第二話 同じ癖、違う体温
一度は晴れかけたかに見えた視界が、さらに深く、重い乳白色に塗りつぶされていく。
停留所のポールも、足元の石ころも、その境界は霧の奥へと消え、世界にはただ一点、私の座るベンチだけが取り残されていた。
再び、靴音が聞こえる。
霧の壁を割り、あの若者が現れた。
先ほどよりも一歩、踏み込んだ距離。
街灯の橙色の光が届くか届かないかの境界に、彼は立ち止まった。
その瞳は、先ほどよりも強く、青白い光を宿しているように見えた。
「俺は間違ってないのに、報われない」
若者は、霧の向こうにある見えない何かを断罪するかのように、言葉を放った。
「俺は間違ってない。誰よりも真剣に考えて、動いている。なのになぜ、誰も見てくれないんだ。俺だって、認められたいだけなんだ」
私は、黙って聞いていた。
若者の拳は、白くなるほど強く握りしめられている。
かつて私も、その拳を握りしめ、自分自身の正しさを唯一の武器にして走っていた。
私はベンチの横に置いていた水筒を手に取り、ゆっくりと蓋を回した。
立ち上る湯気が、霧の中に静かに溶けていく。
一口含み、温もりが喉を通るのを待つ。
「……熱には、使い道があるんだろうな」
誰に聞かせるでもなく、夜の白に馴染ませるように呟いた。
「火は、外を照らすこともできるし、自分の足元を温めることもできる。どちらも、火なんだけどな」
私は、街灯の光の下に自分の掌をかざしてみた。指先の力みは消え、ただ夜の冷気を柔らかく受け止めている。
「あんた、逃げただけじゃないのか。諦めた人間の言い訳だろ」
若者は、苛立ちを隠さずに私を睨んだ。
私は、ゆっくりと口角を上げた。
刺々しい彼の視線を、ただ静かな水面のように映し返す。
私は空を仰いだ。
霧の向こう、見えないはずの星の存在をただ感じている。
肺いっぱいに吸い込んだ空気は、ひんやりとしていて、ひどく美味い。
霧の中で、若者の輪郭が波打つように揺らぎ始めた。
叫ぶような彼の声が、次第に遠く、こもった音へと変わっていく。
私は、消えゆく彼の横顔を見つめた。
耳の後ろ、髪に隠れるようにしてある小さな痣。
そして、苛立つと無意識に左手の人差し指で手のひらを叩く、独特な癖。
視線を落とすと、自分の左手の人差し指が、かつての記憶をなぞるように、かすかに動いた。
再び霧がふっと晴れ、そこには誰もいなかった。
あとには冷たい夜気だけが残ったが、私の指先は、少しも強張っていなかった。
私は自分の掌を一度握り、それからゆっくりと開いた。
あの頃の熱も、今のこの静寂も、すべてがこの掌の中にあった。
霧の向こうから、ヘッドライトの明かりが、路面をなめるようにして近づいてくる。
私は、ゆっくりと立ち上がり、服についた夜露を軽く払った。
その背筋は、かつてよりもずっと真っ直ぐに、夜の中に伸びていた。




