしてから私は生徒会室をあとにした。
「何考えてるの。あの捻くれ者」
貴明とは、幼稚園の時からずっと同じクラスで腐れ縁だ。うっとうしいことこの上ない存在。長年のつき合いで私には解る。あいつが綾乃をただの幼馴染として見てなんかいないこと。
「なのに、なんで綾乃と藤堂君の席を隣同士になんかしちゃうのよ」
なんだかすごく、嫌な予感がした。この私が藤堂君とひと言も喋れない内に、綾乃に持っていかれてしまう気がして、私は手渡されたコピー原稿を引き裂きながら午後の教室へ戻る足を荒げていた。
好きだから、解る。鈍感な綾乃がまったく気づいていないことが救いであり、情けないところでもあるのだけれど。
「……あんな男女でゆがんだネクラのどこがいいのよ」
宮下綾乃。髪が長いこととセーラー服だけが、女子だと気づかせる希少アイテムというヘンな女。それが彼女の過去を知る人からの変な同情を誘っているから。
「あの女は、嫌い」
事故で兄を亡くしたことから心の病に堕ちた母親の為に、兄の振りをして来た数年間を、同じ小学校の生徒だけが知っている。
「自分だけが不幸みたいな顔して」
そんな宮下綾乃が、私は世界で一番大嫌いだった。
生徒総会が始まる前に、各教室で議事録を配る。
「それでは役員の皆さんは、体育館に入ったら議事録最後のページにある席順で着席して一年生の入場を待ってください」
私がそう述べて議事録の最終ページを繰る。
「!」
朝、三十分も掛けてセットした髪のウェイブが解けてざわりと総毛立った気さえした。
(座席表、差し替え済みになってるじゃない!)
隣で涼しげな顔をして学活の司会に徹する貴明を、きっ、と思い切り睨み下ろす。
「じゃあ、俺と朋華は役員で先に体育館へ行くから。クラス委員さん、あとをヨロシクね」
と貴明がにこりと笑えば、特に女子が黄色を帯びた是の答えを返す。彼は私の煮えくり返るはらわたをどこ吹く風とやり過ごし、私の腕を掴んだかと思うと飄々とした態度で教室を出た。
「ちょっとっ。差し替え済みだったんじゃないのっ。どうしてわざわざ私にコピーなんて」
「朋華、賭けてみない?」
「は?」
藤堂が綾乃を落とせるか否か。
貴明はそう言って皮肉な笑みを浮かべ、私を言葉巧みに誘惑した。
「綾乃のお母さんに泣きつかれたんだよね。どうしても言葉や行動が女の子に戻せないって。綾乃を責めているわけじゃないんだ。お母さんが綾乃に対してゴメンって気持ちでいっぱいなんだと思う」
こいつって、いっつもそう。綾乃に関することを話す時だけ、真面目で真剣で、殊勝な表情を私だけにバカみたいなほど真っ正直に見せて来るから始末に負えない。
「それ、ダウト」
「なにが」
「綾乃のお母さんに頼まれたなんて、ウソ。それだったら最初から綾乃を廉さんに仕立てるほど心の弱い人なんかじゃないわ」
「さすが、朋華さま」
ひくりと片眉を吊り上げる。だけど貴明は相変わらずのポーカーフェイスで、そんな私の苛立ちをやり過ごした。
「本音。藤堂をけしかけて、綾乃が女の子の自覚を持てたらラッキーかな、と」
「あなたがそそのかせばいいじゃない。まんざらでもないんでしょ?」
「俺は近過ぎて、廉兄ちゃんを思い出させちゃうし、俺も廉兄ちゃんを知ってるから」
ほら、またそうやって物憂げな感情をあからさまにする。
「お隣同士だものね。あくまでも、綾乃の前では廉さんの代わりでありたい、と」
「ま、そういうこと。綾乃に逃げ場がなくなっちゃったら、あいつ女友達もいないしさ」
中学生の会話じゃないな、と思ったから、適当な返事でその話を締め括った。
「綾乃のことを何も知らない藤堂君に、そんなウルトラCなんか出来っこないわ」
「じゃ、俺は落とす方に賭けるとしようかな」
ガキんちょ同士の恋愛ごっこなんか、どうせすぐ壊れるけどね。
そう言ってくすりと笑う貴明は、やっぱり私と同類だと思う。そう思ったら背筋にぞくりとした寒気が走った。
心のどこかで貴明の言った「ガキんちょの恋愛ごっこなんかどうせすぐ壊れる」という言葉に期待と希望を見い出していたのかも知れない。
総会の司会をこなす傍らで、各部長が活動予定報告を読み上げている間、私はずっと藤堂君と綾乃を見つめていた。見つめていたというよりも、その内穴が開くんじゃないかと思うほど食い入るように睨みつけていたと言う方が正しい。
(近いっ! 近過ぎるっ。何書いてるのよ、藤堂君)
綾乃が彼に何か言ってる。唇を読むけど解らない。次の瞬間、藤堂君が綾乃をまっすぐ見つめてにかっと笑った。
おなかの底がひんやりとする癖に、ドキドキとして顔が熱い。
あの瞬間に綾乃が見せた、同性でもどきりとするような潤んだ瞳が、私をそんな状態に陥らせた。みるみる真っ赤になっていく彼女の顔を、唇を噛みながら睨んでいた。
とうとう藤堂君から話し掛けられた女子が、私だけではなくなってしまった。